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Channel: 死ぬまで生きよう!
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人が人と違って当たり前

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「今の彼氏はドケチ。前の彼氏はいろいろ私に尽くしてくれたし、戴いたものも多いし、大事にとってある。比べるのはよくないかもしれないけど、あまりに違うので、比べるなっていわれてもね~」

こういう女がいた。付き合っていないから愚痴も言えるのだろうが、愚痴を愚痴として聞かないのが自分である。こういうことをいう女の問題点をすぐに察知するし、あとはそのことを指摘するか、聞き流すかは時々の気分でもあり、それ以上にその女が恋に真摯であるかどうか、性格も見て決める。なまじアドバイスといっても、分らない女には言う意味がない。

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捨て鉢な物言いか、深刻に真面目に言うか、どっちにしろこういう言葉を口に出す女は好感がもてない。いろいろ付き合えば人に対するあれやこれやの差、違いはあるだろうが、理由あって別れた男だろうし、そんな男の利点ばかりをあげるなら、何でそんないい男と別れるんだ?ということになる。だから、別れた相手の利点と新しい恋人を比べるものではない。

むしろ、別れた男の欠点と現在の恋人の利点を比較するなら悪くない。というのも、過去には戻れないし、これから先を大事にするなら前の男よりランクが下など思うべきではない。どうしてもそうしか思えないなら、今の恋人は止めるべきだ。と、もしアドバイスをするならこのように言う。言うけれども、「そうね~、確かにそのとおりだわ」となる女は頭良し。

難しいことを理解したから"頭良し"ではないのよ。これほど当たり前のコンコンチキなことはないだろうと言ってる、そのことを理解できないのは相当に「業」の強い女であろう。さもなくば振られた気晴らしにそこらの男に手を出したか、終った男の利点に固執するなど、新しい男にもし伝われば気分を害するはずだ。「お前だって比較されたら嫌だろう?」

「嫌よ~、そんなの」と、言いながらやってしまうのが女の思慮のなさ。ふつうは、自分がされて嫌な事はしないのが理性であるが、女が感情の動物というのは、「私は嫌だけど人にはしてしまう」となる。これは男にとって、到底理解できない女のバカさ加減だが、感情優先だとこうなるのだろう。なるだけではない、それが当然のごとくの言い分には呆れる。

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「だからお前みたいなバカとは話す気になれんのだよ」と何度いったか。言われても分らない女の多いこと。この不思議さは自分が女になって見なければ分らないことかも知れん。終った恋人と新しい恋人の差異に深刻になるものではないが、指摘すれば「愚痴よ~、まじめにとらないで」見たいな言い方も、女の専売特許。物事をまじめに捉えるのも男の習性だ。

つまり、男は解決することを一義に考えるし、愚痴を言って気晴らししたいなら、チャらい男を選ぶ方がいい。それにしても何でそんな解決にもならない愚痴をいいたがるのか、これも男にとっては理解しがたい。男で愚痴をいう奴がいないわけではないが、愚痴=解決法でないとするなら、愚痴の多い奴は明らかに仕事のできない無能人間であろう。

世の中、愚痴を言って問題が解決したなど聞いた事がない。いや、もっと早くから男同士の集団の中で愚痴は戒められるし、嫌われるだろうから、"男は愚痴をいうものではないな"という社会教育が中高生くらいから備わるのかも知れない。「なんだよそれは?愚痴なら止めろよ」が男の中に蔓延っている。男がなぜ愚痴を嫌い、女はなぜ愚痴を好む?

それについては記事で書いたこともあり、知りたいひとなら検索してみればいい。それよりなにより、なぜ自分が愚痴をいうかを女性は考えてみりゃわかろう。実際、愚痴の嫌いな男もなぜ嫌いか、自分のことだから分るはずだ。"自分のことだから何でも分ってる"と言う事ではないし、多くは無意識になされており、あえて自己に思考を向けてみると発見もある。

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「愚痴」は何も生まないし、1000回言ってみたところで何も変わることはない。それでも愚痴をいうのは、何かを生もうとか、変えようとしない人間ということだ。新しい何かを生む、やり方を変えるは大変だから、愚痴さえ言っておけば不満の捌け口にはなるのだろうが、男が愚痴を好まないのは、そこに自分を押しとどめて甘えてしまうと、それで終ってしまうから…。

自分はそうだし、おそらく人も同じだろう。愚痴で問題は解決しないが、愚痴に逃げるのが楽なのだろう。「煙草より体に悪い妻のグチ」と、これは生命保険会社主催のサラリーマン川柳で一等賞を得たものだ。愚痴はイメージはよくないのはどこの世界もだろう。そもそも「愚にして痴」というくらいだから、愚痴は人間の愚かさの代表格といっていい。なのになぜ言う?

時に人の愚痴に相槌うって、悪乗りすることもある。頑なでいるとクソ真面目で難しい人間の代名詞もつくだろう。「清濁併せ呑む」ということと同様に、広い視野と頭の柔らかさで生きる方が自らも楽しいはずだ。世の中が楽しいかつまらないかは、自らの関わり方によるから、楽しくないと言う奴は、自身にも問題があると、そこに気づかないと解決はない。

新しい恋人と比較云々ではなく、恋の遍歴があれば誰でも人と人との比較や差は感じるだろうが、上にも述べたように終った相手を美化し、それを新たな恋人にぶつけるのはとんでもない事だが、若い頃にはそういうハシタナイこともやってしまう。新しい恋人が傷つく事も分らぬままに、前の恋人のようになれ、と言わんばかりの仕打ちを平然とやったりする。

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これを若さの無知というが、至らぬ配慮であろう。前の恋人が自分に与えてくれた事がスタンダードになる懸念、そこを否定することだ。例えば、先の記事にあるような、誕生日に日付が変わった0時を待ちこして、「お誕生日おめでとう」だのと、隠したケーキを持ってくる女に、もし感激・感動したなら、それが強い愛情表現というスタンダードになり兼ねない。

すると、新恋人のその辺りに何か足りないもの、不満があった場合、「前の恋人はこんなふうだった」、「ここまでしてくれた」といいがちになったり、口に出して言わずとも元恋人が大きくクローズアップされることになる。それは戒めなければならないのではないか?「私はあなたの元恋人の代わりじゃないんだよね」とさっさと別れたという話を聞いた。

ひょっとして、そういう気分になった女も、あるいは男もいるんではないか?女はよくこのように言う。「昔の恋人の事はいわないで…」おそらく嫉妬心が沸き立つのだろう。だから、決して自分の元彼の話は絶対禁句と定めている。そこまでなっている女は、それを男に言って男の嫉妬に燃え狂われ、嫌な経験をしたのだろう。男は彼女の過去を気にするという。

女も気にするのは変わらないが、聞かないことで排除できるようだ。嫌な事は知らないでいたいという特質は女は持つ。男はどうか?自分にとって嫌なことでも知っておきたい心が働くようだ。"彼女の過去が気になる"で検索すると、あるわ、あるわ、読みきれない数の書き込み。「彼女の過去を気にしないようにするにはどうしたら良いか?」との建設的な問いもある。

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「気にはなるだろう、が、時間が解決する。それに委ねよ」という回答もある。「気にしなさんな!」というのは回答にはなっていない。「彼女は今、あなたを選んだんです。そのことにあなた自身が自信を持ちましょう。」というエールもある。気になることをどうすべきかは、容姿や学歴の問題も含めて難しい。自分はこの問題を以下のように諭している。

「お前が今の彼女と出会う以前の彼女を拘束できるはずがない。存在すら知らなかったわけだからな?そう考えると何ら問題はないだろう?彼女の生きてきた道、彼女が経験した一切のことをお前は好意を持つべきだ。して出会った喜びに浸るなら、お前は今の彼女を愛という名で拘束したらいい。拘束できない事は不毛であり、拘束できることに邁進しろよ。」

とりあえず言ってる事は当たり前だから、即効で頭での理解はできる。理性で理解できたら男は大丈夫である。あとは、嫉妬という醜い感情を断ち切って、よりよい男になれ、と補足する。当たり前のことを理解できなければなすすべはないことを自分はよく理解している。論理というものは、当たり前のことを理解するためにあるもので、男はそうあるべきだ。

同じことを何人もの女に言ってみたが、果たしてわかったかどうかというより、女にはそんなことを分らせる意味はないと実感した。女に必要なのは論理的理解ではなく、嫌なことから目を背ければそれで済む。中には論理思考を求める女もいるにはいるが、「見たくない」、「聞きたくない」、「行きたくない」、「触れたくない」と言うのが支配的に存在する。


どうやらそれで済ませていいようだ。見たくない物を見なきゃいけない場合、聞きたくないことを聞く必要がある場合、行きたくないところに…、触れたくないことに…、それを嫌だからと逃げていては務まらない場合が男にはある。女にもあるが、「嫌だ」と言って泣けば許してもらえる。男に行動を促す場合、なぜ自分がそれを嫌がるのかを突き詰めて考えさせる。

論理的に思考させて、やっとそれを嫌がる理由を解明し、解決する。それが効果的な人間は知能が高い。それとは別に、ぐだぐだ言わずにやってみると思考より行動に促せる方法がある。単純な人間にはこちらの方が効果的だ。どちらも「やる」という行動に変わりはないが、人には向き・不向きがあるもので、使う側はそういう性格を把握しておくといい。

自分は友人に何かをさせる場合は、この二通りを吟味して用いていた。度胸を決めてさっさと行動する人間の方が、意外とよい結果になる。やはり、度胸というのは大事な要素であろう。論理思考型は、理解すれば動くが、それに比例した度胸や勇気があるとも限らない。理解するのと度胸は別だから。それなら、理解はせずとも行動に踏み出せる人間の方が勝る。

自販機のない時代、女に薬局にコンドームを買いに行かせることをよくやった。「絶対に嫌」といって憚らない女を説得するのは自分の論理的説得術を磨く方法と思っていた。女は買う側の自分の事しか考えないし、だから嫌だと言うが、売る側に回って思考したとき、いちいち買う側についていらぬことを考えたりしないもの。相手は何百人もの購入者を見ている。

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「自分だけが変に思われるのでは…」、それがいかにバカげた思い込みであるかを諭す。「小事をものともせず、それができたお前は今日から輝く女だ!」などと滑稽なお世辞も言ったりした。論理的説得法を身につけるとかなんとか言いながら、ほんとはイジメだろう?いや、そうではなく、こんな簡単なことを実務としてやれない事が不思議であったのだ。

「何で女は何でもないことを嫌がるのか?」という素朴な疑問は、女を特別視しない男の発想であったろう。女という得たいの知れない動物に、得体を求めたのが、若い時代の男(自分)にあった。身近に「謎」がいるのはどうにも居心地がわるかったのだろう。男は女を男として考え、女は男を女として考える部分はある。同権ではあっても同質ではないのはその通り。

がしかし、女を特別視することで社会的に甘やかされている部分はある。それを特別扱いと世間は言う。今回、小保方氏の一連の騒動を見るに、やはり女は美人(?)は、どうにもこうにも甘やかされているし、それ以上に本人が甘える気でいるのが如実であった。今さらながら佐村河内と比較するが、雑草の強さという部分からしても、彼の男らしさには文句がない。

小保方や笹井氏に比べ、社会的にも下層に位置する佐村河内氏だが、新垣氏と組んだ一連の不祥事に逃げもせず、キチンと自分の尻を拭いた精神的逞しさは理研のご両人に比して格段に上である。人はそれぞれに役どころが違うから単純比較はできないが、好き嫌いでいうなら圧倒的に佐村河内氏に軍配を上げる。が、それにも増して人間的魅力を感じるのは新垣隆氏。

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堅物でいかんともし難い不器用な人間との印象だったが、何が人を変えるか分ったものではない。彼のまじめでひたむきな性格が、今は水を得た魚のように生き生きと、新たな一面を見せている。音楽的な才能はあってもあらずとも、人が生き生きしているのを見るのは清々しい。仏さまのような善人気質の新垣氏だが、いずれ自身の持つ有能なキャラに気づくだろうな。



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