全国農業協同組合連合会兵庫県本部(JA全農兵庫、神戸市中央区)は23日、神戸・三宮の直営レストラン「神戸プレジール本店」で、メニューに表示した「神戸牛フィレ肉」を注文した顧客の一部に、格付けが低い「但馬牛フィレ肉」を提供していたと発表した。判明した偽装は2016年4月から今年10月15日までの1年半も続けていたといい、顧客総数にして約3200食分という。
JA全農兵庫によると、10月16日に内部通報があり、料理長への聞き取りで判明した。JA全農兵庫県本部の曽輪佳彦本部長は、「神戸牛が恒常的に不足し、在庫がない場合は注文を断っていたが、近年の来店者の増加に対し、要望になんとか応えたいという意思が働いたと考えられる」と話しているが、こんな言い訳ってあるか?善意を働かせてあくどいことをやる。
但馬牛のフィレ肉は、神戸牛より3000円ほど安く、偽装による正規料金との差額は1000万円程度に上る。料理長が、「神戸牛は品薄で在庫がなくなることが多く、客のがっかりした顔を見たくなかった」と不正を認めたという報道だが、詳細は後で書くがJAの言い分は信用できない。JA全農兵庫は、利用客への返金に応じるとし、「神戸プレジール」を当面休業する。
さらには弁護士らを交えた第三者委員会を立ち上げ、原因の究明と再発防止に取り組むとしている。第三者委員会というこれ見よがしの我田引水でとりあえず体面を装い、誠実さという猿芝居を打つのは困った企業がとる一つの方策のようだが、これで何かと煙に巻くことが出来るという魂胆であろう。企業側とすれば刑事告発や捜査の介入だけは何としても避けたい。
料理長といっても、彼は自営店の経営者ではなく、JA全農兵庫の雇われ料理人に過ぎない。さらにいうなら、料理長が仕入れを統括するなどあり得ず、JA直営店でそんな権限はないだろう。したがって、「客のがっかりした顔を見たくなかった」など、繕った方便であって、トップの責任回避のために言わされたと推察する。なぜなら神戸牛の不足は料理長の責任ではないからだ。
料理人の発言はおそらく顧問弁護士の入れ知恵だろうが、「顧客をがっかりさせたくなかった」などは、いかにも良心的な言葉に聞こえるが、言葉の裏で客を騙していることからしても本心ではない。顧客に配慮といいながら、安物肉を提供してお金をふんだくる行為をする人間が、「顧客をがっかりさせたくなかった」などと、どの面下げていっているのかと指摘したい。
大体において言い訳というのはほとんどが嘘である。櫻井翔のCMで、「寝坊した朝、説得力のある言い訳は10秒では思いつきませんが…」というのがある。言い訳を10秒以内に考える必要はなく、たっぷり時間はあるが、10秒に拘るのはCM商品の兼ね合いである。人を納得させられる言い訳は相手が余程マヌケでない限り絶対にない。だから、言い訳をする人間はバカである。
言い訳が通用すると思っているところがバカである。言い訳が嘘である以上、どんな言い訳も真実には及ばない。自分はそんなバカでいたくない、だから言い訳をしない。バカの言い訳が通用するようなバカもいるが、ちょいと利口な人間なら通じない。通じる相手には言い訳をし、通じない相手にはしないという態度も面倒くさい。だから自分は誰にも言い訳をしない。
言い訳をしないことで何も困らないからだ。言い訳レベルの差は確かにあるが、もっとも下等でくだらない言い訳は、子どもの言い訳であろう。大人が聞くと堪えられないが、子どもであるがゆえに許せる。大人は子どもに寛大であるべきだが、同じことを大人がいうなら、大人として認められない。顕著な例として、「君は何でそんなことをする?」といったとする。
「〇〇がそうしたらと言ったから…」と、これが子どもが常用する言い訳だろう。が、大人が言えば成長してない子どもである。普通子どもがこういう言い訳をした時、「だったらお前は〇〇が死ねといったら死ぬのか?」というのがよく使われる定番言葉で、これをいう教師は普通にいるが、自分が信頼する立派な教師は、この言い訳が如何に無意味かをとことん話してくれた。
最初にこう言われて上気した。「君は頭がいいからちゃんと話そう。だからちゃんと聞いてくれ」と改まっていわれ、二人は向き合った。中一の時だった。「〇〇君がやれと言ったからやった」というのは、「やらない」でおく選択もあるだろう?命令されたわけでもないし、「〇〇君がこうしたら?」という助言であれ、それを実行したのは君だろ?だから、やったのは君だ。
だから、「〇〇君がやれと言ったから」というのは言ってはダメ。言葉には不思議な説得力があった。なぜなら、当たり前のことだからである。つまり、「〇〇君が…」と人のせいにしたつもりでも、人のせいにはならず、紛れもなく自分がやった行為である。慈愛に満ち、かつ論理的で、正面から生徒に向き合う教師。以後も以前も彼を超える教師はいなかった。
あれが教育であろう。「学びとは自分が変わる事。変わらなければそれを学びと言わない」これは、林竹二の言葉。「学び」を、「教え(教育)」に変えると、「教育とは何かを変えさせること」となる。子どもは窮地に立ったら人のせいにする。成長し損ないの大人でさえそういう人は多い。人のせいにしたところで、そうはなっていないと、なぜに気づかないのか?
人からの助言を受けた行為は、自分の行為であって人の行為でない。こんな当たり前で簡単なことが分からないのかを突き詰めると、当たり前のことを思考しないからである。だから、言い訳をする人間はバカというのが結論となる。が、自分は人のする言い訳を責めないのは、責めても直らないのが解っている。「言い訳をするな」と、1000回言われても直らないだろう。
自分で気づかない限り…。人間は一朝一夕に何かが変わるものでない。残念なことだが、言い訳のヒドイ人間は適当にあしらうしか付き合う方法はない。もしくは他の良い点を探すことになるが、言い訳を嫌う人間は他人の執拗な言い訳を聞くとむなしくなる。そういう場合は無視をし、鷹揚に構える。自分の身近では嘘を言わない、言い訳をしないのが妻である。
信頼という点においては申し分ない。嘘や言い訳というものを40年前から言わないから、今も言わないものだろう。急に言わなくなるものでもない。50年、60年前の彼女を知らないが、その時からそうだったのではないかという気もする。女性でその二点を所有するのは財産であろう。探せばいるだろうが、40年、50年の長期間、一人の女性と居ることもそうそうない。
JA全農兵庫の幹部は、災いが大きくならぬよう、そのことに躍起になっているだろうし、そうまでして守らねばならぬ「JA」の看板だろうが、そういうところが不誠実であって、自分なら二度と足を踏み入れない。看板を利用して詐欺をするというのは、名もない小さな店主が小銭稼ぎにやるのとは違う。料理長に責任を押し付け、名を汚さぬというのが卑怯者のやる事。
彼がこうした詐欺罪にもあたる行為をする理由が、「客のがっかりした顔を見たくない」だと?嘘をつくんじゃないよ。昨年の4月から今年の10月半ばまで1年半にもわたって但馬牛を神戸牛として出しながら、がっかりした客がいたというのか?そうではないから1年半も続けられたのに、「客のがっかりした顔を見たくなかった」の意味はまったく辻褄が合わない。
仮にもし、上意下達の組織ぐるみではなく、料理長一人の独断で行われた行為であるなら、料理長は問答無用の懲戒解雇であろう。信用遺失という会社に与えた損害が計り知れないからで、「お前は何という事をしでかしたのだ、バカ者!」どころでは済まないだろう。こうした矛盾と子ども騙しの作り話でJA兵庫は、顧問弁護士に相談して苦肉の策としたと考える。
トップが指示をしておきながら、内部調査で嘘が判明したように装っているが、それ以外に社名を汚す方策はない。料理長が仕入れ全般の経営に関わっているなどあり得ないが、建前上は故意ではなく、顧客に返金に応じるという姿勢から、捜査の介入はなかろう。ブランド肉と偽って提供したなら詐欺罪の立件もあり得るが、JA直営店という信用を利用したとみなされたらの話。
JA全中不要論に続いて、昨今は農林中金不要論もでているが、JA解体は早急に進めるべきかと。30年くらい前に立花隆の著『農協』を読んだが、農業協同組合はあまりにも複雑な組織である。一般的な農協のイメージは、農家から農産物を買い取り、それを全国の市場や小売店に販売して利ざやを得ているというものだが、それはほんの一部の仕事でしかない。
JA全農兵庫の醜態を書いたが、意図するところは企業の不埒な行為というのではなく、いい大人が子供騙しの言い訳をするのが腹立たしい。どんなに怒ったところで、言い訳をする側が羞恥で惨めな言い訳だと感じない限りはダメだろう。言い訳というやつは、聞く側にとってはバカの放言でしかないが、いう側にとってはまともであると、このすれ違いこそが悲劇である。
なぜ、言い訳はバカげているのか?なぜ、バカげた言い訳をするのか?この命題の答えは簡単である。言い訳をバカげていると思わない。バカげた言い訳ではない。と思っているから、というのが幾度考えても導かれる答え。だから反転させるとこういうことになる。言い訳をするからバカではなく、バカが言い訳を好むのだと。どうしてもっと賢くなろうとしないのか。