「買い物は買うときまでの命かな」
即効川柳だ。人間の楽しみの中で買い物はその一つであろう。「買い物依存症」というのもあるが、"気分がむしゃくしゃしたり落ち込んだりした際、ストレス解消のためについ衝動買い"という女性心理は理解できない。男でそういうものがあるのかないのか知らないが、「無自覚」の状態のままカードやローンで買い物をすれば、最悪生活破綻の可能性もある。買い物依存症の中には自分が買い物中毒だということを理解していない人もいる。自分の「弱さ」に無自覚だから、欲しいままに買い続け、 いつのまにか深刻な事態になっていたりする。とにかく、「買い物依存症」は「無自覚」だけに怖ろしい。買い物依存の心理の裏にあるのは、 「寂しさを埋めたい」、「良い子になりたい」といった気持ちといわれている。
恋人との別れをきっかけに買い物依存症になったり、結婚生活で夫との関係がうまくいっていない女性が買い物にハマる…といったケースは非常に多く、これが女の憂さ晴らしというなら、そこは男とは違うようだ。憂さ晴らしとはダメージを受けた心を快楽に誘うことで、ある物質が強い繋がりを持っていると伝えられている。 その物質というのはドーパミン。
ドーパミン=快楽ホルモンであるのは知られている。快楽/幸福感をもたらせてくれるドーパミンだが、暴走すると快楽/快感ばかりを求めてしまい、様々な依存症にもなりやすくなる。買い物も快楽であることから買い物依存症になるのだが、たまに既婚壮年女性にもあるが、一般的に若い女性に多いといわれ、その動機や症状を分析してみると以下のようになる。
(1)特に欲しいわけでもないのに、服やブランド品を次々と買ってしまう
(2)お金がなくても、借金をしてまで買い物をしたくなる
(3)買ったものを身につけたり、使用することが少ない
(4)購入したものはたいてい放っておく
(5)日常生活の不満やストレスが多い
(6)いけないと思っていても買い物を辞められない
これらからして、依存してしまう女性は、買い物をすること自体が快感で、なかなかやめられない。ある心理学者は、女性に多い買い物依存症の快感のツボは、"お姫様扱いされること"だと指摘する。男が、たとえばプラモデルのような好きな趣味領域の品物を箱買いしたり、安い品物をかかえきれないほど購入して快感を得たりというのは、女性では稀であるという。
買い物依存女性はたいてい店員さんがいる高級店で買い物をするが、そのことで、"お姫様のように"扱ってもらえるからである。居心地の良い店内では、「いらっしゃいませ」から始まり、「こちらはいかがですか? とてもよくお似合いです」と褒められ、「ありがとうございました。またぜひお越しくださいませ」と姿が見えなくなるまで頭を下げていたりする。
これ以上の“お姫様扱い”が他にあるかといえば、例えばエステサロンなどもそれに類する 女性はこのような扱いを快感と感じてしまう。ようするに、"ちやほや"されるのが大好きなのである。恋人も夫も、ちやほやしてくれたのはホンの最初だけ、だんだんとお姫様気分を味わえなくなる。結婚は「現実」といいながら、それでも女性はちやほやを望むのは何故?
これは単に性格とか性向というより本能領域の問題であり、女は男より"尊重されている"、"大切にされている"ことを重要視する傾向が強いのは、生物学的な男女の役割の違いと現在の社会の仕組みに関わってくる。女性は、生物学的に子どもを産み育てることが出来る一方、妊娠中は不自由なことも多いため、誰かの援助が必要になる。それをパートナーに求めるのだ。
特に妊娠・育児中は、男性から"大切に扱ってもらえるかどうか"が死活問題となる。そのため女性は、"他人から尊重されているかどうか、大切に扱ってもらっているかどうか"ということが大きな目安となり、重要となる。このことから女性は、"自分をお姫様のように大切に扱ってくれる"お店で買い物をすることが快感だと思ってしまう生き物であるようだ。
自己愛傾向の強いナルシストの女性は、当然にしてちやほやされるのを好む。おまけに情緒障害もしくは情緒不安定傾向の女性が、「ああ、もうダメ、イライラするぅ!」などは日常的に起こり易い。あるセラピストは女性の買い物依存の兆候を以下のように指摘する。①どのように使うかを考えず買う。②現金がなくてもカードで買う。③ストレス発散のために買う。
④同じものをいくつも買ってしまう。⑤限定品と聞くと買わずにはいられない。などと、いかにも短慮的行動であるが、女性はオマケをつけてもらうのを凄く喜ぶところがある。男はあくまでも本質重視、タダでも無用なものは断ったりする。しかし、女性はオマケを断る事はまずない。しょーもないオマケであっても、「嬉しい!」などと、付加価値を喜ぶ性向である。
「限定品と聞くと買わずにはいられない」というのは、限定品に遭遇しただけで、得をした気持ちになるのだろうが、それが自分の好みでなくとも自分が買わなければ誰かが手に入れるのが面白くないのだろう。「とりあえず買っておこう」という気持ちで購入してしまう。こういうところは男と買い物パターンがまるで違う。男は要らないものはタダでも受け取らない。
反面、欲しい物は超高価であっても買う。これが男のステータス。道楽三昧というのは趣味が高じたもので、女性をして「男は分らない」と言わしめる部分であろう。夫婦喧嘩でよくあるパターンは、夫から「何でそんな必要ないものを買ったんだ?」、「だって、安かったんだもん」。超高価な物を買ってきた夫に、「そんなくだらない高価な物をよく買うわね!」。
どっちの言い分も正当であるが、これは男と女の本質的差異と言える。「衝動買い」という言葉がある。巷でよく使われる言葉だが、自分的にはこの意味がよく分らない。物を買うというのは買おうという衝動があっての行為であるから、衝動なき購買はないはず。無理をして買う場合もやはり買うという衝動が購買を決定させる。一般的に衝動買いとはどういう意味?
よく考えもせず、その場の欲しいという気持ちだけで買ってしまう。という意味のようだ。「よく考えもせず」とは何を考えないのか? ある女性の例を挙げてみる。彼女宅に行って驚いたのは、引き出しの中にあるわあるはテキスタイル(織物、布地)の数々。何に使うともなくただタンスの引き出しにしまっている。「これって何のために買ったんだ?」と問うてみる。
「かわいい布地だったので…」という答え。何に使うというのではない、その場で生地・布地に憧れて買ったのだろう。押入れの奥に袋のまましまってある布地の中には細かい刺繍を施された高価な布地があった。何年も仕舞ったままであるようなので試しに聞いてみた?「これはどこに使おうと思った?」、「刺繍が綺麗でしょ?」。答えになっていない、それが答え。
彼女は手芸・編物が好きで、使わないものを買ったとしても購買動機は衝動買いとみなせないのは、購入したテキスタイルは用途として使うためではなく、「綺麗だから」、「美しいから」と言うことであり、いかにも女性らしい購買動機であろう。男には分らないものがふんだんに女性にある。「だって可愛かったから…」、「だって安かったから…」などなど。
必要性の有無というのは男の理性的な側面だ。それで、「こんな必要ないものを!」と妻を責めるのは間違い。つまらないものを買ったことが原因で夫婦喧嘩になり、それが元で離婚となるケースもある。ある男がフィギュアをずっと欲しいと思っていたが、そんなものは生活に無用とずっと我慢をしていた。ところが、夫婦仲がこじれたと同時にジャンジャン買い始めた。
妻は妻で夫の趣味・道楽が面白くない。それで益々夫婦仲が冷えて行った。遂に離婚をすることになったが、いろいろ見聞きすると、ちょっとした事がどんどんと膨れ上がり、どうにもならない状況になる。末期には一切の会話もなくなるというのは、互いが互いの領域を避けようとする行動で、相手の行為にまったく無関心となる。もはや同居していること自体が不幸である。
人の趣味は人には謎の部分がある。理解できないのは理解できない側に興味や素養の問題もあるわけで、理解できることが真っ当で、理解できないことが不当というものでもない。夫婦の絆や愛情に関して深い考察をしたシャルドンヌだが、次の有名な言葉は素朴で頷かされる。「愛する者と暮らすには秘訣がある。相手を変えようとしないこと。これがその秘訣である。」
特に女性に多くみられるのは、好きになると相手のすべてを知りたがること。これはよくない。夫婦関係、恋人関係を円滑に続けけて行きたいなら、他人の不可侵領域を尊重すること。どんな人間にだって触れられたくない部分があるのに、自分の好奇心で人の机の引き出しや携帯電話を覗き見する。「隠し事がないなら見られて平気でしょう」という勝手な抗弁をつけて。
こういう短慮なバカが長い間に夫婦仲がおかしくなった原因を自分にあると思わない。「鶴の恩返し」という物語が何を教えているかを考えてみたらいい。他人の善意がどういう状況でなされているかを知ろうとする必要はない。善意は素直に真摯に受け止めたらいいだけだ。携帯電話は便利であるけれども、これのおかげで恋人仲が、夫婦仲が、親子間がぎくしゃくしている。
人は「ダメ」といわれるとやってみたくなるし、覗き見は人間の本能だ。人の心は見えない、見えにくいゆえに、覗き見は人の本質を見た気になる。が、他人の携帯電話を覗くのは絶対にしないこと。私はあなたを信頼していないと相手に知らせていることになる。何でもかんでも知りたがる小心で嫉妬深い女は、必ず出すぎたことをしでかす。それで幸せも壊してしまう。
「いいよ、見ても」などという男もダメ。決してキャパが広いのではない。何かあるとかないとかの問題以前に、決して侵してはならない個人の不可侵領域を設定し、その上で互いが自己責任で信頼関係を構築すればいい。北朝鮮や中国などの共産主義国家が、個人の領域にまで立ち入って統制を取るように、他人の自由を自分の都合で犯そうとするバカにつける薬はない。
他人の携帯電話は「神聖にして侵すべからず」を守れるだけで、その人の人間性を表すもの。たといそこに多くの秘密が隠されていたとしても、パンドラの箱は一度開けると常習にとなり、不幸を招くことになりかねない。「私は平気よ、何であなたは嫌なの?」こんな小学生の発想しかできない女は、相手さえ小学生レベルに引き落とそうとする。こんな女、相手にするなよ。
先の布地を買う女ではないが、自分も洋服を買うときに、それが自分に似合うかどうか以前にオモシロイから、柄がスキとかの理由で買う事が多い。着衣の結果は二の次、三の次で、若い頃からそういうところがあった。すべては着れば似合うよという後付である。トラッドやアイビー志向のチェック柄はその要素が強い。新しい柄が発売される度にその柄に心を奪われる。
トミーのオフィシャルサイトでは、フーデッドブルゾンというワーク感漂うアウターが、多彩なポケットを配され、その数なんと18個。どこに何を入れるというものでもないが、あちこちに10個ものユニークなワッペンをあしらい、存在感と遊び心満載のワードロープである。フロントはボタン×ジッパーのダブルクロージャー仕様で、FLYFISHの刺繍が入っている。
釣り人用というわけでもなく、女釣り以外はしたことない自分である。歯科医院で衛生士さんに、「ポケット何個あるか当てたら1000円賞金!」といったが、せいぜい10個の返答がいいとこで、いろいろ隠しポケットもあって見た目ではわからない。「いくらくらいしたんですか?」と聞くので「当ててみなさいよ」というと、「じゃぁ4500円!」、もう一人は「15000円」。
「惜しい、タケちゃん(4500円)のいった金額の8倍だ」というと、「どこが惜しいんよ。たっかー、院長先生でも絶対当たりませ~ん」と、院長が登場するのがイミフでオカシクて笑ったが、20代女性の買い物感覚はそんなものだろう。Tommy Hilfigerは、アメリカ・ニューヨーク州出身のファッションデザイナーで、ドイツ人とアイルランド人の血筋を引く。
米国版石津謙介で、トラディショナル・スポーツ・ウェアのブランドを1984年に興している。彼は高校時代にジーンズを売って成功し、その後、1979年にフリーのデザイナーとして活躍した後に自身のファッションブランドを立ち上げた。2006年、アクセル・ローズ(ロックバンドガンズ・アンド・ローゼズのボーカリスト)と些細なことで殴り合いの乱闘をした血の気の多い人だ。
Tommy HilfigerはRalph Laurenと比較されるが、Ralph Laurenよりも値段も安く大衆的なブランドで、日本では多少敷居が高いがアメリカではGAPと同じような衣料量販店である。トミーは以前、自分のブランドを「白人のためのブランドであって有色人種には着て欲しくない」と発言した事があったが、日本での出店が増え売り上げも上がり、その発言は撤回された。
トミー自身は白人至上主義者であることは間違いない。自分の目にTommy Hilfigerの洋服は、若者向けというよりおじさんご用達であろう。VANも同様、団塊の世代が頑張って購入するアイテムで、若者は手を出さない。かつて一世を風靡したカルダン、ヴァレンチノ、ダーバンは、今どこかで息をしているのか?Ralph Laurenも米国ではアウトレット市場人気である。
近年ジーンズはダサいオタク後用達に成り下がったが、かつてはリーバイス、ビッグ・ジョン、ラングラー、ボブソン、エドウィン、サスーンなどが目白押しだったことを思うと、なぜジーンズは廃れてしまったのか。昨今はまったく売れてないらしく、デニム工場がどんどん閉鎖され、廃業続きのただ中にある。日本デニム産業の本山・岡山のボブソンは昨年末に自己破産。
それでも創業家がブランドを買い戻したものの、あまり旗色はよろしくない。ブラッド・ピットの「503」なCM が懐かしい国内最大手のエドウインは、昨年巨額な損失隠しが発覚。粉飾決算は10年以上続いていた。リーやラングラーは、エドウイン傘下に吸収され、リーバイ・ストラウス・ジャパンも国内の独自企画をほとんど打ち切り、もはや米国本社の傀儡企業などと惨憺たる現状。
デニム業界の衰退の原因は、ユニクロをはじめとする低価格ファストファッションが打ち出す、1000~3000円程度のデニムが市場を圧迫しているとの説が一般的だが、「最近の若者ってジーンズを履いてないですよね。ここんところずっと、ぜんぜん流行ってないです」と業界関係者。「古着マニアは?」に対しては、「そんな人、今どきいないでしょ?」としがないセリフ…
デニムシャツとかデニムジャケットとかは着る若者が、なぜジーンズを履かなくなった?普通に、パンツの1アイテムとして使ったりはするのだろうが、チノパンや軍パンの方が、ずっと使い勝手がいいようだ。 ま、若くてチープな学生からしたら、ただでさえ貧乏なのに、ことさらチープに見えるズボンをなんでワザワザ履かなきゃいけんの?って話かも。