ジーンズが売れてないらしい。こんにち、おっさんのGパン信仰は、ブヨブヨ腹を無理矢理固い生地に押し込めてるのであろうか。おっさん体形に色落ちジーンズが似合うはずもない。「ウォッシャブルが似合う日本人なんてほぼ皆無です。よっぽど細くて脚が長くなきゃ無理。チャレンジする方が無謀…」(33歳、男性、某セレクトショップ勤務)の言葉が面白い。
本年、年明け早々VANヂャケット10点の大人買いをした。新しいチェック柄も気に入った。着るより持っていたいとの購買動機。買い物は買うときが楽しく、買った後から喜びは減衰する。ナイキのスニーカーも昨年夏モデルだが、横幅狭いナイキはサポータガッチリ感で日本人の偏平足にやや窮屈。Tommyのアウターも遊び心満載の楽しさで買ったようなもの。
「ストレス買い」、「ストレス食い」という言葉がある。前者は仕事などでストレスがたまると、つい買い物に走ってしまうことをいう。買い物をした時に包まれる幸福感も、また少しするとその効果が切れてもっと高いモノを買ってしまったり…。買い物を繰り返えせど心は満たされない理由は、刺激に慣れるからだ。冷たいプールに足を入れると最初はとても冷たい刺激を感じる。
それが肩まで水に浸かり、しばらく経つと冷たさに慣れ、ぬるくさえ感じるように、買い物もこれと同じと考えられる。小池龍之介の『貧乏入門』のなかにも、「次々にモノが欲しくなる欲望の3D」についての記述がある。"気持ちよくなるのは、手に入れた瞬間だけ。そのあとは、慣れてしまって快楽は消えて行く。" というように、誰しも経験あるだろう。
まさに「買い物は買うときまでの命かな」である。"ポジティブな出来事や気分を高揚させることが起こると、一時的な幸福感と引き換えに快楽順応のせいで、後の幸福感や充実感が弱まってしまう"。これを心理学用語で『快楽の順応性』という。自分が稼いだお金をどう使うかは本人の自由だが、一生懸命働いたお金を一瞬の欲望を満たすために使い過ぎるのは勿体ない。
まずは、「衝動買いにはキリがない」と理解しておくだけでも歯止めが効く。今の自分に与えられたものに満足する「少欲知足」の心も大事である。と、このようなことを書いて自分を戒めているわけではない。買い物をする人がいずれも心が乱れているわけでも、悪いわけでもない。こういう心理もあるというのを記したかっただけで、ふところと睨めっこして買えばいい。
さて、死ぬまでVANを着る。死んでもチェックのシャツにブレザーで棺桶に入りたい。湯灌が終れば死者は白木綿の白布に白帯を締め、額には三角形の布や紙をつけ、足に白脚絆・足袋をはかせるって、まあこれが死者の定番なのだが、江戸時代じゃあるめえし、何を着るも自由だが、自分で選んで棺に入るならまだしもそうは行かない。遺族は反対だろう。
スカイブルー、イエロー、イエローグリーン、オレンジに囲まれて暮らすと心が和む。イエローグリーンの木の葉色、オレンジの柑橘系は自然への憧憬。楽しく生きるために色を大事にしたい。モノトーンやシックなオシャレ感覚ではないが、心だけはうきうき和む。色彩心理学で暖色系派は、楽天的感情の開放的環境を好む、人懐っこい性格で大らかという。
何かにつけて「徹底」という性格が買い物に現れる。着るという以前に、買う事が快感というのは「買い物依存症」と共通するが、「依存症」とは無縁。口説き落とした女より、落とす前の女が輝いて見えるようなものか…。買って何年も着なくても、トラッドには流行、廃りがない。ディランの歌ではないが、流行って屁みたいに風に吹かれて消えるもの。
martinのアコギを持っているだけで嬉しいオッサンもいる。VANの洋服を持つ喜び、着る喜びも同じく自己満足の世界である。欲しくても買えなかったあの時代に比べ、今はいくらでも買えるというタガの外れた状態である。眺めるだけだった35万のD-35や70万のD-45が、今はやすやすと買えてしまう。そういう金銭的余裕が、弾けないギターを買う動機だろう。
人間には誰しも「所有欲」がある。いけないことではないが、自分の生活に照らしてやるなら「生」の執着心となる。ちょいとヨーロッパに行ったところで30万は必要だ。ルーブルで「モナリザ」を観るよりVANの服を買うのが安上がり。「Take IVY」なる教科書によると、アイビールックには厳格な規定があるが、今は何でもアリの時代で、アイビーカットのダサさは笑えてしまう。
もう一つ、自分がVANに執着するのは、VANをことごとく批判され、バカにされ、愛するVANを勝手に捨てられた母に対する復讐心でもある。シャツをズボンの中に入れないことをうるさく言う母は、それだけで不良と息子を罵った。エレキやビートルズも不良であった時代に、シャツを出すのも不良なのである。「そこまでいうなら本当に不良になってやろうか!」
親に対する反抗感から不良を目指した同輩もいたと思う。自分はそういうのはなかった。いかにエレキやビートルズやプルオーバーシャツを不良と蔑まれても、「バカ親の言い草」と、逆に見下していたし、「だったら不良になってやる」という弱い心はなかった。「これが不良って、バカじゃなかろか」である。が、棄てられたりするのはさすがに頭にくる。
そもそもVANとは何?日本の若者が始めて体験したファッションブランドが正解。当時あった「福助」や「グンゼ」は必需品であって、ファッションブランドではなかった。女性の洋服にはレナウンが「わんさか娘」と派手に広告をやっていたが、男物のブランドはなかった時代にVANが出現した。様々なアイテムがあったが、ボタンダウンの襟に斬新性があった。
シャツの襟が浮かないようしっかりとボタンでシャツ本体にくっつかせるという発想だが、襟にボタンをつけたシャツなど見た事がなかった日本人。早速普通の白いワイシャツの襟を針と糸で、ボタンダウンに作り変えた思い出がある。これを母親が気に入らず、そのシャツを処分し、新しいシャツを買って置いている。これに腹を立てたのは言うまでもない。
子どものころに風呂敷をマントを背負った少年は全国に多くいたが、自家製ボタンダウンを作った高校生がどれほどいたろうか?これも、思春期少女が自分でスカート丈を短く縫い直すと同じ行動であろう。ボタンダウンについて、当時VANヂャケット社員で石津謙介の下で働き、後に「ミスター・IVY」と呼ばれていた、くろすとしゆき氏は、このように語る。
「石津さんが、1959年にアメリカに行って、その当時東部のIVYリーグの大学生ファッションに影響を受け、日本で売り出そうとしたんです。それがVANヂャケットという会社でした。でも、IVYルックはぜんぜん売れなかったんです。不良服の烙印を押されていましたから…。当時は築地署から電話があり、"みゆき族とか、お前の会社が煽ってやってるんだろ?
などといわれたりしましたし、築地署に呼ばれましたしね。デパートの仕入れ担当には、"こんなモンが売れるはずかない"、"誰がこんなモン着るものがいる"とか、散々バカにされました。ボタンダウンのシャツを見た仕入れ担当が、"この変チクリンな襟のボタンはなんですか?全部取ってもらえません?だったら入れてもいい"などと言われた時代です。」という。
襟のボタンを取れというのは笑うに笑えない時代の逸話である。音楽プロデューサーの松任谷正隆氏は、40年前のファッション雑誌をみながら、「このヂャケット、このネクタイ、今も持ってます。昔のものをずっと持ち続けるというのも、石津さんやVANの洗礼を受けたからでしょうね。そういう意味でも僕の育ての親はVANでしょうね」と、彼の言葉は頷ける。
IVYリーグと呼ばれたアメリカ東部の名門八大学の学生は、世代を超えて受け継がれた伝統の装いで青春を横臥していた。単なる流行に留まらず、いつまでも色あせないファッション…、石津はそれに強く惹き付けられ、VANの商品をデザインする。日本の若者が始めて目にするファッションブランドはこうして生まれた。松任谷もそんなVANに夢中だったという。
松任谷はユーミンの夫であるが、細野晴臣や松本隆らと結成していたハッピーエンなるロックバンドは、ウェストコーストサウンドを意識したアメリカンバンドで、ユーミンのブリティッシュ志向とはまるで正反対であった。松任谷は当初からユーミンのブリティッシュ志向には馴染めないでいた。ウェストコーストサウンドというカテゴリーを一言でいうのは難しい。
VANのあとにJUNというブランドが出てきた。1954年創業のVANのIVYルックに対し、1959年に創業されたJUNは、配色および柄に独自性を持たせたトラディショナルエレガントで、VANに比べて着る人の職業を選ばないという融通性のある路線を採った。後にコンチネンタルルックに転向、女性ブランドROPEとともにヨーロピアンスタイルブランドとして知名度あげていく。
当ブログでブランド信仰者を揶揄をするが、ブランドといってもユニクロもGUもブランドであり、ブランドもピンキリである。自分がする批判は、貧乏人が高級ブランド商品を欲しがるとか、無理をして買うとかに言及する。ある女性に「そんなに無理をして買うものか?」と聞いたら、「ローンで月々3000円だから無理じゃない」といわれて笑った。「無理」の意味が違っている。
3000円を12回と60回では違うだろうが、そういう感覚が希薄な女性は、リボリビング払いに騙される。大事なのは月々の支払いではなく、利息を込めた支払い総額であるが、おつむの足りない女性にはそこが分らないようだ。高価な物が買いやすくなったと考えるか、高価な物は利息も含めてさらに高価になったと思うかで、その女性の経済観念が違ってくるのだ。
30万の価格のものが長期ローンで支払い総額50万になっても、月々3000円なら問題ないと考える女性にカネの管理は任せられない。30万の商品が50万になっても欲しいという女性、30万のものが50万になるなら、「そんなもん誰が買うか!」という女性に一票投じたい。手軽なローンが組めない時代は、欲しい物を買うためにそれこそ一生懸命に頑張って貯めたもの。
人間の頑張りという教育効果は、そういうところからも育まれた。欲しい物はすぐに手に入れられるという利便の時代だが、それなら支払いはかったるいだろう。社会情勢によって人間は変わっていく。社会によって変えられていくと言った方が適切だ。VANの洋服が欲しいだけで、洋服全般が欲しいわけではない。J.CrewやTommy Hilfigerを買う事もあるが、それはあくまで着るため。
VANを買う大きな動機は「青春を買う」である。VANに心を揺さぶられのは、青春に揺さぶられること。青春期は自由だが経済的には不自由で、今、その自由を買うこと。VANを欲しい自分が好きである。だから、「永遠のVAN」である。「僕の育ての親はVAN」といった松任谷、「VANは会社じゃない、学校だった」と言ったのは同じくIVYリーガーのマイク真木であった。
ご存知かな?1964年の東京オリンピック。開会式の日本選手団の赤と白の上下の公式服装だが、これがVANであった。正確にいうと当時VANの社長だった石津謙介によるデザインであり、VANとして商品化されて売り出されたものではない。しかし、当時の世相はこれに異議があった。「日本男子に赤い服を着せるなんて何事だ。けしからん」。そういう声が国民からあがっていた。
ユニフォームを仕立てたあるテーラーには抗議が殺到し、店の主人はショックで入院したという。しかし、この衝撃がその後の日本のライフスタイルを大きく変えることになった。石津は、金ボタンのブレザーにボタンダウンシャツ、コットンパンツといったスタイルを、アイビーファッションとして提案したが、アイビーという言葉を知っていたのは、ほんの一握りの若者だけ。
ブレザーは当時、スポーツ選手が着る特殊な服というイメージしかなく、ブレザーを着て街を歩くなんて「頭がおかしいんじゃないか」と思われていた。デパートからも、「こんな服、誰も着ない」、「金ボタンを取り換えたら仕入れてやる」であったという。ところが、東京オリンピックの開会式が終わった直後から会社には、ブレザーを仕入れたいとの電話が鳴り出した。
金ボタンを取り替えろといっていたデパートの担当者からも、「ブレザーを品切れにするな」と言われるほどの売れ行きをみせたという。赤は女の色という固定観念が東京オリンピックを機に大転換したのだった。女の赤は挑発的な色という心理学的な考察があるが、男の赤はなんだろう?やはり、赤は女の色という棄てがたい潜在式は、どうしても我々にはある。
赤を着る男の勇気というのは、「どうだ、何か文句あっか!」という自らの固定概念への挑戦かも知れない。確かに勇気はいるが、それは固定概念打破にはつきものだ。赤のブレザーはないが、赤いスイングトップは着る。今回買ったスカイブルーのマウンティンパーカも結構派手だ。自らへの刺激という意味を込めてであり、VANを愛する蛮族とでも言っておこう。
が、今回はショートステンカラーコートの赤には躊躇いがあって見送った。色が問題ではなく、人からみればド派手の若造りと思うだろう。「若造りじゃない、活造りだ」と、ジョークで応対する。アメリカのおじいちゃんが、ド派手なスタイルを楽しんでいるが、「若い頃は地味でいいんだ、地味な恰好でも楽しめる。年を取ったら派手にしなくちゃね~」と言う。
人目を気にせず自らのスタイルを楽しむ欧米人ならではだが、さすがに人前でチューは日本人向きでない。人前どうこうより、これは文化である。愛の言葉を多用しないのも、同様に文化であろう。「寄る年波には勝てない」という言葉がある。若さを過信して行動しても、結局は年相応のことしかできない、ということだが、力仕事はそうでも服は関係ない。
VANは心の栄養源。心の若さを保つもの。for the young and the young‐at‐heart なる有名なロゴは、一体誰が考えたのかの資料はないが、当時の垢抜けない日本の町並みでは抜群におしゃれでよく目立った。「young at heart」とは若々しいとか、心が若いという意味で、日本人の使う英語ではないし、何か参考にした原典があるのだろう…。