47都道府県の中で唯一18歳未満とのみだらな性行為を禁止する「青少年健全育成条例」などがない長野県。県警の佐々木真郎本部長は昨年6月の県議会で、「インターネットに『長野県内のホテルに少女を連れ込んでも条例や法律に違反しない』という趣旨の書き込みがあった」と危機感をつのらせ、「条例がないため摘発できなかった事例が散見される」と、県に条例の制定を求めた。
異例の要請に県弁護士会は、「自由恋愛が前提の(未成年)男女間の交際までも規制するものだ」と反対の意向を表明した。阿部守一県知事は、「広く意見を聞いて対応を決めたい」と慎重な姿勢をみせた。長野県の市町村内では東御市が唯一、淫行処罰規定がある市青少年健全育成条例を制定している。条例がなくても「児童福祉法違反」でしょっぴけるし、県はそれで対処してきた。
青少年保護に詳しい甲南大学法科大学院(神戸市)の園田寿教授(刑事法)は、「条例では大学生と18歳未満の高校生の恋愛も処罰される可能性がある。こういう場合も処罰する必要があるのかどうなのか、もう少し議論の必要がある」と話している。また、長野市に「青少年健全育成条例」はないが、「長野市青少年保護育成条例」があり、処罰規定が緩やかなのが他県の条例と異なる。
外国での18歳未満の性はどうなっている?香港では相手が20歳までに親告すれば犯罪となり、アメリカ・マサチューセッツ州では16歳未満との性行為を制限するものがある。性行為に関する年齢制限(性交同意年齢)だが、性交同意年齢が、性行為に関する実質的理解が可能か否かを基準に設定されている、淫行条例は性行為に関する実質的理解ができても「みだらな」ものは違法とする。
東アジア・東南アジア・中近東諸国では、未成年の性に関する規制はなく、あるのはレイプ関係のみ。ヨーロッパはどうか?東側諸国は分らないが西側諸国にはない。もっともこのような倫理観を伴う問題は、宗教上の教えがその基本となっており、キリスト教・ヒンズー教・イスラム教・仏教などがそれにあたる。年齢でSEXを否定する宗教はないし、15才程度の花嫁も珍しくない地域も多い。
後進諸国では、経済的な問題や社会的通念から、早期結婚もかなり見受けられる。西側先進国においても、売春は取締の対照となっているケースが見受けられる(英国)が、ドイツ、オランダのように売春そのものでさえ、規制されていない国もある。ただし、ロリータ系の問題を規制する国はあるが、日本のように18歳をロリータとしない。宗教色のない日本では性意識がファッション化傾向にある。
本人の意思で好んでSEX行為を行なう時、その判断者の年齢が問われるというのは児童保護を超えた過保護であろう。なにより本人の意思であって、13歳や15歳でしたい子も18歳でしたくない子もいるわけだ。早期妊娠や出産については医学的な問題はあるが、早期性行為が医学的に問題アリというのはどこにも書かれてない。こういう快感を早くから知るのはよくないというのが禁止理由。
園田教授の自由恋愛を規制する点に異論はない。確かに条例で締め付けている都府県にあっては、青少年との真摯な恋愛における性行為まで逮捕される事例が存在するし、これ自体問題である。青少年の権利を侵害しない性行為、特に真摯な恋愛での性行為に対し、処罰される可能性含む条例、地方自治体が道徳を国民に強制する性質を有する条例を押しつけていいのかという問題。
ただし、青少年が望んでいない性行為を強要される事については、青少年の権利の観点から問題にされるべきであろう。長野県が条例制定に前向きでないのは、青少年の健全育成については住民や関係団体、行政が一体となった県民総ぐるみの運動を推進するという基本方針に立った住民運動、関係業界の自主規制、行政の啓発努力など、地域ぐるみで青少年の健全育成に効果をあげた自負がある。
が、それも昔の話で、近年のインターネット等の急速な普及、価値観の変化等社会環境が大きく変化し、子どもが性被害に巻き込まれる事件が増加している。そんな中で長野県も「子どもを性被害等から守る専門委員会」を設置し、法規制の必要性も排除せず、子どもたちを性被害から守るための方策を検討しているというが、ネットが性犯罪の温床であるなら、つまらぬ自負に拘るべきでない。
性行為が恋愛でなされるか本能欲求でなされるかの線引きができない以上すべきではないが、レイプや強姦と区別してそこは取り締まらなければならない。15歳や16歳が本人の意思で性行為するのを淫行条例で取り締まるのは日本的な過保護。「18歳未満の少女は思慮も浅く、大人の口車に簡単に乗ってしまうから、法で保護しなければならない」という考えに基づいており、人権侵害である。
人権侵害は少年法との絡みもある。つまり、少年法の適用を受けるような年齢では、正常な判断が下せないとし、SEXの自由という問題に限らず、自由を主張する判断能力がまだ問題であるということ。刑犯罪に問われない少年法適用下でのSEXの自由の主張は、釈然としないという考え方による。よって、SEXなどの自由を主張するなら、少年法の適用年齢をさらに下げるか、廃止かの論議となる。
個人的には、成人年齢を20歳から18歳に引き下げ、15歳程度以上のSEXを規制を止める。自分の想像だが、飲酒運転や相次ぐひき逃げなどから、悪質運転厳罰化に効果が見られないように、淫行条例が抑止とならない者は多い。少女とやったらさっさと跡形もなく消えられた経験を有す女性の苦しみは大きい。数ヶ月程度付き合って別れるならまだしも、いかにもヤリ逃げは悲しすぎる。
淫行条例があるから足がつく前にさっさと逃げるのだろうか?保護される女性側に刑罰が発生しない以上、18歳を15歳にしたからといって、男が少女に対する性的搾取の抑止が増すとは思えない。こんにち未成年者の飲酒は多く、飲酒を20歳から18歳に下げたところで変化はないと同様に、淫行条例と言うのは、甚だしく女性を過保護下においている。例えばこういう論理も成り立つ。
未熟で正常な判断が出来ず、少年法や淫行条例の下におかれて刑事罰から逃れられるような者が、SEXをして子供を作れるはずはない、ということ。SEXは表現の自由や基本的人権との考えとは別に、子供が出来る確率は0%でないし、親となる可能性があるわけだ。そのような者が、少年法や淫行条例の傘の下で擁護ざれるべきではないし、「社会的に責任をとれ!」という提言だ。
確かに少女をたぶらかす大人はいるが、大人をたぶらかす少女もいるわけで、買春は罰せられるのに売春は罰せられないのはなぜ?厳密には売春は売った側も違法行為で年齢も関係ない。なぜなら、売春防止法3条に、「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」と明記されている。ただし、違法ではあってもこの法律には罰が無く、したがって法律上では罰せられない。
相手が18歳未満だった場合は売春防止法ではなく、『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』という法律で裁かれることになる。対象は淫行条例ではない。法律の主旨は、「児童の保護」であり、よって対象行為は「売春」でなく「買春」で、はじめから「買った側を裁く法律」であって、売った側を裁くようになっていない。なので当然買った側にしか罰がない。
18歳未満の人間に淫らな行為をすることが違法であって、18歳未満の人間が淫らな行為を要求し誘うのは違法でない。これが児童保護というなら、「そんなもんイラン、あって迷惑」という少女も多い。さらに近年の少女はしたたかである。こういう法律の存在を知っていて、金品をゆする中高生もいるという。「おっさん、もっと金くれんと警察にいうで!」などと、これは立派な強請りである。
が、文句は言えまい。法を犯したものの弱みだ。中高生をナメたら遺憾ぜよというか、少女保護の法律がおっさん受難と化す。いかに脅迫されようが、強請られようが、おっさんはどうすることもできない。ヤリ逃げされて夜毎泣いて暮らす純な少女もいる反面、気をつけなければいけない少女もいる。やりたいことをやって、「間違えて子どもできちゃった~」という少女のバカさには呆れる。
SEXしたなら子供が出来ることもあるとの意識もなく、こんな言い分けで事を収めようとする。これが今のこの国の原状だろ。保護、保護、保護で自己責任がどうして身につく?快楽の為だけのSEXが100%である10代のSEXを、自由という名のもとに認知するのは少年保護にはならない。何より責任を持たせる教育が重要で、それにシフトするなら淫行条例などアンバランスな法も撤去できる。
自己責任を高める教育といえ、高まらない奴も無視する奴もいる。それはまあ人間に能力の差がある以上当然だ。が、高まらない、無視することも含めて自己責任の洗礼を浴びればいいし、浴びれば分かる事だし、そこまで過保護にすることはない。それが成熟した国家のあり方だ。日本は青少年に甘すぎる。たしかに淫行条例の主旨は、「性的搾取」の部分もある。
「性的搾取」とは、15歳同士がSEXしても罪にならないが、20歳が15歳の性を搾取する、搾取したという論理である。レイプならともかく、保護の名の元にこれはオカシイ。「弱き者よ汝は女なり」ではないが、弱者救済が弱者でない場合も多く、「淫行条例なんか、イランわ」という女性を対象にしていない。いずれにしろ、自己責任で生きるということを主眼においた教育がなされるべきであろう。
「自己責任は困る。依存したい」という考えを徐々になくし、高校入学となれば自立を目指す子どもを作るべきだが、親が子どもに依存し、大枚はたいて勉強をお願いする今の日本の現状では親教育が先決であろう。親が子どもに依存する限り、自己責任は育まれない。つまり、親がその芽を摘み取っている。勉強をしたいからする、将来は○○になりたいから、それを目指したものをする。
これが理想だが、親が子どもに割って入りすぎる。口を出しすぎる。お金を出しすぎる。これみな親の都合。といえば、「いや、子の将来のため」と言う。それならそれでいいが、「自己責任感をいつ、どのようにしてつけさせようとするんだ?」と聞いたら、「そんなもん、自然に身につくんじゃないの?」といわれれば、「はいはい、自然に身に付くといいね~」決まり言葉でお開きにするしかない。
自然に身につくってのは安易で都合のいい方便だ。身につかなかったらという危機感がないから、こういう言葉が吐けるのだ。あるいは、成績に比べてどうでもいいことなのだろう。あまち興味のないことは自然に身につくと言っておればいいのだ。勉強の危機感はあってもこういう危機感が親にない。勉強が大事でないとは言わないが、並行して人間を作っていかねばねダメなんだな。
社会ではそれが一番求められることって、分かってないんだよ、親が。勉強できたら人に好かれて、成功すると思ってるんかも。使い物にならない人間っていっぱいいるけどな。躾が行き届いてないのはすぐに分る。人間は本当に一人で生きられないから、死ぬまで人間関係はついて回るし、とくに会社と言う組織の中ではその悩みは尽きない。会社を辞める理由の断トツは人間関係だ。
仕事のキツさ、辛さ、給料の安さより、人づき合いのウェイトが大きい。とかく人間関係は難しい。そんなところにも嫌なやつはいるし、どう対処するかに苦慮するのだろうが、とにかく嫌なやつは必要最小限の会話しかしないことだ。無視するに限る。無視して悪いなどと思わぬこと。露骨に無視し立っていいくらいだ。そもそも嫌な相手と人間関係を円滑にしようという態度がどうかしてる。
その場合は大抵相手に合わそうとする場合が多い。「どうしたら人に好かれる」などの本など読む意味がない。普通にしていて好かれる奴には好かれるし、嫌いだといわれるなら何も気にすることない。相手におもねる、合わせるは大変だろう。で、なぜそうしなくちゃいけないんだ?そこを考えてみればいいのよ。自分が嫌ってる相手にまで好かれようとしていないか?何の得でそうするんだ?
カンで合わないと思ったら大概合わないんだよ。積み重ねた経験からの直観力やカンと言うのはある。「女のカン」というくらい、実は女の方が優れているのかも知れない。おそらく女の方が論理性に頼らない自由な発想ができるからかも知れん。カンは無意識のメッセージだ。人間関係でつまづく人は、寡黙で口下手な人が多い。そういう人は他人から「チャンといわないからだよ」と叱られる。
言わないではない、言えないから寡黙なんだし、さらには「上手く言えない」から口下手なのだ。それを責めてもそんな、急にできるようにはならない。寡黙で口下手な人は襲い掛かる試練に対応する術を編み出すことだ。ブログなどで文章書いてみるのも、自己啓発になるかも知れない。確かに口下手でもごもごと何をいってるのか分らない人間はいる。そういう人だと思えばどうってことないだ。
世間はそういう人ばかりではない。だから会社を辞めようとするのだろう。なぜ口下手なのか、なぜ寡黙なのかは分らないが、喋る、話すという時間を多く持たなかったからだろうと想像できる。自分も口下手でもごもごな奴は頭に来たというか、イライラする事はあった。若い頃だから仕方がない。今は大概の人間に対処できる引き出しを持ち、相手に合わせて対応するようにしている。
基本的に誠実に答えようとするし、それを欠かさないが、相手の性格や物言いや性格の歪などが露呈した場合は、誠実に答える事ができない。それは無意識にそうなるのだ。あからさまに嫌悪感を出したり、嫌味やつらみをいうような子どもじみた対応はしないが、不真面目でチャラけるようだ。「ようだ」というのは無意識の自然発生である。その手の人間とはまともに話す気がしないのだろう。
なんかコイツ、チャラけてるなと相手が悟れば対応を考えるだろう。面倒な事は相手に考えさせる。まあ、そういうこと一切合財が、「人間関係のしきたり」というものだ。別に誰からも好かれる人になどなる必要はないのだし…。そういう気持ちが強すぎると、どこかで無理をする。とにかく、自分に無理をせず、自分に正直に生きていれば、そうそう悩むことはない。
人づきあいは男も女も基本は一緒。彼女とか恋人となれば別の部分もあるが、明るく楽しく生きていくための極意は、「無理をしないこと」。分っていても無理をしてしまうのが人間。どうしたら無理をしないで自分に正直に生きていけるか?無理をせず正直に生きる自分にその答えは分らない。ただ、そうしている、できるというだけ。答えになっていないが、実際そういうこと。
「青少年健全育成条例」は青少年の性を無理に禁止をしていないが、おっさんは若い子を性の対象にするなよということ。若い蕾はおっさんの回春剤なのだろうが、「わかっちゃいるけどやめられない」なら、それは「わかっちゃいない」ということだから、どんどんしょっ引かれるしかあるまい。少女買春でしょっ引かれたらオワリだろ?みっともなさ過ぎ。
それでもおっさんは若い柔肌に憧れるなら、お楽しみの後には地獄が…との覚悟でやれ! 若い男の子の少女遊びだが、これは回春というより、需給の問題だ。昨今は供給過多に思える。性をファンションのごとく考える少女が多い現状では、仕方がない。供給過多なら生産調整するのが経済効率だが、少女の性への憧れを他人が止められない。