衆議院選挙が幕を閉じた。今回の選挙は、これまでにない不思議な、そして可笑しな選挙だった。民進党代表になったばかりの前原を取り込み、合流させることで華々しく存在価値を訴えた希望の党は、自民を脅かしかねない野党第一党を伺う勢いだったが、小池代表の排除の論理発言から、前原と袂を分かつ枝野前民進党代表代行の立憲民主党に風向きが変わった。
当初、民進党は希望の党に合流ということで党員の了解を得たが、小池氏が合流の条件を付けたことで、「それはないのではないか?」と、リベラル派が立憲民主党を立ち上げたものの、「全員を合流させるなど、さらさらない」と強弁を吐いた小池氏の政治姿勢が、政治的ドミノ倒しにつながった。過去日本の政治においてこんなことはこれまでになかった政治混乱である。
政党としての存在意義をなくし、ゾンビ化する民進党議員にとって、小池人気で票をとれる希望の党は、民進党議員にとって願ってもない受け皿であったハズが、代表の言葉一つで有権者がそっぽを向いた。彼らは集票のためなら土下座も厭わぬ類であり、一票欲しさにいかなる人間的な醜さをも排除できる無神経さを別の言葉でいえば、メンタルの強さというのだろう。
政治家になるためにはこれほどしたたかさが必要なのだろうか?政策を掲げて未来を打ち出すとか、舌鋒鋭い論理を展開する諸外国の政治家志望とはまるで異なり、人間としての尊厳などどこにあるのかと言わんばかりの彼らは、藁をも掴む選挙難民である。それほどの思いを掲げ、身銭を切って立つ候補者に対する小池女帝の無慈悲な対応が、傲慢と嫌悪されたのは当然であろう。
自分の考えに賛成しないからという理由で、多くの難民議員を喝破し、拒絶した小池代表の人間性は、誰が見ても厚顔不遜で不寛容と受け取られた。これほどに党のイメージを傷つければ、結果は火をみるより明らかである。選挙戦の最中には、「都民ファーストの会」の都議2名が、小池氏は、「独裁的」として離党した。これが決定的な小池のイメージダウンとなってしまった。
こういった不遜な人格が露呈し、あれよという間に希望の党の支持率が失速して行く。都知事でありながら国政政党の党首という二足の草鞋は無理があり、離党した音喜多都議がいうように、都知事の仕事キャンセルが相次いだという。民進党の松原仁元国家公安委員長は、9月25日に離党の記者会見後に党を除名されたが、その会見の席で小池新党への参加を表明した。
投票日の2日前に松原は街頭で以下のように訴えていた。「小池代表の発言で一気に支持率が下がる不安定な党ではいけない」、「日本は和をもって貴しとなす国であり、1人に頼りすぎる政党は極めて異常」などと党批判ともとれる発言である。これはもう小池不人気に裏打ちされた見境いなき発言で、自らの当選のためには党代表批判もやむなしという選挙も異常である。
千葉1区の田嶋要氏も街頭演説で、「できたばかりの希望の党を実際に運営するのは民進出身の中堅だ」とし、「小池さんが自民党との連立や憲法9条改悪を行うようであれば、希望にはいられない」と訴えた。さらには升田世喜男氏(青森1区)も、選挙区内の街頭演説で、「希望の党が自民の補完勢力だったならば、わかり次第離党する」などと明言していた。
希望との合流を決めた前原誠司・民進代表の側近である小川淳也氏(香川1区)は19日の街頭演説で、「この新党、第2自民党になるくらいならいらんと思う」とし、立憲民主党の名前まで挙げて、「もう一回、野党は再合流に向けて大きな固まりを作り直していかないといかん」と述べるなど、日本大学の岩井奉信教授をして、「かつてないレベルの混乱」といわしめた。
松原仁、田嶋要、升田世喜男、小川淳也ら、希望の党の候補はいずれも小選挙区で敗退したが、升田氏を除く三人は比例復活当選した。選挙民に「NO!」を突き付けられた候補が、党員として復活するようなゾンビシステムは不評極まりないが、ダメをダメとしないこうした甘さ、姑息さが日本人的なのだろう。希望の党の支持者が離れた原因は、実現性に乏しい政策も一因だ。
公約には、反原発、消費増税凍結、企業団体献金ゼロ、受動喫煙ゼロ、待機児童ゼロなどが示されていたが、どれもこれもが筋の通った指導者的ビジョンというものではなく、「有権者の感情をベースに沿った、いいとこ取りになっている」という専門家の批判はまさしく正鵠を射ている。民意というのは数の集合であるから、自分の個人的な見方と異なるのは仕方がない。
が、この国特有のイメージ選挙においては、「このハゲー」の豊田候補は2万票足らずの最下位落選、少女期の『アニー』イメージ残る山尾候補は、1000票にも満たない微差で当選した。豊田候補の落選は自分的には残念だった。イメージダウンを回避するために逃げまくった山尾と違い、キチンと記者会見をして泥にまみれるのを厭わぬ豊田候補の姿勢を評価したのだが。
イメージと言うのはそら恐ろしいものだ。彼女の一連のヒステリックな言動は、幼少時代から親によって育まれたもので彼女は被害者である。そういう悲哀を背負って生きて来た彼女に秘かにエールを贈った自分。人間の人格はその人の環境や親によって作られるというポリシーから、豊田の当選を期待する反面、虚言で誤魔化す山尾の落選を願っていた。が、いずれも適わなかった。
どちらも際物といえば際物だが、同じ際物ではなく長短はある。豊田落選、山尾当選の事情について、美人が得の図式は当てはまるのか。確たるデータがない以上、独断的偏見かも知れない。根拠はないが、何かと美人有利の世の中である。政治家選びに反映することもあろうし、そうした世間的事情からすれば、美人山尾の当選は、まったく根拠のない邪推とは思えぬ節ありき。
が、今さら何を語ろうと終わったことだ。終わったことをあれこれ言わない、言いたくないのも信念として置いている自分である。確かに結果は何も生まないが、何も生まない結果に意味を求めるのではなく、あくまで分析の領域である。それを怠ると結果重視の打算が蔓延る。結果に後生や哀願を求めぬが、一切の結果には原因が必然である以上、思考の領域とする。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠んだ芭蕉である。この句に込めた芭蕉の心情は何であろう。人気の全くない寂寥感漂う地に、覆い茂る夏の青々とした草、そこに兵士たちの足跡を見る…、そんな情景が浮かぶ。かつて義経主従や藤原一族の者たちが、功名・栄華を夢見たところである。そんな奥の細道に寄せる思いが、自然(夏草)と人事(兵)という対比で見事に現されている。
「夢の跡」のくだりには、言外の余韻が感じられる。義経や藤原一族をはじめ、頼朝や後の尊氏、信長、秀吉ら戦国大名においても、彼らは一様にその観念性に於いて、人生と言うフィクションを演じていたのだろう。それらを主観的に想い成すに過ぎない。「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」とした芭蕉の真意、その奈辺の在り処とは。
認識と表現との両面から自らを責める、そこに新たな言葉の可能性もあり、創造もある。芭蕉と言う稀有の歌人は、表現対象に対する待遇、言葉の選び方を風雅の道の生命とした人。正確な認識に言葉をどう対置させるかをに自らを責め続けた人。そうした日本人的な、「もののあはれ」感に比べて西洋人の、「見る」という視点は、事物をロジカルに捉えてやまない。
事実ゲーテは、「最高の事は、一切の事実はすでに理論であるということを、理解する必要がある」と述べている。この考えに沿うなら、一切の現象も事物の本質同様に、非現実的なものといえるのではないか。人間が何かを表現する際に、「広大なる宇宙」、「宇宙シナリオ」、「宇宙的」、「宇宙規模」などの引用を見るが、そんなに簡単に宇宙を出していいものか?
自分はかつても今もこれからも、「宇宙」とされる得体の知れぬ現象や存在は、非現実の極みとし、それゆえにか思考遺憾ともし難く追っつかない。よって、比喩として用いることすら躊躇われる。我々に宇宙の何が理解できるであろうか?非現実を遥かに凌駕する超絶的非現実世界観こそ宇宙の根源である。我々が宇宙人であることすら非現実としてみなされている。
選挙如きに一喜一憂するつわものたちのあくなききわものどもへ、投げかけたい個人的な言葉は多だあるが、彼らがこの非現実空間をしたたかにも現実空間と捉えている以上、何をいったところで耳には入るまい。「あんな人たちでなくてよかった」という充実感だけが呼び起こされる。いつものことながら、今回に於いても、これが政治屋という人達への思いである。
選挙というのはきわものたちの生々しい現実である。ニーチェ風にいえば、「あまりに人間的な」その空間にうんざり感を抱かせられる。こういう時はつとめて観念世界に思考を投じたい。普段はどっぷりと世俗世界の表裏を捉え、生々しく書いたりの自分だが、きわものたちの騒々しいお祭り騒ぎも終わったことだ。後は非現実的観念世界に身を投じて安らぐとしよう。