選挙という日本国一円の祭り騒動も、お祭りの後の静けさ、寂しさはいつものことである。落選すれば言い訳たらたら、恨み節の一つも言いたい中で、男らしい潔さは馬淵澄夫であった。「大きな塊を作るという前原代表の言葉を受けて、全会一致で決めたことです。私もその決定(希望の党)に参加したわけですから、それをもってこの結果だということはできない」。
日本新党で小池の元同僚の円より子は東京8区で無所属で戦ったが、恨み節はさすがに女性。「『ゆりことよりこ』という本を書き上げたばかり。書き足さなきゃ…」。「小池氏は安倍政治を倒すならいいが、踏み絵で排除した。細川さんも激怒している」。自分がイイ子の女は何かと人を引き合いに出す。この場で細川を出す必要はなく、自分が激怒と言えばいい。
最低の醜態なのが東京7区から鞍替え出馬した元熊本県議の荒木章博氏。彼の次女は、「都民ファーストの会」代表で東京都議の荒木千陽。7月の都議選で千陽氏が自民の都議会議長らを破った中野区を拠点にし、柳の下の二匹目のドジョウを狙ったはいいが落選。体調が悪いからと事務所に姿をみせず、支持者へ挨拶もない。小池はこういう奴こそ排除すべきだろ。
豊田真由子の敗戦の弁は、「一所懸命に私なんかのために働いてくださった方に本当に感謝しているし、人生で大事なことを教えていただいたと思います」。彼女の敗戦をあざ笑う者ばかりだが、「豊田さんは負けてもいいから、やったことに対して審判を仰ぎたいとの気持ちか、逃げもせず、きっちり民意を問うために選挙にでた」、と東国原英夫だけは評価をした。
一方、愛知7区の山尾志桜里は834票の微差で当選した。元民進党で今回は無所属出馬で、彼女の当選を訝るものは多かったが、愛知県は多くの民主党系無所属や希望の党当選者を出している。理由は簡単でトヨタ労組系連合組織票が多い所で、山尾は多大に恩恵を受けている。全15区割のなかで非自民系当選者は、6区、8区、14区以外は議席を占めている。
13区の大西健介議員(元民進党)は国会での発言を巡り、高須クリニックの高須克弥院長から名誉棄損で提訴されたにも関わらず、ツイッターのアカウントに鍵をかけ非公開とし、有権者の声から逃亡した。謝罪もせず逃げていることに批判の声が高まったことに耐えられなくなったのだろうが、公人としてお粗末極まりない。それでも希望から立候補してトップ当選した。
「山尾の当選は不正」、「7区の有権者は狂ってる」、「子どもと旦那をほっといて、週4回とはお盛ん」などの批判が乱舞するなか、愛知県選管には午前6時ごろから真偽の確認や「やり直せ!」という抗議の電話が殺到した。選挙運動中、山尾は選挙民との路上の会話で、「離婚したらダメよ」とたしなめる老婆の手を握り、「大丈夫!仲良くしてますよ」と言っていた。
にも関わらず当選後、「なぜ指輪をしていないのか?」の問いには憮然と、「答える必要はない」と返してたが、なぜ老婆に言ったと同じことをいわないのか?老婆を騙したということになろう。自らの不倫疑惑にしっかり説明責任を果たさないままで選挙にでて、運動中と終わった後と言動がまるで変る人間ゆえに、批判が殺到することを本人は何とも思ってはいない。
こうしたダブルスタンダード所有人間は、もっとも国会議員に相応しくない。愛知7区の無効票が一万票を超えていることも、再集計の声が高い。旦那に裏切られた新潟4区の金子恵美は落選した。当選した対抗馬の菊田真紀子は、野党共闘態勢の下で共産の支援も得たことから形勢有利、無所属で比例復活もないという背水の陣の様相が支持をえたようだ。
金子は対抗馬候補の野党共闘について、「イデオロギーも何もない野合に打ち勝つことが真の民主主義、正義と良識を示すことができると考えたが、全ては有権者の判断。私の力不足、実力不足以外のなにものでもない」と悔しさを隠さなかった。涙をみせることもなく、きっぱり、気丈に敗戦の弁を語っていた。短期決戦の勝敗は分からない。カープも負けたではないか。
金子は純白の衣装と同様に何の落ち度もない潔白でありながら夫の不始末と、組織票の重圧で落選となる。それに引き換え様々な問題を抱える山尾が当選してることに、普通の日本人なら誰もが疑問に思うはずだ。金子と同じ自民で北海道11区から出馬した故中川昭一財務相の妻中川郁子(58)は、2012、14年と連続当選を果たしたが、路上キス報道以後、有権者の心は離れ落選。
今回一騎打ちの相手となった立憲民主党の石川香織(33)は、09年に昭一氏の9選を阻んだ石川知裕元衆院議員の妻である。いわば因縁の対決となったが、亡き夫の"仇討ち"もならなかったのは。「路チュー」の代償であろう。中川郁子の交際相手と報じられた自民党で和歌山1区から出馬した門博文氏(52)も、選挙区では敗退したが、比例で復活当選した。58歳にしてお盛んというが…
30させごろ、40でしごろ、50は御座つかみという女性の性についての例えがある。「女は灰になるまで」という言葉もあり、その元になったのが大岡越前守の逸話である。不貞の罪で男女を裁いた際、女の誘いにのっただけとの男の言い訳に越前守は疑問を抱いたという。理由は女が男より30歳も年上だったからだが、そこで大岡は母親に、「女は幾つまで…?」と質問したという。
その時母親は、黙って火鉢の灰をかきまわした。それで越前守は理解を得たといわれている。火鉢のある御時世ならではの逸話であるが、江戸時代期の怪談話では、この世に未練を残し化けて出てくるのは、ほとんど女と猫であった。ゆえに、「女は灰になるまで…」とは、女と猫は可愛がるべしという男へのメッセージであろう。ただし、充て木で支えにゃなるまいが…
勃起を英語でエレクションという。若さの証明は、「morning erection」であるが、選挙を英語でエレクションという。何でじゃ?選挙は勃起で勃起は選挙なのか?と決めるのは早漏で、勃起は、「erection」、選挙は、「election」だから、日本人的には同じ、「ラリルレロ」であれ、「ra ri ru re ro」と、「la li lu le lo」 は全く違う。この違いが日本人の普遍的課題である。
こういう笑い話な逸話がある。時は第二次大戦終戦後、GHQ総司令官マッカーサーが日本に駐留する中、総選挙選挙が執り行われることになった。そこで銀座の大通りの真ん中に、親米派日本人が垂れ幕を掲げて、『マッカーサー元帥のためにさあ皆で選挙に参加しよう!』と、英語で書いたつもりが、『マッカーサー元帥のためにさあ皆で勃起しよう!』になっていた。
これは有名な実話もしくは都市伝説か。いずれにせよ日本人が、「L」と、「R」の違いに弱い、という話だけは世界的にも有名だ。発音だけではない、「L」と、「R」が違えばコメがシラミにもなる (rice / lice)。祈りが遊びにもなる (pray / play)。愛するがこするになる (rub / love)。昔、キャビンアテンダントが、「Have a nice fright!」と言ってしまったという。
もちろん、「Have a nice flight!」と言ったつもりが、「fright!」(恐怖)となってしまった。自由市場は、「フリーマーケット(free market)」で、「flea market」、「蚤の市」となる。実際に、「蚤の市」という名称で行っているフリーマーケットもあるが、パリのモンマルトル地区北部,ポルト・ド・クリニャンクールの中古品の市は、19世紀ころからこの名でいわれている。
土〜月曜日に開催されているが、こちらの名の由来は、「ノミが湧くほどの古着が主な商品」もしくは、「ノミのようにどこからともなく人や物がわき出てくる様子を表現した」などといわれているが、語源は定かでない。もっとも現在のイギリスやフランスでは、人や動物に寄生する昆虫のノミとは関係なく、汚らしい、みすぼらしいといった意味に捉えられている。
さて表題の、「Rhapsody in election」は、「選挙狂詩曲」ということ。ジョージ・ガーシュインの、「Rhapsody in blue」は有名で、blueとは、blue noteで、「ジャズの語法によるラプソディ」の意。ジャズをなぜblue noteというかについて技法については、ドレミファソラシド、の「ミ」、「シ」を半音下げた音がblue note。短調風の哀しい(ブリーな)音であるのが判る。
ラプソディが狂詩曲なら、狂詩曲とは、リストの『ハンガリー狂詩曲』、ブラームスの『2つのラプソディ』が有名だが、異なる曲調をメドレーのようにつなげたり、既成のメロディを引用したりするなど、クラシックのソナタ形式やロンド形式にこだわらない、自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現した楽曲をいう。クラシック以外の曲にも多くの名がついている。
その中ではクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』が有名だ。「これは現実か、それとも空想か、地滑りに巻き込まれた現実からは逃げようがない」というイントロから壮大なオペラ風のドラマチックな楽曲となるが、「何があったってどうでもいいんだ。誰でも分かっているさ。何があったってどうでもいいんだ、関係ない、僕にはどんな風が吹いたって…」で終焉する。
最後のフレーズ、「Any way the wind blows...」の「風」という語句、「風」の意味に思考を充てる。「Any wey the wind blows...」を、「どっちにしたって風は吹くのだから…」とする訳は多いが、「nothing really matters to me. Any way the wind blows...」を上記の訳ならしっくりくる。選挙には風がつきものだが、今回の選挙はこれまでにない様々な風に煽られた。
立憲民主党には追い風が、希望の党には逆風が、なぜにそういう風になったのかについて、様々分析されている。前原がゾンビ政党の民進党から脱却を意図したとき、新しい風は彼と小池に向かって吹くと予想されていた。ところが、小池代表の思わぬ発言で風は止まった。止まっただけならいいが、逆風に煽られ、その風は枝野新党に向かって方向を変えた。
誰が予想したろう?誰も予想し得なかった。枝野はまさに桶屋となった。風によって大きな利益を得た桶屋。前原の今後の行く末は、人気ガタ落ちの希望の党と会派を組むしかなく、もはや小池も前原も死に体である。生きる屍である。小池の直参といわれた若狭は落選、細野豪志や松原仁、樽床伸二ら、元民主党の実力者はいるが、代表が人気を落とした政党に未来はない。
小池は代表を続けることが責任だというが、維新の会の松井は責任を取って代表を辞めるだろう。権力者というのは、責任を取らされるのではなく、自らが取るしかない。でなければ裸の王様となる。小池代表がこれほど厚顔無恥なのは、厚化粧のせいではあるまいが、彼女が事の善悪を好き嫌いで判断する女性気質からみて、上に立つ人間としての資質に欠ける。
今後の展開として、小池の神輿を担ぐ人間は不幸に見舞われるだろう。自分の秘書を次々と、「都民ファーストの会」の代表に据えたリ、気の合う樽床を比例代表候補に推して選挙対策事務局長に据え、選挙が終わればいつの間に代表代行となっている。視野が狭く、心も狭い、発展性のない同族経営の中小企業のような、お友達人事を止めない限り希望は破綻する。