「あり得ない」という言葉を使いすぎだ。「あり得ない」なんて言葉は滅多に使うものじゃない。「あり得ない」ことの多くは「あり得る」んだからの持論を書いた。そんな、「あり得な~い」などという奇異な体験をした事は記憶にない。ないというより忘れているんだろう。だったらたいした事じゃなかったろうし、余程のことなら覚えていてもいいはずだ。
ところがその「あり得な~い」といえるような出来事を体験した。このような事がどうして起こり得たのか、その原因は表向きには分らない。分らない事は想像するしかないが、想像しても「コレ」という原因は見つからない。いろんな可能性が考えられるが、相手の行為を善意と理解すると解決しない。一般人は商売を善意と考えるが、商売従事者は悪も善意である。
広島に「セビロ屋」という老舗の洋品店がある。幟町と言うところにいた頃は近い事もあってかちょくちょく顔を出していたが、当時の経営者は「カープの選手の洋服をあつらえて店を大きくしてもらったようなもんです。」というのが自慢話であったし、行けば必ずコーヒーを出してくれる気さくな店だった。先日、10年ぶりくらいにふらっと覗いてみた。
「セビロ屋」はず~っとVANの商品を置いていたし、それ以外にも目の肥えたアイテムを置いていたので、あそこに行けば好きな商品は確実にあった。なにせ、大正15年創業というから大老舗である。現在は都心から離れているところに居住なので、VANはネット購入の昨今だ。ネット購入はサイズや色合いの点で不安もあるが気軽に返品に応じてくれる。
なにより通販の楽しさは商品が届くまでの楽しみである。宅急便のピンポ~ンに心が躍るのはいくつになっても味わえる感慨であろう。とまあ、余談はともかくとして本題にはいる。「あり得な~い」体験だが、どうも不可解な点が多いのも事実。自分の意図した商品と別のものが来たというそれだけのことだが、100%店のミスを100%顧客のせいにするお店のこと。
どちらのミスに関係なく、顧客の意図せぬ商品なら、言い分があろうとも引き下げるのが一般的な店である。この店は10年以上ぶりだが、VANプレミアムウィンドブレーカーに目が行った。遊び心のワッペンがぺたぺたであり、同種の商品でコーチジャケットというのがあり、こちらは購入したばかりでワッペンぺたぺたはなく、ほとんどそれだけの違いで4000円安い。
ウィンドブレーカーを買おうとしたが、販売終了といわれてコーチジャケットにした経緯がある。ところが販売終了のウィンドブレーカーが「セビロ屋」に在庫としてあったのだから、「むむっ!」となった。が、その時は思いなおして購入を止めた。一週間後、病院の帰りに再度立ち寄ってみたら、お目当てのウィンドブレーカーは売れたようで取り置きになっていた。
ハンガーに吊るしてあり、「2月26日ご来店」と書かれてあった。「手を通してよろしいか?」というと、「いいですよ」というので手を通した途端に欲しくなった。元々欲しかった商品だけに止むを得ない。「これはもう終了商品なんでしょう、VANのH.Pからも削除されてます」というと、「もしよければ探してみましょうか?」とオーナーの山田さんがいう。
そういわれ、「取り寄せられるならお願いしますよ」と、これはオーダーした事になる。翌日に電話があり、「在庫もなく販売終了とVANからFAXはいりました」という。それを知っていただけに「セビロ屋」に置いてあったウィンドブレーカーに心が動いた。あの時買っておけばよかったね」と伝えると、「もう1回頑張って探させてもらえますか?」という。
なかなか商売熱心だ。「いいですよ。よろしくね」と、その心意気に賛同した。どういうルートで在庫を探すのだろうか?まあ、見つかればいいし、見つからなければいいし、という気持ちであった。2日後に連絡があり、「ありましたよ」という。「あったんですか、すごいですね」、「明日東京を発送するので、明後日には届きます。届いたら再度連絡します。」
2日後、届いたとの連絡があり、「金曜日に伺います」と、昨日取りに行った。ところが、そこにあったのは、なんと所有するコーチジャケットであった。「なにこれ、違うじゃない。頼んだのはプレミアムウィンドブレーカーですよ?」というと、「これもウィンドブレーカーです」という。何をいってるんだコイツは、商品名は違うのにこの言い方は何だ?と感じた。
「そうじゃないだろう?商品名でウィンドブレーカー、コーチジャケットという名で区分けしてるじゃないか?コレもウィンドブレーカーです。ってそんなことを言ってどうすんの?ここに吊るしてあったものと違いじゃないか?商品について互いの意志の疎通はできてると思ったが、何でこうなるわけ?」と正すと、「お客さんが試着したのはコレですよ」というのだ。
「何を言ってるんだ。ここにあったのはコーチジャケットじゃない、ウィンドブレーカーで、終了商品だからもう手に入らないといったろ?そうしたら、探させてくださいといったじゃないか?これは現行商品でカタログにもあるし、すぐ買えるし、あなたが苦労して探す商品じゃないじゃないか?ちなみにいうけど、コレは持ってるんだよ」と言うと、驚きの返答をした。
「お客さんが何を持ってるかなど、知る分けないでしょう?うちは注文いただいたものを取り寄せただけですから」と言うのだ。「バカいうなって、お客が何を持ってるか知らないだと?じゃいうけど、持ってるものをあえて買うか?」腹が立ってきた。店側はこちらの頼んだものを取り寄せたと言い張るし、お客さんが着たのは間違いなくコレです」とかなりしつこい。
自分は思った。この状況は店側のオーダーミスをこちらの責任に転嫁しようとしているか、もしくは終了商品は手にはいらないから、意図的に別の現行商品を押し付けようとしているなと。どちらにしても、善意な顧客を怒らせるし、なぜそこまでするのだろう?2月26日に取りにくるという顧客のストック商品が何か、売り上げ伝票で確かめれば分るの、なぜしない?
今どきこんなガサツな商売する店があるんか?と思いながら、この状況は明らかにオカシイ。何が何でも自分の意図しない商品を持ち帰らせようという強引さを感じた。ウィンドブレーカー(販売終了商品)を一生懸命探してみるという言葉はどこに行った?現行商品なら今までのやり取りは何だったのか?意図せぬ商品をしぶしぶ買って引き下がるとでも思ってるんか?
店の態度はかなりオカシく、不信感は増すばかり。「そんなことするなら二度と来ない」といったら、「来ていただかなくて結構です」という。この言葉を聞いて、自分に対する相手の思惑がハズレたなと感じた。相手は引っ込みがつかなくなっている。二度と来る気はないから何を言われてもいいが、顧客と店とどちらが間違いかの確認をしない理由は腑に落ちなかった。
客の取り置き商品が何であったを売り上げ伝票から調べようとしない店。それなら水掛け論でしかないが、しないところに何らかの意図性を感じた。顧客(自分)が、持っている商品を買うはずもないが、店側はそこに言及しない。「セビロ屋」のオーナーは、物腰柔らかく、あくどいことをする人には見えないが、横槍を入れて罵声を浴びせたのは別の店員である。
オーナーは言葉少なく、逃げ腰であったし、もう一人の店員が汚い口ぶりでたたみ掛けてくる。なぜオーナーが黙し、話した事もない店員が横槍入れるのか?最初から終始やり取りをしていたオーナーのダンマリの理由は不明だが、頼んでもいない商品を無条件につきつけられる屈辱感は拭えない。まさに「あり得ない」体験である。「来なくていい」という店も初体験だった。
頼んだものが違っていて、ここまで強い態度を通すお店も珍しい。よほどの経営難なのか?どちらのミスであれ、返品すればいいことだろう。だから、店員の言葉は返答になっていない暴言である。「もっている物を頼むはずはないわな?」という思考もないままに暴論を吐く意図は何だろう?実に不可解であったが、オーナーのダンマリの意図がうすうす分ってきた。
こんな高飛車な態度で、お店のミスが判明したら示しはつかないだろうに。何より事実を調べ、提示すべきである。早速VANの本社に「セビロ屋」からのオーダー状況を聞いた。「セビロ屋」は先にプレミアムウィンドブレーカーの在庫状況をVANに問い合わせしてるはずだ。だから最初、「販売終了商品です」と連絡が来た。その件については把握済みであったが。
それなのに、「ありました」と現行商品(コーチジャケット)を取り寄せたところに悪意を感じる。こんなことまでするのか?まるで倒産間際の悪あがきに思えてならない。別の理由も考えられるが、それは後で記す。とんでもないVANShopであり、フランチャイズでないただの専門店契約なら、VAN本店に指導義務も必要性もないが、とりあえず苦情を申しておいた。
VAN側は「セビロ屋」さんからも謝罪の連絡はさせるといったが、「心ない謝罪ならいらない。事実調査の上で店の不始末としても、来ない客に謝る事は無いでしょうし、どっちにしたって二度と行くことはないし、謝罪なんかいりませんよ」と言っておく。これは確信犯であり、ミスの範疇ではなく、だから謝罪も作ったものでしかないと分っていたからだ。
「人は見かけによらない」、「商売は汚い」というが、客のミスであったとしても、頭に血が昇って暴言吐いた店員はただのバカである。が、彼にはそこまでしなければならぬ理由があったのだろう。それは彼の作為の責任がオーナーとぶつかったからか?「あり得ない」の言葉は使いたくなかったが、「セビロ屋」は実は「セビリ屋」であったと思えば解決つく。
と、まあここまではお行儀よく書いた。が、これから書く事が実は本題である。読んでいて、気分の悪くなる人もいようし、納得する人もいよう。今回の件はこう考えると疑問も解ける。以下のことは商売上普通に行われるものであり、こういう事実を知る者からすれば何でもない事だ。商売人が善人面してあくどいことをやるものだと思えるなら、別にどうと言う事はない。
まず、障害になった「オーナーは人のよい、善人である」というのを捨てる。長年商売をやる人なら、あくどい事も実は重要なノウハウである。そのあくどい事が相手に分らなければ、あくどいことでも何でもなくなる。そのことを踏まえて自分が辿り着いた結論を以下記す。まず、オーナーは善人でも何でもない。もちろん、商売上であるが、それでこそ商売人である。
オーナーの策略というか、営業戦略を自分はこう分析した。自分が終了商品だと言った時に、彼はそこから自分に対し営業戦略を開始した。それは先ず"恩をいかにして売るか"である。ありもしない商品をいろいろ探すふりをすることで、頑張ってくれてるなという好印象を与えた。そうして、まったく別の現行商品を取り寄せ、自分の前に「依頼の商品が見つかりました」という。
このとき、如何にすっとぼけた顔をするかが大事。善人(気の弱い)客なら、一応は「違う。この商品じゃない」という。店側は「いえ、これでしたよ」と言って反応を見る。善人客は(いろいろ手を尽くしてくれたんだし、自分がちゃんと伝えなかったかも知れないし、だから間違った商品が来たんだ)と思えば、店側の思う壺。店はまんまと客の意図しない商品の販売に成功する。
こういうクサイ演技は自動車販売、家電製品、多くのジャンルでやる事だ。ない物を注文されて、「ない」では能が無い。如何にない商品の代替に持っていくかが営業能力である。そのためには、顧客に恩を売ること。そのために「ない」商品をいかにも手を尽くして探したように見せ、ポイントを稼ぐのだ。人は恩を感じたら強く出れなくなるし、そこが営業サイドに狙い。
もっともいい例が、スーパーやデパートの試食販売。ただで試食させることでとりあえず恩を売っている。それで断りにくくさせている。今回は似たような商品であるし、違う商品をすっとぼけて自分に売ろうとしたが、残念ながらその手に乗らなかった自分だ。そこで宛てがはずれ、引っ込みが付かなくなったのだ。相手も自分を善人だと思っていたのだろう、きっと。
ガンとして譲らない自分に対し、これはダメだ。この手で妥協するような人ではないなと感じたようだ。あれほど商品知識に長けたオーナーが、黙り込んでとぼける事ができなかった様子が手に取るように分かる。そういう手法で成功した事もあろう、「違う商品だけど、まあいいや一生懸命に探してくれたのだから」という客もいたはずだ。ところが、自分は怯まなかった。
「人を舐めるのもいい加減にしろよ、バカもんが!」、と自分なりの結論が出た今はそう思っている。あんたも悪人だが、負けず劣らず自分も悪人だよ。そういう一筋縄でいかなかったな、バカものめ」である。そう考えないと、この一件はあり得ない。そうではなくて、やはり「あり得ない」ことではなかった。ちゃ~んと「あり得る」ことの範疇で起こったこと。
世の中の汚さ、人間の汚さと思うなかれ、汚いのは商売であって、そこに従事するものなら、なんでもないことである。それに引っかかるか、見極めるかであって、結局人を善人と思い込んだら、多くは手玉に取られると言う事だ。人の腹は黒い。特に商売人は顔で善意を売る真っ黒いお腹の人が多いと思って不足はない。そこに気づかぬ人は、それはそれで幸せなのだよ。