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「VAN HOUSE 岡山」と「広島・セビロ屋」

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昨年の12月25日のX'mas、残念なメールが届く。長年利用していた「VAN HOUSE 岡山」閉店の知らせである。メールには一時閉店、新経営者で2015年3月中旬~4月初旬に再openということであった。「VAN HOUSE 岡山」にはいろいろ世話になった。商品の返品・交換にも快く応じてくれるオーナー中務氏の、紳士的な電話応対など全面的信頼していただけに残念である。

どこも同じ商品を置いているなら、安心できるお店を利用したい。広島にVAN専門店「セビロ屋」があるのになぜ岡山?そこは店内の雰囲気を始め顧客の嗜好の問題である。久々「セビロ屋」に足を踏み入れたのは10年ぶりくらいだったと思うが、ハッキリ記憶はない。ここで買いたくない何らかの理由があったのだろうが、そういう予感が今回の一件に繋がるのか?

「VAN HOUSE 岡山」25年間の功績を称え、顧客有志による「慰労会」が開催されていた。年明けにはなんとしても岡山に立ち寄り、中務氏のご尊顔などを眺めてみたいと思っていた矢先の閉店であった。VAN創業者である石津謙介氏と同郷ということもあり、岡山にVANの火と絶やさないとの思いは中務氏に強くあったろうし、店内には石津氏ゆかりのものも置いてある。

「いた、居た!ここにも備前男が 僕も岡山生まれです。いつまでもVANを育てようね 石津謙介 1999.4.20.」のサインがあった。他にも中務氏とVANの歩みを思わせるお宝グッズが所狭しと並べてある。先駆者石津氏が育てあげたVANは1978年倒産した。VANに勤務していた友人から売りつくしセールの連絡をもらい、会場(産業会館だったか)に駆けつけた。

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33年前のことだ。当時の洋服はほとんど人にあげたか処分したかで残っていない。同世代の松任谷正隆は40年前、50年前のものを持っているといっていたが、東京人の彼は転居がないし、自分のように地元⇒東京世田谷区⇒東京豊島区⇒東京杉並区高円寺⇒東京杉並区堀の内⇒横浜市神奈川区⇒広島西区⇒広島南区⇒東京狛江市など、転々すれば家財道具は処分する。

それより、実家においていた古式懐かしきお宝を勝手に処分するバカ親がいてはダメだろう。「親に大事にしていた古マンガを捨てられた~(涙)」という奴には共感したものだ。そう言う事をされて「(涙)」と言う奴、自分のように「(怒)」という二つのパターンがあるようだ。「なぜ怒らない?」と理解できなかったりしたが、そこはそれぞれの家庭環境なのだろう。

中務氏や「VAN SHOP多治見」の橘氏のような、昔のお宝を所有しているのを見ると羨ましくもあり、すごいなという驚きもある。その当時のものはその当時にしか必要ない物だとして処分するのが一般的だが、古いものを捨てないでいてひと財産を築いた人は世界各国珍しくない。ガラクタは、我楽多と書き、瓦落多とも書くし、瓦落苦多とも書くが、どれも当て字だろう。

ガラクタの「ガラ」は、「ガラガラ」という物が触れ合う音を表し、「クタ」はゴミを意味する「 芥(あくた)」の略か、もしくは「朽ち(くち)」が訛ったものとされる。そのガラクタが大化けして何万、何十万、いや何百万になったりするご時世だ。世界的には「え~、こんなものが何億、何十億」とオークションで値付けされとのニュースには驚くしかない。

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VAN世代各自は個々に思い出がある。VANが全盛期の頃はショップに対して殿様商売をしていたと耳にした。店舗契約にランクがあったのか、自分の町のVAN専門店には人気の商品は入荷せず、売れ残りのようなものばかりであったから、わざわざ遠方に足を伸ばしたものだ。仕入れ商品の返品も「禁」であったし、いわゆる専門店イジメの様相である。

親会社の下請けイジメに類するものだろうし、背中にVANのロゴ入りのシャツは、非売品として垂涎の的であった。アレを手に入れるにはよほど専門店にコネがあるか、優良顧客ではないかと。近所の先輩にくたびれたロゴ入りTシャツをもらったときは、嬉しくて狂乱した。殿様商売が祟りVANは経営難に陥る。元社員のH.Pに当時の事が書かれている。以下引用。

「当時、VANヂャケ労組は静岡市竜南の事務所を職場占拠していて、私も動員され何度か行きました。1976年頃から建て直しと称して経営に入り込んできた丸紅静岡支店への抗議もありました。本当に大手資本は自分たちの身の保全しか考えていないし、VANの負債を大幅に増やしてしまったのは彼らだったと今でも思っています。結局は1980年東京地裁での和解合意で終結しました。

それまで2年間泊り込み、職場占拠していたVANヂャケ労組の組合員はアルバイト等で食い繋いでいたんですよ、これは大変な苦労だと思います。彼らはその後、静岡市鷹匠町に「VANショップ静岡」をオープンし、現在に至っています。「VAN」のロゴが使えるのも倒産闘争に勝利した成果だと思います。現在も当時のメンバーが居るかどうか私には定かではありません。

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放漫経営で会社が潰れるというのは、従業員にとって死活問題であるという事がコレを呼んでも分る。H.Pの主はこう結んでいる。「VANも挫折したけど、今は新生VANとして蘇りました。VANロゴは決して清廉潔白ではないけれど、VANの3文字に人生を感じます。汗を感じます。VANを昔に比べて身近に感じます。私は「現在も未来にも」VANの3文字が見れる事を感謝します。

VANは1978年に倒産した。が、1979年、VAN再建を目指す各界の様々な動きがあった。あまりにも強大なVANの影響力もあってか、街中は“トラッドにあらずばヤングにあらず”状態で、日本中の全国各地に、社会人から大学生、高校生に至るまでいたるところに“IVYクラブ”が結成された時代で、石津謙介とVANの再登場を待ち望む声が全国に日増しに高まって行った。

この大きなムーブメントは、再建にたずさわる様々な関係者達、大口債権者である巨大商社「丸紅」に、強力な追い風となる。VAN新社構想とは、「旧VAN関係者による自主的な経営が保証されること」が前提条件としても、ヒト、モノ、カネをいったいどうするのか?「…カネを出してくれる人がいないならば、我々が調達できる範囲の小さな会社を作ればよいではないか。

大きな会社より、かつてのVANのイメージを守れる会社をまず作るべき…」と、かつてのVAN武者達の声が鳴り響くが、新社構想が浮かぶ度に創業者石津謙介は、複雑な思いに胸を痛めた。当時会長の石津氏は、「実質経営者は丸紅であったとはいえ、破産の責任はまぬがれない」と、新社構想呼びかけに慎重だった。石津氏の元には、国内大企業の引き抜き工作も後を絶たない。

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石津氏はこれらの要望をガンと受け付けなかった。あるメーカーとは一ヶ月交渉が続いたが、石津氏は相手企業のオーナー・幹部の居並ぶ会議の席で言った。「今さらVANブランドで儲けようなどと、ケチくさいことは考えないでもらいたい。あなたのところには誰でも知っている立派なブランドがあるじゃないか。新しい事業を起こすと言うなら、ゼロから始めるべきだ!」

VANを創り、VANを潰した石津氏の様々な思いが込められた言葉であろう。借りてきた猫のようにはならないとする石津氏の侍魂を言葉に見る。「お洒落な人になるな、洒落た人間になりなさい」という石津語録は今でも受け継いで生きているが、確かに「お洒落だね~」などといわれて嬉しいと思ったことない。お洒落に気を使うのではなく、洒落た人間を目指したいのよ。

「流行を作るのではない、風俗を作る」とも石津氏はいった。疾風のように現れ、疾風のようにVANを去っていった石津謙介は、実生活では93歳の大往生であった。彼がどういう人かを文献で知る以外ないが、「私とVAN JACKETの体質から生まれるユニークさ…」と自己を表現するようにユニークな人なのだ。自分もユニークでありたいし、VANに惹かれるのはそこの部分。

ユニクロも「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)を縮めたものだが、柳井氏のコンセプトもそうであろう。VANは特定少数派の商品であったが、ユニクロは不特定多数にのし上がった。VANは風俗を作ったが、ユニクロは気軽さが愛される要因だ。「安かろう・悪かろう」の代名詞が改善され、いまや世界のブランドとなっている。

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1984年、広島市内にユニクロ1号店がオープン。そして2014年末時点でみると、ユニクロブランドだけで国内852店、海外695店と合計で1547店までネットワークを広げた。ユニクロ以外でもグループ企業の店舗は1319店あり、グループ全社合計だと2866店にも及ぶ巨大企業である。それもわずか30年あまり。日本のアパレル産業をになう企業は大小あわせて約1万3000社。

ここ数年の売り上げが9兆~10兆円といわれる中、ユニクロは国内売り上げだけでも約7000億円。7~8%のシェアを持っている。本来的に熱しやすくて冷めやすいといわれる日本人にとって、アパレル業界で30年間も成長し続けるというのは、業界関係者の視点においても驚異という。その最大の理由は、ユニクロは日用品であるということ。もはや生活用品である。

洗剤やトイレットペーパーと同様の生活必需品としての地位を確立したユニクロは、今後も売り続けるだろうといいうのが業界の見方だ。ショーツやTシャツのようなインナーウェアであれ、コートやパンツのようなアウターウェアであれ、あまり流行に左右されることのない生活用品=消耗品と考えれば、同様の商品を悩まず迷わず購入する。しかも機能性が向上している。

「当たり前のことを当たり前にしているだけ」。これが柳井氏のビジョンであるなら、当たり前のことを他企業はやらなかったことになる。「うちは販売だ」、「うちは製造だ」、「うちは物流だ」と勝手に決めていた側が真に買う人の側に立ち、責任持って商売をするなら、企画・生産・物流・販売まで一貫して手がけるのが自然である。それが柳井氏の言う「当たり前」。

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この言葉を今回の「セビロ屋」の一件に当てはめると、あの店が顧客のことを考えた商売をしていないのが露骨に見えてくる。「客の立場にたったら売れるものも売れない。心を鬼にしなければ営業はできない」とうそぶく営業マンはいる。確かに営業にはそういう一面はあろう。実際、あくどいことをやっているなと感じながらモノを売ってる営業マンは少なくない。

しかし、それは余程上手くやらないと、心底を見透かされる場合もある。簡単に引っかかる客を営業マンは、「バカな客だ」と腹で罵ったりするが、手ごわい顧客には自分の非力を感じるものだ。「相手が一枚上手だ、これでは売れるものも売れない」と脱帽せざるを得ない顧客もいる。ほとんどの顧客は数年の実績でカモにできるが、では頑強・明晰な客は何で動かせる?

それは「誠意」、「誠実」であろう。見え透いたお世辞や稚拙な誤魔化しトークが通用しない顧客は、コレ以外には無理だ。自分も心を動かさるのは相手の誠実さ。営業マンは誰でも誠実のフリをするし、そんな事は分かっている。だから本当で本物の誠意であるべきだが、実はこれが難しい。誠意を売っても物が売れなければ、ただの世間話に終ってしまう。

自分を売ることでモノを売れなければ意味ないし、モノは売ろうとしなければ売れない。それは一般の顧客であって、自分のようなタイプにモノを売ろうとすると返ってモノは売れない。モノを売ろうとしないで買ってもらえるか、それが達人の域であろう。欲しいモノを買わせるのは簡単だが、さほど欲しくないモノでも買わせられる営業マンにあって見たい。

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と常々思っている。お世辞やゴマ擦りは通用しないし、そんな言葉には興味もない人間にどうアプローチする?斯くの奥儀を持つ営業マンはこちらも学ぶものがあるはずだ。その事からいっても「セビロ屋」の店長(オーナー)は商売人の端くれだろうがバカである。汚い商売の一手法も、通じる相手と通じない相手を見極められない点でバカである。

「持ってる商品を買うか?」と聞かれれば誰だって「買わない」と答えるし、実際買わないだろう。ボケ老人とか、持っていることを忘れて同じものを買う人は、"持っているから買う”のとは違う。こんな当たり前の問いに言葉がつまるのは、そこに何らかの意図が隠されている。買わせようとした商品を自分が持っていることをあいにく「セビロ屋」は知らなかった。

だから自分が「この商品は持っている」と言った時に、「こちらがあなたが持っているかどうかを知るわけない」とバカなことをいう。これは「あなたは同じ商品を買うか?」の答えになっていない。買わせようとしたが宛てがハズレて、ついこのようなホンネが出たのだろうが、持ってるものを誰が買うか!バカな奴はバカな言葉を吐くし、だからバカなのだ。

顧客がどういう商品を欲しがっているか?自分がワッペンつきのブレーカーが欲しかったことを読めていない。「あなたがここで試着したのはコレだ」と言い張っても、ワッペンのない商品を欲しがる理由がない、着るはずもない。それでバカげた押し付けは、顧客のことなど毛頭ないのだろう。確かに頭に毛のまったくない店長だが、それで「毛頭ない」とはならないし…

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現行商品なら「セビロ屋」で買わずともVAN本部で買う。どこにもない終了商品、それを「探す」というから頼んだことさえ忘れたフリをする悪辣店長である。「探したがなかったので、同じような商品ですが、コレでどうですか?」の方が人間的だ。それでも了承を得て入荷すべきで、断りなく仕入れるのは顧客の意向を無視だから、良心的な店でこう言う事はやらない。

この件のVAN本部の回答は、「先程該当店に担当の者より電話確認させていただきました。該当店とは話に食い違いが起こっている状況です。(中略) 今後このようなことが起こらないよう、オーダーの控えをお客様、店舗、双方が持ち合い、オーダーの正確さを高め、それでも万が一何か起きた場合でもきちんと確認が取れるよう各店に指導させていただきます。」

というものだった。"当該店と話の食い違いが起こっている状況"とは、「セビロ屋」が何らかの言い逃れをしてるのだろうが、基本は「もっているものは買わない」である。「販売終了商品を探してみます」という言葉は営業の範疇だが以後のウソは非道である。どんなにとぼけようが、自分に責任を押し付けようが、「セビロ屋」で注文した理由を知るのは自分だ。

まさに「せびる屋」である。言い分けはバカの謗り。顧客を罪に陥れようとするから、本部に謝罪を進言されて侘びもできない。ウソがばれた後のバツの悪さは遺憾ともし難いだろう。こんな店でも善人ぶって商売やれるが、問題があった時の対応で店の腹黒度は分るということ。

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