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発言者気どり

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ブログをやっていてタマに思うことがある。それは「発言者気取り」の存在だ。他人のブログ巡りをあまりしない自分だが、「人気ブログですよ、御照覧あれ」とせかすシステムに押され、人気ブログを見る事はある。そういう人気ブログでありながら、どこかの記事をそっくりコピペであったりする。引用ならまだしも「小保方博士論文」流といっていい。

彼女の剽窃が問題になったが、引用と丸ごとコピペでは趣旨が違う。ブログも同様のコピペ重複記事は多いのか?自らの発言せず、記事のコピペだけのブログ開設者を「発言者気取り」といっていい。気取る理由は虚栄心なのだろう。誰でも所感を述べるための記事や書籍引用はするが、厳密には「発言者気取り」といえる。引用は自分の論を強調するためだ。

「格言」や「名言」を引用するのは、持論を権威づける目的もあろうが、そんなことより、"上手い喩えだな"と感心する。書く際に留意するのは、人があまり書かない事、触れない事、人間関係の機微、夫婦間の問題や親子の確執、子どもの成長、男女間の泥臭さなど多岐に渡るが、表面上は美しい人間関係も内実は泥沼もどきで、それを隠したり我慢したり…

人間関係が滑稽なのは、言いたいことを言えないから押し黙る。確かに我慢をすることで平和的共存を確保できるが、反面、我慢のストレスで心身に異常をきたすほどに人間は脆弱である。己の心が弱いように、実は相手の心も弱い。弱いもの同士が鬩ぎあうのが人の世なら、見えない人の心は外から判断するしかなく、当たったり外れていたりと、そこが面白い。

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「外見の派手な人は性格が派手」と言われる。実際は違っていても、そういう見方をされること多し。外見が派手でも中身が地味な人は多い。派手の定義もいろいろあるが、例えばブランド好き人間は内弁慶が多い。性格とファッション(外観)は結構関連するが、真逆を表す場合もある。なぜ日本人ブランド好きが多い?答えは簡単、日本人が内弁慶だからだろう。

ブランド品で自己実現を図りたいとの願望だ。のっぴきならぬ自己実現を手っ取り早く実現してくれるのがブランドだ。おまけにブランド指向の強い人は、権威や肩書きが大好きである反面、それがまた権威や肩書きに弱いという反動心理を示している。したがってそういう人間は、付き合う相手を己と同等、もしくはそれ以上と決め、以下は無視する傾向がある。

有名大卒女が自分と同等もしくはそれ以上を求めるのも学歴がブランドであるからで、人間性よりもブランド。安くて品質のよい商品よりもブランドのレッテルが自己価値を高める。虚飾を好む人に、事物の本質を見ろというのはまずは無理であって、自らが目覚めないかぎり虚栄心から抜け出せない。が、同じブランド好き人間でもそこまで病的欲求のない人もいる。

所持することで優越感にひたれるとの女性心理に比して、子どもの頃、若い頃、貧乏だった頃に買えなかった夢を実現したいというのが男の心理。ギターが弾けるというレベルにないのに、50万、100万のギターを買う。弾けなくても所有という自己満足感。なけなしのお金で買い揃えたアイビーファッション、憧れのブランドを身につけたい回顧主義もその傾向だ。

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派手好みで高いステータスを好むブランド依存志向女性を、生活破綻を危惧から結婚相手から外した過去がある。結婚は現実であるとの認識をもっていた自分は、彼女の現実離れした高い理想に承服できなかった。かつて女性の結婚相手と持て囃された、高身長、高学歴、高収入(いわゆる三高)が陰を潜めたのは、理想が独身ババァを作ると世の女が分かったからであろう。

ブランド好きにも様々なケースがある事を知っておくべきだ。人の隠された本質を見抜く目は大事である。「人の本心を探るためには酒を飲ませて喋らせる」というのは、会社の管理職に言われるが、これは真に正しい。酒を飲むことで日頃言えないこと、溜まっていた鬱積や鬱憤を晴らすことは誰でも経験があるだろう。もっとも超絶下戸の自分にそれはない。

いつなんどきも言いたいことを言って生きていける世の中でもなく、あまり言わずにストレスを溜めるのもよくない。言い過ぎて墓穴を掘る事もあったりと、言う、言わないの加減が難しい。飲めない人間が酒飲みの相手をして理解できないのは、何軒もハシゴする人間だ。アレは典型的な淋しがり屋だろう。表面上は豪快に飲んでいるが、心淋しい男の本音がみえる。

既婚男が家に己の居場所がない孤立感も臭う。このまま長い時間、酒に酔い、いい気分でありたい心理がハシゴ酒。妻や子どもがいたところで、心の交流がないなら寂しい家庭である。さもなくば早く家に帰って子どもの顔を見たいはず。「うるせー、女房がなんだ、あんな女怖くもなんとねえ!」とグダを巻く。男の悲哀か、結婚はまさに「人生の墓場」なり。

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酒が強くて豪放に喋る男らしい男の内面に潜む男の深い闇、そういう男に酒は必要なのだろう。もっとも、必要だから飲むわけで、酒など必要なしで生きていれる人間もいる。「酒を何で飲むのか?美味しいのか?」の疑問には、決まって「酔いたいからだよ。酔わなきゃこんなもの飲まない」という答え。いろんな問題抱えて不満のある男ほど酒で威勢がいい。

「無くて七癖」ではないが、ぶつぶつ独り言をいう男がいる。いろいろ付き合って分かる事だが、そういう奴はマジメ人間である。マジメにコツコツ努力型の人間に独り言が多いのは、心理学的にはセルフコントロールと深い関わりがあるからだ。独り言は内と外との自己対話で、「自己肯定感を得ること」で、「自尊心を保つ」ことに繋がっているといわれる。

「これで良いのか?」と自己に問いかけ、確認する。これが独り言の性質だ。動揺しても不安であっても、「自分の真意は何処にあるのか」、「自分を信じられるのか」といった自問であり、自答であり、「自らを支える根拠」が言葉になって発せられた「自己確認」である。独り暮らし者が自宅でいう独り言は、「己の存在確認」意識が働いているのだろう。

イメージ 5「ぶつぶつ独り言をいう奴」と、ネガティブな見方をされ、敬遠したり、遠巻きに見るだけでなく、そういう彼らはマジメでストレスを溜め易い人間なので、それらを上手く取り除いてやるなら一生懸命に働くタイプである。長期接していて分る事も多いが、人がその人の傾向をもっとも示すのが実は初対面である。初対面には新鮮な "朱に染まらぬ"情報が多い。
間違った判断もあるが、「付き合ってみて分る」というのはいわれがちだが、実は相手が自分に合わせる要領を得たとの言い方もできるが、初対面ではそれがない。あまり注意を払わない、意識もそれほどない初対面時の何気ない言葉が、相手の本質を晒していたりする。初対面ほど面白く、緊張感に満ちた「素」の人間関係は、初対面だからこそ味わえる醍醐味か。

女性に多いナルシスト。女性のナルシストは「美意識」に対する執着心に関する場合が多く、男のナルシストは「できる」、「持っている」、「もてる」などの気取り屋、自惚れ屋が目立つ。女性の習い事好き、資格好きは、自身の知識を深めたいという気持ちであるよりも、"レベルアップをする自分を傍から見るのが好き"という、ナルシシズムが働いている。

これは「恋をしたい」、「誰かを好きていたい」という自己の内面動機以上に、"誰かを好きでいる自分が好き"というナルシシズムと同義。誰かに恋するでなく、「恋に恋する少女」という言葉がある。女はめざとく周囲を見ながら生きていくが、さらには自らをもめざとく監視する別の自分がいる。アロマテラピーや紙粘土、絵手紙が流行ったときがあった。

それらのことを本当に好きだからやって見たいではなく、そういうことをやっている自分が女としてかわいいとか、教養があるとかは、当時傍にいた女から得た印象だ。綺麗な下着に身を包まれている自分がかわいいということに類す女心。自身の下着に拘る男とてナルシスト。男が下着に?だからであろう。習い事や趣味などにも当然個々の人生観が反映する。

恋人とレストランに行き、何かを注文するときの態度、仕草からも人間の本性は現れる。ファミレスのようにメニユーを二つ渡されるならともかく、一つの場合、自分は先に手に取り、さっさと決めてしまう。食い物を迷ったり、時間をかけるなどはなく、それからメニユーを相手に渡すが、わざとトイレに立つなど、席を外したりをする事がよくあった。

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理由は、女があれこれ悩むのをせかす自分に気づいたこともあったからで、確かに女の優柔不断は、食事のオーダーと洋服選びと思っている。男の即断・即決は「早飯、早糞、早漏れ」と言われるように、ちんたら悠長にやっていられない。いつ寝首を掻かれるかわからない、危機管理意識の遺伝子かは不明だが、せわしさ、あわただしさは男の持病である。

恋人と買い物に行き、数度の試着に耐えて待つ男は、男の女性化現象、決して優しいなどではない。男の遺伝子が変わっているのだ。最近、「遺伝子は変わる」という事実を知った。進化論の考え方は、ランダムに起きた突然変異体のうち、環境に適したものが生き残る確率がより高くなるために生存競争に打ち勝って残されていく、ということになっている。

それが何世代にもわたって選抜された結果であり、そういう意味で遺伝子の変化は起こる。女性上位社会になり、そのことが上に記された「環境に適したものが生き残る確率がより高くなるために生存競争に打ち勝つ」ということのようで、何とかメスに気にいられるため男は自らの遺伝子まで変えて女性化していく。女性が強く逞しい男を求めなくなったということだ。

女が男に自分に合わせるように迫ったりワガママいっても、男が女に迎合しすぎて男の潜在気質や能力を失うのは問題。そんな男のプライドを奪ってまで自分を押し通そうとする女は、男をダメにする典型。男は実は強いようで弱く、女はしたたかに生きていける生命力がある。よって、男の自尊心を踏みにじったり、失わせたりすると、男は益々いじけてしまう。

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次のような事例がある。妻が浮気をした。夫に分った時「申し訳なかった。もう二度としない」と謝ったので夫は妻を許した。しかし、浮気をした妻への嫉妬が癒えず、ことあるごとに妻への嫌味を言い、詰ったりした。そういう毎日にほとほと嫌気のした妻は「後の事は弁護士に…」とメモを置いて子どもと家を出た。夫はその後、やむなく協議離婚に応じた。

夫から離れた妻は気丈にも実家になど帰らず、子連れで住み込みの寮母の仕事に就いた。好きな料理を作っては寮生たちから「美味しかった」、「いつもありがとう」の言葉を拠り所に仕事に精を出した。夫からは感謝の言葉一つかけらず、「俺が食わせてやっている」と恩着せがましく言われた過去を振り返り、自ら職に就き母子楽しく暮らせる喜びを味わった。

結婚だけが人生の幸福ではない。幸せな結婚生活も惰性の生活もある。浮気はいけないが、責任を取った後のことを考えれば、それも新たな生き甲斐を見つけるきっかけになったのは事実。浮気は許されないとはいっても、見つからない浮気は何に許されないのか?道徳、倫理に許されないなら、不倫理という行動があるではないか。つまらぬ結婚なら止めばいい。

可もなく不可もないというなら何とか惰性でやっていけるが、早いうちから夫の悪口の耐えない妻は、自分の性悪性格が問題である事に気づいていない。「ウチのバカ夫は何もしてくれないし、休みの日に家でゴロゴロ、ああもううざったい」という妻も同罪のである。愛のなくなった夫を貶すのはいいが、そういう夫を選んだ自分の責任はどうなんだと。

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親から強制的に一緒にさせられたわけでもあるまい。どんな素敵な芸能人に憧れてみたところで、一緒に生活すれば問題は起きてくる。「隣の芝生はいつも青い」、ない物ねだりで得をする事もない。はたして、父親を尊敬しないようにと教えられ、粗大ゴミ呼ばわりする母親を前に、子どもが立派に育つ道理がない。自分を貶す妻に優しい言葉をかける夫はいない。

子どもを味方につけようとする女の浅ましさに比べ、夫は子どもに「お母さんみたいになるんじゃない」などと無思慮な言葉は言わないものだ。こういう結婚生活を続ける理由がどこにあるかと思う。熟年離婚は若年離婚と比べて、新たな人生の見つけ方ではないか。二人の人生に不満なくばいいけれども、不満と我慢の人生なら、妻は夫を見切るべきである。

夫が妻を見切る場合は、往々にして一緒に暮らしたい若い女が現れたとき…。どちらも新たな人生設計であろう。50過ぎれば若い女と居たいという男の理想は、男なら理解できる。が、50女が20代、30代の男に見初められることは残念ながらない。その理由は男にとって、ハリのある女の若い体は安心感を覚えるといわれている。理由というより本能的なもの。

男が若い女を求める6つの理由として、①自分が優位に立てる、②肌が綺麗、③自分が若くいたい、④尊敬してくれる、⑤精神年齢が若い、⑥子供が沢山欲しい、などがあると言われている。人によって充てはならないこともあるが、男はプライドの生き物で、プライドを傷つけられるのを嫌がる、幼い母親の肌の記憶、若い女性が若さをくれる、若い女性は年上男に憧れる。

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男は精神年齢が幼い、などの理由が考えられる。どういう理由か、20代~30代の女性は、同年代の男がガキっぽくて嫌だという。先日も歯科医院で衛生士がふと、「わたし、同年代の男の人と話が合いません」と言う。確かに、安定感のある落ち着いた雰囲気の女性である。やはりというか、女は本質的に頼れて優しく(見せ掛けではなく)行動力ある男に憧れるのだろう。

などと今宵も思うところを書いたが、自分と同じことを書いてるブロガーはいないだろう。何かを書いたり述べたりすれば発言者であるが、のっけに言ったように気取ったところで人間はたかが知れたもの。何はともあれ書きたいことを書く。思考という無文字を活字にする作業はなんとも心地よい脳トレである。




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