3年前、恋愛相談にのった25歳の女性から日曜の夜に久々メールをもらう。当時彼女は大学を出て半年のホヤホヤの社会人。短い挨拶に続いて、何やら意味深な口ぶりは、特別な用件があるのは明らか。「お久しぶりです。お元気ですか?ちょっと今精神的に落ち着かなくて。それで連絡してみました。」、「感情の整理は女には大変だよ男とちがって感情の動物だから…。
情緒の乱れ、感情を理性がコントロールできないのが女。おそらく彼氏のことだと思うけど、恋人との愛と性の悩みは男と女に与えられた試練だから誰にでもあることだよ。」、「もうダメです。彼氏と別れそうです。嫌われちゃいました。」、「そうなんだ…。彼氏もバカだねーそう思う。あなたは心やさしく、一途で気持ちも熱い、そんな女を捨てるんだ。」
自分の会話の特徴は、どうした、こうした、どうなった、という言葉を発さない。そんなことを聞くよりあらかた想像し、洞察してぽんぽん言葉を投げかける。が、次の彼女の言葉には驚いた。「私のなにが嫌なのか聞いたらね、付き合い始めてからずっと~嫌だったって言われて。もう3年近くなるのに、付き合い始めてから不満に思ってたことをずっと言ってくれなかった。
すごくショックだったし、全部私がいけなかったんだと思いました。」と彼女は記しているが、彼女が全部私がいけなかったというのは合点がいかないし、何もいわず、我慢をして3年付き合ったみたいなことをいう男もいるのかと腹立たしくなる。我慢をして付き合うのは自分の選択であって、自分のしたその我慢を別れ際に洗いざらい言うような陳腐な男はクズである。
我慢をしなくていいように伝える事は伝え、改善する事もせず、実は最初からこうだった、ああだった、好きでなかったというのは許されないと思う。これは言われた側は立ち直れないほどショックであろう。彼女はこう記している。「ありがとう。がんばる。。。乗り越えるのに、時間かかっちゃうと思うけど。」彼女のいうように、これは辛いだろうな。
思えば3年前、彼女が職場の男と交際に踏み切るときに、このようなことを言ったのが記憶にある。「わたしの愛は重いって言われるんです。相手にとって負担になるみたい。どうしたらいいでしょうか?気にはしてるんですが、どうしてもそうなってしまうから…」。「重い愛」でふと浮かんだのが、テレビドラマ『東京ラブストーリー』の赤名リカである。
「カ~ンチ!」と、屈託のないリカは、誰の目にも本能に忠実な女の正直な感性に映ったが、回を重ねるに連れ彼女が心に背負っている慟哭が少しづつ現れていき、最終回の電車の中でのあの思いつめた場面に集約していく。彼女は自身の涙とともに今までたまっていた一切のものを吐き出し、別人のように生まれ変わって永尾完治の前に現れたのだ。
あの爽やかなラストがあるがゆえに、『東京ラブストーリー』は名作である。「重い愛」は相手に負担になるという。軽薄短小の時代にあっては、多くの若者が軽く、薄く、短く、小さいものを良しとする時代なのか?トレンディドラマなど観た事もない自分だが、放映後数年を経て、愛媛県の女からこれを勧められた。鈴木保奈美の出世作であろう。
鈴木は女優としていい役を果たし、いい仕事を残した。リカの陽気な笑顔の裏に秘して姿をあらわさない影と知性、がラストに彼女の魅力を讃えたとように感じる。原作は柴門ふみのコミックであるけれど、それは読んでいないし、読むきもないし、コミックとテレビドラマは別のものだからである。鈴木保奈美の年齢と、あの時代から生み出されたテレビ全盛期の才気であろう。
男に別れを告げられて落ち込むより、気晴らし、気分転換は必要だろう。『東京ラブストーリー』のDVDでも観たらよいかなと勧めてみたい気もするが、あれが放映されたのは1991年1月だから、丁度バブル時代(1986年12月から1991年2月)終焉直前である。そういえば彼女の生年が1990年で、こういう古いテレビドラマを実感として馴染めるか、勧める側にも躊躇いがある。
自分から見るとふざけたことをいう男であり、こんな奴は恋人として対象選択を間違っていたと言うしかない。「付き合い始めてからず~っと嫌だった」という言葉をよくも投げかけられるものかと、それだけで男の本質を現している。自分がもしそういう言葉を聞いたなら、どん引きどころか、「言っとくけど、そうまでして付き合ってくれって頼んだ覚えはない。
嫌な相手と付き合ったお前もいい加減バカだな。自分のバカを、恥を晒した言葉をよくもいえたもんだよ」くらいは言葉にでる。別に売り言葉に買い言葉的にではなく、当然のこととして伝えたい。どういう意味でいってるにしろ、「最初から嫌だった~」で付き合うなんかバカに決まってるだろ。なのに彼女は「全部自分が悪いという。」そこはあまりにヒトが良すぎる。
ヒトがいいのは悪いことじゃないが、「人として認められないような人間の前でさえ、ヒトがいいのはダメだ」。何でもカンでもヒトがいいのは間違いで、それでは正しく物事を判断できない。「全部自分が悪かった」という自戒は悪くはないが、男が我慢をして付き合った理由は体目的の場合だってある。でなくば何で無理して付き合う理由がある?テメエの都合もあるんだろう。
愚劣な目的がありながら、我慢しただとバカも休み休みいえよ。相手に「我慢していた」と言って。そう言えばお前は善人なのか?同じような事はいくらでもある。「会社を我慢して勤めた」というなら、その我慢は自分が自分に課したわけだ。さっさと辞めないで我慢をしたのなら、退職時に「ずっと我慢していた」なんかいうなよ。自分の問題を他に転嫁するなよ。
これが物事の道理である。だから、つまらん言い訳やくだらないことをダラダラ言う奴は、物事をキチンと考える能力がないし、一言でいえばバカである。バカが道理にそぐわないことをダラダラいうのだろう。ちったー考えて物を言えよと。そんな言葉を吐かれた彼女が、相手の自分勝手さや言葉の意味を一身にに受け止めるのはかわいそうだが、言って分からぬなら仕方がない。
バカでないなら分れと思うが、感情が災いして冷静に思考できないのも女である。男が「だから女はバカなんだよ」と言ったところで、それが女なのだと。種類が違うのだと。そうしか生きられないのだと。ならば、ヒドイ事をいう男だなしかない。自分がその男に何か言わせてもらえるなら、二度と立ち直れないくらいに言ってやる。言わなきゃだめだ、こういう世間の癌は。
男なら分るはずだ、自分が書き殴ったことは。それを聞いてどう思うか、反省するなら向上する人間だが、「うるせー、お前にカンケーねーだろが!」というならコイツも地バカである。こういう言い方しか返せないバカは多い。お前にカンケーあるとか、ないとかでなしに、言ってることが理にかなってるのが、くだらない言い草なのか、そこが問題のはず。
それを「お前にカンケーねーだろ」と返すのがバカの見本。こういう風に、バカはバカなことしか言えないもの。言葉を発してみてそれが分る。バカと付き合った結末は彼女が取るしかないし、悲恋感情を克服していくしかない。可哀相だが、彼女もバカだから時間もかかる。もし彼女が明晰なら、「こんなバカを好きでいたのが恥ずかしい」と即座におもうはず。
答えの出ない問題は、目に見えぬ何かに影響されているが、その多くは感情であろう。それを廃して考えると答えは簡単なはず。だから他人の悩みを他人が聞けば実にバカげていたりする。他人には感情移入がなく、当事者は感情が災いしてるから解決できない。客観的とか第三者の視点とかが如何に大事であるかだが、そうも行かないのが人間社会であろう。
「言われてる事は分かっているんだけど…」、だからこういう言葉が存在する。自分はこういう言葉が大嫌いであった。同じように、「頭では分かってるけど、実行できない」と言う言葉も大嫌いだった。いつごろかはハッキリしないが、この言葉を毛嫌いすることで、言葉による甘えが少なくなった。自分は自分を甘やかせるし、その甘えは言葉になって出る。
「何が正しいか分かっていてもできない」、「頭で分かっても行動できない」それら一切は、分っていないのだと、言行一致を旨とする。これは中国の明時代に王陽明が興した「陽明学」の『知行合一』の考え方である。王陽明は、"知って行わないのは、未だ知らないことと同じである"と主張、実践重視の教えを説き、朱熹のいう朱子学を批判した。
朱子学は、"万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」"を旨とする。『知行合一』は、「知は行の始なり、行は知の成るなり(知ることは行為の始めであり、行為は知ることの完成である)」「行動を伴わない知識は未完成である」とも言い表される。なかなか、分っていても出来ない事が世の中でもある。悪漢に取り囲まれて困っているヒトを助けられるか?
「困っている人を見たら助けなさい」くらいは、小学生でも知っている。が、人には出来ること(自信のあること)と出来ないことが区分けされているから、人は自己安全のために傍観者でいる。儒教の中国人やキリスト教をバックボーンとする欧米人よりも、日和見主義者が多く、それが日本人の特質でもある。恋人も夫婦もくっつくより別れのエネルギーに心血注ぐ。
相手にハッキリとした理由を言わない(言えない)のは女に多い。女がやさしいからではなく、ズルイからであろう。自分の都合の悪いことには向き合わず、できることなら逃れようとの姿勢が見てとれる。男は物事を論理的に考えるため、別れの理由が感情的だったり、一人よがりだったりすると困惑する。男が理解できない女の別れというサイトがある。以下列挙。
1.「好きだけど別れたい」…こんなのは美辞麗句であって、キチンとそお理由があるなら論理的に説明すべきであろう。あなたは好きだけどもっと好きな人がいる、と理解すべし。
2.「生理的に無理」…グロいナマコや、鶏肉の皮のプツプツ、見た目が嫌という女はいるから、この言葉くらいは理解してやらなきゃダメだな。女には生理があり、男にはないのよ…(?)
3.「他に好きな人ができた」…これのどこが悪い?これ以上にキチンと理由はないし、飽きられたと言う事なら受け入れるべきだ。別れ際にいう時にもっともいい言葉だと自分は理解する。だって、これならどうしようもないだろうし…
4.「男の人無理かも」…「唐突に『男の人無理かも』とフラれたとき、一瞬時間が止まった。3年も付き合ったのに、おかしい」(24歳・不動産)
「あっちから告白してきたのに、『男の人が無理だから、別れてほしい』と言われた。なんだか矛盾してる」(20歳・専門学生)
などの抗弁があるが、いかにも幼稚だし、若いってこんな発想しか出来ないんだろうな。「3年も付き合ったのにおかしい」と思う方がおかしい。心変わりはあって当たり前だ。どっちが告白しようが関係ない。「男の人が無理」というのは、初心な女の正直な気持ちだろ?お前がパンツを脱がそうとしたんじゃないのか?言葉が真意なら何にも矛盾していない。
5.「友達のときのほうが楽しかった」…そういうのってあるんじゃないか?彼女になった途端、エラそうに振舞う男がこのパターン。対等から一気に命令口調になるのは、男の蒼さだろう。支配欲むき出しにするなら、相手にもっと惚れさせてからにしろよ。
6.「先が見えない」…誰も千里眼じゃないんだし、こんなこと当たり前。先の見えるカップルなんかどこにもいない。こういう当たり前の言葉をいうときは、相手の言葉をまともに受けるより、別の理由を置き換えていると解釈すべし。女が正直にホンネを言って別れるほうが珍しい。
「未来のことは誰にも分からないのに、『先が見えないから別れてほしい』と言わた。正直、今でも意味が分からない」(27歳・ライター)
上の疑問は、言い回しと理解しないからだろう。本音を言わない場合が多い。「別れを決意したのなら、彼を納得させられるような理由を考えましょう。そうすれば、お互いに前に進めるはずですよ。(編集部)」とあるが、思考力も洞察力のないバカ男なら、「ごめん、他に好きな人ができちゃったので…」の言い方を勧める。別れに際してはウソでもこれ以上の言葉はない。
別れ際に絶対に言うべきでないのは、思わせぶりな言葉、相手を侮辱する言葉。こころにやさしさをもつならそううy言葉を吐くべきでない。大事なのは別離であって、「あなたに失望した」だの、「わたしの見間違え」だの、もはや関係なくなる相手なんだから、讃えてあげるとか、よい縁にめぐり合ってとか、幸せになってとかの言葉が育ちの良さというものだ。
相手こき下ろすのは男よりも女に多いと言うが、男も女も止めた方がいい。床を共にし、少なからず幸せを感じる時もあった同士なら、縁がなかったと去っていけばいいだけ。失敗を嘆くより、新しい対象を求めて進めばいい。「愛の終わり、別れには何も言わないのがよい」。これが鉄則だ。対象喪失で自分を見失うことになろうが、「覆水盆に返らず」の心意気だ。
元の状態に固執すると犯罪が起こしたりする。振った女を刺すのは近年男が目立つが、自分に自信のないダメ男だろう。女なんか腐るほどいるんだから、押入れに忍びこんで高校生を刺すなど、理解し難い時代の変貌だ。いかつい男らしい顔つき、体つきでも中身は小学生のままなのようだ。成長していない男は怖い。早めに気づいて縁切りした方がいい。
「君は自分を愛してくれない男を失ったに過ぎない。が、彼は本当に自分を愛してくれる人を失ったのだ…」と、こんな言葉が慰めになればいいが…