Quantcast
Channel: 死ぬまで生きよう!
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

とある友人との会話

$
0
0
尿路結石を自力で排出するために始めたウォーキングだが、何事も始めると面白いもので、昨年は油断もあって足裏筋膜炎を患ってしまった。油断と言うのは、シューズのソールがすり減っているにも関わらず、それを無視して一年は履いてやろうと無理をしたのが良くなかった。このこともあってか、ソールのクッションがいかに足裏に大事であるか、つくづく理解した。

履き心地というのは試着するだけで分かる。以前はナイキのシューズのクッションがイイと思っていたが、何気にアディダスを試着した時、これはいいなと実感した。それまでアディダスは硬くて避けていただけに、ちょいとビックらという感じだったが、アディダスも品質改善に取り組んだのだろう。新採用のクラウドフォーム(cloud foam)でクッション性が一変した。

イメージ 1

その名のとおり雲(cloud)の上を歩くようなふわふわ感である。それプラス足裏筋膜炎防止用のインソールを併用している。このインソールは歩く際に最も重量のかかる踵部にシリコンのを採用しているので、衝撃が緩和される。ちょいと足が痛いなと思いながらも炎症を防いでくれている気がする。元マラソンランナー有森裕子は、足裏筋膜炎に苦しんだことを記していた。

アディダスのクラウドフォームに筋膜炎防止のインソールという二重のセーフティガードは、備えあればの用心である。近年のウォーキングブームもあって、街中でウォーカーに出会い、すれ違うことしばしばで、彼らはコスチュームに「力」が入っている。ワザとらしい形重視的取り組みを嫌う自分だから、スエットの短パンにポロシャツといういでたちで歩いている。

前記したような理由で靴だけは高価なものでなくとも、足に良いクッション性重視で選んでいる。10月初旬のある日、ウォーキング仲間が来宅した。仲間といっても一緒に歩いたこともないし、同じことをやっているというだけで、彼は「歩こう会」のような団体に所属して数人で歩いているという。自分は何の制約ナシを好むので、団体さんより孤独に自由に一人でやる。

仲間に入れと誘われるがそんな気はまるでない。仲間同士、和気藹々と歩くのを好む人もいれば、一人黙々と歩くのが性に合う人もいる。後者は集中したい派であろうが、前者は歩くことはオマケであり、人的交流が主体であろう。団体でつるむのを好む人、煩わしさを避けて自由にやる人に分かれる。「どんな格好で歩いてるんだい?」と聞かれて、こう答えた。

イメージ 2

イメージ 3

「体操服に体操ズボンだよ」。冗談交じりに答えたものの相手は、「体操服って?」と真面目に受け取るので、常用のポロシャツを見せてやる。「へ~、白ばかりなんだ」というので、「昔から体操服は白、ブルーマは黒と決まっているだろ?」などと、これまた冗談うぃいえば、「ブルーマって紺だろ?ブルーっていうから…」と思わぬ発言にちょいとビックらこいた。

おもしろついでに、「ブルーマがブルーのマなら、マとはどういう意味だ?」と言ってみた。本当はブルーマではなく、ブルマー(bloomers)という品名であるが、それをもじってブルーマという知識はあったので、ブルーマをブルーというのは分かるが、知識をひけらかせ、「ブルマーが正しいのよ」と教えて喜んだりするタイプではない。それで、「ブルーマのマとは何?」と聞いてみた。

「マはたぶん麻のことではないかね~」というので、「そうかもしれんな」と合わせて置く。彼の言うまでもなく、ウォーキング用ポロシャツは白がほとんどで、それにはちゃんと理由がある。汗のにじみが一番目立たないのが白だからで、グレーや青、赤、黄はどうしても目立つ。「白は脇の下とか汗で黄ばまないか?」と聞くので、「大丈夫!自分の脇の下は高級品よ」。

と、これも冗談。根が真面目な彼は冗談に反応しない。確かに白いTシャツなどは、汗をかいたままで洗濯機に放り込んでいると、黄ばむし、白い点状のカビがついたりする。過去に自分も経験した。かつての彼女が脇の下の発汗でブラウスの黄ばみに苦労していたのを思い出す。制汗剤などでは効かない強い分泌液で脇の下は、有臭でカチカチ状態になったりする。

イメージ 4

自分はウォーキングから帰ると、衣類一切を60度の温水につけ置きする。これで黄ばみもカビも防止できる。自分のものは自分でキチンと管理して、綺麗を保ちたい。白は清潔さもあっていいが、汚れに注意がいる。数日前、思わぬ失敗をやらかした。ウォーキング途中で、鈴なりのザクロの木を見つけた。実を食べようと取ったはいいが、これが大失敗だった。

割れていないザクロの実を半分に割ろうと、両手に力を込めてばっくりと割ったのはいいが、赤いしぶきを胸全体に浴びてしまった。かなりの広範囲にである。なんともバカなことをやらかしたと、これでシャツが台無しになったと悔やむやら責めるやら、そんな事は予期はしなかったと、誰に言い訳もできぬ自己責任である。点状のしぶきは滲んでどんどん広がっていくばかり。

バカなことをしたのなら、バカでない自分を証明せねばならんと、歩きながらシミを抜く方法をあれこれ考えた。昔の彼女がお気に入のパンツを血で汚し、「大丈夫!血はおちるから…」といい、お湯を沸かして汚れの部分に液体洗剤の原液をつくてごしごしと手で揉んでいたのを思い出した。ザクロの赤は血しぶきではないが、血が落ちるならこれも落ちるだろう。

さらには、以前テレビで観た、「シミ抜きの達人」の方法が浮かんだ。その方法とは、高温スチームの出るハンディ機器の蒸気をシミ部分に充て、アルカリ性剤で中和させたシミを別の白いタオル地の布に移し替えさせる。裏側からごしごしとこすっていた。シミは取るではなく、移すのかと。それらを思い出し、歩きながらあれこれ考えていると自信も湧いて来た。

イメージ 5

自宅に帰るなり、やかんを沸騰させて口からでる高温の蒸気をシミにあてる。理科の実験ではないが熱は化学変化を促進させる。乾いて面状なったザクロのしぶきに化学反応を起こさせ、液体洗剤の原液を綿棒につけて、しぶきにつける。シミを移す白いタオルを上からかぶせ、裏から歯ブラシでごしごし・とんとんこする。そうしてた作業後、温水の中に全体を浸す。

2時間くらい浸したろうか、濡れているせいでうっすらシミ跡は見えたが、乾燥機で乾かすとあら不思議!シミのシの字も見えないほどに跡形もなくなった。これは望外の結果であり、お前もなかなかやるもんだと自画自賛が沸いて出る。これほど跡形なくとれるとは思ってもいなかった。しぶきを浴びた時の、「なんというバカ者だ!」を返上することができた。

ザクロなんてスーパーの軒先に並んでいることもなく、子どもの頃にはよく盗って食べたものだ。口に含んだ種を散弾銃のように相手の顔に飛ばし合いが懐かしい。久々に食べたザクロはいかにもザクロの味だった。しぶきを浴びたのは誤算だったが、シミが取れれば、"gotcha"である。白は汚れやすい、確かに…。しかし、キチンと管理をすれば綺麗なままで着ていれる。

依存心のない自分である。何においても自分でやることを厭わない。"Do It Yourself"の考えは日本にも浸透してきたが、人を頼らず、お金も節約できるまさに合理的思考である。自分が何でもできるようになったのは、母に寵愛されなかったからでもあり、弁当のおかずを毎日同じ一種類という人だった。趣味というより、料理は好きだ。卵焼きは子どもの頃に腕をあげた。

イメージ 6

作ってもくれないのに、自分が作ると気に入らないのか叱る母。学生ズボンを必死で手縫いで細くしたのも懐かしい。母は絶対に自分の価値に合わぬことはやってくれない。どこの親もそうであろうか?子どもの希望を素直に聞いてくれる親は少数か?親がやってくれないからと女の子が、手縫いでスカートを短くする。こういう事を経て親離れし、自立していくのだろう。

つまりは、親子は価値観が対立し、ぶつかり合う方が双方にとって良いのかも知れない。何でも子どもの願いを聞くような親、あるいは親に妄信するような子、これは生物生態学的見地からみても自立を損なう。なにもしてくれなかった親で良かったと、つくづく感じるこの頃だ。子どもはなんでもやろうとするし、できるものだが、親がそれを邪魔をしてはいないか?

子に入り浸る親は、子どもの主体性を奪っている。他人に依存しないで何でもできるのは、能力以前に心の在り処の問題で、それが人生を楽しくできる。何にもできない夫がいる。その方が、妻のしがいを感じるという女性は昔は多かった。男と女の仕事が分断された時代には、家事裁縫育児などは女の領域であり、「男子厨房に入るべからず」と、妻の仕事を奪う夫もいなかった。

子育てに熱を入れていた頃の自分は、「こんな面白い事を妻になどやらせておくのは勿体ない」と感じていた。子どもらに、「お父さんの作る料理は美味しい」といわれながら、嫉妬もせずに、「美味しい」と妻はいう。育児とはいえど、4人の子どもを一度もお風呂に入れたこともない、おむつを取り替えたこともない自分だから、「よくやった」と、妻には尊敬しかない。

イメージ 7


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>