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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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  • 03/08/17--04:27: 人のあしらい方
  • ブログをやる人の多くは、自分の意見に難癖やいちゃもんをつけられるなどの困った相手に遭遇するという。それがストレスとなり、閉鎖に至ることもあるというが、それはそうだろう。ストレスの発生など誰も望まないが、意地悪い人間は、他人にストレスを与えていい気分に浸る。人の不幸を蜜の味とばかりに拠り所にする人は、よほど生活が荒んでいるのだろう。

    ネットの厄介者、「あらし」は遭遇しないに限るが、こればかりは自分で選べない。制限時速を守りながら、安全運転で公道を走っていても、センターラインを越えてこちらにぶつかってくる相手もいるように。好感持てる相手もいれば、嫌な相手もいるのが世の中なら、嫌な相手にはどのように対処するかも大事となる。それを、「あしらい方も」といってもいいだろう。

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    善良なるコミュニケーションを目的とする人、そういう意図が感じられない人、さらにはそんなことはまったくない人、それらをどのように判断し、どう対処するかもそれも人の能力であるなら、そうした能力は人間付き合いという経験から身につける以外にない。嫌な相手とどのように対処するかは難しいと聞くが、ある種のコツを知っておけば、所詮は人間と人間である。

    このブログにも過去いろいろな人間が訪れたが、ブログでの人のあしらい方も、リアルにおけるあしらい方も基本は変わらない。どちらにせよ人の「あしらい方」は能力と考えれば、テクニックもある。最近社会問題となった「クレーマー」においても、その対処法は確立されている。クレームとはサービスに対する苦情や改善要求、契約或いは法上の権利請求を指す。

    商品やサービスなどにクレームをつける消費者を普通、「クレーマー」と呼ぶが、社会における一般的な、「クレーマー」とは、苦情や文句が特に度が過ぎた消費者をいう場合が多い。2000年代後半頃に徐々に注目を浴びるようになったが、その背景には、インターネットや携帯電話の発達により、「モノを言う消費者」の場と手段が広がったことが指摘されている。

    言葉を荒げるなどの強い態度で、権利を主張するクレーマーへの防衛策を企業は対策室を作るなどで強いられた。また、攻撃性はないが、私的利益を求めて何度もクレームを出すクレーマーもいて、こちらは比較的少額のクレームが多いが、存在しない問題も作り出すなど、こうした常習的悪質クレーマーにも手を焼く。暴力団がらみのクレーマーは昔からあった。

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    さらには、主観的な価値観、思い込みによって自分が有能であると思い込む心理的クレーマーは損得勘定ではないため、賠償や交換対応などに興味はないが、性格的な問題が災いしてか、本人が間違っていたと判明しても反省することがない。心理的に複雑なクレーマーは、精神的に問題がある場合、自傷、自殺などをほのめかしたりする場合もあるという。

    クレーマーの対処をはじめとするクレーム処理係は、「謝れ」、「責任者を出せ」、「今すぐ回答しろ」、「誠意を見せろ」、「納得できない」と、これらクレーム5大表現への対処を強いられる。自社にまったく非のない、モンスタークレーマーには、「ゼロ回答」と定められている。「申し訳ございません」などと安易な謝罪は、非を認めたことになり、相手に付け入る隙を与える。

    「責任者(上)を出せ」、「今すぐ回答しろ」と言われても決して慌てず、「お待ちください」と、上層に電話で取り次がないことだ大事。それをやってしまうと、相手の要求の1つに屈したことになり、それがまた相手を増長させる事になる。また、「誠意を見せろ」などというクレーマーは、「誠意=物(金)」であるから、それには従わず、「当社の最大の誠意とは謝罪」と伝える。

    このように、クレーマーというのは、道理の通らぬもの、道理の通じるもの、いずれにしてもこちらの姿勢を変えるべきではない。道理が通る、通らないは相手の問題であって、そこに屈する必要はない。しつこいクレーマーはいるが、最終的にはクレーマー自身の苦情(言い分)は通らないと思わせることで、そうした一貫した姿勢や態度が、クレーマーの心情を軟化させる。

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    一貫とは、一つの筋立てであり、他の道を提示する気はないと相手に思わせるためにも崩してはならない。一寸の隙も見せるだけで、相手は強く言ったり、粘れば何とかなるという期待を持つからだ。昔は「ごろつき」、昨今はクレーマーが社会の厄介者だが、ネット時代に入ると、「あらし」という、「ごろつき」が厄介者。が、こちらの対処はリアルに比べて屁でもない。

    「あらし」というネットの厄介者は、自身の素性が分からないのをいいことに、ヘタレが強がっている場合が多い。最初は爪を隠し、相手の応対によって牙を剥くこともある。どちらにしても生活や欲求の不満の腹いせで憂さを晴らす、病んだ人間、恐るに足りぬ人間である。「某ブログ炎上」なるネット用語は、あらしのけたたましい書き込みによって機能しなくなること。

    ネットという頭から袋をがぶった状態の、秘匿性をいいことに暴徒化し、集団というパワーを得る。人間一人の、「あらし」の「力」など、所詮は知れたものだ。集団暴徒という罪悪感など欠片もなく、動物的な気分で、「死ね」だの、「消えろ」だのと吐く輩である。思春期相手なら「死ね」と言われて実践する子どももいるが、だからと言って「死ね」といった責任を取ることはない。

    まあ、取れないといった方がいいが、心の中にも形跡がないほどに、人は人について無慈悲の昨今である。人は進化していくものだが、これを人間の進化というのは恐ろしい時代である。人が人に興味を抱かなくなった時代であるのは、若者をみて感じるが、インターネットが出現して25年になるが、人は頭から袋を被ることで、理性を失うと、いみじくも証明された。

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    アクセス数の極度に多い芸能人ブログに比べ、一般人の私的ブログが、「炎上」の憂き目にあうこともないが、それでも「あらし」に迷惑したというのは聞く。自分は「あらし」の経験はないが、積極的に引き取り願った何人かはいる。権威的な物言いをする宗教家や学者には、「出ていけコノヤロー」の心情は顕著に表れる。権威者に強い反発心を抱く性向であるが故だ。

    記憶に強く残るのが、キリスト教の牧師と名乗る油食林間氏。2009年だから8年も前になるが、それにしてもいきなり、「キリスト教の幸福実現法則を知らないとこんな議論になりますよ!! 爆!! 」と、他人のブログに土足で入って来、勝手に爆裂するのには、開いた口が塞がらなかった。何を言うのも自由だが、聞かぬ自由、無視する自由も、追い出す自由もある。


    それで事なきを得たから、「あらし」ということではない。ま~、「あらし」であろうとなかろうと、何らかの意図を感じる相手は、早急に追い出す手配をする。クレーマーというのは、何がしかの意図があるからクレームをいうのだろうが、「不味いレストランに出くわせば、文句をいわず料理を残して去り、二度とそこに行かなければ良い」とカーライルは言った。

    文句を言ったところで、今後は美味しくなるわけでもなく、文句をいう自身の品の無さを戒めた言葉である。「気にいらない客は来なくていい。帰ってくれと俺は言うよ」と、剛毅な職人気質の料理人がいる。そんなのは商売としてはなっていない、思い上がりもいいとこ、サイテーな料理人だ、と感じる客がいたとする。いたとして、それを料理人に言ってどうなる?

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    「そんな奢った考えで商売はダメでしょう?」など、お節介も甚だしい。店が、主人が気に入らなければ二度と行かなければいいこと。店主に文句や説教は自身の怒りと奢りである。知らないで入ったが事情が分かった。ならば二度と行かねばいいのであって、その店がはやろうが、行きづまろうが余計なお世話だ。客の文句は、「イタチの最後っ屁」に過ぎない。

    「来る人はどうぞ」、「来たくない人はご自由に…」と、これは商売のノウハウというより、道理として正しい。客に媚びない店主は自由に生きている。それで客が来なくとも自己責任という自由を描いている。近代経営には逆行しているかもしれぬが、媚びない男気に共感する。不味い店、気に入らぬ店主の店には行くなである。カーライルもいい、職人も言っている。

    寄って集ってブログを炎上させるような、集団はまさにネットイナゴである。文句をいうより、行かなきゃいいだろう。やってることは、モンスタークレーマーと何ら変わらない。『戦争と人間』の五味川純平はこのように言った。「信じるなよ、男でも、女でも、思想でも。本当によく分かるまで。(中略)威勢のいいことをいう奴がいたら、そいつが何をするかよく見るんだ。

    どんな真理や理想も手がける奴が糞みたいな奴なら、真理も理想も糞になる」。幸いにして、ネットイナゴたちの素性は分からない。彼らがどんな正義感をもち、どんな風に社会を生き、どんな仕事で世に貢献しているかなど、五味川のいうように確認できない。「頭から袋を被り、素性も何も分からないから、イナゴになってブログを焼き尽くす」と、自分は考える。

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  • 03/08/17--17:42: 人のあしらい方 ②
  • ネット上でヘイトをまき散らす、「あらし」は当たり前に存在するが、ネットユーザーの5.6%は、「あらし」との報告もある。研究者が1200人のインターネットユーザーを対象に調査をしたところによると、「闇の特性」なるものが見つかった。それはサイコパシーやナルシシズム、そして特にサディズムであった。つまり、「あらし」は他人の痛みを喜びとする人々であるということになる。

    先に実社会のモンスタークレーマーらについて記したが、企業側に対策が確立されているように、ブログの、「あらし」にもそれなりの対策法があるのかも知れない。が、自分は自分で考え、それが自分にあった方法と思っている。さらに自分は、人の「あしらい方」にはリアルもブログも基本的な差はないと考える理由は、そういう荒んだ人間の性格的傾向は、変わらないと見るからだ。

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    大きく異なる点は利害関係の存在であろう。つまり、実社会でクレーマーとは顧客であるが、ネットでは何の利害関係もないただのやじ馬である。であるから、実社会の方が対応的には難しい。自分はクレーム処理などの対応を得意としていた。誰もが嫌がるクレームだが、嫌がる理由が分からぬほどに、「好き」が高じていた。好きの理由は、人を説得・納得させるのは、自分の能力と考えていた。

    能力を持っていたというのではなく、処理をすることで能力が得れる、高められると思うなら、率先してやる以外にない。何事も挑戦することをプラスと考える、これがポジティブ思考の神髄である。どんな経験であれ、「する」は、「しない」に勝るであるから、買ってでもしたいものである。当時、「へたれ」という言葉はなかったが、「逃げる」などは「へたれ」の極みと考えていた。

    人対人、相手と自分、敵と味方、人間の関係にはさまざまな状況や場面があるが、どちらにしても「個」対「個」という関係ほど、人と人との関係が鮮明な状況はない。将棋をしながらそれを感じることもあれば、クレーマーと対峙しながら感じることもある。彼女と二人で何かをしながら思うこともあれば、親と向き合い涙する場面もあった。相手と自分、自分と相手、これほど切実な場面はない。

    さまざまな「個」対「個」の場面にあって、「心中」というのは、人間と人間の関係の極みではないだろうか。経験はないが想像で思考はできる。「心中しよう」と、そう決心したとき、世界からすべての色が消えていくのではないか。白黒か、セピア色か、分からないが、世界がぼーっと翳んで色がなくなるように思う。おそらくそれは「死」という前触れを、脳が率先して判断しているからだ。

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    つまり、「死後の世界には色がない」という先入観であろう。自分はそのように考えている。その時に自分が確実に関わりを持とうとする相手、それは共に死のうとする相手である。そうした切迫もしくは緊迫場面をできるなら経験してみたいが、「自死」に関しては、「せざるを勇」の自分である。心中場面で人間は、目の前の相手以外の、一切の人間から解放されるであろう。

    これまでは自分を眺めることで、その自分に対して何らかの影響力を持っていた他者が、その影響力さえ失って、ただの風景と化す。太宰はそういう場面を経験したのだろう。地上にたった二人の人間しかいなくなったとき、人殺しというのは犯罪であろうか?心中とはまさにこの状況、この地上に人間がたったの二人になった瞬間であろう。翠川秋子(みどりかわあきこ)という女性がいた。

    1889年(明治22年)9月生まれにて、1935年(昭和10年)8月20日没と履歴にある彼女は、日本人初の女性アナウンサーだった。女子美術学校(現在の女子美大)を卒業、普通の銀行員と結婚し、1男2女をもうけるが1922年に夫と死別。東京中央放送局総裁だった後藤新平の目にとまり、彼の推薦で1925年東京中央放送局入りし、アナウンサーとなるが、局内での風当たりは強く1年たらずで退社。

    以後、美術教師などを遍歴したが、新宿に屋台のおでん屋、「みどり」を開店し、細々と暮らしていた。35年8月6日、翠川の子女3人が7月25日に母が家を出たきり帰って来ないと警察に届出る。直後に部屋から以下の内容の遺書が発見された。「子供たちはもう大きくなつたから私も安心だ。生活に疲れた私は死の家出をする。死体は絶対に判らないやうにするから探すのは無駄だ。

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    海の底から子供たちの幸福を永遠に祈つてゐる。私の家出した日を命日としておくれ」。直ちに捜索が行われ、8月20日午前8時30分安房郡西岬村(現千葉県館山市)坂田海岸で翠川らの心中死体が発見される。相手はおでん屋の客だった東京都蒲田区役所職員藤懸羊次(29)と判明した。彼は中央大学法科を卒業後、役所に勤務したが、大学時代はラグビー部のキャプテンを務めた。

    現場にかけつけた羊次の父重次氏は、「羊次は7月25日朝海水浴に行くと言つて着換へを1枚持つて出かけた儘今日まで消息がなかったが、今朝突然館山局の消印で『どうにもならない事情で死ぬから』といふ遺書が届いたので吃驚して駈付けて来た。翠川女史とは先年大阪から帰る車中知合ひとなり、おでん屋を開業してからも時々行ったやうですが、之以上の交渉は父親の僕も一寸も知らなかった。

    羊次は普段は朗らかな子でしたが、本年2月頃から多少精神衰弱気味でふさいでゐました。若し翠川さんと情死したとすれば女の方から引摺られたのでせう」。息子の早過ぎる死を翠川の仕業と恨み節。彼女の生を身勝手とする者もいようが、彼女は紛れもない自身の生を全うした。死なねばならぬ人生だが、自らの生に死をもって答えた彼女に、僅かばかりの拍手を贈りたい。

    石原慎太郎をかつて尊敬していたが、理由の一つに現早稲田大学理工学部名誉教授加藤諦三の一言があった。1975年に石原が東京都知事選に立候補した際、「彼はタレントだ」と嘲笑する政治家に加藤氏は、「自らの票は政治を分かった人の票であり、タレントの票はそうではないと、これは民主主義を知らぬ政治家の選挙民をバカにした言葉」と批判した。

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    今でこそ、タレント議員は別の尺度で批判されるが、当時にあって、「金や義理で集めた票が、タレントの票より上質では断じてない」とする加藤氏の発言には説得力を超えた感銘があった。『太陽の季節』で文壇に躍り出た石原は、現在晩節を汚すか否かの状況にある。何にしても、仕事をしなかったことが問われているという他ない。発言は勇ましいが、何と心が浅ましいことか。

    石原が得意とした、「人のあしらい方」も、メッキが剥げ、錆びついたと感じるのは自分だけでなかろう。「攻めるに強き人間は、受けに回るともろく弱い」を実感する人物。厚化粧と揶揄した小池都知事に嘲笑され、返す刀で斬ろう発言に都民や世論の多くは、耄碌爺々の戯言とそっぽである。実直な仕事をせず、派手なパフォーマンスで都民を愚弄したツケは払うしかない。

    かつて自分も、「人のあしらい方」を得意にしていた。「得意」というのは誤解を招くが、別の言い方をすれば、「あしらい」を能力とみていた。能力は高い方がいい、したがって率先してクレーム処理に殉じた。嫌がって手をこまねくようでは能力不足を公言しているようなもの。石原も、「逃げるのは性に合わない」といいながら、美辞麗句で誤魔化し、逃げようとの算段が丸見え。

    「人あしらい」が好きで困ったことはないが、うまくやれない人に苦悩はあろう。ネット内のそうした問題は結構耳にした。最近、その手の客人がきた。例えば何かについて意見の述べ合う場合、宗教者が聖書や仏典を引き合いに出しながら会話をするのはうっとうしい。「自分の言葉で語れよ」と思うが、彼らにとって、聖人以上の言葉はないのだろう。だからか、それで事足りるとの考えだ。

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    昔、そうした宗教家に、「壁に向かって話したら?苔が生えた言葉は聞いててつまらん」といったことがある。やはり自力で考え、答えを探ろうとするから凡人同士の対話となる。今回もそうだが、「正しい日本語って何?」だと?自分でできることをせず、相手に言わせ、それに突っ込みを入れる暇人は、一種の、「あらし」である。斯くの相手は、「自分で調べ、自分で知る」との道理で提示でいい。

    自分の意見を否定されて逆恨むタイプは、気が収まらずしつこい。若き頃は、こういう人間の対処に要領を得ず、立腹し言い合いとなるが、経年で事物の道理が分かると些細な事はエネルギーの浪費となる。それを見切ることも重要で、見切り方は上記したように、道理をいってそれに順応するかどうか。賢い人間なら、道理には抗わない。が、「あなたの考えを聞いてるんだ?」には無視をすべし。

    それが道理でないのは、以下に提示した、「自分の正しいは自分のもの。あなたに関係ない」とされると返す言葉がない。つまり客人は、返す言葉がないほどにバカなことを聞いたことになる。「自分で知りたいことは、自分で調べ、他人に聞くものではない」そういう道理を知れば、斯くの愚問に返答義務がないのも分かる。つまり、そういう問自体が愚かであるを知るのが賢さ。

    それも分からぬ無知の輩は墓穴を掘る。端的にしつこい人間はバカである。自らが興奮し、相手の発言を冷静に見つめ、分析し、判断をしない。「しない」ではなく、「できない」。頭に血が上り、自分以外は見えなくなっているからだ。男にもいるが、女性特有の感情である。だからか、こういう場合の、「ギャーギャー」に男は閉口するが、それを、「無視した」と追い打ちをかける。

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    答える義務はなく、答えるか否かの判断はこちらの裁量だが、「人が聞いてるのに無視するのか?」と、追い立てる側に道理の欠片もない。答えたくないことを答えない、無視する自由こそが道理である。それでも感情的な輩は、「答えられないんでしょう?」とあの手、この手で畳みかける。我利通すためには道理もへちまもない、見境なき人間は浅ましい。


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  • 03/09/17--18:04: 温故知新
  • 子どもの頃、まったく思わなかったこと、あるいはしなかったことなどが、なぜ大人になれば出来たり、やろうとしたりするのだろうか?それらは何か?と頭をめぐらせるといろいろなことがあるが、すぐに浮かぶことは掃除である。部屋の掃除、部屋を綺麗に、など考えたこともなかった。その理由を今考えると、自分が「ガサツ」な人間であったからだろう。

    家庭内に「掃除の時間」はないが、学校では授業が終わると掃除時間。掃除当番といって、あちこちの割り当てがある。自分は教室や運動場や体育館周りや、あてがわれた掃除当番をよくサボった。掃除をする場面の記憶はあるが、サボっていなくなる、帰宅する場合の記憶はあまりない。記憶というのは映像である。頭の中にさまざまな映像として残っている。

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    その中に掃除を一生懸命にやる女子の映像がある。掃除映像は一つの場面で、なぜそれが残っているかを考えた。自分の視界からとらえた映像には、Kさんという女性が映っている。黙々と教室の掃除に勤しむKさんが、机を寄せたり運んだり、床をほうきで掃いたりの記憶の動画である。その映像は、自分の中で二つの「美」の要素として収められている。

    一つは、「行為の美」、もう一つは「女の美」である。人の記憶には、絶やすことのできない美しい場面が残っている。他にも、苦悩の場面、悲しい場面、享楽な場面の映像も脳に収納されているが、当時の掃除の場面が自分に何かをもたらせたのか?あるようでないようで、定かにないが、トラウマという記憶は、のちに精神に「負」の影響を及ぼすという。

    人間の過去の体験が人に何かを及ぼすことは間違いなかろう。「掃除をしない自分」と書いたが、黙々と掃除をするKさんは美しく清楚であった。Kさんに何ら恋心はない。ただ、掃除の姿が美しく彩られている。Kさんはクラスでトップ、全校でもトップテンの才媛で、そうした憧れがあったかもしれない。自分より上位であると自分が認識するKさんであった。

    自分がやらない掃除を黙々と行うKさんに、「申し訳ない」の気持ちはあった。ゲスといえば言い過ぎだが、「なによサボってばかりで、ちゃんとやってよね!」文句をいう女子はいた。が、「うるせー、掃除なんかできるか!」と返す。文句をいう女子は当たり前にいたし、規則を守らない無法者への注意である。Kさんは、そんなことをいう女性ではなかった。

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    ばかりか、文句をいう女性と言い返す人との掛け合いを、笑みを浮かべながら眺めている。それにしても、あの笑みがなんであったか、今も分からない。思うに決して見下げた含み笑いではなく、それとは別の、「男にはどこを探しても見当たらない、とてつもなく大きな、女の無法男子に対するへの尊敬の念」であったようにも感じるのだが、なぜそう感じるのか…

    男が女より優れている、偉いとされた時代があった。実際に男が優れていたのではないが、女性を虐げることで、バカでも男は偉いとされた時代である。軍国主義国家にあって、兵士となる者こそ崇められた時代で、それが男の偉さということだ。Kさんの笑み男を卑下するものはない。「掃除くらいしてよ!」と憤る女の、男への蔑視線とは明らかに異なるもの。

    全校でトップの女性が、掃除もしないバカ男を許容し、あるいは尊敬(のように見えた)に類する視線とは、いかなる環境からもたらされたのか?容姿の美しい女性はいる。所作の美しい女性がいる。内面美しき女性もいる。Kさへの美観は容姿以外のもの。男尊女卑なる考えが残っていた我々の時代には、男子は女子に比べて体系的な優遇感があったろう。

    天皇陛下を崇め、教育勅語を信奉し、軍国主義のただ中に育った昭和一桁世代人が教師であったり、親であったりの世代である。端的にいうと男女同権が持ち込まれる以前の、「男が男、女が女だった時代」である。ある文献に、「昭和一桁生まれといっても激動のあの時代は、一年単位で細かく見なければ把握できない」とあり、意味は理解できなかった。

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    同じ軍国主義世代といっても、実際に戦争体験のある「実践軍国主義世代」と、戦争に駆り出されることのない「観念軍国主義世代」という相違があるという。我々戦後生まれは、あえて言葉を設けるなら、「空想軍国主義世代」ではないかなと。戦前の軍国主義時代に少年時代であった人は、「戦争に負けたことは悔しかった」という言葉を述べている。

    「お国のために死ね!」を洗脳された時代である。そして戦後の動乱、並びに大乱である。大乱とは、「お国のために死ね」と送り出しておきながら、戦争に負けたら手の平を返すがごとく口を紡ぐ大人だったというから、純粋無垢な少年の心の収め場所はなかったという。最も顕著だったのは、生徒を殴りまくった軍国主義的教師が豹変したという。

    ばかりか、「あの時は悪かった。殴りたくて殴ったわけじゃない」とこうべを垂れて謝罪する姿に情けなささえ抱いた。さらには裏切られた、そう実感したという手記も目にした。国の命とはいえ、社会の末端において、戦争を指導したものが、敗戦でどう身の処置をすればいいかを悩んだのかもしれない。確かに、負けた時に身をどう処するかは難題であろう。

    「天皇の戦争責任」について論じられた時代もあった。広島、長崎の原爆投下の前、昭和20年5月にあった東京大空襲の後、昭和天皇は車で焼け跡を視察して回った。その時に、「もはやあ白旗を揚げよう」と宣告すれば、広島・長崎はなかった。天皇陛下の命にて行う戦争だが、天皇陛下が旗を降ろせない二重構造があったのはいうまでもない。

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    戦艦や空母をほとんど失った海軍は、「戦争中止もやむを得ない」という現実主義であったにも関わらず、戦車や火器を失っても歩兵は竹やりで戦えるという陸軍の理想主義の狭間にあって、「朕が戦争終結を言えば陸軍の立場がない」という天皇であった。何にしても日本の権力構造は、責任を取らなくていいような、用意周到たる二重構造が蔓延っている。

    天皇を守るという名分をタテに責任問題をボカシ絵にした。遡ると、江戸時代においても、京都御所の権威と江戸の実験のズレもこの国を支えた二重構造である。「ポツダム宣言」を受諾するのかどうか、御前会議をやるにはやるが、天皇の御聖断がセレモニーであったのは知れたこと。すべては、「空気」が支配するというのが日本的決裁である。

    戦争映画を日米合作する際にあったことだが、日本語に頻繁に現れる、「黙殺」という言葉は英語にない。「ポツダム宣言」の際も、当時の鈴木貫太郎首相はひと言、「黙殺」だった。あれこれ説明するのだが、アメリカ人に、「黙殺」はどうにも伝わらない。仕方なく、「サイレント・キリング」という直訳にしたが、それでも、「これは何だ?」、「黙殺だ」と、まさに漫才。

    黙殺とは結局、「見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり」ということだが、こうした態度が外国との交渉には障害になるが、日本国内においては「阿吽の呼吸」並みに重要となる。土建屋同士の談合さえ、狭い国土に多くの人間が生きていかねばならぬ知恵である。日本的な「談合」や「村八分」の論理は、遠藤周作には一連のキリスト教作品が知られ、読まれている。

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    その遠藤はこのように言う。「日本という国は女系であり、マリア信仰が軸になっている」確かに日本は天照大神(あまてらすおおみかみ)という女性の国。素戔嗚尊(すさのうのみこと)は暴れ回るだけだった。二重構造とは、国家や体制だけではない。不倫天国日本にあって、既婚者の多くは若い女と関係を持つ。ばかりか、オヤジと中高生のSEX動画など珍しくもない。

    何ゆえ中高生とオヤジが頻繁にいたすのか?どこに出会いがあるのか?何のことはない。ネット社会がそれを当たり前にした。つまらん社会だが便利この上ないということか。主婦は主婦で5割、6割が夫以外といたしている。何にしても、簡単にそれができる時代であるなら、しないでいる理由がない。ましてや、それを秘めておくならまだしも、不倫文化と公言する。

    不倫や援交はもはや病巣というより普通の出来事である。人間の根源は否定しないし、できもしないが、人間を宗教や神の力、神の名のもとに支配・強制するから人間は争うことになる。エルサレムで三つの勢力が争うように、宗教がある限り戦争はなくならない。一神教は相手を抹殺する怖さがあるが、大乗仏教のように、いい加減である方がいいかも知れん。

    「水には水の神がいる」みたいな…。神も仏もみんな一緒、お天道さまのような「自然が神様」と、そんな日本的宗教観でいいかなと。一神教というのは人間に容赦ない残酷さがあり、人間にとって苛烈すぎるのではないか。子どもの頃に母に連れていかれた宗教場だが、あれは映画で見る外国の家庭の日曜参拝のようなものなのだろうか?以下は宗教体験者の言葉。

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    「小学校から高校にかけてボーイスカウトに入っており、活動場所がキリスト教の教会だった関係で、毎週日曜学校に通っていた時期があった。日曜の朝の礼拝で賛美歌を歌い、それが終わるとモーセの十戒や福音書を読み、信者のレクチャーがある聖書の読書会(日曜学校)だった。特定の信仰を持たない私の、キリスト教との唯一の接点がこれだった。

    子供時代の原体験とは強烈なもので、聖書の引用を読んだり外国人と西洋文化について語っていると、いまだに日曜学校のことや礼拝で語られていた内容を思い出す」。なるほど、そうであろう。掃除をサボる自分が、熱心に掃除をするKさんに美的価値をいだくように、子どもの素直な感受性は大人に花開く。それが宗教であれ、日常の事象であれ…


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  • 03/10/17--18:13: 文とはなに?
  • 「文とは何か?」ある国語の先生によると、「文とは、まとまった内容を表して言い終える一続きの言葉のこと」と定義する。文は、最後に句点(。)がついているかどうかで見分けられるという。ならば、メールなどの句点のない文字は文ではない。あれは言葉なのかもしれない。確かに文である必要はないし、当人も言葉のつもりで話して(書いて)いるのだろう。

    だから、句点が煩わしいものになる。会話言葉とはいえメールは読むものであり、文字の羅列であるなら、句点を付け加えた文が悪いということもない。会話主体のメールが文章でないとも言いきれない。今は廃れたが、手紙はどうか?句点のない手紙はキモチ悪く読みづらく、そういう手紙文は読み手を意識しているのか?書き手の都合や自由さのみで書かれている。

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    句点はやはり文の整理であろう。例えば、「僕は時々コーヒーを飲むしブラックコーヒーが好きだしだからミルク砂糖は要らない」。これは国語表記上、正しい文ではない。以下のような特徴ある文を書く知人がいる。日本語であるゆえ普通に読めるし、意味も理解できる。確かに下手な文章ではあるが、下手な英会話であっても、基本は意味が伝わればいい。

    「今日は、世の中はもう秋となっていますが、元気ですか、私も風をもらいました。喉せき、たん、夜のせきが、きっいでした。昨日から、声が出ているとしのせいです」

    「俺もついに、キィボードつきのパブレットを、買って、ボケ防止に役立てみたい、出納帳を、前してたので、インターネットも、しますので宜しくでわ」

    「1年過ぎるのが早い!若いころは遅く感じてたふり帰ったら、いい人生を、過ごしたかな?これからわ付録だから、楽しみながらと思うまだ、期待している貴方は、家族に囲まれ、過ごしてください」

    こういうつたない文章を笑う人もいるだろうが、笑ってどうなるものでもない。自分にとっては大事な知人でであるし、いかにも彼らしい。「文が下手で申し訳ない」などと謙る必要もない。これが彼の個性である。他人を笑う人の笑う理由は想像し得るが、人にはその人なりの表現手法があり、彼がいろんなことを彼なりに表現しようとしているところが、微笑ましい。

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    確かに美しい文で書かれた手紙もある。美しい文章には、単に文章力とかよりも、その人の感性が伝わるもので、感情が伝わらない文字がいかに美しく、整然と並んでいても心は伝わらない。高校のころに母が息子に宛てた手紙を読んで感動した。その手紙とは、野口英世の母シカが英世に宛てたもの。母から一通の手紙をもらったことのない自分にはあり得ない世界である。

    野口英世は医師として名を馳せたが、現代の母親が、息子の意思など差し置いて医者にすべく狂奔するが、そういう時代でもなければ、英世の母のシカはそのようなことを考えてもいなかった。英世が1歳半の時だった。シカが畑仕事に出た後、ハイハイしていた清作(英世の幼名)が囲炉裏に転げ落ち、左手が焼け爛れてしまう。泣き叫ぶ清作をシカは抱きしめるしかなかった。

    シカの昼夜分かずの懸命の看病で清作の火傷は 治ったが、医者に見てもらう機会のないまま、左手の指はすべてがくっつき、農機具が持てる状態でなかった。鍬も鋤も持てない清作は、百姓の道は閉ざされたも同然で、シカは清作を学問で身を立たせようと決心した。昼は畑仕事、夜は子供たちを寝かしつけた後に、近くの川でエビなどを採り、翌朝売りに歩いた。

    シカの生家から会津若松までの行商の距離は片道30キロメートルだった。しかも、重い荷を背負ってだから、子を思う母の強さというのはそれほどのものである。我々の時代、子どもの頃に読んだ伝記は、『野口英世』や、『松下幸之助』などの立志伝人物が定番で、どちらも感銘を受けたが、父がそれとなく置いてくれた、『雷電為右衛門』も記憶の一冊である。

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    こんにちなら、『どらエモン』かもしれないが、我々の時代は、『ためエモン』であった。野口英世のあらすじを知る人は多いだろう。母シカの手紙は読んで理解するのが難儀な文章であるが、それでも母の気持ちはヒシヒシと伝わる。まさに文は心である。手紙の中の印象的な言葉、「はやくきてくたされ」は六度も書かれ、文中四度も連呼されている。

    学問もないシカは字が書けなかったが、寺の僧から文字だけは習ったものの、文房具を買うこともできないまま、お盆の上に灰を薄く乗せ、その上の文字をなぞったり、囲炉裏の中で文字を書く練習をした。英世に一目会いたさに、必死の思いでしたためたシカの手紙は、物のない時代にあって、満ち足りた時代よりもなお心は伝わるものであろう。

    先に書いた子ども三人を置いて心中した翠川秋子。彼女の生に賛辞を贈った自分である。彼女の遺書にある、「子供たちはもう大きくなつたから私も安心だ」とある。これは、彼女なりに自身の責任を果たしたということだろう。その上で、「生活に疲れた私は死の家出をする」と、記している。シカのように子どもに依存し、執着する母もいれば、秋子のようにしない母も母である。

    どちらも人の人生であり、個々の生の全うであり、比較すべきものではない。彼女たち独自の人生観である。邪推でしかないが、磐梯の麓、蒼き空の下に、生活は苦しくとも純朴に生きてきたシカ、騒然とした都会の空の下、嫉妬や風当たりという、人間関係の軋轢に苦悩した秋子。男社会の中で生きる女の過酷さは彼女の精神を病み、死という安寧を求めたと察する。

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    人の文章はその人の心の声である。はからずも、その人固有のものである。自分の知人のメール文も、英世に宛てたシカの手紙も、無責任と揶揄された秋子の遺書も、犯されざるべきその人の生の表明である。近年は自筆の手紙を書く機会がなくなった。パソコンが便利すぎる時代である。したがって、字の上手い下手もなくなったし、それはそれでいいだろう。

    かつて、字下手はコンプレックスであったという。下手な字を笑うものも少なくない。上手くなろうと密かに練習したり、ペン字通信講座などで努力した人もいた。それを思えば、字を書かなくとも均一な文章が出来上がるのは、何という便利な時代であろうか。字は練習で上手くなるのか?は、愚問である。昔から、絵は遺伝、字は訓練といったもの。

    練習量にもよるが、何事も意識を持って努力をすれば、ある程度には到達する。能力の限界、上限はあるにはあるが…。すべてのことは、「しない」に勝るし、あれほど練習したのに、「それだけか?」というのは違う。練習したからこそ、「それだけ」になれたと、ポジティブに考えるべきだ。ブログは字の練習にならないが、字の練を省ける時代である。

    ある理容師が、「昔はお客さんのヒゲを剃るカミソリを砥げるようになるまで2年も3年も要したけど、今はどこの理髪店も替え刃である。研ぐ技術が不要で、それをすぐに剃る技術に宛てることができる」。料理人の和包丁に替え刃式はない上に、長いこと切れ味を保てない上、頻繁に研ぐ必要がある。ヘンケルなどのステンレス製洋包丁は切れ味が長く持続する。

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    ホリエモンが、「何年も下積み修行している寿司職人はバカ。親方に搾取されているだけで時間の無駄。そこに気づけよ」と切り捨てたが、彼は怯むこともなく寿司以外の料理人についても同じことが言えると主張した。この考えに賛否はあるが、自分が思うのはテクニック重視の短絡思考であること。空き巣をやるのに修行はいらないと同じ理屈の暴言である。

    板前も寿司職人も、ステンレス製洋包丁などで刺身を造らない。また、彼らは、「刺身を切る」と言わず、「刺身を引く」という。刺身包丁の特徴は刀身が長く、これには理由があって、長さが足りないと一気に引き切れない。一気に引けないと必然的に前後に動かすことになり、壊さなくてもいい細胞を沢山壊し、結局生臭く見映えの悪い刺身になってしまう。

    壊れる細胞の数を最小限度に抑えるため、美味しい刺身をいただくため、鉄製の和包丁を必要とする。また、鉄製和包丁には、適宜な厚みや重みもあり、力を入れることなく一気に引き切れる。が、よい刃がついていてこそだ。修行段階では来る日も刃研ぎをし、先輩や親方に研いだ包丁を試してもらう。「ダメだ、こんなんでは!」と言われながらも、さらに研鑽の日々。

    「屋に出せば済む」という合理的思考で、「匠」の世界はありえない。堀江は単に無知にすぎない。「修行」はまた、「心構え」の習得でもある。合理主義の現代人は、効率重視の論理を優先する。「包丁一本さらしに巻いて、旅に出るのが板場の修行」という歌があった。包丁に刃をつけることから始まり、生涯の仕事として板前に向き合うものだと修行を通じて学ぶ。

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    修行の重要さは、料理人を生涯の仕事と悟ることでもあり、企業も会社も長く続けることが社会的使命であるように。「嫌なら辞めちゃえばいい、パッと咲いてパッと散るもよし」を地で行く堀江が、料理人のことにまで口を出すなどおぞましい。何でもカンでも知識の泉、俺は偉いぞ、物知りぞ、という自負はいいが、テレビで発言する人の影響力というのは怖さでもある。


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    種々の理由があるにせよ、毎日のように人が殺される昨今にあっては、戦争でバタバタと人が死ぬのが珍しくないほどに、殺人事件が日常的で珍しくないが、最近とみに女子高生殺人が多いと感じている。「なぜに女子高生殺人が多いか?」こんな命題にそぐう答えは、「女子高生が狙われるからだ!」と答えるしかない。男女が別れたり、殺されたりを、「異性関係のもつれ」という。

    が、「異性関係のもつれ」とは、親しき相手や交際相手に限ったことではない場合もある。一般的理解でいう、「人間関係のもつれ」、「親子関係のもつれ」というのは、「何で?」というような、「ある日突然」起こるというものではない。それなりの期間を経て起こるのが人間関係の「もつれ」だろう。上記した初対面での男女の殺人事件というのも少なくない。

    初対面の男女がビジネスもしくは、不純異性交遊といわれる関係で相対し、何らかの理由で突発的な殺人に及ぶ場合、これは、「もつれ」というより、「衝動」というべきか。「もつれ」というのは、ある程度の期間において発生し、ほどくのも困難な場合、人の命を奪って終焉する。「もつれ」、「衝動」は、経験から理解もするが、殺人に至るというのは理解を超えている。

    人を殺すことの是非が戦場で麻痺するのはともかく、女子高生をメッタ刺しにする際においても、「悪」の認識はあっても理性を超えるか?おそらく死ぬまで体験できない殺人は謎である。確かに、「(悪いことと)分かっていてもやってしまう」のが人間だから、自分も人並みに悪を行為する。ただし、自分の場合、「分かってもやってしまう」という言葉は口にしない。

    これは言い訳とするからでは、「言い訳」は言うのも聞くのも嫌だ。分かってやる行為」は、「分かっていない」と考えるべきで、「分かっているならやるな」と自分を責める。だから、自己を甘やかせる言い訳である。自分の行う悪事は、「悪の認識がない」、または、「少ない」であり、悪事は悪事の認識のもとに行為される。80kmの制限時速を100km越で飛ばす。

    「分かっているけどやってしまう」という言い方を人はするが、自分は、「悪を行為するお前はバカ。捕まれば文句をいわず罪に服せ」である。言い訳したところで行為を止められないなら、下手な理屈や言い訳よりも、責任を取ればいいこと。だから、「分かってても(悪事を)やってしまう」との言い方より、「分からないから(悪事)をするバカ」の方が清々しい。

    長いこと将棋をやっている。勝負事は勝ち負けを争うがゆえにか、負けたら悔しく、それが人間の自尊心というものだ。そうした自尊心をどのように自己処理するか、フォローするか、最も手っ取り早いのが言い訳である。「今日は頭が冴えない」、「体調が悪い」、「手が見えない」、そんなことをしきりにいう人は多い。どうして言い訳を封じ込められないのだ?

    いつごろか覚えてないが、将棋に負けて言い訳する人をみっともないと思うようになった。そのことが、「自分は絶対に負けて言い訳をしない」と決めて今に至っている。将棋に限らず、遅刻の言い訳、失敗の言い訳、ちょっとしたケアレスミス…、すべては自分が起こしたことであるはずなのに、なぜ言い訳をするのか?「そんなしょぼい自尊心などうんざり」である。

    「言い訳ほどみっともないものはない」と、長いこと言い訳を排して生きてくると自然にそうなる。それで言い訳をしない自分を好きになったが他人はどうか?言い訳をする他人は嫌いなのか?嫌ったり、許せないでは人間の度量が小さい。人がする言い訳は笑って許している。将棋の時も、「しっかり考えましょう」、「体調悪い時もありますからね」とフォローする。

    カワイイ言い訳は子どもみたいであるなら、子どもを優しくあやせてこそ一人前のオトナである。ところが、企業の確信的犯罪、官僚や政治家という公僕の見え透いた言い訳は容赦ない。まったく聞く耳をもたないし、よくも甘えた言い訳をできるものかと断罪する。物事には許せることと許してはならないことがあり、それが社会に生きる人間関係の機微である。

    何事も四角四面に考える人は息がつまるし、付き合いは避けたい人間だ。人のする「言い訳」は仕方のないものと鷹揚に考えているし、自分は訓練でそれを排したということ。人の言い訳を聞く実害はない。相手はそれを言う必要があるが、それを聞くことで得るものもない代わりに失うものもない。よく女性同士が、「愚痴を聞いてあげるから…」などと言い合う。

    女性だから女性の気持ちが分かるのだろうが、男はそこが違う。なにぶん、男社会は言い訳を排す世界と考えていい。「言い訳は武士の恥」の名残もあり、信頼を基軸ととす男関係にあって、ちゃらちゃら言葉を変える奴は信用されない。だから男同士で、「愚痴を聞いてやるから…」はない。むしろ、「愚痴(言い訳)ってる場合じゃないだろう!」である。

    男同士の厳しさとはそういうものだ。「彼の愚痴を聞いてやりたい」と心では思うが、「それを言わない強さ、逞しさを備えよ」という気持ちを優先させる。牛のよだれの如く、だらだらと愚痴をいう男が社会で尊重され、認められないことを知っているからだ。それが厳しいというより、実際において、「愚痴」や、「言い訳」は建設的でなく、何も生むものではない。

    国を動かす政治家や官僚、社会的影響力並びに国民の負託に応えるべく企業が、国民を愚弄したり欺いたりしてはいけない。企業の論理で法外な利潤を上げることもである。彼らを監視する義務が国民にあるなら、詐欺や虚偽には厳しくあるべきだし、賞味期限改ざんなどの言い訳は黙殺でいい。謝れば済むではなく、謝らなくていいように向かわせたい。

    おそらく自分のように、「言い訳」を戒めて生きる人はいるだろう。そうすることで責任が明示されるのは間違いないし、何でも人の責任にして逃げを図るなどの浅ましさをなくすことで信頼をもてる。分かりやすくいえば、「言い訳」をしない生き方は、「いい子になろう」を拒否した生き方かと。「いい子に生きる」は悪ではないが、悪い子が、「いい子に見せる」が浅ましい。

    「自分は善人なのだ」、「人から愛されるいい人なのだ」などと思う人ほど、自分に降りかかる火の粉を払おうと躍起になる。他人に罪を押し付ける。『善人は周りの人を不幸にする』というのは、善人は少しでも悪人であってはならないという虚栄が災いするからだ。「自分は悪人だから、そう生きる」と開き直るのではなく、「悪人なら少しはよく生きたい」と思うかどうか。

    卑屈な人は、「どうせ自分なんか…」と、しばしば口に出すが、自分で思っていればいいことで、それなら向上心につながるものだが、人前で口に出すことで、自分の至らなさを相手に分からせたいという姑息さが見え隠れする。失敗やミスの言い訳をあらかじめしておくことで、自己愛を守ろうとするのだろう。本当に自己愛を守ろうとするなら、成長することだ。

    自分の愚かさを他人に提示し、許容してもらうのではなく、自らに厳しくするには、人に隠れて自らを叱咤する。そうした向上心が、他人から揶揄されないブレることのない自己愛を手中にできる。陰でひたむきな努力こそが、自分を変える地道な方法と信じていた。思い出せば、40~50年前の自分は、自分でもうんざりするほど嫌な人間で、ひたすらそれを隠していた。

    自分を嫌な奴だと徹底的に嫌悪するところから自己変革は始まると考えたが、実践は苦しく、このやり方は精神力の問題も大きく左右するので、誰ばれできるものではないが、自分には、「やれる」という自信があった。嫌な自分と決別するのは、厭わぬ苦労という風にも考えた。本来、自己向上を目指す人間は、欠点をあげつらい責め続けるのはすべきでない。

    自己変革の辛さに耐えきれず挫折をするだろう。こんにちの心理学において、自己向上を目指すには、「自己受容」が優先される。つまり、自分のダメな部分、良い部分を含めたありのままの自分を認め、許し、いたわる、そうした自己受容が自分の基礎を固めるといわれている。自己変革を求める際には、途中で頓挫しないカリキュラムが主流である。

    自分はそうではなく、強いカンフル剤を求めた。挫折しなかったのは、意志と粘りがあったからだろう。掲げることは簡単が、実行するにはその二つが重要であり、自信もあった。いきなり理想の人間などを掲げても到底無理だから、鼻持ちならぬところや、意地悪いところ、自慢や欲といった、最も戒めたいところから始めた。何事も頑張ればある程度にはなる。

    自己受容という言葉は知ってはいたが、「自分が怠けること」と混同していたのかも知れない。自己否定者の多くは、幼少時から親に褒められ、承認されるなどが少ない人であり、年代にもよるが、どちらかといえば、厳しくすることが当然のよう生きてきた人が多い。自己受容とは、あれもこれもそれもどれもといった欲望とは違って、本当に必要なものを見極める。

    「わたしって本当に嫌な人間だよ。自分なんか大嫌い」。など平然という女性がいる。言われてビックリである。よくもそんなことを他人にいえるものかで、そうした心理背景には、そう言いながら自分を肯定している、自己卑下しながら、内心はこれでいいとと思っているのだろう。「自分は嫌な人間だ」などそうした自身の恥部は、心苦しう。だから陰で頑張るしかない。

    自分の表層だけを他人から、「いい人」と捉えられ、捉えられるような作為を排し、根本から嫌な自分と決別するのは勇気もいるし大変なことである。そのプロセス段階で、人に、「自分は〇〇だ」など、いえるものではない。アスリートは、人の見えないところや陰でひたむきな練習をするという。コーチやチームメートの目に触れないところでやるものだという。

    真意はよく分かる。真摯な努力は他人への自己アピールではない。努力は人のためではなく自分のためにする。ところが、アピール度の強い人間は、自分より他人を意識する。したがって、真摯な努力よりも、「ポーズ」や、「思わせぶり」が多くなる。いうまでもない、こういう人は伸びない。自分を支えるのは陰の自分であって、陰の自分とは黒子でしかない。


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  • 03/14/17--00:41: 天才棋士の一手

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    将棋や囲碁界で「天才」の肩書は珍しくないが、聞こえてこないというだけで、チェスの世界にも天才の称号はある。史上最も偉大なチェスプレイヤーとされたボビー・フィッシャー(1943年3月9日 - 2008年1月17日)は、幻の英雄とも呼ばれたが、それほどに彼の人生は紆余曲折であった。チェスとの出会いは、落ち着きのない彼に、姉が与えた1ドルのチェスセット。

    姉は簡単なルールを教えたところ、ボビーはすぐさまチェスの虜になった。14歳でインターナショナルマイスター、翌年15歳で最高位グランドマスターの称号を得るが、15歳でのグランドマスターは世界最年少記録だった。1972年当時、グランドマスターは世界で僅か88人で、うち33名がソ連の選手であった。1972年の世界選手権はアイスランドのレイキャヴィクで行なわれた。

    フッシャーはソ連のスパスキーを破り世界チャンピオンとなる。当時、世界は冷戦のさなかであり、ソ連は第二次世界大戦以降、チェスのチャンピオンのタイトルを独占しつづけていたので、欧米側から見てこれは歴史的な勝利となり、「アメリカの英雄」として扱われた。この辺りからフィッシャーには奇行や反米主義、反ユダヤ発言が目立つようになった。

    理由は定かではないが、フィッシャーの両親はユダヤ系であり、彼自身もユダヤ系である。1974年まで世界チャンピオンに君臨したフィッシャーは、1975年、防衛戦の運営をめぐり国際チェス連盟に多数の条件を提示したが、そのうちのひとつが否決されたことで挑戦者アナトリー・カルポフとのマッチを拒否、戦わずしてそのまま王座を返上した。

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    それ以降フィッシャーは試合を拒否し、引退状態となった。表舞台から姿を消し隠遁生活を送った彼は、「天才」であるのと同時に、「変わり者」と語られるようになっていった。1992年、ユーゴスラビアでスパスキーと再現試合を行ったが、アメリカ政府は、「ユーゴスラビアに対する経済制裁措置違反」として起訴し、フィッシャーのアメリカ国籍を剥奪した。

    フィッシャーの隠遁生活は10年以上にわたり、ハンガリー、スイス、香港、マカオ、韓国など世界の様々な場所を転々、2000年ごろにはフィリピンと日本が主たる拠点とした。日本では元日本女子チェスチャンピオンで日本チェス協会事務局長の渡井美代子と、フィリピンでは元フィリピンチェス協会会長らの支援でマリリン・ヤングという若い女性と暮らしていた。

    フイッシャーの反ユダヤ主義発言は過激で、2001年9月11日の同時多発テロの際も以下の声明を発した。「ブッシュ大統領に死を!アメリカに死を!アメリカなんてくそくらえ!ユダヤ人なんかくそくらえ!ユダヤ人は犯罪者だ。やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。

    今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ!泣きわめけ、この泣きべそかきめ!哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども!おまえたちの終りは近いぞ」。「天才〇〇は紙一重」というが、ユダヤ人の母を持つ彼をそこまで追い詰めたものは何のか?アメリカから訴追されたフィッシャーと同居していた渡井美代子さんは、彼を献身的に支えた。

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    1992年、ユーゴで行われたスパスキーとの再戦にあたり、日本に居たフィッシャーをアイスランド出国に尽力した渡井氏は以下述べている。「フィッシャーは誠実の人。約束は必ず守ります。だから、会うたび違うことをいう人を(どんな些細な食い違いであったとしても)絶対に信用しません。フィッシャーは、私が希望をいえば誠実に応えてくれる最高の友です。

    試合のない日(浅井氏はユーゴでのスパスキー戦に招待されていた)は、私と食事するという約束は何があっも一度も違えませんでした。どんな偉い人がきても袖にしました」。フィッシャーとされたが、好敵手スパスキーもなかなかの人物である。1968年のソ連がチェコスロバキアに侵攻したチェコ動乱(プラハの春)の直後に行われた国際トーナメントでのこと。

    ソ連のスパスキーは黒の腕章をつけチェコスロバキアの選手一人一人に握手した。彼の行動は、ソ連がチェコに対して行ったことへの抗議であり、国家を背負うものとしてそれとは別の、一人の人間としての謝罪であった。2008年、フィッシャーはスパスキーとの世界選手権が行なわれたアイスランドの地で、チェス盤のマス目の数と同じ64歳の生涯を終えた。

    世界は広い。名を知られた人、名を残した人もいれば、無名の多くの人々も世界の住人である。感動的に生きた人に対する主観は人さまざまであろう。フィッシャーのように国の英雄となりながらも、自身の信念や自己主張を大事にし、国家に謙ることなく、国籍を剥奪されて国を追われた人を、どのように考えるかも人によろう。国家に崇められたものだけが英雄か?

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    そういう問題提起を感じさせるのがフィッシャーであり、冷戦状態の米ソにおけるスパスキーの勇気ある行動である。1989年10月、ベルリンの壁が粉砕され、諸々のゲートは開け放たれ、それらを通って東ドイツの人々の奔流が西ベルリンになだれ込んだ。何千人もの人々が壁によじ登り、何万もの人々が壁に集まり、何千万もの人々がその光景を映像で見た。

    1848年2月、マルクスとエンゲルスは「共産党宣言」をロンドンで発表して140年、彼らの描いた理想世界は遂に終焉した。ソ連のスターリンなどによる粛清、中国毛沢東のチベット侵略や粛清をみるに、何故、共産主義は人間をこうも憎悪の虜にしてしまうのだろうか?明快な答えは出てこないが、キューバ革命の指導者チェ・ゲバラはこのようにいった。

    「世界の何処かで、誰かが被っている不正を、心から悲しむ事が出来る人間になりなさい。それこそ、最も美しい革命家の資質なのだか」。この言葉に反するかのごとく、ソ連・中国の共産主義というのは、あるものへの憎しみに囚われていたといえる。憎悪というのは増幅して更に多くの憎悪を産むというが、これは共産主義だけにあてはまるものではない。

    ボビー・フィッシャーというチェスの天才の人生は、決して平坦ではなかったが、彼を尊敬してやまない世界中の人々が、フイッシャーに暖かいエールを贈った。フィッシャーに限らず、人が人を称賛するも軽蔑するも自由である。賞賛と軽蔑を同時にするのも簡単だ。が、彼は問題を抱える人間であった一方で、知への情熱を持つ偉大な芸術家でもあった。

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    天才フィッシャーも人間である。弱き人間が何かにすがって生きていくように、1970年代の彼も、アメリカの福音系新宗教団体、「ワールドワイド・チャーチ・オブ・ゴッド」を信仰し、支援し、献金もし、教団の施設で暮らしていた。ところが、教団創設者のハーバート・アームストロングが唱えていた終末予言が外れたことで次第に距離を置くようになる。

    フィッシャーが頑なに厭世的となり、隠遁者同然の生活を送るようになった理由は、彼の歪んだ政治的・宗教的信念などの理由もあろうが、1962年、19歳の時に一度国際舞台から引退している(但しアメリカ国内の大会には出場した)。1966年(23歳)に復帰したが、1968年(25歳)に再度引退するなど繰り返したが、1970年のソ連対世界戦で再びチェス界に復帰したのだった。

    1971年の「世界チェス選手権」挑戦者決定戦では、ソ連のマルク・タイマノフに6対0で完勝し、さらにデンマークのベント・ラーセンにも6対0で完勝した。前世界チャンピオンのチグラン・ペトロシアンに5勝1敗3引き分けで勝ち、当時の世界チャンピオンスパスキーへの挑戦者となった。上記したように、1975年の大会では対局を拒否、以後隠遁生活に入った。

    そんな彼を対局場に戻したのは、。ハンガリーの17歳の女性チェスプレーヤーの手紙であった。少女の、「なぜプレイしないの?」という言葉をきっかけに、少女と交流が生まれ、、彼女の根回しによって1992年にユーゴスラビアでスパスキーと再現試合が行われた。話が少し前後したが、何度も引退をしたことも、天才の気まぐれと解する。フィッシャーのプレースタイルはいかなるものか。

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    自分はチェス音痴だが、フィッシャーならではの着手があるという。1956年の対ドナルド・バーン戦で、クイーンをわざと捨てて勝利し、1963年の対ロバート・バーン戦では、ナイトを捨てて勝利した。日本の将棋棋士で天才といわれた加藤一二三、羽生善治、谷川浩司にも、「天才の一手」というのがある。将棋界には新たな天才が出現したと騒がれている。名は藤井聡太。
     
    2002年7月19日生まれの彼は、2016年9月3日、日本将棋連盟の第59回奨励会三段リーグにおいて13勝5敗の1第位となり、10月1日付にて1プロ棋士(四段)となる資格を得た。中学生でプロ入りを果たしたのは加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明に続く5人目だが、14歳2か月という年齢は、加藤一二三の14歳7か月を62年ぶりに更新する最年少記録として騒がれた。


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  • 03/14/17--18:44: 天才棋士の一手 ②
  • ボビー・フィッシャーは14歳でインターナショナルマイスター、15歳で最高位グランドマスターとなったが、将棋の藤井聡太は14歳でプロ四段。それをもって天才度の比較はできないが、藤井の闘う相手は羽生を筆頭とする同じ日本将棋連盟の棋士でしかないが、フィッシャーは、「世界と闘った男」であった。これは世界中のチェス相手という意味ではない。

    チェスプレイヤーの世界人口は多いのに、なぜ将棋は世界に普及しないのか?将棋は主に日本だけで行われている。理由はさまざま言われるが、駒の漢字書体が国際的にローカルというのもあろう。ならば、駒に何も書いてないチェスは、なぜ日本で普及しないのか?という疑問もわく。将棋もチェスも発祥はインドのチャトランガというゲームである。

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    チャトランガが、各方面にそれぞれ形を変えながら伝わり、西洋ではチェスに、中国では象棋に、日本では将棋となって定着した。以後は、長期間にわたってそれぞれの地域の中で文化として確立した。そこに似たようなものをもってきても、少数の愛好者に珍しがられる程度で、主流にはなりえない。昔からあったものこそが文化の主流であり続ける。

    小麦粉を水で練ってつくる「麺」は、中国で始まったが、それが日本ではうどんや素麺となり、西洋ではマカロニ、スパゲッティになった。いかに日本のうどんや焼きそばが美味しいとはいえ、外国に押し入ってでマカロニ、スパゲッティを超えることはないし、香川県がマカロニ県となることはない。文化というものは土着的である。もし、日本がチェスで名をあげるなら…

    日本からチェスの世界チャンピオンが誕生することが一つのきっかけになるかも知れない。将棋の羽生善治が、国際チェス連盟(FIDE)のレーティングで、国内2位の2399となっている。1位の小島慎也は2400とわずか一点差なので、実力は同等である。小島は高校時代の2005年に第38回全日本チェス選手権に史上最年少で優勝しチェスの日本チャンピオンとなった。

    その後、2008年の第41回まで連続4回全日本チェス選手権で優勝している。羽生はレーティング2300以上のFIDEマスター、小島は2400以上のインターナショナルマスターの称号を得ている。最高位グランドマスターは、FIDEレーティング2500を一度でも獲得し、国際大会において2600相当の成績を3回達成すれば授与される最上位のタイトルとなっている。

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    以下の表は2016年3月現在の世界のレーティング一覧で、トップは2851ポイントでマグヌス・カールセン氏。彼はノルウェー生まれのグランドマスターで、歴代最強のチェスプレイヤーとも言われている。5歳でチェスを覚え、13歳でグランドマスターに、そして19歳でFIDEランキング世界1位となる。19歳で世界ランク1位は歴代最速で、彼がいかに天才であるかを現す。

    将棋では比類ない活躍を見せる羽生が、世界の順位では2500位前後となり、これをどう見るかは人それぞれではないか。日本人で2500位はスゴイと見るか、世界で2500位なんて屁でもないとみるか…。ちなみにプロゴルファー・ランキングで松山英樹は世界第4位、これはすごい。石川遼は110位前後で、並のプロゴルファー。トム・ワトソンは松山を評価する。

    石川については、「彼くらいのレベルなら米国に200人はいる」と述べている。羽生がどれくらいチェスの勉強をしているかを知る由もないが、かつてIBMのコンピュータdeepblueと闘って話題になった世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフと羽生の企画対決が催された。結果はカスパロフ氏の2戦2勝に終わったが、感想戦の際に羽生が熱心に嬉しそうに話していたのが印象的。

    勝ち負けは勝負のあやだが、闘う前から圧倒的に自分より上位者と闘うなど将棋で経験できないだけに、それが羽生にとってチェスの魅力かも知れない。当時のカスパロフ氏のレーティングが2800だと仮定した場合、羽生の勝率は5~6%程度(引分け含む)という計算になる。これは奨励会三段が羽生に勝てる確率よりも低い。まあ、あくまで計算上のこと…。

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    将棋最強棋士の羽生、チェス最強のカスパロフ、フィッシャーを「餅は餅屋」というべきか、似て非なりの将棋とチェス。こと我々にチェスのことはよくわからないが、羽生も同じ気持ちだろう。いや、羽生は「将棋は分からない」が口癖だから、「分からないレベル」が高いのだろう。分かったようなことをいう人間は、彼らの「分かるレベル」が低いといえる。

    老子の言葉に、「言うものは知らず、知るものは言わず」というのがある。これは「何も言うな」ではなく、「奢るな」の戒めであろう。とりあえず自己主張は大事である。それがブログのモチベーションでもある。「正しいことしか言わない」、「間違ったことは言わない」という自負があるのはいいけれど、そういう奴に限って他者批判をする。

    以前も書いたが、暇な学者が専門の言語学において、他人のブログでいちゃもんばかりつけて粋がっているが、「学者が素人を責めてどうする?」は渡部昇一の弁である。「いらぬ節介、するが節介」というが、暇人学者の節介が素人ブロガーの楽しみを粉砕する。間違いなど気にせず自己主張すればいい。なぜブログが読まれ、かくもブームになっているか?

    それは愚直だからである。人間なんて所詮はバカであって、こんなところで自己主張できるのも、無料奉仕でやっているからで、だから未熟であろうと、間違いがあろうと、日々の状態を思うがままに実感を込めて書いていられる。そこに知ったかぶりが、「言葉がおかしい」、「日本語がなってない」などは、うっとうしい。バカにちょっかいを出すバカと無視すればいいのよ。

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    ブロガーは愚直でバカだからいい訳で、人を傷つける何様よりは罪なき善意行為者である。バカで愚直ゆえに変化も向上もみられる。繰り返すが、本も出せない暇な学者の格好の餌食になどなることない。山本七平の、『日本人とユダヤ人』を〝ニセ本"と批判した浅見定雄に対する風当たりは強い。アカデミズムにおいても社会学見地から山本の評価は高いのだ。

    話が反れたが、IBM「deepblue」と対戦したカスパロフは、「機械に人間と同じ知性を見た」といった。最強棋士のカスパロフさえ正しい手を打てない。というより、彼の手をミスと見極めたdeepblueといった方がいい。人間は自己絶対化を克服すべきであり、自分が絶対正しいなどという自体、人間の愚かさである。ある将棋棋士が、コンピュータについて意見を聞かれた。

    「コンピュータの出現で、人間の視野がいかに狭いものであったか、を気づかされた」と率直に答えていた。分かりやすい分析である。人間は人間を超えることはできなかった今、人間はブリキの箱という機械から新たな学習をするしかない。悔しいだろうが、それのことが人間の自己絶対化の克服であろう。「自己主張」=「絶対に正しい」は誤解である。

    所詮、人間は傲慢である。なぜなら、人間は自分と違ったものには反応するが、自分の日々の生活に、「なぜ?」はない。他人はそれを「?」と思っているハズであろうと…。「強者の論理」を行使する人間の、甚だしき自己欺瞞である。自分の弱さを弱さと認められぬ人間に、人間としての偉大さはない。所詮は小高いお山の大将として下界を見下ろしているに過ぎない。

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    deepblueの勝利は、最高知性を所有する人類が、機械にその座を明け渡したという歴史的快挙だが、deepblueの研究チームの一員であるタン博士は複雑だった。「引き裂かれるような思いでした。人間に勝つ知性を機械に求め、その夢が実現したのはむしろ人類の勝利かも知れません。その一方で、人間の知性が機械に敗れたという重みを受け止めねばなりません。」

    究極的には、我々は機械に人類を超える知性を求めていないのではないか?「天才棋士の一手」という表題は、これまでに我々が遭遇した棋士たちの、人間離れした「一手」に驚嘆した。後に具体的な詳細を記すが、羽生の5二銀、加藤一二三の6二歩、谷川浩司の7七桂、そして3日前の藤井聡太の9七玉は、人間の人智がもたらせた、「至高の一手」である。

    deepblue対カスパロフ戦で、deepblueが打った驚愕の一手は、第2局目の36手目のPawnだった。このとき誰もがQueenを動かすと予想し、カスパロフもその対策を立てていた。解説者はこのように言う。「チェスプレーヤーは、決定的な一手とはどのようなもので、相手にどんな感じを与えるか知っている。このときも、deepblueQueenを動かせば勝ちは明らかでした。

    それほどの必殺の一手で、誰も疑う者はいなかったでしょう」。ところがdeepblueは、長考の末にQueenを動かさず、人々を驚かせた。この時のカスパロフの驚きとも困惑ともいえぬ表情が印象的である。解説者は言う。「もしこの時、deepblueQueenを動かしていれば負けであったことが後で分かった。カスパロフが素晴らしい反撃を用意していたからです。

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    なぜdeepblueがあの一手を思いついたのかは謎です」。試合開始から3時間44分後、deepblueに圧倒されたカスパロフは負けを認め、予定していた記者会見も行わず、憤慨した様子で会場を去る。「カスパロフはショックで恐怖に慄き、一睡もせずdeepblueの思考法解明に取り組んだが分析できなかった」、とカスパロス陣営はいう。カスパロフはそのまま敗退した。


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    何気に使う、「風化」という言葉だが、改めて考えてみた。「風化」とは、「風化作用」ともいい、地殻の表層にある岩石が太陽光や風雨にさらされることによって破壊され、物理的、 化学的に変質する作用のこと。それを、記憶や印象が月日とともに薄れていくことと置き換えたのが意識の風化で、人が抱く意識や関心の度合いが、経年などによって低下すること。

    なぜ風化するのか?災害も事件も事故も、「意識の風化」に言及されることは、むしろ日常的ですらある。月日が経つに連れて人々の記憶と関心が薄れることで、徐々に風化してゆく未解決事件が最終的に迷宮入りしてしまうこと、これも風化と時効制度との関係性ではなかろうか。災害についても、あの関東大震災は完璧に風化してしまった感がある。

    完璧にという言葉は、強めていう場合に使用したい語句だが、厳密にいうと使用には問題がある。関東大震災は1923年(大正12年)のことだが、被害にあった人、惨劇を目の当たりした生存者が健在ということもある。1995年(平成7年)に起こった阪神神戸大震災は、人によっては風化、別の人にとっては風化になっていない。つまり、風化というのは影響の有無とも関係する。

    いつ頃、どこら辺りを風化とするかは、個々の問題であろう。例えば、1833年に(天保4年)にあった、「天保の大飢饉」あたりになると、万人共有の、「風化」といえるが、「人の噂も75日」、「十年は一昔」という言葉になぞらえるなら、事件や災害の風化は「100年」くらいかも知れない。となると、関東大震災は2023年で100年となる。それでも生存者はいるにはいる。

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    阪神大震災の記憶が冷めあらぬ2年後の1997年、神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件から20年が経過した。不遇な死を遂げた当時10歳の小学4年の山下彩花ちゃんが襲われた16日を前に、兄の幸太さん(33)が初めて取材に応じたが、思うにこれも遺族にとっての何がしか、「風化」の兆しかも知れない。と自分の判断である。これまでは一切口を閉ざしていた兄。

    自分などは、今回初めて兄の存在を知った。33歳という年齢に年月を感じるし、10歳で時間の止まったままの彩花ちゃんだが、存命なら30歳である。33歳の兄はいるのに、30歳の娘の姿を目にできない親の気持ちを慮るしかない。彩花ちゃんはどんな彩花さんでいるのだろうか?それを何よりも思いめぐらすのは彩花ちゃんの両親であろう。兄であろう。

    人の命を無造作に、あるいは無慈悲に奪うことが、どれほど酷で許されざることか、そんな気持ちなどとっくに風化したかの如く、犯人の元少年Aの手記出版には強い憤りを抱いた。が、あれを買って読みたい人、読んだ人の言い分は、著名人も含めて理路整然と述べられていたが、それらの言葉を読み、出版の意義を理解したい気持ちさえ起らなかった。


    戦争を起こすべく正当な、いかなる理由にさえ興味が沸かないと同様に、無慈悲な殺人者の独善論などまったくといって興味がない。犯罪者の心理を紐解き、「理解するうえで貴重な手記」…のような文言を並べる人と一言何かを話したいという気さえ起らない自分である。手記のタイトル『絶歌』とは、出版社のアイデアだろうが、このタイトルも気に障った。

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    著者である少年Aの造語との説もあるが、辞書にない語句の、「思わせぶり」に腹が立つ。気取るんじゃない、いかなる表題にしようと、「ワシの起こした犯罪」だろが。そんなことを切実と書いたからと、そのことで少年Aがあの卑劣な犯罪を人間として見つめたとは到底思えなかった。読みたい奴、読んだものの感想も無用、勝手に買って読みなさいである。

    自分はこの件において、加害者から知りたいこと、聞きたいことはなに一つなかった。さらに腹が立ったのは、長谷川豊というインチキ野郎の、「『絶歌』を批判する人に決定的に欠けている視点」という表題に至っては読んで反論する気にもならない、いかれた妄言と切り捨てた。長谷川の言葉には、「男の一言」という重みがない。ころころ都合ですり抜ける。

    彼の一切の発言は、自身を都合よく利するだけの抗弁である。これほど信用できない男は自分的には無視で、彼のこと、彼の発言は一切触れないとした。今回は、名を出したが単に回想である。同じ未成年者であり、「連続ピストル射殺事件」永山則夫には大きな興味を抱いた。彼の出自のこともあり、何より彼はいたいけな幼児を殺害していない。

    成人を殺すも幼女や少年を殺すも、犯罪には変わりないが、自分の尺度として幼女・少年を歯牙にかける犯罪は断じて許せない。いかなる理由も見いだせないし、理解はしたくない。幼児や少年を殺すいかなる正当性も認めない。そんな奴の凝り固まった手記など虫唾が走るのみだ。犯罪心理学の視点からみた貴重な加害者の手記というのもある。

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    それすらまともに読めないほどに、少年A直々の心理に興味が抱けなかった理由は、彼と検事によって作成された検事調書を読後していたからでもある。彼があれ以外に語る本心はないと即断し、なぜに被害者の心情をかき回すような手記をあえて発表したかを断罪した。これはもう、読む以前の問題である。被害者に同化する一人として、手記は抹殺である。

    山下彩花ちゃんの兄は当時13歳であった。13歳の兄があのような形での妹の死をどのように受け止めたか?彼はこのように述べている。「(理不尽な妹の死を受け入れきれず)『元から一人っ子だった』と考えるようになっていた」。と、これは心的ショックによる記憶障害と同様の現実逃避であろう。彼は障害を発症しなかったが、出来事を意識的に追いやった。

    そのことでショックの軽減を図り、ストレスを抑えることで自我崩壊に至らなかった。短期間の記憶がなくなる、「限局性健忘(局所性健忘)」、短時間の間に起きた出来事の一部しか思い出せない、「選択性健忘」といったものもあるが、それらを発症しない強い意志と精神力があったと解する。兄は事件当日のことをしっかりと記憶し、以下のように具体的に述べている。

    「彩花ちゃんが大けがをしたので病院に行っています」。97年3月16日夕刻、部活(野球部)の練習を終えて帰宅した幸太さんは、玄関の張り紙に目を疑った。活発だった彩花ちゃんのけがは珍しくなかったが、不安になった。近所の人に付き添われて病院に向かったが、対面した彩花ちゃんは顔が腫れ上がっていた。変わり果てた姿に泣きじゃくった。

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    妹の回復をひたすら信じ連日付き添ったが、1週間後に亡くなった。引っ込み思案な自分とは正反対だった彩花ちゃん。けんかもよくしたが、頼もしくも感じていた。ただ、印象的な思い出を頭に浮かべることができない。「事件を消化できず、彩花とのことを記憶に残さないようにしていたのかもしれない」。これが、彩花ちゃんの兄が体験した真実である。

    真実とは何とも残酷であろうか?彩花ちゃんの真実、彩花ちゃんの親の真実、そして兄の真実…。三様であるが、それぞれにとってかけがえのない真実である。子どもは誰を恨んで死んでいくのか?彩花ちゃんの真実は、親や兄にも受け入れがたい真実であった。加害者少年Aとは年齢が一つ違いで、当初は彼に対し、「同じことをしてやりたい」と憎しみを持った。

    しかし、「自分の生活を大切にしたいと考えるようになり、次第に何の感情も持たなくなった」と兄はいう。こうした経験は自分にもあった。思春期時期には殺したいほど憎い母親であったが、殺すことの利益はその場の感情を解き放つ以外の何もなかった。殺さないことの利益が大きく勝ったことが、母を殺す抑止力となった。血が上っただけでは正しい判断はできない。

    正しい判断とは、「殺したいほど憎い相手を殺すのが正しいか否か」である。正しいとは、自分の人生において不利益を排除することであろう。その場の感情は、のちの自分の壮大なる人生とは無関係であると、あの時にハッキリを考えた。バカは感情にかまけて無益なことをする。バカか利口かというなら、あの時自分はバカを排除した利口であった。

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    バカであったなら、別の新たな人生があったろうが、それは言うまでもない規制された人生である。少年Aも規制された数年間の人生を強いられたが、手記といえば聞こえはいいが、なぜ事件を世間に蒸し返す必要があった?自分は金のためとしか思えなかった。人は人の美名とという策略に乗せられるものだが、自分がそう判断した以上、バカの策略には乗らない。

    彩花ちゃんの兄は、「彩花の分までがんばって生きてほしい」と母親の押し付けから、そうした親の期待と自身の独自の人生観の狭間で葛藤し、母をうっとうしく思うようになったという。「こちらの思いを押しつけすぎた。つらい思いをさせた」と母親も改悛するが、兄には兄の受け止める真実があり、母親は自分の真実を兄に押し付けるべきではなかった。

    「僕より前を歩く女の子。生きてたら、どんな大人になってたかな」。と彩花ちゃんを思う兄の気持ちに事件の風化は見られないのは当然だろう。ただ、少年Aに対して、「今は何も思わない。憎んだところで彩花は帰ってこない」と話したことは、憎しみの風化というより、憎しみの浄化であろう。淳君の父は少年Aの手記に、「裏切られた気持ち」と述べていた。

    父は少年Aに対する憎しみを風化させようと努力していた最中の裏切りと感じたようだ。ひたすら憎悪を捨てることに努力する被害者家族にとって、何の益もない手記である。憎悪の風化を望むべく淳君の親にとっても、彩花ちゃんの親においても兄も読んではないだろう。『絶歌』の話題は風化したが、遺族の子どもたちが世間に晒されたのは忍びなかった。

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    人と話すといろいろな考えや意見に触れる。人も自分と話すことで人は違う考えに触れる事になる。聞き流すことも、「なるほど」と思うこともある。人がそれぞれにどういう考えを持ち、何を語ろうとも語ることの正しさがそれほど重要なのだろうか?いかにも自分がいうことは「正しい」と言わんばかりの人がいるが、大事なことは共感ではなかろうか。

    共感がなぜ大事かは、とりあえず正しいことを壁に向けていう人はいるだろうか?世の中にはそういう変わった人もいるだろうが、馬の耳に正しいことを言ってみてもニンジン一本やる方が馬は喜ぶだろうよ。共感が大事という前に共感をはき違える人がいる。共感とは、、「他人の意見や感情に対して、そのとおりだと感じること。また、その気持ち」とある。

    会話の最中に、「そうそう、それそれ、まったく同感!」などといったり、悩みを打ち明ける相手に対し、「あなたの気持ち、すごく分かる…」などと、相槌を打ったりするようだが、本当にわかっているのか、どれほど理解しているかは別にして、それがコミュニケーションというものだ。「共感をはき違える」といったが、「共感」には相手の意見に同意する側面もある。

    しかし、共感を突き詰めると、その場における相手の意見もしくは、同じ価値観の共有といった、こちらが相手の気持ちに共感するのは、一見して共感に見えて単に同意であったりする。分かりやすい例でいうなら、ある議題について最終的に多数決となった場合、Aの意見に挙手をする。これが同意だ。同意といっても賛同もあれば、しぶしぶの同意もある。

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    賛同か否かを相手に伝える場合もあるが、伝えないこともある。このケースにおいても、共感と同意の違いは分かろうというもの。まあ、漢字の意味からいっても、「同意は意見が同じ」、「共感は感情の共有」で、単純比較でいえば、感情を含まない同意はある。結婚に同意はしたが、相手への感情が揺れ動かない、そんな結婚もあろうが、ダメなのか?

    いや、それでも結婚はできる。相手を好きだからという結婚と、親が決めたからという結婚と、どちらがいい?「そりゃ~好きであるのがいい」という意見は多いだろうが、どちらがいいの「いい」は、何を「いい」と言ってるのかにもよる。結婚をどのように考えるかによって、結婚に対する考え方は決まるが、「好きだから結婚したい」は、嫌いになったらどうする?

    我慢するのか、別れるのか、惰性で続けるのかの三択が浮かぶが、かつて「お見合い結婚」の方が離婚率が低いといわれた。昨今は、かつてのようなあらたまった、格式ばった「お見合い結婚」というのはないが、自分が若いころに、「そりゃ~、お見合いがいいさね。相手を知らないというのもドキドキもので、結婚した後に恋愛すればいいんだよ」が耳についている。

    交際期間が長すぎたことで結婚に踏み切れない恋人はいる。理由はそれぞれによって違うが、同棲であったり、長距離恋愛であったり、このまま結婚していいのだろうか?という一抹の不安であったり、自分は経験がないから想像するしかないが、彼らが破局した際には、「なぜだろう?」が素朴な思いだった。「お前たち何で結婚しないんだ?」と周囲から言われ続けた二人。

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    結婚のような暮らし、結婚同然の生活をしていながら、結婚しない理由も分からなくもない。それが結婚観というものだ。自分の場合、自分の子どもは一体どんなものか、老齢に向かう父に早く孫の顔を見せてやりたい、という一念(二念か?」であったから、それを実現するには婚姻しかなかった。優しく大人しく、母親のような女でなければ特に問題はなかった。

    単純で率直な結婚観であったといえる。恋愛結婚という美名に揺り動かされることもなく、お見合いもいいものだと思っていたし、確かに知らない相手と結婚後に恋愛するのもいいのではと思っていた。恋愛は沢山したが、恋愛と結婚は別のものだとハッキリ区別していた。それくらいに、「結婚は日常」という先輩諸氏の言葉に共感し、信奉もしていた。

    男と女の世の中であるから、恋愛について、結婚についてさまざまに語られてきたが、どういう考えや価値観に共感するかが、「結婚観」であろう。恋愛観という言葉にはあまり馴染めないが、自分にとって恋愛観というものはなかったように思う。その代り、「結婚観」はハッキリしたものだった。伊藤野枝の記事で書いたが、彼女はこのように述べている。

    「アメリカのある婦人は、結婚というものについてこう述べている。「結婚は元来経済的の取り決めである。保険の契約ごときものである。(中略)結婚保険は、女に生涯の従属を宣言し、個人としても、公人としても、全然不用な寄生的なものとする。男もまた結婚税を払う。けれど、女の場合のように、結婚は男を制限しない。男はただ、自分の束縛を経済的の意味において感ずるようになる。」

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    『自由意思による結婚の破壊』の一節。さらには、「結婚と恋愛は、共通の何物をも持っていない。両者はまるで、両極のように離れている。ある種の結婚は恋愛を土台としているのは事実である。また、その恋愛が結婚して後も継続しているのもあるのは、等しく事実である。私はそれが、結婚とは全く関係ないものであって、またそれがためだというような主張をしたくない。」

    後文において野枝は、「恋愛結婚だからといって、夫婦仲が継続するとは限らない」と言っている。恋愛であろうと何であろうと、続くということと、「結婚」の何かというのは別だと言いたいようだ。結婚継続における別の何かとは、続けようという意志と努力であろう。これには「我慢」や「惰性」は入らない。我慢や惰性は続ける努力でなく、別れない方策であろう。

    離婚のエネルギーは凄まじいもののようだ。それをしてまで離婚したいいたたまれない理由があり、取り立て「可もナシ、不可もナシ」という夫婦は離婚をしないもの。離婚したいというそれほどの理由がないということだ。離婚決意の大きな理由には、夫の暴力や借金、浮気などの理由のほかに、ぐーたら夫に飽きた、顔を見るのもうんざりというのもある。

    その背景には、「結婚も離婚も自由にするものだ」という認識が広まったこともあろう。ネガティブな離婚がハッピーであるはずがないと人は見るが、とんでもない。離婚した瞬間から「とても幸せ」という女性は少なくない。つまり、離婚をずっと考えていたが、相手が応じてくれない、そういう場合は諦めるか我慢をするしかない。あるいは別居も方法だ。

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    これらは長い年月を要する場合が多いが、実質的には夫婦でないのに籍が切れていないだけで、相手が離婚に応じた場合は、天にも昇る心地であるという。「わたしの生涯で一番うれしい日」という女性もいる。家も退職金も大半は妻に取られてしまったが、それでも愛する女性と水入らずで暮らせる喜びを噛みしめる男もいるわけだ。これも男と女の現実だ。

    人は誰しも性格という傾向性を持っている。真面目な人も砕けた人も、思考が深遠な人も、浅い人も、それぞれ違う傾向性で生きている。理性的な人もいれば、本能的傾向性の強い人もいる。そうした雑多な人たちの集団が社会であり、したがって社会生活というものは、二個の人間の我慾がぶつかったときに、それについてどう対処するかと言う事になる。

    そういう場合の理想は、両方ともに生かして適当に調和させるべきだが、それが出来たら喧嘩も紛争も起らない。我慾を持った人間がそれを主張し、他人も自身の我を主張するとき、二者間でどのように折り合いをつけるかというのは、誰ばれ持ち合わせるものではない人間の能力の一つである。調和方法にはさまざまあるが、日本人は論理的調和を得意としない。

    なぜなら、人間は自分の思考を基盤にした信念や、行動内容とは矛盾する、"新しい事実"を突きつけられると、「不快な感情」を引き起こす。その結果として、自分の信念や行動と、"新しい事実"のどちらか一方を否定し、矛盾を解消しようとする。これを、「認知的不協和」と呼ぶが、その時、信念を変えることが困難な場合、人は"新しい事実"を否定しようとする。

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    こういう例はさまざまあり、身近にはタバコの健康害について、悪いと知りながら受け入れない人は多い。「そんなのデマだ」、「科学的な証明はない」、「別にタバコで死ねば本望」、「人の嗜好に干渉するな」などと、人によってタバコを止めない理由はさまざまで、信念を変える困難な理由となっている。ようするに、「受け入れがたい」ということ。

    「タバコを吸っていても長寿の人もいるじゃないか」とか、「肺がんよりも交通事故で死亡する確率の方が高い」といった理屈を科学的根拠にする人もいるが、「認知的不協和」の状態にある人は、その時点においてすでに結論ありきで考えているのであって、論理的に考えていない可能性が多く見受けられる。つまり頑固になっている状態ということだ。

    何を言っても変えない信念なら、それはそれで悪くはないが、決してそれで清々しく堂々と生きているのではなく、不満や愚痴三昧であるのはいかんともしがたき醜さであろう。考えや理念そのものが醜いのではなく、他人に愚痴をまき散らして生きることが醜いのである。もっともそれがなぜに醜いことかを気づき、分かっている人はそんなことはしない。

    人は過去について苦悩や後悔や悩みを持っている。自分で苦悩し、悔いいるならまだしも、他人が自分の過去を否定すると恨む。なぜなら、過去は変えられないし、どうすることもできない。そこを責めて許しを乞うのは自分自身だけである。だから、人の過去について批判はすべきでない。それを認めることは、これまでの彼自身の「生」の否定になってしまう。


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    過去のよき思い出、よくない思い出など、誰かに話して共感を得たところで、所詮他人に表面の部分のみしかわからない。分からせることも大変だが、分かろうとしない人間は多い。込み入ったことなどまるで理解を得ない。愛想や相槌を打ったりも人間関係だが、誰よりも自分が知る自己の体験は一人忍んでこそ思い出だ。誰にも冒されない世界がそこにある。

    社会学の考え方によると、「人が人に価値観を伝達することはそもそもできない。人は単に環境から学習するだけ」ということになる。環境という範疇の中には、価値観を伝達したがり屋の人間も混じっている。また、価値観から乖離した行動をする大人もいるし、それを見たり眺めたりで子どもは影響を受ける。物事というのは、そうした環境の総体から学ぶもの。


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    俳優の渡瀬恒彦が14日、多臓器不全のため都内の病院で死去した。72歳だった。余命1年を告知されていた渡瀬は、手術せず仕事を続けた。硬派な役者人生の一方で、2009年に死去した女優の故大原麗子さん(享年62)と情熱的な恋愛の末に結婚、そして失意の離婚を経験した。親交の厚かった2人の友が、人間味あふれる渡瀬さんの秘話をデイリースポーツに明かした。

    まずは、映画「鉄砲玉の美学」や、「狂った野獣」でタッグを組んだ映画監督の中島貞夫監督(82)。「ある日、恒さんが大原麗子さんを連れて京都にある私の家にやって来た。『結婚するんで嵯峨に家を探している』と言うので私はビックリした」と懐かしそうに振り返った。当時、渡瀬は東映で下積み役者による“ピラニア軍団”の親玉的立場だった。

    すでにトップスターだった大原さんよりはるかに格下だった。中島は周囲と大原さんへのアタックを渡瀬さんにそそのかしたが、「本当に結婚するとは思わなかった」と“格差婚”に仰天したという。「本当は優等生なのに“やんちゃ”であり続けた恒さん。兄の渡哲也さんと比べて“賢兄愚弟”なんて我々はからかったが、私はその“やんちゃ”さがかわいかった。

    たまらなく好きだった。麗子さんもそうだったのかもしれない」と中島はいう。2人は1973年にゴールインしたが、甘い時間は長く続かず78年に離婚。渡瀬の親友で、40年来の付き合いの俳優の江藤潤(65)は離婚後の渡瀬について、「ショックが手に取るように分かった。当時、一緒に飲みに行くと、いつもどっぷりと落ち込みながら痛飲していた」と語る。

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    「泥酔した揚げ句ウチの家に泊まったこともありました。涙ながらに飲み、めったに歌わない歌をカラオケで歌った」と意外な素顔を披露した。江藤は、「南極物語」や「戦国自衛隊」などで渡瀬さんと共演。「恒さんは、現場では周囲がピリピリするくらいビシッと決める人なんですが、ああいう(痛飲する)一面もあったんです」と懐かしそうに振り返る。

    歌手の前川清(68)が11日放送のトーク番組「サワコの朝」(毎日放送、TBS系)で、元妻の藤圭子さんとの結婚と1年で離婚したことについて語った。前川と藤さんが結婚したのは1971年。その翌年に離婚した。「好きだったという部分はありましたけど、隠れて会うのが面倒くさいというのがあったんですね。じゃあ一緒になろうかと」と結婚に踏み切ったという。

    スター歌手同士の結婚ということで注目された。が、当人たちとしては、「籍だけ入れて、それだけでいいんじゃないのって」と考えていただけに、イメージと現実とのギャップは大きなものになったと振り返った。「テレビ局と事務所とのしがらみでそういうものをやってくれと…」など、注目されることに違和感を覚え、「追い付いていかないんですよ。自分が。

    彼女も知らない世界に行って自分たちを見失うというか若さが出たというか。結婚って何だったのかなと…。最終的には、別れた方がいいよねという(ふうになった)」と当時を振り返った。その後もテレビ番組で共演する機会があり、ニューヨークへ移住することなどを打ち明けられたという。藤さんとは、「けんかも何もない」。「今でもなんでだろうと…」。

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    スピードワゴンの井戸田潤が安達祐実との離婚について、「分からない」とだけ言う。2005年11月13日に都内の教会で結婚、2006年4月長女を出産した。いわゆるデキ婚である。そして2009年1月、都内の区役所に離婚届を提出した。安達は2014年11月13日、カメラマン桑島智輝と再婚する。井戸田は沈黙を守っていたが、2016年12月に離婚について口を開く。

    狐につままれたと井戸田はいうが、「どういうことか、いまだに離婚の理由が分からない」とし、離婚の兆候は何もなかったと以下の話をする。「大阪で泊まりのロケがあって帰ってきたら安達も安達の荷物もなかった。電話すると、「いま実家にいます。お話しあいをしたいなら来てください」といわれ、都内の安達の実家を訪ねると、不思議な応対をされた。

    普段なら井戸田用マグカップに入れたお茶が出てくるが、来客用のふたが付いたコップ。さらに、座布団もふわふわの来客用のもの。これは身内扱いではなく、客人の扱いに井戸田が違和感を覚えていると、そこに義父と義母が現れ、「別れてください」と切り出された。あまりの唐突さに井戸田は、「いまは受け入れられません」と、とりあえず拒否をした。

    「お話しあいをしたいなら来てください」と言われ、行ったらいきなり、「別れてください」というのはあまりに一方的である。「いまだに分からない」と井戸田がいうのは、安達側から離婚の理由を一切聞かされず、半ば強制的に離婚させられたことをというのか?当時の記事に書かれた離婚理由は、井戸田が元カノと密会を写真誌に掲載された事が理由とされた。

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    2008年頃6月から離婚の話し合いをし、9月以降は別居状態だった。離婚の話し合いがあったなら、「離婚理由が分からない」は変である。番組の共演者から、「分からないのに判は押したの?」と言われ、「しようがないよ。向こうの家族が最終的に出てきて、浴びせ倒されたんだから」。安達からは、「もっと大事にしてくれると思いました」と言われたそうだ。

    井戸田は、「彼女の描いている結婚生活に、オレは必要なくなった。でも、オレは、なんで必要なくなったのかが分からない」と安達の真意が解せないというが、週刊誌の記事には、姑(安達の母)と井戸田との不仲、DVがあったとある。例えば、結婚直後に祐実が産休に入っていた時、 仕事で地方に行くために早朝の飛行機に乗る予定だった井戸田が寝坊した。

    非は井戸田にあるが、祐実に携帯を投げつけて怒鳴る。あげく、身重の祐実に空港まで車を運転させた。出産後、祐実が仕事のとき、娘を祐実の実家に預けて井戸田はスポーツジムなどに行った。が、安達の母にも仕事があるからベビーシッターに託すこともある。 それを聞いた井戸田が激高、「勝手に俺の子をどこへやったんだ! 」 と祐実に言い放ったという。

    まあ、こういった日常の積み重ねであり、日常的であるがゆえに特別の原因や要因があるわけではない。だから、「離婚の理由が分からない」というのだろうが、特段大きな理由がなくとも、日常的な不満の連続がたまりにたまれば離婚になるということを井戸田は理解を得ないようだ。「結婚は日常である」というのは、そういうことだし、日常が大事なのよ。

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    別々の家に居住する恋愛中にように、気分がすぐれない日や、気持ちが乗らないときになら、会わないことも可能だが、結婚生活は虫の居所が悪かろうと、むしゃくしゃしていようと、同じ屋根の下で顔を突き合わせていなければならない。一人になりたいと自室にこもれば、ぎくしゃく感が増幅する。無言で意地を張り合えば会話のきっけがこれまた難しい。

    こうしたどこにでもある夫婦の情景だが、恋愛中の恋人であれ、親子であれ、すべては人と人の関係がもたらす機微である。甘えや依存が作り出すものもあれば、自立したオトナであっても、起こり得ること。ただし、精神が幼い甘えっこのオトナは、相手の気を引くために駄々をこねて相手を困らせるが、自立したオトナは相手を困らせたりなどはしないもの。

    「もっと大事にしてくれると思いました」との安達の言葉が彼女に非はないと聞こえる。「分からない」とだけの井戸田は、安達や家族のアレコレ言及しないところが男らしい。口を切れば中傷合戦となるのは目に見えている。離婚は双方に原因があると誰もがわかっている。「男は黙ってサッポロビール」と言うCMがあったが、男は黙って飲んでいればいい。

    と、飲まない自分が言うのもオツである。スピードワゴンの井戸田は、スピードリコンであったということだ。誰も人の離婚の中身は分からないが、あれこれ詮索するのはなぜだろう?かつては結婚はオメデタキことの筆頭だった。離婚は珍しくいろいろ取りざたされたものだが、今や結婚の方が珍しく、離婚や不倫は何にも珍しいことではなくなった。

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    結婚が珍しいのは出生率の問題もあろうか。こと芸能人についていえば、彼らの結婚は離婚の助長に思えてしまう。原因の多くが不倫であるのも、時代の反映だ。かつては妻帯者、既婚者との恋愛や逢瀬は、不道徳として踏み込むのに重大な決心がいった。それでも「好き」という感情に負け、一人ベッドで悩んだ女たち。少なくとも40~50年前はそうだった。

    今もそういう悩みはあろう。が、なにより救われるのが、「みんなで渡る横断歩道」の論理。良くない行為も、「みんなやってるから」の言い訳で緩和される。離婚は悪ではないが、これだけ離婚が多ければ、「恥」という部分は救われる。離婚女性をかつて、「出戻り女」といった。離婚した娘を実家で隠し立てもできず、親も近所に肩身の狭い思いを強いられた。

    当時はそういう意識はなかったが、本人にとって、「出戻り女」という言葉は冷ややかだったろう。明らかに差別用語である。数十年前の離婚は、不遇の時代と言えなくもない。たびたび引き合いに出す伊藤野枝だが、野枝が女学校在籍時に、親が勝手に決めた男と仮祝言を揚げていた。野枝の預かりしらぬことで、女学校卒業までの学費を持つという約束もあった。

    野枝は気が進まぬままに承諾、式も挙げたが、婚家には一晩だけ泊まったが、新郎には指一本触らせぬまま婚家を引き上げた。親にも婚家にも泥を塗った野枝だが、伊藤家は先方の支払った野枝の学費を弁済することで離婚を許された。本当にこれが親の顔に泥を塗ったことになるのか?自分はそうは思わない。理不尽に敢然と立ち向かう野枝を自分は評価しまくる。


    彼女に、「しぶしぶ」などの言葉はない。「ダメなものはダメ」とは土井たか子だが、「イやなものはイヤ」というのは女性らしい心情だろう。その気持ちに勇気と意志が加われば、これ程の事を可能にする。100年後も野枝は故郷でふしだら女の烙印だが、本人の承諾も得ず、親が勝手に決めた婚姻相手に泣いて嫁ぐ。そんな時代を断った伊藤野枝である。


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    他人の判断を重要視する人は、自分を信じないのだろうか?「自信」とは言葉通り、「自分を信じる」だから、自信を持てるようにアレコレ思考したりすることになる。考えても上手くいかないことはあるが、それで、「自信をなくす」というよりも、次のステップに生かせることになろう。物事を考えない人そのに理由を聞くと、「面倒くさいから…」などという。

    面倒くさいから考えないというなら、何事も行き当たりバッタリだろうし、それで納得できるものかと思うが、「どうせ考えてもいいようにならない」との考えが基本にあるようだ。そういう種類の人は例えば将棋なども考えないでポンポン指す。本人曰く、「考えるのが面倒くさい」である。それでも負けたら、「ワシ、考えないから」という言い訳を用意している。

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    人によっては、「考えれば勝てるんだけど」などとおバカな言い訳をするが、「あのブドウはすっぱい」の狐の論理そのもので、笑って聞いてあげるしかない。考えるのが面倒くさいなど、当たり前である。そういう面倒をする必要を感じるからやっているのであり、少しでも良い一手を見つけたいのも理由だが、考えない人の特徴は、これで良しと思い込みで指す。

    思考・分析された手ではなく、勝手な思い込みによって指された手はほとんど悪い手となり、負けるのは当然だが、それでも考えないことを正当化する。将棋に限らない。考えない人の特徴は思い込みが強いこと。考えないから物事を決めつけるしかないのだろうが、人の性格の勝手な決めつけも得意である。性格というのは複雑多岐で、考え分析しても分からないものだ。

    なのに、「あなたは〇〇でしょう」と決めつけ、自分は人を見る目があると自己満足に浸る。こうう人に、「違うよ」などという気も起らない。なぜにこうした酸っぱいブドウの狐(認知的不協和の起こる要因)になるかは先に記したが、そうならないよう注意する必要もある。勉強するのも大変だし、面倒くさいし、しない方が楽に決まっている。だから認知的不協和が起こる。

    「すればできるが、しないから…」という言葉を、成績の悪い理由にする人は、努力をしない人間の特徴だ。「やればできる」も、「努力すればできる」も、すべては、「やらない」、「努力しない」言い訳である。「やる」こと、「努力する」ことが難しいのに、できないことを、「しない」という自尊心をみせる。「考えたって上手くいかない、だから宗教がある。」とある人がいっていた。

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    「宗教は人間を考えさせないためにある」ようなことをニーチェが言っていた。「人間は考えなくていい。黙って神に服していればいい」この言葉が気に要らず、「冗談じゃないよ」と、宗教を嫌悪した。神を信じる人もいるし、人は雑多で複雑である。だからオモシロい世の中であり、それぞれの人間の対処術を学ぶのは、学問などと比較にならぬオモシロさがある。

    生きることは試練、生きることは学びである。「学ぶとは自分を変えること」といったのは林竹二。彼は、「人は何のために学ぶのか?」という命題にこの言葉を用意した。自分が変わらねば学んだことにはならない、学ぶ意義もないという彼は、入学のためだけの受験勉強は、「学び」でないとした。それに多くの時間を費やすことの無意味さを説いたが、この国には必要であった。

    このバカげた学びを要求する受験体制に異議を唱え、教育改革を目指した文部官僚が、「ゆとり教育」と銘打って実践するも国民的理解は得られなかった。国民の多くが、「学ぶ=成績向上」と捉えていた。「違うだろうそれは?」と残念だった。ジェイコブ・バーネットは、「天才とは学ぶことを止めた人」というが、受け入れるだけの、「学び」はいらないとの意味。


    「何事において成功するためには、自分独特の観点から物事を見なければいけない」と、13歳の神童が言うまでもなくこれは当たり前のことだ。ただ、一般的日本人は成功を出世とみなしている。つまり、同期の誰より早く管理職になり、より高い収入を得るという幸福の概念を親は子どもに求めている。そのための学歴であり、それが日本社会の現状である。

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    同じ13歳のローガン・ラプラントも創造性の大切さについて語る。彼は普通の学校に通っておらず、自ら科目を選び、教育のカリキュラムを組む、「ハックスクーリング」という学習方法で勉強を行っている。学ぶ場所は、自分の部屋だけではなく、スタバや森の中など、様々な場所を自分で決めている。彼の学習方法は、学校では得られないものを学ぶこと。

    日本人にも登場してもらう。全国の中高生によるスマートフォンアプリ開発コンテスト「アプリ甲子園」で、2013年に見事3位入賞を果たした15歳の福井一玄。Excelを少し使えるだけだったという彼が、アプリ開発へのめりこむようになった経緯とそこから得た学びを彼の言葉を借りて一言でいうと、「思いは行動にして初めて価値になる」ということである。

    日本の母親は天才になど興味はないだろう。格差社会で、「負け組」にならない、それが学歴、と考える親が多い。いい高校や大学に入るための勉強は、「学びにあらず」の林の声は耳に入らない雑多な社会こそ社会であり、人は各々の信念を突き詰めて思考すればいい。重要なのは自分の思考を基盤にした信念や、行動内容とは矛盾する、"新しい事実"に触れたとき。

    それをを突きつけられたときに、不快感情から、「認知的不協和」を起こさないことが求められる。あまりに凝り固まった信念を変えることが困難な人は、"新しい事実"を否定するしかなくなる。年寄りは柔軟な思考がなく、頑固だといわれる。ひいては老害とまで言われるようになるが、これは仕方のないことでもあるが、すべての老人が老害であることはない。

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    沢山経験し、沢山の知識を得ても、自己絶対化には注意を払っていかなければならない。自分が絶対に正しいと思う人は、それだけで過ちを犯している。自分にとっては正しいと思うのはいいが、その意見を人に押し付けてはダメだろう。持論を人に話すだけならいいが、それに人が共感するのは相手の都合であり、主体性である。そのことは否定されるものでもない。

    何事もハナっから、「正しい」とばかりに押し付ける人は憐れである。そういう憐れな人の押し付けを真に受ける人は、さらなる憐れである。他人の判断の良し悪しなどはたとえ、親であろうと、教祖であろうと、何処かのオヤジであろうと、山に潜む仙人であろうと、神の言葉であろうと、人の言説に影響されるよりも、自己を信じ、自立を心がけて自らで歩んでいけばいい。

    自分の人生における選択は、自分で決めた方が後悔しない。自分の意見を言うということを、相手の意見に反対することと捉えてはいないか?だから、自分の意見を言わないとしたら大間違い。自分の意見をいうことは、その場に自分が参加しているということだ。つまり、その場で自分の意見を出さないのなら、決まった後でに文句を言うべきでない。

    意見を言わず黙しておき、後で批判する資格などないと考える。それでも人は言うべき時に言わず、後になってナンヤカンヤいう。「だったらなぜあの時に言わなかったのだ?」と、それだけ言えば十分だ。相手に返す言葉はないだろう。まさか、「あの時は寝てた。他のことを考えていた」などの屁理屈は論外である。それ以外の言い訳など、どう考えても見つからない。

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    確かに人はいろいろだ。気弱な性格の人間は、1~2回意見が通らなかったことで、腐って口をつむいだりするが、そんな程度で弱気になって自信をなくしたり、腹を立てたるなどの、感情に負けず、コントロールして意見を出し続けるのが大切だ。仕事に対する熱い思いや考えがあるならなおさらである。折角のアイデアであっても、相手に伝わらなければ意味がないだろう。

    なのに、「意見を言ったが無視された」、「バカにされた」などと腹を立てる女を結構見た。「女性はすぐに感情的になる」といわれるが、男女においては、脳の使い方が異なることが分かっている。左脳は思考や論理、右脳は知覚や感性を受け持つ。男性は物事の思考に左脳を使い、右脳をあまり使わず情報を整理し、論理的に考えたり分析したりする。

    女性の多くは左脳・右脳をバランスよく使い、左脳と右脳をつなぐ脳梁を行き交う情報量が増えると、近くにある偏桃体が強く反応し、感情的になりやすいといわれている。それを見越して女性と付き合い、対処を必要とされるが、自分にとっての最初の女性体験は、言うまでもない母であった。「生きる」障害となる母への対処術を学ぶことが自分にとっての、「生」の証であった。

    辛かったが、この体験が自分を作ったし、大きく自分を変えた。それこそ林竹二のいう、「学びとは自分が変わること」である。子どもというのは、生まれて目の前にいる親を当たり前の親と認識するが、自我が芽生える時期に、友人からいろいろな母を聞かされ、自分の母はどうやら普通じゃないことが分かった。普通でない相手は異常である。それが闘いに火をつけた。

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    当たり前だが、「自由は勝ち取るもの」。支配者から脱却するために過去人間は闘ってきた。人間の闘いは子ども時代から始まっている。社会に出ると様々な軋轢の中で、闘いを止めた人の声も多く聞いた。妻にガッチリとキンタマを締め上げられた不甲斐ない夫が理解できなかった。新婚早々、妻が朝起きないので、「味噌汁を作ったり朝食は自分が用意する」には驚いた。

    こういう男の何の金の玉であろうか。「お前の玉って、錆びた鉄玉か?それとも石ころか?」というしかないが、いろいろ話を聞くと最初に許したのが良くないと分かった。「いいよいいよ、疲れてるんだから寝てていい」。これを優しい夫と感じたのか、いつの間にかツケ上がり女となった。それも自業自得よ、男の責任だ。こういう奴は部下の管理もできない不適格者だろう。

    何事も最初が肝心で、それを許すと当たり前になる。当たり前を当たり前とし、当たり前でないを、当たり前でないと管理するのが人間で、人間は管理されなければ好き放題をやるし、まとまらない。管理職の難しさはそこにあり、当然管理者に向かない人間もいる。「人に命令するのが苦手で、自分でやる方が早いし」という人間を、管理者にする会社がダメなのだ。

    上司や管理者に文句たらたらの人間は、上には上がれないタイプだろう。なぜなら、管理者には管理者の立場があり、言いたくないことも立場として言わねばならない。歩兵や桂馬や金銀飛車角といった、能力の違う駒をうまく使えないなら、辞表を書いた方がいい。でなければ社員に舐められてしまう。上司が平社員に舐められることは。会社を舐めていると同じ事。

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    夫が妻に舐められていることは、家庭の体を成していないことと自分はみる。朝寝坊のぐーたら妻は論外として、毎月の小遣いに不満たらたらの男もいた。「銭闘しないのか?」と向けても、「しない」という。だったら、「みっともないから愚痴はいうな」というしかない。将棋仲間のFさんは1000円亭主。今更どうにもならず、可哀相と思って何かが変わるわけではない。

    寿司でも食いに行こうと誘えない彼を不憫というより、将棋が終わるとさっさと帰る彼の後ろ姿を追うばかり。それが当たり前なら、周囲が何を思おうが、Fさんには当たり前なのだ。飲まない自分だから、「飯くらい驕るよ」という気持ちにかられるが断る。そんなFさんに対し、節度をわきまえるのが付き合いというものだ。世の中、自分以外のことは分からないのよ。


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    ネットでいろいろなものを買ったが、今回ほどガッカリしたことはない。が、失敗の原因はすべて自分にある。商品はまぎれもないネットの画像と同じものだが、購入の最大動機は色合いであったことが失敗だった。買ったのは将棋の駒で、購入を決めた最大の理由は駒の色であった。ネットに表示してあった駒の飴色に一目惚れしてしまったのだが…

    届いて開けてみると、「何じゃコリャ!」であった。自分は本当にこれを買ったのかと瞬間疑い、早速ネットの表示画像を比べてみるが、まぎれもない欲しかった駒である。色白美人ならいいが、色白駒である。これまで購入した洋服など、黄色表示であっても実際の商品と表示色が違うものは多かったが、黄色は黄色であって、色の諧調までは望むべくもないと妥協した。

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    色の諧調に拘るならネットで購入はダメだろう。自分の意図する黄色や青と表示色が似ていても単に似ているに過ぎない。逆のことも考えられる。逆とは、表示された色が自分の好みと少し違っていて、妥協して注文したところ、届いた商品は自分の望む色であった。これはうれしい限りで喜びも増すが、残念ながらこういう経験は一度もなかった。

    表示色と実際の違いに妥協するしかなかった。そういう経験から、シビアな色調を望むならネット購入は無理というくらいの意識は自分にもある。VANのホームページにも以下の記述がある。「※商品の色や質感を出来るだけ忠実に再現するよう心掛けていますが、実物と若干異なる場合がございます。また、製品の仕様は一部撮影時と異なる場合がございます。」

    注意書きとお断りで、これを読む限り返品は可能だろう。サイズ違での返品は、購入者の不注意であり、身幅や袖丈などが数字記入してあっても、販売側はクレームには柔軟に対応するだろう。このことは、「手に取って見えないものを購入するネット販売における暗黙のルール」と思われる。顧客の不注意、顧客が悪いの一点張りでは、ネットの需要者は減るばかり。

    「ネットでは物を買わないと」頑なに拒否する人はいる。過去に失敗体験があるのかも知れない。また、用心深い人はやはり自分の目で細部や色具合、手に取って質感なりを確かめる人であろう。その辺は大雑把な自分だから、洋服は生地どうとかより、デザイン重視である。多少のサイズ違いも許容する。そんな自分だが、実はお店で体験したあり得ないトラブルがあった。

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    ここにも書いたが、広島で唯一VANを扱っている老舗の「セビロ屋」。あそこでの体験は、驚きとか憤慨のレベルを超えていた。実害はなかったが、「もう来なくていい」といわれたのも初体験。「セビロ屋」での一件は、本来は起こるはずのないことで、それがなぜ起こったかいろいろ考えたが、意図的に顧客を嵌めてやろうという目論見があったと結論した。

    ならば、なぜ自分が被害者となったか?想定できる範囲で検証してみたが、自分が嵌めやすい客に見えたという以外に答えは見出せなかった。和気あいあい世間話を交わす気さくな感じの客に映ったろうが、それで相手を騙そうとするだろうか?頼んだものとは違う類似の別商品を取り寄せ、「あなたが頼んだのはコレだ!」と、普通そんなことをするだろうか?


    確かに似てはいるが、意図した商品とは違っても、「まあいいや」と仕方なく購入する客がいるのだろうか?そうであっても、なくても、問題はそういうことではなく、やり方がアンフェアである。取り寄せられた商品を見た時、「なにこれ?こんなの頼んでないだろ?」とハッキリいった。驚くというより、何かの間違いと思った。当初は店が勘違いしたのかなと…。

    「えっ、違ってますか?どうもすいません」くらいかなと…。ところが、「あなたが頼んだのはコレです」というので話はオカシクなる。「ちょっと待った、どうかしてない?販売終了商品のプレミアムウィンドブレーカーっていったろ?ここにあって試着したろ?こえはコーチジャケットじゃないか。これは持ってるよ」と言った時に、店の言い方に疑念を抱く。

     
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    「あなたが何を持っているかなど知るわけないでしょ?」という。この言い方は何だ?問題は頼んだ商品がなんであるかなのに、「あなたが何を持っているか知るわけない」と、この言葉の真意は?お店の言葉から自分は咄嗟に状況判断をした。これは単純ミスというのではないな。意図的に違う商品を押し付けようとしたが、相手はそれを持ってるという。それで当てがハズレた…。

    店の意図を感じた自分は、その言い方に強く抗弁した。「持っているものを買うか?」。この言葉に店は返す言葉を失った。細い声で、「コーチジャケットもウィンドブレーカーも同じです」と苦し紛れを言う。そのとき自分は、VANの特約店が、「コーチジャケットとウィンドブレーカーは同じ」などと言ってるようでは不細工すぎるし、これはもうダメだ。

    ここでは商品を買わないと、「こんなことをやってるような店なんか、二度と来ない」というと、。店も、「二度と来ないでいいです」という。普通は言わない言葉だろう。店のミスを謝罪するのだろうが、一切が意図的に仕組まれたものだから、謝る筋合いではない。本当に無茶苦茶で困った客にいうなら分かるが、目論見が外れた客に謝罪もせずにこんなことでは…。

    今時、こんな店もあるのかと。大体のことは経験はしたし、経験はなくとも想定はできるが、この件は、「あり得ない」、「まったくの想定外」というものだった。そこまで店は追い詰められているのか?それとも、よほど自分がカモられる顧客と見えたのか、あまりのリスク行為に対し、店の意図を知りたくなった。何らかの言い分を聞けるのかと、後日店にメールをした。

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    嘘でも言い逃れくらいはするだろうと…。表題は「顧客を舐めたらだめだろ?」で、一部掲載。「あきれた『セビロ屋』だったな。今回のマヌケな対応をVANにも伝えたが、「当該店と食い違いが発生してる」といっていた。言い訳もほどほどにしろよ。以下はブログにも書いたことだが、よく読んで反省した方がいい。あんなやり方が客に通用すると思うのか?

    やってることがバカ過ぎる。販売終了商品を探してみますとこちらに恩を売るのはいい。その時点ではこちらも親切で商売熱心と感じ入った。なのに、現行商品を取り寄せ、しかも購入済の商品だ。宛がハズれたのだろうが、これがマヌケでなくて何だ?こういうことは絶対に起こらないが、貴店はそれくらいバカか?謝罪させるというVANには「結構」といっておいた。(以下略)

    意図的に相手を嵌めようとした者が後の謝罪って、そんなバカげたくだらないものは御免被りたい。ネットで見えない商品を買う不安や、見えないことで派生するトラブルは、種々の防止を企てても起こり得るが、実際の店舗で、商品を手にとり、双方納得のコミュニケーションもとり、なのにこんなことは「あり得ない」を超えている。というお店での貴重な体験だった。

    アンビリーバブル体験ということで、ついつい寄り道だったが、今回ネットで購入した将棋の駒は、開けた瞬間から、「しまった!買わなきゃよかった!」であった。しかし、クレームで返品するような落ち度は売り手にもなく、無理をいう愚か者ではない。駒を買ったのは40年ぶりで、もちろんネットで駒は初体験。これも勉強だ、二度とネットで駒は買えない。

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    売り主の画像で見る購入商品は、故意に良い色合い、風合いで撮るものだろう。駒や盤などは新品に価値はなく、経年によって骨董的価値がでてくるものだが、今回手にした商品と、販売画像の色の風合いはあり得ないほどの差。意図的に画像処理するのは詐欺とも言えない。肉に赤い着色料を交えて鮮度を良く見せることが問題になったことがあった。

    今はそういうことはやれない監視環境だが、養鶏場経営の友人がこんなことを教えてくれた。「餌に黄色い着色料を混ぜて、黄身を濃く見せるのは普通にやる」。20年くらい前に聞いたことだが、今はどうなのか?見栄え重視の食品事情だったようだ。駒も含めてネット販売の商品は、画像データの色調調整するのだろう。それを考えなかった自分が甘かった。

    駒の材はツゲ(黄楊)であり、黄色い材質が基本だ。ツゲといえば日本人には印鑑や櫛などが馴染み深いが、昨今は印鑑も櫛も需要が以前ほどなくなっている。ツゲ材は御蔵島、薩摩、シャム(タイ王国の旧名)が産地で、島黄楊、薩摩黄楊、シャム黄楊と言われたが、島黄楊が緻密で最高級品である。現在は中国産も重宝されているが、良い材が少なくなったのは事実。

    自分が購入したのは、存命中の駒師中澤蛍雪(1947年~)作の盛上駒。駒は骨董的価値が高く、値が張る人気駒師といえば、宮松影水(1928年~1972年)、奥野一香(1866年~1921年)、豊島龍山(初代1862年~1940年、2代1904年~1940年)らであろう。100万以上も珍しくなく、いずれも50万円を超える。駒の材自体が古木であり、作成年代が古いゆえに高価となる。

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    盤も駒も趣味が講じて道楽になってしまうが、この年になると、ほどほどにしておかないと、自分の死後、処分に困るだろう。今回で最後にしようとの思いで購入した。それが、残念な商品だっただけに、次が欲しい気もあるが、止めておく。靴も多くてげた箱が溢れ、クローゼットの服も満杯だ。将棋盤も現在6寸盤が三面、後は3寸、2寸、1寸の卓上盤が3面ある。

    何かが欲しくて買いまくっているときは、それも生き甲斐だったようだ。今後はしなやかに穏やかに暮らすことに専念する。収集癖のある夫が他界し、蔵書や趣味の逸品などを遺族はどうするのだろう?生きていてこそ役にも立とうが、本人が不在ならガラクタである。今回購入した駒も、数十年もすれば骨董的風合いもでてこようが、数十年なら自分はもう…


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    自分がブログをやってることを周囲に言うことはない。読んでほしいわけでも、読ませたいわけでもないが、他の理由として、世間が捉えている自分と書くだけのブログ主の自分が違って見えることもあるだろう。そういわれるのも、それに返答するのも、煩わしい。「面倒くさい」を禁句にしているから、「煩わしい」。どちらも自分だが、「違う」といわれると返答が面倒だ。

    「忙しい」、「めんどう」、「疲れた」を、三禁句と心掛けているが、意識して口に出さないと決めているだけで、そうならないのではない。それが心掛けというもの。面倒くさいは、「めんどう」と一緒。にしても、「面倒」をなぜ、「面倒くさい」というのか?なんでも疑問に思う癖がふと沸いた。とりあえず自分で考え、分からなければ調べる。要は、「くさい」という接尾語の用法だ。

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    ① …のようなにおいがする意を表す。「汗くさい」、「こげくさい」
    ② …のような様子であるの意を表す。「年寄りくさい」、「オトコくさい」
    ③ 上にくる語の意を強める。「ケチくさい」、「テレくさい」

    これらから、「面倒くさい」は、上記の③の用法と思われるが、「これは面倒」の意を強めて、「これは面倒くさい」と表記する。「くさい」は、「臭い」であるから、臭いに関連する言葉との先入観があって、それでいろいろ考えた時に、「面倒」の後に、「臭い」を持ってくることに違和感をもったが、「様子を表す」、「意を強める」の、「くさい」であるのが分かった。

    「バカくさい」は標準語的で、関西では、「アホくさい」といい、口語的には、「アホくさ」、「アホくっさ~」などといわれる。これは②であろうか、③であろうか?「あいつはアホだ」を、「アホくさ」というのは、本当はアホではないが、アホに見える場合の用い方。「年寄りくさい」を、年寄りにはいわないのは、言わなくても年寄りだからであり、むしろ若者に向けていう。

    「その洋服、年寄りくっさ~」などの言い方は日常的にある。よって②でもあり、③のニュアンスもあろうか。「その洋服、年寄りっぽい」を、「年寄りくっさ~」と強調する。まあ、日本語用法のテストじゃないし、どっちだってヨカである。例の似非学者なら、「間違い!」というかもだが、誰も正しく生きてるわけではないし、いつでもどこでも「自分が正しい」は嫌われる。

    人は、「ぞんざい」である方が人間的であり愉快である。自分は、「どっちだっていい」の「ぞんざい派」。あまり重要ではないことにゴチャゴチャいうのがバカに見える。先日、有吉が、「出前の寿司桶を洗って返さない人に激怒!」という見出しがあったが。こんなことで「激怒」というのもテレビの煽りであって、近年何かにつけて、「激怒」で注目させようが丸出し。

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    テレビは観るほどアホになっていくのは、バカ芸人を観るからか?有吉、坂上、マツコ、マッチャンら、「激怒屋」が多すぎる。くだらん事にいちいち激怒するなと言いたいがテレビのやらせ。ふと思い出したが、「禁酒と断酒」は語句が違うように意味も違うが、「同じ」といえば似非学者が食いついた。間違って使うと戦争が起こるんか?細かくしつこい男を「女の腐った奴」という。

    ●禁酒
     ・誰かに酒を飲まさないようにすること。
     ・飲まないように我慢していること。
     ・酒を飲む人から酒をとり上げようとすること。
     ・酒のない社会を目指すこと。
      *禁酒とは、酒との闘いである。

    ●断酒とは?
     ・自分自身で、酒を飲まない生き方を選び、実践すること。
     ・酒を飲まないだけでなく、より心の健康を増進させる(成長する)為の努力を通 じ、アルコール依存症から回復していくこと。
     ・素面で生きること。
     ・世の中の酒は他人の問題だからとやかく言わないが、自分は酒を飲まない生き方を目指すこと。
      *断酒とは、酒を飲まない生き方を選択する事。要は、自分自身の生き方の問題である。

    ここまで考えて物をいう必要はない。「ワシ、今日から禁酒する」といったときに、「禁酒じゃない。断酒!」と水を差せば、「やかましい、どっちだっていいだろが!」となる。素直じゃないというより、しょぼい正しいは必要ない。学者がいちいち世俗に口出すなである。「禁酒」はお酒をやめたけどまた飲むかもしれない状態、「断酒」は一切お酒を絶つこと。


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        3年も前故失念も仕方ないが、禁酒・節酒論争也。これすらどっちでもいいが、節酒という言葉初耳

    であろうが細かすぎる。作家が断筆宣言をし、後に覆さなかった者などいない。筒井康隆も断筆を止めた。彼の断筆理由は、自著で「癲癇」という言葉を使ったところ、「日本てんかん協会」から抗議を受け、話し合いの末決裂。友人の大江健三郎には、「社会に言葉の制限があるのならば、新しい表現を作り、使っていくのが作家ではないか」と批判を受けた。

    さらに大江は、「炭坑内の有毒ガスにいち早く反応して危険を知らせるカナリアになぞらえた筒井を、『太ったカナリア』」と揶揄した。他にも吉本隆明、浅田彰、絓秀実、柄谷行人、渡部直己、村上龍、三田誠広、島田雅彦、田中康夫らから批判を浴びた筒井は卑屈になったのか、泣き言をいう始末。「断筆して以後、『文壇』というものがある、とよくわかった。

    去って行く者に追い打ちをかけたり、つばを吐きかけたり、反感がすごい」。「ぼくを中傷することによって自分が浮上することだけを考えている。今までぼくを認めるようなこと言っていたやつまでですよ」と慨嘆した。批判もあれば擁護派もいた。曾野綾子、瀬戸内寂聴、安岡章太郎、平井和正、小林よしのり、石堂淑朗、井上ひさし、内田春菊、井沢元彦、夢枕獏ら。

    ところが、「筒井の尻馬に乗って表現の自由をうんぬんしている作家たち」という岡庭昇や、みなみあめん坊(部落解放同盟大阪連合会池田支部代表の南健司)の発言が出てくると、小林よしのり以外はみな沈黙してしまった。作家の断筆は、思想・信条を貫く点で評価もできるが、食い扶持を失うことであるのは紛れもない。一生食える蓄えはあるにしてもだ。

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    それ以上に、芸術家が自己表現を搾取されるわけだから、困窮だけの問題ではない。筒井は水面下で、「日本てんかん協会」と交渉、断筆解除にこぎつけた。ま、意地もほどほどにすべし。方やチャラオの断筆宣言もあった。チャラオとは百田尚樹。彼の断筆宣言の理由は、「悟り」ともいえるような、当初は静謐で説得力のある言葉であった。経緯を以下に示す。

    故やしきたかじんさんと妻・さくらさんとの闘病生活を綴ったノンフィクション『殉愛』をめぐり、出版差し止め訴訟に発展したことで、「断筆宣言」。その理由がカッコイイ。「もともとデビューした時、十年で引退と思っていた。来年で九年。一年早く辞めたってどうということはない」と、頭に毛を増やしてやりたくなるような彼の言葉は社会から注目を浴びる。

    ところが2日後には、「嬉しそうに記事にしてからに。気分悪いから、死ぬまで作家やってやろう」(原文ママ)とツイッターに投稿したのには、「ガーン」である。なんだい、この年でこのチャラさは…。これが2014年で、2015年3月に再び、「断筆宣言」をツイート投稿。百田は出版業界の不振に触れ、「僕も来年の還暦を機に引退しよう」とこれまたカッコイイ。

    さらに、「私はたまたま売れたけど、そんなものは一時的なブーム。売れなくなる前に筆を折る」などと発言した直後…、「たったの一時間で、もう私のツイートがネットニュースになってる」とし、「腹立つから、引退撤回! 80歳まで書く!」と言い出す彼には、「またかい」であった。人間が言行不一致であるのは仕方がない。言葉を所有する動物に許された行為だ。

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    言葉と行動が一致しない人間などいない。とはいえ、あまりにそれを多用すると信用されなくなる。そこは理解しておくべきだ。あらゆる高等哺乳動物にあって、その中でさらに高い知性を有する人間に言葉が与えられたのは、己の心を隠すためにである。女性はそのことで身を守ってきたが、封建時代の男中心社会で男にあっては、何より、「信用」が大事になる。

    「男の一言」はそのために生まれた。男が、「言行不一致」に自主規制をし、無益な争いよりも信頼関係を構築するためには、「男の一言」、「武士の一言」が土台にあるべきだった。こんにちでもそうあるべきと思っている。だから、百田尚樹のようなチャラい男は、作家というよりただのハゲ。あの性格では人から金は借りれない。だからしっかり稼いだらよい。

    有名人がツイッターをしていながら、「発言が一時間にネットに広まったから頭にきた」などの言い方は、自分が有名人であることの自負で、表現を変えて述べているだけだ。そうしたところも子どもじみてチャラい。年齢を聞かなけれな自分よりはるか年上に見える百田は年下である。60歳を超えた世代は我々同様、「羞恥の世代」でとされる。つまり恥を知る世代。

    「ヤンチャはいいが、チャラいは止めてくれ」と言いたいが、視点を変えるとフレキシブルな人間である。人の社会で、人に好き嫌いがあるのは仕方ないが、作家の才能とは別に絶対に付き合いたくない人間の一人である。彼にも若き頃はあったわけだし、一体どんな面をしているのか興味もあって、「百田尚樹 若き頃」で検索してみた。出た画像がまたもや、「ガーン」であった。

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    この画像の百田はオカシイ。いやいや、なぜにオカシイのか?普通の若者である。なのにオカシイ?なるほど…、こういうことだ。こんにちつるピカハゲ丸百田は、今が普通なわけで、こんなにモサモサ毛があることがオカシイとなる。言い換えると、今がスタンダード、つまり基準となっている。それからすると、この画像が百田であるのを笑わぬ人はいないだろう。

    不条理な宿命だが、これもまあ、彼の徳(チャラさ)にも関係している。だから、ふさふさの昔がカッコイイとならない。普通のハゲびとは、昔のふさふさを見るとカッコイイとなるのが一般的。わりとチャラい系の松山千春でさえ、昔の雄姿はカッコイイと感じるが、残念ながら百田は過去の画像を捨てた方がいい。が、見方を変えれば、「百田さん今がカッコイイ」。


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  • 03/22/17--17:05: ブルマーの謎

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    『ブルマーの謎』(青弓社) という本が紹介されていた。[産経新聞 3/22(水) 14:50配信] なので新刊と思ったが、2016年12月発刊であった。著者は女性かと思いきや、関西大学社会学部の山本雄二教授である。列記とした男性で、なんでまたブルマーを?だが、社会学者ということだ。ズロースについては多少なり素養はあるが、ブルマーには謎があったようだ。


    山本はブルマー教授といわれており、ブルマー研究の第一人者ということだが、「ちょっと待った!」といいたい女性が出現した。彼女の名は小松聰子、関西大学社会学部で山本ゼミの生徒であった。彼女こそ大学時代にブルマーの取り組み、研究を行い、ブルマーで卒論を書いたひと。大学卒業後、京都の通販会社に勤めたが、学究意欲は冷めず会社を退社する。

    上京し、早稲田大学大学院商学研究科専門職学位課程ビジネス専攻卒業した。山本氏が『ブルマーの謎』を出したとき、過去の自分の研究であったこともあり、小松さんは嫉妬に見悶えたという。その彼女がゼミでブルマーに取り組んだ時の経緯を語っている。時は元禄15年…、これは「赤穂浪士」の出だしだが、時は今から15年前、大学三年の山本ゼミでのこと。

    卒業グループ研究のテーマを決める打ち合わせの最中に、小松さんが、「若者のファッション論で進めたい」と主張するも、「ありきたりだよね」と山本教授に秒殺されたという。一瞬の沈黙の後山本教授は、「男子体操のユニフォームの変遷なんかどう?」と提案があった。小松さんは、「な、な、なんと、だ、だ、男子の、た、た、体操服ですと?」と泣きそうになったという。

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    (何よ、男子の体操服って…、そうじゃない私たちはもっとオシャレで楽しい事がやりたいんだ!)と心で叫んだという。しかし山本教授は乗り気満々、このまま押し切られたら生涯の不覚。一計を案じた小松さんは、「そうだ!ブルマーがある」と閃いた。何をおいてもブルマーは、男子のダサい体操服より輝きがあり、きっと体操服の匂いよりいいはずだと…

    彼女は意気揚々と言った。「先生、そーゆー物なら何でもいいんですよね? だったらブルマーの研究をやります!」。これが山本ゼミ・ブルマー研究班誕生の瞬間だった。山本の著書が出た時彼女は、「先生は忘れているかも知れないが、発案者はこの私だった。もし、あのまま研究に身を捧げていたならば、この私がブルマー本を書いていたかも知れないのに。

    と、嫉妬したという。しかしながら、大学卒業と同時にブルマーを捨てて社会人となった彼女と、その後もブルマーに取りつかれた山本との差は歴然である。「現象自体は誰もが知っているのに、その経緯については誰も知らない。こういう事柄には案外、大事なことが隠れているのではないか」との山本の言葉は、学者における研究者としての歩むべく王道である。

    経緯は分かった。ブルマーには秘められた謎が多くあるのも分かった。が、この本を買う気のない自分は、自分なりのブルマー体験並びに、ブルマーの思い出などを記してみよう。ブルマー体験といっても、コスプレイではない。そんなブルマーを穿かせたり、脱がせたりには興味がない。著者の実家は衣料品店であったそうだが、自分の隣も衣料品店だった。

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    隣のNとは幼馴染で同級生。彼女の家の屋根裏部屋のような、洋服などが山のように積んであるところで、殿様ゴッコなどして遊んだ。衣料品店なので、いろんな服がおいてあり、それらを着て遊んだが、脱がすような遊びはしていない。山本の実家からは、初期、普及期などのブルマーや、箱に入れられたまま陽の目を浴びぬ、ミイラ化したブルマーも見つかったらしい。

    自分たちはなぜかブルーマと呼んでいた。(したがって以後はブルーマ)言わずもがな、あの東京オリンピックで金メダルに輝いたバレーボール日本代表の穿く、奥ゆかしきチョーちんブルーマ全盛の時代である。バレーチームのブルーマはそれほどふわふわモコモコ感はないが、チョーちんブルーマであることに疑いはない。当時の小学生のブルーマは巨大だった。

    そのブサイクさというのか、当時の写真など見ると、ブルーマの持つブサイクさに神秘性が加味され、小学生の低学年の女の子が盆提灯のような、ふわふわブルーマを穿いてる姿は聖少女の如きである。それも今にして思うことで、当時はそれが普通であった。高校1年の頃だったと記憶する。衣料品店のNが、こんな自慢をしていたのをハッキリ覚えている。

    「うちのブルーマは評判いいんよ。みんなウチに買いにくるし」。どんなブルーマかに興味はなかったが、この頃に主流となり始めたふわふわチョーちんブルーマでなく、ピッタリ体にフィットした密着型である。まさに、時代の変遷である。それにしても古来のブルーマは、なぜにあれほどにふわふわだったのだろうか?おそらく著書には書かれているだろう。

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    買って読みたいが、本の置き場所がなく、余計なものは買わない。古本を処分すればいいのだろうが、知りたいことはあれ、脳の定量の問題もある。Nが自慢するように、密着型はスタイリッシュでも親が購入する。体を冷やさないようにと保守的な親は、ネル地の分厚いズロースを子どもに履かせる。その結果、ブルーマからちょろりパンツがはみ出ることになる。

    外より中が大きいために起こる不可避現象である。誰ともなくこの状態を、「はみパン」というようになった。学校内に性的な物の抑止に努めるなか、はみパンとブラの横線は、この時期の男にとって、まさに春の呼び声であったろう。ところで産経新聞のネット配信に、少しだけブルーマの沿革がある。それによると、ブルーマ導入は1900年代前半頃とされている。

    理由は、女子が袴姿で体育を受けるのが不向きとされ、膝下まで大きく膨らんだニッカーボッカー風ブルーマが採用された。ニッカーボッカーズはズボンの一種で、長さが膝下までですそが括られた短ズボン。野球、ゴルフなどのスポーツウェアとして広まり、現在日本では土木・建設工事の作業服として多く見られる。日本では鳶服などと呼んだりする。

    そのニッカーボッカー風ブルーマの長さは次第に短くなり、緩やかに尻を包み込むちょうちんブルマーが60年代半ば頃までの定番となる。その後、あっという間に密着型ブルーマ全盛となっていく。それがはみパン現象を生んだのは仕方のないことだ。ミニが流行ってパンツが見えやすくなると同じ論理である。はみパンは体操座りの後に起こりやすい。

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    こまめに調べて直す女性もいれば、われ関せずのおくて女もいる。山本教授は、「校内に性的な要素を持ち込むことを警戒していた学校が、なぜ密着型ブルーマを了承したのかが不思議」といっていた。そういえばNの店の密着型ブルーマは教師に注意をされながら、それでもどんどんと普及しいていったところが、女性のおしゃれに関するパワーである。

    そもそも密着型が普及した理由、人気を得た理由は、選ばれた理由や背景は諸説あるようだが、有力なのは、「64年の東京五輪で旧ソ連の女子バレーボールチームがはいた密着型ブルーマに少女たちが憧れた」という説。日本はソ連に勝利したが、ブルーマのブサイク度においては、完敗であった。誰が見ても密着型ブルーマの圧勝であり、少女はめざとかったのか?

    これには山本教授は否定的である。「仮に憧れがあったとして、これまで学校が少女の憧れを制服に反映させたことがあっただろうか」。山本教授は密着型普及の迅速さや規模からみて、当時の全国中学校体育連盟(中体連)に注目、発言権を得るために資金を必要とした中体連が学生服メーカーと組んで、従来とは全く違う製品で体操服の総入れ替えを図った。

    中体連が普及に協力する代わりに一部を寄付金として得る。「これによって、まず東京の学校に浸透し、他社も参入して全国に広がっていった」と指摘する。そういえば思い出した。隣のNの店のブルーマは注意されながらそれでも穿くものが後を絶たずに普及したが、うるさ型の親はそれを認めず、チョーちんブルーマを強いられしぶしぶ穿いている女子がいた。

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    そんな中で、「うち(お店)のブルーマはかわいい」と鼻を高くしていたNの顔が思い出される。当時、チョーちん型と密着型で親と争った女子はいるかもしれない。考えてみれば女子だけが特殊なものを穿かされていたものだが、今やブルーマはショーパン、半パンツ、ジャージに代わってしまったものの、ブルーマは、懐かしくも郷愁をそそる記憶の中の風物であった。


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    囲碁、将棋、チェス。いずれも似たような思考ゲームだが、将棋しかできない自分は3者の比較ができない。将棋の面白さは説明できるが、囲碁やチェスには閉口する。一般的には以下のように言われる。将棋やチェスは一手一手のエネルギーが大きく、その激しさがたまらない魅力となる。囲碁は戦場が広く手が広い。将棋やチェスの惨めさからは解放される。

    ゲームの刺激性ならチェスや将棋で、それぞれの特徴ある駒を使って狭い戦場で王様を攻めることで戦術の高さが求められ、ハラハラ・ドキドキ感がたまらない。おだやかな頭脳ゲームなら囲碁。将棋が、「戦術」なら囲碁は、「戦略」が重視される。広い盤面をどう使うか、どこをどう譲っていいか、どこは譲れないのか、どこの戦いは放置できてどこが急がれるか。

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    これらはまさに盤上の「世界戦略」である。チェスと将棋は確かに激しい。特にチェスは世界戦のような大きな大会の競技中に、血圧が上昇し発作を起こして病院に運ばれることもあった。狭い盤上で性格の異なる駒を使うチェスと将棋の大きな違いは、取った駒を戦力として使うこと。将棋はその点がチェスより複雑になるが、このことで面白い逸話がある。

    戦後、占領軍として日本に入ったGHQは、日本の軍国主義復活の芽を摘むために、廃止も含めてさまざまな改革を行った。そのやり玉に上がったのが将棋である。現在の本将棋の原型が出来たのは16世紀後半の戦国時代で、信長も秀吉も将棋の戦術性を好み擁護した。江戸期は幕府によって家元制度として保護され、明治期には新聞に将棋欄が出来るなど隆盛を極めた。

    その将棋にGHQがクレームをつけた。彼らの言い分は、「将棋は敵から奪った駒を捕虜として自軍の兵として使う。これは捕虜虐待である」。将棋連盟から事情を聴くために呼ばれたのが升田幸三である。彼はGHQの捕虜虐待説に真っ向反論した。「馬鹿なことを抜かすでない。チェスは捕虜を殺害しているではないか。これこそが捕虜虐待である。

    将棋は奪った捕虜に、その位のままで適材適所の働き場所を与えている。よって常に駒が生き、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である」と怯むことなく進言した。GHQ局員は、「面白い日本人だ。まあ、一杯飲もう」と、それぞれがビール片手に談笑したという。敗戦直後ということもあり、日本政府の関係者にはGHQに従順な人間多かった。

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    天皇でさえそうであった占領下、いかにも升田らしいエピソードである。先人の叡智から発展を遂げ、守られ、そして今も多くの人に愛されている将棋は、こうして占領軍n禁止処分を逃れた。そのように見ると、駒を取るだけのチェスは残酷である。碁はただの白黒の石であり、チェスや将棋の駒のような人格性もなく、石を取るよりも地を広げるのが戦いの基本となる。

    チェスを見ていると、「何というガサツであろう」と所作に思うが、将棋には日本的な作法というものがある。最近は昔ほどに対局姿勢などをうるさくいわないが、チェスのように左手で素早く相手の駒を取り、右手で自陣の駒をそこに進めるなどは絶対にない。将棋の作法と決められてはないが、暗黙の御法度というべき所作である。チェスにはそういうものが一切ない。

    駒をキチンとマス目の中に正しく置くのも、「礼」とされるが、竜王戦挑戦者の糸谷が、自分の指が森内竜王の駒に当たり、駒が斜めになっているのに直さず、そのままで数手進んだ時、たまらず森内竜王が糸谷離席中に駒を直した。解説をしていた高橋道雄九段も苦言。糸谷のマナーに批判があがったが我関せずの彼。問題なのは森内の精神状態である。


    もしこれが糸谷が指した彼の駒であったなら、「ゆがんだ駒くらい直せよ」と、言ったかもしれないが、相手の手が触れて歪んだのは自分の駒ゆえに、言いにくい状況である。それでも後輩を諭すくらいの気持ちで、「ダメじゃないか、歪んでるのは直しなさい」というべきだが、こういう場合、相手の無神経さに押し黙る人間はいる。無神経な奴は分からせるべきだが遠慮する。


    温厚な森内もそれが言えない人である。このシリーズは糸谷の離席も多く、それで精神を乱されるのは良くないと知りつつ、糸谷の無神経さ、行儀の悪さに圧倒されたのか、森内はタイトルを失った。ただ勝てばいいだけのチェスと違い、礼儀とかマナーとか、日本的メンタル部分が大きく左右するのもチェスとの大きな差であろう。良くも悪くも日本人である。

    勝負に対局姿勢やらマナーやら、そんなもん関係ないというのが、欧米人であるが、日本の若い世代もだんだんとそのようになって行っている。日本人が日本人らしさを失うところは、むしろ世界人の仲間入りをしていることになるのだろう。日本人は日本人のまま、「おもねらず」、「なびかず」であるべきとの考えもある。日本人の肖像を忘れてはならない。

    囲碁も将棋も日本が発祥ではないが、チェスとはまるで異なる日本的なるものを兼ね備えている。日本人が日本的なものを守ることこそ、日本人のアイデンティティといえるが、世界から称賛されるそうした日本人の律義さ、勤勉さ、あるいは由緒正しさは、交渉などの戦略的場面においてはプラスに機能しない。下に見られ、舐められてしまう要素である。

    日本人の善意は日本人には理解されるが、日本以外の国では通じない。それでも日本人は西側や野卑なアジアの国に向け、「日本人である」と胸を張るべきなのか。胸を張るのはいいが、相手に舐められ、子ども扱いされては話にならない。日本的なものは日本でしか理解されないなら、グローバルな戦略論を備え、行使せねばならないだろう。日本は世界の中にある。

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    「大和魂」は死語になったが日本人の、「魂」を欧米列強に売り渡してはならないといったのはハーンであった。ハーンとはラフカディオ・ハーン、日本名は小泉八雲という。英国国教徒のアイルランド人を父とし、正教徒のギリシャ女性を母とし、英米アングロ・サクソン社会を遍歴してきたハーンは、不惑を過ぎて日本に辿り着き、46歳で小泉八雲となった。

    八雲は『怪談』で世に知られているが、こんにちではなかなか文献などを開く人は少なくなった。八雲に限らず、漱石、川端、志賀、鴎外ら文豪の全集がさっぱり売れない時代である。日本人が日本人の心から離れていくのはそうした事情もあろう。それでも八雲は日本人の心に今なお生きているが、若い人は八雲が何をし、何を残したくらいは知るといい。

    八雲の文学を深く探求しなくても構わない。八雲は晩年、心臓発作に苦しめられたが、そんな最中に心血を注いだ完成させた大著が、『日本 一つの試論』である。自身の病状から遺作となろうことを知った八雲は、以下の言葉を末尾に記している。「日本が外国産業に土地の購入権を与えたら、その時は希望を捨て滅亡する時。この信念を、私は退ける事ができない」。

    「信念」という言葉を使ってまで、八雲は自らの憂慮を書いている。「土地」というのは、今日風に言えば、株式も含めた、「資産」を意味する。それらを外資、とりわけアングロ・サクソン資本には、絶対に売り渡してはならないと警鐘を鳴らしている。このことが、小泉八雲の日本人への遺言であり、八雲の懸念が正しかったことは後の歴史が証明している。

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    2005年8月、小泉純一郎は郵政民営化法案が否決されたことで、解散に打って出た。それを軸に郵政民営化法、会社法、改正独占禁止法の3つの重大法案を成立させた。郵政民営化以外の2つは知らない人も多いが、会社法の中に仕込まれた、「外国株を使った株式交換の解禁」は、日本の名だたる一流企業を、外資が完全子会社とする道を開いた。すべてはアメリカの押し付けである。

    独禁法改正で強大な捜査権限を得た公正取引委員会は、猛威を振るって日本企業に襲い掛かる。攻撃を受け、弱体した日本企業は、ますます外資の買収攻勢にされされる。郵政民営化に至っては、簡易保険の1兆ドルにのぼる資産を、アメリカ系保険会社に、「市場」開放する工程に過ぎなかった。これらは長年アメリカが日本に圧力として加えてきた要求条項である。

    分かりやすくいうなら、アメリカが日本の資産を収奪し尽くすことを可能にするための手立てであり、小泉総理はその手先であったということだ。小泉八雲が懸念し、書き置いたことを、奇しくも同じ姓の小泉純一郎が行ってしまった。外国資本による日本資産の購入権を当たる法案を、「構造改革」と推し進めていることを、マスメディアは国民に伝えようともしなかった。

    これに反対する一部の与党議員の先駆者が断固阻止に立ち向かった。小泉の盟友であった亀井静香は孤軍奮闘するも矢尽き刀も折れて存在感すらなくなってしまう。小泉が絶対にやってはいけないことを別の小泉が、「外資に買収されてどこが悪い」、「アメリカに迎合してなにが悪い」と開き直っているうちに、はかりしれない大きな代償を日本人は失った。

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    「将棋は取った駒を役のまま生かす。これはチェスと違って捕虜虐待ではない!」

    と、敢然とGHQに向かった升田幸三であったが、チェスの国アメリカは、日本人への捕虜意識が消えることがない。有史以来、外国に占領されることのなかった日本が、帝都を焼き払われ、原爆を落とされ、憲法まで押し付けられ、お使いばかりさせられる。槍・刀をもがれた日本がアメリカに善意を期待するのは、捕虜を虐待するチェスの国であるのを忘れた笑止であろう。

    お調子者で変人の小泉はブッシュ家でおどけまくり、日本の恥をさらしたが、これは升田幸三とは雲泥の差。GHQは升田に、「面白い日本人」と親しみを抱いたが、ブッシュはおそらく、「アホな日本人」とせせら笑ったことだろう。その様子がモロに顔に表れている。おだてればドジョウすくいでもやるような総理を持ったことで、日本は取り返しのつかない国となってしまった。


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    西友、スカイラーク、シャープ、レナウン、最近ではアデランス、これ以外にも外資系連結子会社の日本企業は多い。不適切会計処理問題により、歴代社長3人が退任、刑事告発問題に発展するなど、東芝ブランドはボロボロだったが、16年6月30日付で、白物家電事業を担当する東芝ライフスタイルの株式の80.1%を、約537億円で中国マイディアグループに売却した。

    東芝ブランドを維持しながら白物家電事業を継続しているが、17年1月に、米原子力事業に関して7千億円規模の減損損失を計上する可能性があることを公表し、株式市場からの信頼を大きく失った。東芝は急遽、財務基盤を強化するため、稼ぎ頭の半導体事業を今年3月に分社化することを取締役会を開いて決定し、他社から出資を受け入れることを発表した。

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    3月14日の記者会見で綱川社長が明らかにした、「今後の東芝の姿」は、2019年度のグループ売り上げが4兆2000億円と、ピークからおよそ半分に縮小した姿であった。外資系傘下で成功例が少ないなか、日本企業で唯一の成功例は日産自動車であろう。ゴーンの力量によるところが大きかったが、彼は2月に社長退任した。シャープ、東芝、アデランスは幸せになれるのか。

    今や外資に食われ、メイドインジャパンは外面だけである。シャープの台湾身売りより、「糸へん」産業の代表レナウンの中国身売りはショックだった。「ガチャマン景気」が思い出される。ガチャマンとは、「(織機を)ガチャンと織れば万の金が儲かる」といった含意から、「ガチャ万」と表記される。繊維、紡績などの字から「糸へん景気」ともいわれる。

    1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争に伴い、国連軍の要請で食糧や車両修理、各種鋼材などの調達を求められた(朝鮮特需)。特需の大部分が、土嚢用麻袋、軍服、軍用毛布、テントなどの繊維製品であった。この時期、東北や九州地方から金の卵と呼ばれた集団就職で、戦前からの一大繊維産地である美濃、尾張、三河、遠州の繊維工場にも多数の少年少女が就職した。

    中でも工員は女子の人手が必要とされたため、繊維工場のある地方は若い女子に溢れた。「女工の街」とも言われた愛知県一宮市では、現在でも女性の人口比率が高く、当時の名残を表している。それにしても昔の女性はよく働いた。「女工哀史」という言葉に鑑みていえば、哀しいくらいに働いた。働くことがなぜに哀しいかといえば、何の目的もなく働くからだ。

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    彼女らはほんのわずかの休憩のために働く。寝る時間の楽しむために働く。粗末な食事を美味しく戴くために働く。それが目的か?それが目的である。それが目的であることが哀しい。「女工哀史」というが、昭和の朝鮮特需のようなものではない。富岡製糸場が稼働したのは明治五年(1872年)であった。開場当時から旧士族の子女のみを選び、繰糸工女を養成した。

    繰糸とは、蚕の繭から生糸を作ることで、繊細な製糸技法ゆえに指先の熟練に依存の割合が紡績業に比べて大きい。手仕事であることで、技術の水準が労働力の質を決めると同時に、労働力の質が技術の水準を決めるという相関関係にあった。「製糸技術において、工女は機械の一部たる観あり」の言葉が言われた。こうした製糸技術の特殊性が、「女工哀史」を生む。

    製糸工場の女工といえば悲惨なイメージが伴うが、なぜ士族の娘を限定したのか?これにはちゃんとした理由がある。政府の指示による模範工場として設立された富岡製糸場は、当時としては最先端工場であり、富国強兵策を掲げ、推進する意味において、軍隊と同等の価値をもつ重要施設で、その性格上もあってか、集められた女工たちは単なる労働力ではなかった。

    ここで学んだ技術を出身地に持ち帰り、その地の製糸業の指導者となることが期待されていた。そのため女工とはいえ幹部候補生であり、相応の教養と指導力が必要とされた。当時、このような資質を備えた女性は旧士族の娘であった。したがって、在野の製糸場と比べて富岡は、最先端の設備と労働環境を誇った、「女工哀史」とは別の、エリート養成場であった。

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    繊細な手仕事ゆえに能率給を採用し、頑張った工女は報われた。信州松代の士族の娘・和田(旧姓横田)英が書き残した回想録の、『富岡日記』からは、彼女たちの快適な生活を想像することができる。工女のランクは8段階に分かれ、最高ランクの一等工女は高収入であるばかりか、服装も特別待遇された。キャリアアップを目差す工女の競争心に拍車をかけた。

    「女工哀史」については後日あらためて記事にしたい。レナウンが中国に乗っ取られたことは残念・無念だが、それだけでなく、レナウンがなぜ存在する?佐々木八十八がなぜ佐々木営業部を作った?そうした八十八立志伝も含め、さらには日本の繊維産業の隆盛と衰退が、我々の人生と同時進行していたのを知ることは、別の観点から自分を探ることでもある。

    自分を知るということは、時代の時々を知ることでもある。中でも、衣・食・住は生きる上での日常である。どんなファッションが流行り、自分がどんなものを好んだか?そんな食品が生まれて消えていったのか?部屋にはどんなアイテムが存在したか?家具や調度品、電気機器や電化製品も懐かしい。レナウンの身売り、東京ブラウスやVANの倒産の経緯も気になるところ。

    アパレル最大手レナウンが、「ワンサカ娘」で名を挙げたように、確かにCMはセンスがあったが、アパレル従事者に言わせると、「東京ブラウスの企画力に比べ、レナウンの作るブラウスはカスだった」らしい。その東京ブラウスも、1991年12月期には年商300億円を売り上げていたが、百貨店の凋落や長引く不況に圧迫されていく。レナウンも百貨店依存度が高かった。

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    今やファッション業界は斜陽産業といわれる。全国のファッション専門学校は毎年13000人程度の卒業生を出す。彼らがそのまま業界で働けるのか?〇〇服飾専門学校、〇〇文化服装学院などのファッション専門学校は、アパレル店員を養成するではなく、デザイナー養成所である。そうはいっても…である。音大のピアノ科も、ピアニストを養成するところである。

    音大にピアノ教師養成講座はない。そうはいっても…である。どれだけの心がけをもって入学するか?努力するか?の問題もあろう。最初から、「そんなのなれるハズがない」と思っている子がほとんどだ。中国やアジア、ヨーロッパ諸国からの留学生はめちゃくちゃ勉強する。彼らにとって大学での勉強は当たり前だが、勉強しない奴らが自分を基準に驚いている。

    留学生は人生を掛け、そのためにお金を掛ける。足を掛ける程度のノンポリ学生とはまるで違う。足掛け気分で高い授業料払い、誰が得する?誰も損をする?誰も損も得もない。彼らも彼らの親も、それが自己満足である。可笑しなことだが、これが大学全入時代の現実である。団塊の世代が引退し、変わって団塊ジュニアがこの国をしょって立つ。頑張ってもらいたい。

    世界の中の日本にあって、日本の特質に照準をあてて書いた昨日だが、西洋人の見た、日本人の知らない日本人であったりする。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という80年代に起こった大きな波に代表される、「日本ブーム」が、こんにちは形を変えて世界的広がりを見せているものもある。それらを、「日本風」とし、そうした日本風支持層は着実な拡大にある。

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    今から百余年前、「日本風」に熱烈なる恋をした一人の西洋人がいた。その人は、アメリカの紀行作家、エルザ・R・シドモアである。彼女はワシントンに桜を植樹した人として知られており、「シドモア桜」と名付けられている。明治45年(1912年)のことだった。シドモアがいうように、19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本文化は欧米文化に影響を与えた。

    装飾で有名なアールヌーボーや、ゴッホやモネ、ルノアールらフランスを中心とする後期印象派絵画もそうであり、イギリスのガーデニング文化などもあげられる。いずれも浮世絵、山水画、田園風景・園芸などの日本文化の影響から生み出されている。「日本風」が形づくる伝統と、モダンの調和の、「伝統」は、花鳥風月、草木虫魚の自然観にとどくものといえよう。


    そこには日本人特有の、「細部に対する繊細な目配り」があるのはいうまでもない。細かな自然の隅々にまで神が宿るという繊細な精神性、小さな存在をいつくしむ気配り、これが、「ものあはれ、わび、さび、いき」という独自の美意識を醸し出している。日本人であることを誇れるときがある反面、日本人はグローバリズムの波に乗れていないと感じることもある。

    相反するものである以上、どちらかを採ればいいというものではない。日本人的な自己の在り方というは、世界に向け、未来に向かってどうあるべきか。自分ごときに答えは出せないが、シドモアは、「日本人の民族性は、普遍化することも要約することも不可能」といった。言葉を返せば、日本は特殊であると言っている。それが日本人には分からない日本人観である。

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    さらにシドモアは、「日本人は西洋人とは全く類似点のないほどに正反対の性格を持ち、かつ矛盾に満ち、他のどのアジア民族とも全く類似点がない」と分析した。なるほど、日本的な自己とは、西洋的な、「アイデンティティという自己決定的な自己」というのではなく、共同社会の外圧に従い、その都度決定される自己。つまり、環境変化に応じて自己を限定する。

    その場の空気や状況といった環境に合わせて自己を作っていくというのが、日本人的な自己の在り方である。これくらいは日本人でありながらも、客観的な日本人観として把握している。が、自分はどちらかといえば、付和雷同、集団主義という日本人観に抗って生きてきた。しかし、周囲が保守的である以上、少数派でいるためにはめげない精神力が必要だった。

    日本人の御都合主義、建前主義、形式主義よりも、いかなる場において、「自分を見失わない」西洋的アイデンティティが優れてると思ったからだ。日本社会がそれらを受け入れないのは文化的側面であって、決して正しいとは思わなかったが、一般的には、日本人文化を踏襲する自己の在り方が理想とされ、そういう自己を目指そうとするのが日本人である。


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    「生きる意味とは?」という命題も、それに対するさまざまな答えも目にし、耳にするが、「生きる意味」を捜し求めることに意味はない。なぜかといえば、人生で起こることに、「何か意味があるのか?」と考えた時、意味の有る無し以前に、それらは単に、「起きたから、起きた」にすぎないと帰結した。意味があろうとなかろうと、起きることは起き、起きないことは起きない。

    意味づけは誰でもできるが、起きたことは無数の可能性の中のひとつが、たまたま起きた(現実化した)のであって、「あれは必然だった」とか、「こうなるが必要があった」とか、人間がそうに思いたいだけだ。人間は根拠のないことを何らかの理由をつけて思いたいもの。自分は、根拠のないことに理由をつける前に、一切は人間の幻想であろうとの考えが自然である。

    自然は完璧であり、われわれは何も必要としていない…。既にすべてが十分なのであり、何も必要とされていない…。「しなければならないこと」など何もない…。「より良いやり方」など存在しない…。単に、「別のやり方」があるだけだ。さまざまな可能性の中で、その中のひとつが、たまたま実現したに過ぎない…。すべては偶然であり、必然性などはない…。

     
    未来の出来事も同じこと。「起きなければならないこと」など何もないが、起こったことは単に、起こったのであって、そもそも、「正しい」とか、「まちがっている」とか、そんな絶対的基準は存在しない。人がそれぞれの価値基準を持っているだけだ。その意味においてすべてはひとつであり、そして、完璧である。足りないものはない。神は、何も望んでいない…。

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    たとえば、「お金が欲しい」と思ってはならない、ということである。「お金が欲しい」という思考は、たちまち人間社会という中で、忠実なコピー機によって複写されて行く。それは、「お金が欲しいという状態」を現実化させることだが、「お金が欲しいという状態」とは、「お金が足りない状態」ということである。そう思うことで、たちまちにして金欠状態が実現される。 

    そうではなくて、「お金はタップリある」と思ったらどうだろう。すると、「お金がタップリあるという状態」が現実化されることになる。先に述べたように、社会は、世界は、宇宙は、われわれの思考の忠実なコピー機にすぎない。「ないのにあるように思えない」という人はおいて置き、お金がタップリあるところをイメージする。「お金がタップリある」と思うのは気分がいい。

    思わず気が大きくなる。が、世の中では一見タダに見えるものが、実はタダではないことがよくある。そんな社会を維持するにはそれなりのコストがかかる。1000円の食品を政府が買い取って、100円で売るのが、「理想社会」かもしれない。が、差額の900円を誰が負担する?重い税金をかけるとか、どこかにシワ寄せが行く。政府は金を生む金の卵など持っていない。

    何の負担もなくシワ寄せも出ない理想社会、それすら幻想であって、実際はあり得ない。ならば、「おカネがなくても豊かに生活できる社会」にするためには、生活に最低限必要なものが真に安くなる必要がある。それを、「水道哲学」と呼んだ経営者がいた。水や空気みたいにありふれた共有物になること。無理を重ねて安くしたところで、いつかどこかでボロが出る。

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    その経営者とは松下幸之助。1932年(昭和7年)5月5日、大阪堂島の中央電気倶楽部で開催された、松下電器製作所(当時)の第1回創業記念式での社主告示として述べた。「産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、乞食が公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない。

    それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵にたらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る」。物資を潤沢に供給することで物価を安くし、消費者に容易に行き渡らせるという思想である。

    幸之助は後年、「経営の神様」といわれた。彼は、「いい物」を以下のように定義する。「いい物とは、品質や性能がいいということだけではない。材料は本当にいいものか、自然や人間の生存を脅かすという材料では、いい物とは言えない。自然を壊すようなものを、もし使っているとするならば、いくら品質がいい、性能がいいと言っても、それはいい物とは違う。

    ひとつの製品が十分に役目を果たして捨てられるときまで、人間や自然に迷惑をかけない、そういう物が、いい製品と考えなければいかん。そこまで考えていい物と捉えているのか。それに、生産者がいい物を作っていると満足してしまったら、おしまい。いい物を造っていると思い込んだら技術の進歩はなくなる。まだまだ、いい製品を造る必要がある。

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    人間に本当に役に立つ製品、人間の幸せに貢献する製品を、懸命に求めて造ろうと努力する。そこに生産者の役目があるんや。それは無限の努力が求められると考えていい。安いということも、これも、まだまだんといかんと思うな。本当に安いのか、なお工夫の余地はないのか。生産者が繁栄しながら、なおもっと安くならんのか」。など、幸之助の言葉は真に神である。

    幸之助は人の活用についても述べている。「人間がみんな同じ顔形で、同じことしかしなかったら相当気味悪い。いろいろな人がいて、いろいろなことを考えて、いろいろなことをして、だからいいのであって、個性とか、その人の持って生まれた特質とか、誰ひとり同じ人はうないわけだ。それが、いわば自然の姿というもの。「百花繚乱」という言葉のように。

    会社の従業員にもいろいろな人がいないとダメ。同じ人ばかりでは、全体として面白くない。会社としても強くなれない。会社経営ではさまざまな問題が出てくる。そのさまざまな問題に対応するのに、一種類だけの人では対応出来ない。いろいろな人がおると、「この問題はあんたやってくれ」、「この問題は君なら出来るから頼む」、そういうことが出来る。

    それで会社は強くなる。昔話で、「桃太郎」というのがある。人間とサルとキジとイヌはみんな違う。違うからそれぞれの役割が生まれ、違うからよかった。鬼退治が出来た。会社にもいろんな人が必要だ。個性というか、特徴というか、そういう人の集まりにすることが大事。個性豊かな社員たちを、どう活用していくか、これが経営者の腕の見せどころ」。

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    そんな松下電器(現パナソニック)は、業界では、「マネシタ電器」と揶揄されていた。それくらいに松下電器は、他社の作った製品を真似て類似の製品を作り、圧倒的な販売網を生かして売ることで、開発元メーカーのお株を奪う。例えばソニーが新製品を生み出せば、松下がすぐに真似、同じような製品を世に送りだす。これが松下電器の得意戦略であった。

    せっかく研究開発を重ね、血と汗の結果生み出された製品を、最大手松下電器にすぐさま真似をされては差別化ができない。こうしたことからライバル他社メーカーは、皮肉を込めて、「マネシタ電気」と呼んだ。幸之助のいう個性重視なら、なぜに、「真似」であるのか?実は松下電器が行っていた、「他社製品の模倣」は、経営戦略としては正しい手法だったのだった。

    これは、「同質化戦略」と呼ばれ、企業マーケティングのバイブルとも言われる、「ランチェスター法則」において最も中心とされる戦略論である。「ランチェスター法則」とは、第一次大戦勃発の1914年に、英国のフレデリック・ランチェスターによって発表された、オペレーションズ・リサーチにおける戦闘の数理モデルだが、日本では軍事より経営に生かされた。

    松下電器のようなブランド力や生産力・販売網などで優位に立つ企業は、ライバル企業と同じような製品を作って売ることが、最も効率的に稼げる手段になるというもの。1950年代から70年代は家電量販店などは存在せず、各地域の、「町の電気屋さん」で家電製品を買う時代だった。町の電気屋さんは各メーカーの販売代理店で、他社の製品は基本的に扱わない。

    イメージ 4そんななかで松下電器(ナショナル電器)は、日本全国に最も数多い販売店網を持っていた。したがって、ソニーやその他家電メーカーが新製品を開発しても、それと似たような製品を作って売り出せば、販売力の差がものをいい、開発元のメーカー以上に儲けることが出来た。当時は松下の家電製品は、どれも27%前後のシェアを持っていたといわれている。
    しかれども、松下は何ら違法行為を行っていた訳ではない。他社の特許を無断使用することもなく、近年の中国・韓国のパクリ製品のように、造形やネーミングまで酷似させるようなゲスな真似はしない。トヨタ自動車は日産自動車の技術を借用し、販売網の差でのし上がった。コカコーラもペプシから借用、キヤノンもニコンから技術者を招いて成長していったようにである。

    いずれの業界トップシェアを誇る企業は、ランチェスター戦略に習い、同業他社との同質化を図っていた。元来、日本の製造業はテレビ・冷蔵庫・洗濯機などの家電製品や自動車など、欧米メーカーを模倣することから始めた。海外製品を分解し、仕組みを分析し、さらなる高品質の製品を目指し、作り上げることで、世界一の製造業国家となり得たわけだ。

    この方法を、「リバースエンジニアリング」といい、その過程においては、欧米メーカーから、「模倣品だ!」と非難された時代もあったが、最終的には品質に勝る日本製品が評価されるようになる。例えば現在のアメリカでは、国産の大手家電メーカーは全滅し、品質に勝る日本からの輸入品が市場を席巻している。自動車においても、日本車の人気は言うに及ばずだ。

    つまり日本の製造業の原点は、「真似すること」から始まっていたが、日本人の誠実さや勤勉さがまるでない中国や韓国のような、表面だけを真似た劣悪コピー品とはその根本性において違い、より高品質な商品に作り替えてきた歴史がある。松下電器においても単に、「マネシタ」だけの製品ではなく、品質も圧倒的に高かったことが、世界のナショナル電器であり続けた。



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    性行為が終わったあとの気持ちの切り替わりの男女差は、経験的に実感することだが、確かに男は一瞬にして気持ちが切り替わる。この理由を文献で知った。セックスをしている時は無防備であり、事が済んだらすぐに外敵から身を守ること考えなくてはいけない。いつまでもイチャイチャでは危険、だから男は切り替わりが早い。嘘か真かそういうものらしい。

    さらに男と女の力の差は自明である。もし男と女がどこかで外敵と出くわす。この時男女の身体能力が同等であれば、どちらが先に外敵を戦うかは、男である理由はない。それ以外にも、「テストステロン」という男性ホルモンが、攻撃性や敵対心を刺激する。よって、肉体的優位で攻撃性な雄が外敵と戦うが、男女の身体差があえてつけられている理由は別にもある。

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    身体能力差をあえてつけることによって、危険な状況では子を孕むことのない雄を先に戦わせ、種としての生存を保とうとする。雌は雄の犠牲によって守られることになる。したがって、男女における身体能力差というのは、女性は戦ってはいけませんという種の保存の原理・原則である。さらにいうなら、男は強く逞しく育てるのも親の使命、原理・原則である。

    そのようなこともない時代であるから、男の子を過保護に甘やかし、弱々しく育てる親もいるが、こういうことが強い女性を生んでいく要因ではないかと考える。レディ・ファーストというのは、女性は弱いもの、庇護されるべきものとの考えから生まれたが、アメリカで研究されたオカマの発祥要因は、女性に対してそうした男の強さ、優しさを醸せない男の成り行きらしい。

    優しさの根源は強さである。強さというゆとりが他人に優しくできる。これがみせかけではない真の優しさである。しかがって、心にゆとりがない人、問題を背負っている人に優しさはない。そこを考えると、「優しさ」とは人間の心が何であるかを考え、知ることでもある。我々は、「優しい」=「人間性」などといったりするが、これは本質をついていない。

    人間性とは、自分の内面を犠牲にし、過剰に適応することではない。むしろ、そうした内面を犠牲にすることなく自然に成長した人にこそ、「優しさ」は備わるものだ。つまり、人としての、「能動性」、「社会性」、「積極性」、「主体性」などが伴ってこその、「優しさ」である。これが人の優しさの本質なら、それらに欠けているひとこそ、「優しさ」を所有していない。

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    相手を気遣ったりの優しい言葉を吐く人が真に優しい人ではなく、そうするのが優しく見えること知る人間が、意図的にそのようにしている場合が多い。女性のハンドバッグを持つという滑稽な行為が、優しさであるハズがない。西洋のレディ・ファーストも、そうすべきだから真似るではなく、「男は強く・逞しくあれ」という教育によって、自然に身につく行為である。

    自分に強くなれず、女性に優しく対処できない男は、オカマになるしかない。つまり、男の自己逃避である。男に気にいられるために、「優しい言葉」、「優しい行動」をとる女性は少なくない。そういうものに引っかかる男にも心理的な問題はあるが、本当の優しさを所有する者は、浮ついた優しさを見抜くだろう。優しい、「なり」をする女は自分の前に居座れない。

    男にも見え透いた優しさを行為するのがいる。理由の多くは、女性が男に求める第一位の定番が、「優しさ」であるからだ。恋愛の熟練者である女性は、そうした男の優しい「なり」を知りつつ、腹で笑いながら利用し、上手く立ち回っている。これが男と女の、「ラブゲーム」である。男の熟達者も世辞の類で、豚を木に登らせるくらいは朝飯前。これとてラブゲーム…。

    勇敢な人と、勇敢な行動をする人は実は一致しない。勇敢に見えてその実は虚栄心であったりの男は多い。優しい人と、優しい行動をする人も同じこと。何が本当の優しさで、どれが偽りの優しさを判断するのは、「心」である。優しさとは、優しい行為と自ら気づかない真心に思える。したがって、人のことを常に自分と同じように考えられるかということではなかろうか。

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    自分に優しくなれるのと同等のことを、ためらうことなく相手にできるかである。それができる人は間違いなく、「優しい」。相手から、「優しい」といわれる必要もないほどに、ひたすら自分にすることを相手にできるに過ぎない。したがって、人からの、「優しい」は、本人には理解できないだろう。自分に優しくすることが、自分には分からないのとおなじ論理である。

    そこには意識も作為もない。それが人の優しさではないかと考える。したがって、優しい人の基本は人に認められたいという行為をしない人。行為が人に共感されることはあっても、それは相手が主体的に抱くもので、意図したものではない。だから、評価をされたり、感謝をされたりを喜ばない。優しくない人を見るのによい例として、自慢話をする人がいる。

    なぜ自慢話がそうなのか?理由は簡単、自慢話は相手に認められたいという願望から起こるからだ。そうした自慢話と似て非なりで、自分の願望を実現した場合の自慢話がある。こういうのは自慢話とは言わないが、自分で自分を誇るという点で自慢話でもある。同じ自慢話でも、相手に誇りたいものと、自身が自らを誇りたいものでは、発生の意味がまるで違う。

    その辺を理解するのも人の正しい物の見方であろう。自己を誇ることが決して悪いとは思わないが、人によっては嫌味と感じる人もいるだろう。それはそれで仕方のないことだ。他人の心は自分に支配はできない。自分が自分を誇った物言いをし、それに相手がどう反応しようと、自分が口に出したことは相手によっていろいろに編集され、編曲されるものだと思うべし。

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    「そんなつもりで言ったのではありません」などは言うもよし、言わぬもよし、真意の理解が得れるとは限らない。さまざまな例が挙げられるが、身近でタイムリーなのは、東大理Ⅲの灘高三兄弟の妹が、今年同じ理Ⅲに入学した。人んちの家庭のことだが、ただ入学したのではなく、母親が学習に携わって入学させたことでこれはもう立派な社会問題となっている。

    しかるに母親は、「このようにすれば息子を最高偏差値大学に入れられる」という本まで書いているように、彼女にすれば自身の快挙なりを自慢をしたいではなく、努力も含めたノウハウを私的なこととして秘しておくにはもったいないとの気持ちもあったのだろうが、こういうことは自身が工夫し、努力しなければ、他人のノウハウを知って同じようにはできない。

    料理なども同じかもしれない。誰かが考案によるやや込み入った、深みのある創作料理を、そっくりそのままレシピ本にして、同じものができないようにである。創意工夫というのは、真似ではなくあらゆることを考えながら、ちょっとしたことなど、それが料理の機微というものだ。煮物ひとつとっても、口で言うのは簡単だが、なかなか上手くはいかないもの。

    ましてや勉強を教える(やらせる)となると、相手は物を言わぬ具材とちがって、こちらのいう通り、指示通り、文句も言わずに動くとは限らない。相手が100%完全なるイエスマンなら別だが、どんなにすばらしいカリキュラムであれ、ノウハウであれ、人を相手にする難しさがある。したがって、彼女の成功は、子どもの資質に負うところがあったということだ。

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    口には出さないが(次男は何か言ったらしいが)、自分の手柄があまりに過ぎると、実際に苦悩・努力した子どもにも言い分はあろう。自分にも同じような経験があるから分かるが、子どもに有無を言わせぬロボットのようにしなければ、ナンバーワンには難しい。「ナンバーワンよりオンリーワン」という歌詞がある。改めてあの歌詞はなかなか良いと思ってしまう。

    人間はバケツの中の花のように争わないではいられない。子ども4人をすべて東大医学部に行かせたいという親の情熱だけでは叶わないことを熟知する者は、自分の力などはせいぜい10、後の90は子どもたちの頑張りと感じるだろう。が、ああいう本を出すところがその辺の思慮に欠ける。部下の手柄を横取りする上司とは違うだろうが、自身の努力は手段の前には翳むもの。

    これは母親に対する非難・批判というより、男の物の見方である。特に同種の経験を持つ者として、自分の力や手柄などは、本当にどうでもよく、ただただ、創意・工夫することだけが求められる。それぞれがそれぞれの形で集合し、それが一つの大きな力を引き出せる要因であった。一つの結果は単に一つのものではないのだから、それを伏せることで他を生かすことにもなる。

    あまりに自身を前面に押し出すと、夫の財力や子どもの自制心や頑張りなどが隠れてしまう。そういう配慮が見えないナルシな母親のようだ。「ナルシスト」というのは、結構誤解されて受け取られているが、その本質は強い防衛本能である。自分を目立たせさせるというのは、自分を徹底的に守るという行為の裏返しであり、突き詰めていうと、自分に自信がない。

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    威張る、自慢するも同じことで、本質は自身のコンプレックス、いわゆる自分に自信がない。他人からの意見や批判などは受け付けられず、感情的・攻撃的になりながら自己正当化を突き進む人にナルシが多い。常に自分が一番であるという姿勢は、常に一番の物を求めようとする。それが自己愛を最大に満足させる。彼女の真の目的は子どを通した自己愛の充足である。


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  • 03/28/17--16:02: 男親・女親の教育観
  • 子どもをブランド漬けにしたがる母親は多い。自ら意識しない限り誰にも止められない。他人からの批判は放置できるが、身内に批判者がいるともめる。我が子を東大へと狂う妻も夫から見れば批判もあろう。が、妻に口を挟まなかったのは立派である。自分には母親の熱意は分かるが、子どもの生活習慣に対する彼女の無知、認識の甘さについて批判をした。

    「勉強以外は簡単なこと。いつでもできる。大人になってからでもできる」という認識は、勉強をさせるために自らを許容する方便もあろうが、生活習慣に対する無知は否めないし、勉強以外のことに時間を注ぐのは勿体ないと、最高偏差値受験に必要だったのだろう。幼少時期に内面化された生活習慣の悪害は、大人になっても簡単には治らない、そこは危惧をした。

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    勉強だけに偏るのも、それぞれ個々の優先順位であるのも分かる。それほどに容易ならざる受験勉強を強いたということだ。「男はずぼらでいい」ならいいが、「勉強外の事はいつでもできる」は間違っている。部屋を綺麗に住みたい人は、誰のためではない自らのためだが、他人を心地よくさせる。片づけできない妻に我慢の糸が切れて離婚した夫婦を知っている。

    「疲れて家に帰れば部屋は豚小屋。7年間は我慢できた。強く言えばふてくされながらも掃除はするがその時だけ。仕事でストレス、家でストレス…、どちらかを解消しなければ持たなかった」。妻の自堕落に苦悩する夫の言葉は聞いていて切実であった。生活習慣は自身に内面化されてるがゆえ、相手の忠告に素直になれず、自己正当化することで問題が大きくなる。


    親のしつけ放棄が問題になるのは、むしろこのことであろう。こうした事例を知らないまでも、子どもを成人にまで育てた親なら、生活習慣を身につけさせなかったことへの悔いや反省は必ずある。そうした後悔が強い人ほど、もう一度子育てをやれるならキチンとやりたいの思いも、やれる自信はあるだろう。が、残念ながら子育ては一回だけと決まっている。

    他人の庭が美しくみえるように、親は我が子と他人の子を競わせたがる。「学歴=人格」という短絡的な考えになるのは、最上位の比較だからである。4人の子どもすべてを東大医学部に入学させたいというのを単純に素朴に考えるなら、これは母親の自己満足度の高さ以外に見当たらない。なぜなら、医師は東大医学部でなければならない理由が我々にない。

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    我々が何かの病気になり、それが大病である場合、我々は東大医学部卒の医師を探すだろうか?そうでなければ不安だからと探すだろうか?あり得ない。そうした現実に関係なく母親には、最高学府の最高学部が目的であったという事。塾や予備校でずば抜けた成績の生徒がいると、塾の先生は医学部受験を勧めるように、それが予備校にとっての箔となる。

    確かに我々からすれば、医師は優秀で技能の高いに越したことはないし、そうであって欲しいが、それが東大医学部卒の医師のみに特化した事実であるとは思わない。死の病に罹患した患者であろうと、健康体の人間であろうと、一般的には近くの国立大学病院もしくは、県立病院や総合病院など、かかりつけのクリニックから紹介を得ることになる。

    自分も世話になったが当地にも広島大学病院があり、ここの医師の多くは広大医学部卒である。同じように阪大、神戸大、名古屋大、九州大、北海道大など、都市の要所に国立大付属病院はあるが、こと臨床において東大病院が優秀という事はないが、別段東大を否定はしない。医療は大きく分けて臨床と研究に分かれるが、大学病院の第一の目的は研究である。

    大学病院は法や倫理の範囲内で人体実験(御幣のある言い方だが)を行いながら、最先端医療を模索・実践する場である。東大・京大が優秀といわれるのは、研究が盛んであるからで、学問とゴッドハンドは別である。先の母親が東大かぶれであったのは、東大病院が初期研修で人気があり、地方大学や都内私立から多くの応募があるのを知っていたこともあろう。

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    そのように考えれば、母親の東大医学部の思いは自己満足並びに、最高学府に行けば損はないとした子どもたちへの保険の意味合いもである。個人の価値観だから社会問題にすることもなく、取り立て批判の要所もない。どこの医学部であっても、多くが悪い医者になどならず、努力して名医になってくれたらいい。それこそがナンバーワンよりオンリーワン。

    「ナンバーワンで損はない」という考えも理解はできるが、本を出したりの母の目的が東大入学であれど、4人の子どもたちにとって東大入学は手段でしかない。そこが違う。東大に限らず、いずれの大学の医学部生は頑張れ。「道」と称される職業はすべてそうであるように、医学の道も将来をかけて学ぶものだ。「名」と称される職業も求道的な要素は多い。

    プロゴルファー、プロ野球人、科学者という分野であれ、何であれ、「名」と名の付くものになるにはどうすればいい?こんな質問も愚かだが、名指揮者、名優、名人といわれる人は、人に言えない何かを成した人である。「才能」という言葉も用いられるが、多少素養のあるピアノの世界、ピアニストについていえば、才能だけでピアノが弾けるものではない。

    かつて、広島カープに入団するより、巨人軍に入る方が選手として大成するといわれていた。王や長嶋が宣伝にもなったし、確かに強い巨人だった。今は幻想である。イチロー、野茂、黒田らの名選手は人気球団ではない。ズルいことをして巨人に入団した江川の目論見は何だったのか?彼はあの一件でどこの球団の監督にもコーチにもなれないでいる。

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    そのことも周知され、今の高校球児や大学・社会人の選手は球団を選ばない。医学もプロ野球も、どこに行こうが努力の世界である。同じようなことは医学にもいる。どこの医学部に入学しようとも切磋琢磨の世界である。スポーツは技術の世界だが、アスリートに言わせると頭の良し悪しも必要というが、頭の良さが学校の成績でないのは歴然としている。

    長らく懸念を抱いていたこの国のバカげた受験システムが変わる。2020年1月実施を最後にセンター試験の廃止も決まり、政府の大学入試改革の一環として新たな二つのテストが実施される。「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」は、「知識・技能」と、「思考力・判断力・表現力」を評価する。受験学力がいかに無意味であるか、やっと本腰をあげたようだ。

    「センター試験」の前に行われた共通一次試験は、入試問題における難問・奇問の出題をなくし、「入試地獄」を緩和するという目的で導入が決定された。それがマークシート方式という合理化の元では、「鉛筆さえ握れば誰でも正解できる(可能性がある)」などと揶揄された。「受験地獄を悪化させる」、「大学の序列化を不当に招く」など多くの批判も受けた。

    1985年、臨教審第一次答申により、「新共通テスト」が提案された。1988年、「大学入試センター試験」と改称が決定した。共通一次試験の育ての親で、元東北大学長の加藤陸奥雄氏は、「入試改革は当時、世界的な傾向でした。日本でも大学進学率が高くなり、一期校・二期校の弊害も出ていました。共通一次は入学資格試験ではなく、あくまで選抜試験だったのです。」

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    大学側は制度に安住し、各大学別で特色のある二次試験の工夫を何ら行わなかった。そうして問題に気づいた時には偏差値時代は定着し、「共通一次世代」という特質や、「マークシート人間」と揶揄される若者が育っていた。湧き上がる批判に加藤氏は、「唯一無二の入試制度などない。その都度知恵を絞り、その都度合理的と思う方法でやるしかない」述べた。

    共通一次という、かくも壮大な実験から得たものは、①大学入試のやり方一つで、その世代の若者の中身まで変えてしまう。②共通一次のような学力試験だけでは、人の能力は測れない。などであった。大学側は、「共通一次」を、「知」のほんの一部と知りつつも、記述や論文形式の重要性に取り組まなかった。その結果、塾や予備校という受験産業だけを太らせた。

    塾や予備校で教えられない「知」を、国は無視したか?理由は単純、「知力と学力の混同」である。公教育さえベネッセなど受験産業に操られていた。現場の教員なも教材など自らが工夫をせず、楽な外注に委ねて受験産業を儲けさせた。こうして利権を生むだ受験戦争の最大の被害者は子どもたちとなっていくが、被害者でありながらも最大の加害者は親であった。

    誰もが見える部分だが見ようとしない。自分は「知」を失うことに声を上げたが賛同は得られなかった。民間業者の模試について県教委は、「先生方が勝手にやっているのではなく、あくまで子どもの志望大学進学を願う保護者の強い要請」と、学校側を擁護した。「子どものため」といえば何でもまかり通るご時世だが、ベネッセとの癒着は明らかである。

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    ついには小学校模試まで行われる羽目になる。模試をすればするほど学校が潤うといわれるB社の接待攻勢も半端ではなかった。教育関係者どもは、己の横着さと利害で関係業者に振り回され、教育から、「知」を奪われる子どもをほったらかしてきた。そしてやっと重い腰をあげて、「センター試験」中止にこぎつけた。が、今後も別の過程で癒着は続くだろう。


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    他人の判断を重要視する人は、自分を信じないのだろうか?「自信」とは言葉通り、「自分を信じる」だから、自信を持てるようにアレコレ思考したりすることになる。考えても上手くいかないことはあるが、それで、「自信をなくす」というよりも、次のステップに生かせることになろう。物事を考えない人そのに理由を聞くと、「面倒くさいから…」などという。

    面倒くさいから考えないというなら、何事も行き当たりバッタリだろうし、それで納得できるものかと思うが、「どうせ考えてもいいようにならない」との考えが基本にあるようだ。そういう種類の人は例えば将棋なども考えないでポンポン指す。本人曰く、「考えるのが面倒くさい」である。それでも負けたら、「ワシ、考えないから」という言い訳を用意している。

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    人によっては、「考えれば勝てるんだけど」などとおバカな言い訳をするが、「あのブドウはすっぱい」の狐の論理そのもので、笑って聞いてあげるしかない。考えるのが面倒くさいなど、当たり前である。そういう面倒をする必要を感じるからやっているのであり、少しでも良い一手を見つけたいのも理由だが、考えない人の特徴は、これで良しと思い込みで指す。

    思考・分析された手ではなく、勝手な思い込みによって指された手はほとんど悪い手となり、負けるのは当然だが、それでも考えないことを正当化する。将棋に限らない。考えない人の特徴は思い込みが強いこと。考えないから物事を決めつけるしかないのだろうが、人の性格の勝手な決めつけも得意である。性格というのは複雑多岐で、考え分析しても分からないものだ。

    なのに、「あなたは〇〇でしょう」と決めつけ、自分は人を見る目があると自己満足に浸る。こうう人に、「違うよ」などという気も起らない。なぜにこうした酸っぱいブドウの狐(認知的不協和の起こる要因)になるかは先に記したが、そうならないよう注意する必要もある。勉強するのも大変だし、面倒くさいし、しない方が楽に決まっている。だから認知的不協和が起こる。

    「すればできるが、しないから…」という言葉を、成績の悪い理由にする人は、努力をしない人間の特徴だ。「やればできる」も、「努力すればできる」も、すべては、「やらない」、「努力しない」言い訳である。「やる」こと、「努力する」ことが難しいのに、できないことを、「しない」という自尊心をみせる。「考えたって上手くいかない、だから宗教がある。」とある人がいっていた。

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    「宗教は人間を考えさせないためにある」ようなことをニーチェが言っていた。「人間は考えなくていい。黙って神に服していればいい」この言葉が気に要らず、「冗談じゃないよ」と、宗教を嫌悪した。神を信じる人もいるし、人は雑多で複雑である。だからオモシロい世の中であり、それぞれの人間の対処術を学ぶのは、学問などと比較にならぬオモシロさがある。

    生きることは試練、生きることは学びである。「学ぶとは自分を変えること」といったのは林竹二。彼は、「人は何のために学ぶのか?」という命題にこの言葉を用意した。自分が変わらねば学んだことにはならない、学ぶ意義もないという彼は、入学のためだけの受験勉強は、「学び」でないとした。それに多くの時間を費やすことの無意味さを説いたが、この国には必要であった。

    このバカげた学びを要求する受験体制に異議を唱え、教育改革を目指した文部官僚が、「ゆとり教育」と銘打って実践するも国民的理解は得られなかった。国民の多くが、「学ぶ=成績向上」と捉えていた。「違うだろうそれは?」と残念だった。ジェイコブ・バーネットは、「天才とは学ぶことを止めた人」というが、受け入れるだけの、「学び」はいらないとの意味。


    「何事において成功するためには、自分独特の観点から物事を見なければいけない」と、13歳の神童が言うまでもなくこれは当たり前のことだ。ただ、一般的日本人は成功を出世とみなしている。つまり、同期の誰より早く管理職になり、より高い収入を得るという幸福の概念を親は子どもに求めている。そのための学歴であり、それが日本社会の現状である。

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    同じ13歳のローガン・ラプラントも創造性の大切さについて語る。彼は普通の学校に通っておらず、自ら科目を選び、教育のカリキュラムを組む、「ハックスクーリング」という学習方法で勉強を行っている。学ぶ場所は、自分の部屋だけではなく、スタバや森の中など、様々な場所を自分で決めている。彼の学習方法は、学校では得られないものを学ぶこと。

    日本人にも登場してもらう。全国の中高生によるスマートフォンアプリ開発コンテスト「アプリ甲子園」で、2013年に見事3位入賞を果たした15歳の福井一玄。Excelを少し使えるだけだったという彼が、アプリ開発へのめりこむようになった経緯とそこから得た学びを彼の言葉を借りて一言でいうと、「思いは行動にして初めて価値になる」ということである。

    日本の母親は天才になど興味はないだろう。格差社会で、「負け組」にならない、それが学歴、と考える親が多い。いい高校や大学に入るための勉強は、「学びにあらず」の林の声は耳に入らない雑多な社会こそ社会であり、人は各々の信念を突き詰めて思考すればいい。重要なのは自分の思考を基盤にした信念や、行動内容とは矛盾する、"新しい事実"に触れたとき。

    それをを突きつけられたときに、不快感情から、「認知的不協和」を起こさないことが求められる。あまりに凝り固まった信念を変えることが困難な人は、"新しい事実"を否定するしかなくなる。年寄りは柔軟な思考がなく、頑固だといわれる。ひいては老害とまで言われるようになるが、これは仕方のないことでもあるが、すべての老人が老害であることはない。

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    沢山経験し、沢山の知識を得ても、自己絶対化には注意を払っていかなければならない。自分が絶対に正しいと思う人は、それだけで過ちを犯している。自分にとって正しいと思うのはいいが、その意見を人に押し付けてはダメだ。持論を人に披露するのが何ら構わないし、それに人が共感するのは相手の都合であり、主体性である。それは否定されることではない。

    何事もハナっから、「正しい」とばかりに押し付ける人は憐れである。そういう憐れな人の押し付けを真に受ける人は、さらなる憐れである。他人の判断の良し悪しなどはたとえ、親であろうと、教祖であろうと、何処かのオヤジであろうと、山に潜む仙人であろうと、神の言葉であろうと、人の言説に影響されるよりも、自己を信じ、自立を心がけて自らで歩んでいけばいい。

    自分の人生における選択は、自分で決めた方が後悔しない。自分の意見を言うということを、相手の意見に反対することと捉えてはいないか?だから、自分の意見を言わないとしたら大間違い。自分の意見をいうことは、その場に自分が参加しているということだ。つまり、その場で自分の意見を出さないのなら、決まった後でに文句を言うべきでない。

    意見を言わず黙しておき、後で批判する資格などないと考える。それでも人は言うべき時に言わず、後になってナンヤカンヤいう。「だったらなぜあの時に言わなかったのだ?」と、それだけ言えば十分だ。相手に返す言葉はないだろう。まさか、「あの時は寝てた。他のことを考えていた」などの屁理屈は論外である。それ以外の言い訳など、どう考えても見つからない。

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    確かに人はいろいろだ。気弱な性格の人間は、1~2回意見が通らなかったことで、腐って口をつむいだりするが、そんな程度で弱気になって自信をなくしたり、腹を立てたるなどの、感情に負けず、コントロールして意見を出し続けるのが大切だ。仕事に対する熱い思いや考えがあるならなおさらである。折角のアイデアであっても、相手に伝わらなければ意味がないだろう。

    なのに、「意見を言ったが無視された」、「バカにされた」などと腹を立てる女を結構見た。「女性はすぐに感情的になる」といわれるが、男女においては、脳の使い方が異なることが分かっている。左脳は思考や論理、右脳は知覚や感性を受け持つ。男性は物事の思考に左脳を使い、右脳をあまり使わず情報を整理し、論理的に考えたり分析したりする。

    女性の多くは左脳・右脳をバランスよく使い、左脳と右脳をつなぐ脳梁を行き交う情報量が増えると、近くにある偏桃体が強く反応し、感情的になりやすいといわれている。それを見越して女性と付き合い、対処を必要とされるが、自分にとっての最初の女性体験は、言うまでもない母であった。「生きる」障害となる母への対処術を学ぶことが自分にとっての、「生」の証であった。

    辛かったが、この体験が自分を作ったし、大きく自分を変えた。それこそ林竹二のいう、「学びとは自分が変わること」である。子どもというのは、生まれて目の前にいる親を当たり前の親と認識するが、自我が芽生える時期に、友人からいろいろな母を聞かされ、自分の母はどうやら普通じゃないことが分かった。普通でない相手は異常である。それが闘いに火をつけた。

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    当たり前だが、「自由は勝ち取るもの」。支配者から脱却するために過去人間は闘ってきた。人間の闘いは子ども時代から始まっている。社会に出ると様々な軋轢の中で、闘いを止めた人の声も多く聞いた。妻にガッチリとキンタマを締め上げられた不甲斐ない夫が理解できなかった。新婚早々、妻が朝起きないので、「味噌汁を作ったり朝食は自分が用意する」には驚いた。

    こういう男の何の金の玉であろうか。「お前の玉って、錆びた鉄玉か?それとも石ころか?」というしかないが、いろいろ話を聞くと最初に許したのが良くないと分かった。「いいよいいよ、疲れてるんだから寝てていい」。これを優しい夫と感じたのか、いつの間にかツケ上がり女となった。それも自業自得よ、男の責任だ。こういう奴は部下の管理もできない不適格者だろう。

    何事も最初が肝心で、それを許すと当たり前になる。当たり前を当たり前とし、当たり前でないを、当たり前でないと管理するのが人間で、人間は管理されなければ好き放題をやるし、まとまらない。管理職の難しさはそこにあり、当然管理者に向かない人間もいる。「人に命令するのが苦手で、自分でやる方が早いし」という人間を、管理者にする会社がダメなのだ。

    上司や管理者に文句たらたらの人間は、上に上がれないタイプだろう。なぜなら、管理者には管理者の立場があり、言いたくないことも立場として言わねばならない。歩兵や桂馬や金銀飛車角といった、能力の違う駒をうまく使えないなら、辞表を書いた方がいい。でなければ社員に舐められてしまう。上司が平社員に舐められることは。会社を舐めていると同じ事。

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    夫が妻に舐められていることは、家庭の体を成していないことと自分はみる。朝寝坊のぐーたら妻は論外として、毎月の小遣いに不満たらたらの男もいた。「銭闘しないのか?」と向けても、「しない」という。だったら、「みっともないから愚痴はいうな」というしかない。将棋仲間のFさんは1000円亭主。今更どうにもならず、可哀相と思って何かが変わるわけではない。

    寿司でも食いに行こうと誘えない彼を不憫というより、将棋が終わるとさっさと帰る彼の後ろ姿を追うばかり。それが当たり前なら、周囲が何を思おうが、Fさんにとって当たり前なのだ。飲まない自分だから、「飯くらい驕るよ」という気持ちにかられるが断る。そんなFさんに対し、節度をわきまえるのが付き合いというものだ。世の中、自分以外のことは分からないのよ。


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