ネットでいろいろなものを買ったが、今回ほどガッカリしたことはない。が、失敗の原因はすべて自分にある。商品はまぎれもないネットの画像と同じものだが、購入の最大動機は色合いであったことが失敗だった。買ったのは将棋の駒で、購入を決めた最大の理由は駒の色であった。ネットに表示してあった駒の飴色に一目惚れしてしまったのだが…
届いて開けてみると、「何じゃコリャ!」であった。自分は本当にこれを買ったのかと瞬間疑い、早速ネットの表示画像を比べてみるが、まぎれもない欲しかった駒である。色白美人ならいいが、色白駒である。これまで購入した洋服など、黄色表示であっても実際の商品と表示色が違うものは多かったが、黄色は黄色であって、色の諧調までは望むべくもないと妥協した。
色の諧調に拘るならネットで購入はダメだろう。自分の意図する黄色や青や表示色が似ていても、それは単に似ているに過ぎない。逆のことも考えられる。逆とは、表示された色が自分の好みと少し違っており、妥協して注文したところ、届いた商品はまぎれもない自分の望む色であった。これはうれしい限りで喜びも増すが、残念ながらこういう経験は一度もない。
表示色と実際の違いに妥協するしかなかった。そういう経験から、シビアな色調を望むならネット購入は無理というくらいの意識は自分にもある。VANのホームページにも以下の記述がある。「※商品の色や質感を出来るだけ忠実に再現するよう心掛けていますが、実物と若干異なる場合がございます。また、製品の仕様は一部撮影時と異なる場合がございます。」
注意書きとお断りで、これを読む限り返品は可能だろう。サイズ違いでの返品は、購入者の不注意であり、身幅や袖丈などが数字記入してあって、それでも販売側はクレームには柔軟に対応するだろう。このことは、「手に取って見えないものを購入するネット販売における暗黙のルール」と思われる。顧客の不注意、顧客が悪いの一点張りでは、ネットの需要者は減るばかり。
「ネットでは物を買わないと」頑なに拒否する人はいる。過去に失敗体験があるのかも知れない。また、用心深い人はやはり自分の目で細部や色具合、手に取って質感なりを確かめる人であろう。その辺は大雑把な自分だから、洋服は生地どうとかより、デザイン重視である。多少のサイズ違いも許容する。そんな自分だが、実はお店であり得ないトラブルを経験した。
ここにも書いたが、広島で唯一VANを扱っている老舗の「セビロ屋」。あそこでの体験は、驚きとか憤慨のレベルを超えていた。実害はなかったが、「もう来なくていい」といわれたのも初体験。「セビロ屋」での一件は、本来は起こるはずのないことで、それがなぜ起こったかいろいろ考えたが、意図的に顧客を嵌めてやろうという目論見があったと結論した。
ならば、なぜ自分が被害者となったか?想定できる範囲で検証してみたが、自分が嵌めやすい客に見えたという以外に答えは見出せなかった。和気あいあい世間話を交わす気さくな感じの客に映ったろうが、それで相手を騙そうとするだろうか?頼んだものとは違う類似の別商品を取り寄せ、「あなたが頼んだのはコレだ!」と、普通そんなことをするだろうか?
確かに似てはいるが、意図した商品とは違っても、「まあいいや」と仕方なく購入する客がいるのだろうか?そうであっても、なくても、問題はそういうことではなく、やり方がアンフェアである。取り寄せられた商品を見た時、「なにこれ?こんなの頼んでないだろ?」とハッキリいった。驚くというより、何かの間違いと思った。当初は店が勘違いしたのかなと…。
「えっ、違ってますか?どうもすいません」くらいかなと…。ところが、「あなたが頼んだのはコレです」というので話はオカシクなる。「ちょっと待った、どうかしてない?販売終了商品のプレミアムウィンドブレーカーっていったろ?ここにあって試着したろ?これは商品名もコーチジャケットじゃないか。これは持ってるよ」と言った時に、店の言い方に疑念を抱く。
「あなたが何を持っているかなど知るわけないでしょ?」という。この言い方は何だ?問題は頼んだ商品がなんであるかなのに、「あなたが何を持っているか知るわけない」と、この言葉の真意は?お店の言葉から自分は咄嗟に状況判断をした。これは単純ミスというのではないな。意図的に違う商品を押し付けようとしたが、相手はそれを持ってるという。それで当てがハズレた…。
店の意図を察知した自分は、その言い方に強く抗弁した。「あんたは、自分の持っているものを買うか?」。自分の言葉に店は返す言葉を失った。細い声で、「コーチジャケットもウィンドブレーカーも同じです」と苦し紛れを言う。そのとき自分は、VANの特約店が、「コーチジャケットとウィンドブレーカーは同じ」などと言ってるようでは不細工すぎるし、これはもうダメだ。
ここでは商品を買わないと、「こんなことをやってるような店なんか、二度と来ない」というと、店も、「二度と来ないでいいです」という。普通は言わない言葉だろう。店のミスを謝罪するのだろうが、一切が意図的に仕組まれたものだから、謝る筋合いではない。本当に無茶苦茶で困った客にいうなら分かるが、目論見が外れた客に謝罪もせずにこんなことでは…。
今時、こんな店もあるのかと。大体のことは経験はしたし、経験はなくとも想定はできるが、この件は、「あり得ない」、「まったくの想定外」というものだった。そこまで店は経営に追い詰められているのか?それとも、よほど自分がカモられる顧客と見えたのか、あまりのリスク行為に対し、店の意図を知りたくなった。何らかの言い分を聞けるのかと、後日店にメールをした。
嘘でも言い逃れくらいはするだろうと…。表題は「顧客を舐めたらだめだろ?」で、一部掲載。「あきれた『セビロ屋』だったな。今回のマヌケな対応をVANにも伝えたが、「当該店と食い違いが発生してる」といっていた。言い訳もほどほどにしろよ。以下はブログにも書いたことだが、よく読んで反省した方がいい。あんなやり方が客に通用すると思うのか?
やってることがバカ過ぎる。販売終了商品を探してみますとこちらに恩を売るのはいい。その時点ではこちらも親切で商売熱心と感じ入った。なのに、現行商品を取り寄せ、しかも購入済の商品だ。宛がハズれたのだろうが、これがマヌケでなくて何だ?こういうことは絶対に起こらないが、貴店はそれくらいバカか?謝罪させるというVANには「結構」といっておいた。(以下略)
意図的に相手を嵌めようとした者が後の謝罪って、そんなバカげたくだらないものは御免被りたい。ネットで見えない商品を買う不安や、見えないことで派生するトラブルは、種々の防止を企てても起こり得るが、実際の店舗で、商品を手にとり、双方納得のコミュニケーションもとり、なのにこんなことは「あり得ない」を超えている。というお店での貴重な体験だった。
アンビリーバブル体験ということで、ついつい寄り道だったが、今回ネットで購入した将棋の駒は、開けた瞬間から、「しまった!買わなきゃよかった!」であった。しかし、クレームで返品するような落ち度は売り手にもなく、無理をいう愚か者ではない。駒を買ったのは40年ぶりで、もちろんネットで駒は初体験。これも勉強だ、二度とネットで駒は買えない。
売り主の画像で見る購入商品は、故意に良い色合い、風合いで撮るものだろう。駒や盤などは新品に価値はなく、経年によって骨董的価値がでてくるものだが、今回手にした商品と、販売画像の色の風合いはあり得ないほどの差。意図的に画像処理するのは詐欺とも言えない。肉に赤い着色料を交えて鮮度を良く見せることが問題になったことがあった。
今はそういうことはやれない監視環境だが、養鶏場経営の友人がこんなことを教えてくれた。「餌に黄色い着色料を混ぜて、黄身を濃く見せるのは普通にやる」。20年くらい前に聞いたことだが、今はどうなのか?見栄え重視の食品事情だったようだ。駒も含めてネット販売の商品は、画像データの色調調整するのだろう。それを考えなかった自分が甘かった。
駒の材はツゲ(黄楊)であり、黄色い材質が基本だ。ツゲといえば日本人には印鑑や櫛などが馴染み深いが、昨今は印鑑も櫛も需要が以前ほどなくなっている。ツゲ材は御蔵島、薩摩、シャム(タイ王国の旧名)が産地で、島黄楊、薩摩黄楊、シャム黄楊と言われたが、島黄楊が緻密で最高級品である。現在は中国産も重宝されているが、良い材が少なくなったのは事実。
自分が購入したのは、存命中の駒師中澤蛍雪(1947年~)作の盛上駒。駒は骨董的価値が高く、値が張る人気駒師といえば、宮松影水(1928年~1972年)、奥野一香(1866年~1921年)、豊島龍山(初代1862年~1940年、2代1904年~1940年)らであろう。100万以上も珍しくなく、いずれも50万円を超える。駒の材自体が古木であり、作成年代が古いゆえに高価となる。
盤も駒も趣味が講じて道楽になってしまうが、この年になると、ほどほどにしておかないと、自分の死後、処分に困るだろう。今回で最後にしようとの思いで購入した。それが、残念な商品だっただけに、次が欲しい気もあるが、止めておく。靴も多くてげた箱が溢れ、クローゼットの服も満杯だ。将棋盤も現在6寸盤が三面、後は3寸、2寸、1寸の卓上盤が3面ある。
何かが欲しくて買いまくっているときは、それも生き甲斐だったようだ。今後はしなやかに穏やかに暮らすことに専念する。収集癖のある夫が他界し、蔵書や趣味の逸品などを遺族はどうするのだろう?生きていてこそ役にも立とうが、本人が不在ならガラクタである。今回購入した駒も、数十年もすれば骨董的風合いもでてこようが、数十年なら自分はもう…