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老人ボケと認知症

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年明けから老人ネタを集中したが、今後も折に触れて書く。自分の老人感は子に遺産をちらつかせて依存するより、猿山のボスが老齢で行方不明になるように、蓄えを持ってさっさと終の棲家をみつけ、そこで新たな仲間と共に生きる事。先に書いた、"老いたらこどもと縁切り宣言"を自ら率先して行うことだ。が、その辺の割り切りができないのが日本人的依存心。
 
「ボケ老人」という言葉があった。今でも使えるが「品がよろしくない」、「年寄りを小バカにしている」などから使われなくなったようだが、「どうも最近ボケてきたわ」のように、自分で言うのは和ましい。ボケというのは意味を率直に捉えており、よって便利な言葉である。「認知症」と言う言葉を総称して使うが、「老人ボケ」=「認知症」と勘違いしてる人は多い。
 
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確かに「老人ボケ」は「認知症」が原因で起こるものもあるが、生理的な老化現象である「老人ボケ」と「認知症」はまったく別である。確かに「認知症」の最も中心的症状は"物忘れ"だが、物忘れ=認知症ではない。人間の脳は知性だけでなく、精神や理性をもつかさどっており、認知症は脳が広範囲に障害され、それが回復できなくなった状態を意味している。
 
よって認知症とは単なる知性(記憶に代表される知的能力)の低下にとどまらず、理性や精神の障害をもひき起こす。認知症で生ずる物忘れと、ふつうの老化現象とではどこがちがうのか。初期時期にこれを見分けることは困難だが、認知症がある程度まで進行すると見分けることはさほど難しくない。年寄りの特徴的な認知症による物忘れは比較的最近の記憶の障害から始まる。
 
昨日のこと、「さっき言ったこと・言われたこと・頼まれたこと」、大切な約束など、その具体的内容の一部にとどまらず「そういうことがあった」ことを、すっかり忘れてしまう。ようするに、記憶を保てる時間が非常に短くなり、そのときはしっかり覚えたつもりでも数分たつと忘れてしまう。食事がすんだばかりなのに、「ごはんはまだ?」は認知症の記憶障害の一例。
 
時間・場所・人物に関する記憶を見当識という。これらの記憶は日常生活には欠かせないものだが、認知症が進行すると、時間・場所・人物の順番で見当識が失われて行く。これを(失見当)と言う。日付があやしくなり、月日の感覚が大きくずれる。その人なら当然知っているはずの場所(近所や自宅の中など)で迷子になったり、自宅にいるのに「家に帰る」などと言う。
 
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記憶障害がかなり進行すると、息子や娘を自分の兄弟姉妹と、孫を自分の子どもなどと間違う。認知症患者は自らの物忘れの程度を正確に自覚することはほとんどなく、これが家族にとって何とも扱いにくい問題だが、認知症になっても人生に絶望せずに生きて行こうとする、人間の心理的な防衛機制が作用していると考えられている。物忘れ以外の認知症の症状もある。
 
言語を介するコミュニケーションが困難となる。話の了解が悪くなり、自分の意志を言葉でうまく伝えることができない(失語症状)。ちぐはぐな応答や語句の言いまちがいが頻繁になり、簡単な指示が理解できず、「あれ」、「これ」などの代名詞を多用する。運動障害もなく、どのような行為を行なうべきか十分理解しているのに要求された行動をとれない状態(失行)となる。
 
例えば、洋服をきちんと着ることができない、鍵の開け方がわからない、ガスのつけ方がわからない、排泄の後始末ができないなど。また、物は見えているのに見たものが何であるかわからないなど、大脳の高次機能の障害もみられる(失認)。さらに病気の症状としては見過ごされやすい性格の変化も現れ、多くの認知症患者に共通しているのは無関心と言われる。
 
かつての趣味に関心を示さないなどの軽度の関心低下から、入浴や着替えをしなくても平気でいたりなどと程度はさまざまだが、こうした無関心を背景に、元々の性格が強調されたりする。節約家だった人がお金に執着心が強くなったり、疑い深い人が配偶者に病的な嫉妬心を抱くなどの性格変化は、病気の症状でもその人の性格の延長線上にあるものと誤解されやすい。
 
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上記したものは、認知症のさまざまな症状のなかでも、治らない部分(中核症状と呼ばれる)のものだが、必ずしもすべてが出揃うわけではない。物忘れを中心とする、失語や失行が加わることもあったり、物忘れと軽度の性格変化だけで穏やかに認知症が進行するケースもあったり、病気の展開は個人差が大きく、病気の種類や発症年齢などによっても異なると言う。
 
認知症には中核症状に加えて、種々の精神症状や行動異常に及ぶ事もある。「物盗られ妄想」、「被害妄想」、「徘徊」、「興奮」、「不眠・夜間せん妄」などがあげられるが、すべてが出現するわけではなくケースバイケースであるし、知的機能が低下しながらなんとか現実を生きていこうとする努力の現われや、心理的な安定を確保するための自己防衛的な反応もある。
 
「認知症」はかつて「老人性痴呆」といったが、2004年に厚労省の用語検討会によって「認知症」への言い換えを求める報告がまとめられ、まずは行政分野及び高齢者介護分野において「痴呆」の語が「認知症」に置き換えられた。各医学会においても2007年頃までにほぼ言い換えが完了した。「認知症」の狭義の意味として「知能が後天的に低下した状態」の事を指す。
 
誰がいつどうして認知症になるかは、がんや心筋梗塞や脳卒中と同じように分らない。病気の要因は多岐に渡ることが多いが、認知症の原因には病気やストレスなどさまざまな要素があるのが分っている。明らかでない部分もあるが、原因になることがわかっている病気はいくつかあって、その病気を治療することで症状を改善できるケースもある。認知症も例外ではない。
 
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偏った食生活で高血圧や脳梗塞などの生活習慣病にかかると、認知症が発症する可能性が高い。脳の老化を予防する食生活を送ることが大事、他にもアルコールの過剰摂取は脳が委縮し認知症を発症する確率が高くなるし、喫煙者は非喫煙者より認知症の発症率も高く、脳梗塞や動脈硬化の発症率を上げる喫煙は、脳血管性認知症になる確率もあがるといわれている。
 
しかし一方ではたばこのニコチンが脳中枢神経を刺激して、認知症予防につながるのではないかと言われているが、仮にそうであったとしても、他の病気のリスクもあり、認知症予防にたばこを奨励することはない。後は性格的な問題も大きい。穏やかでのんびりした性格、外交的で活発な社会生活を送っている人は、認知症の発症率が低いことが研究からわかっている。
 
一方、自己中心的、わがまま、几帳面、非社交的などの性格は認知症発症リスクが高く、日常生活で強いストレスを感じる人も、ストレスホルモンが増え、記憶障害だけでなく、免疫機能が低下して病気にかかりやすくなる。活動的な生活を送る、さまざまなレジャーを楽しむ、社会的な関わりを充実させるなどのライフスタイルを送ることで、認知症が予防できると言う。
  
認知症は生活習慣病の部分もあるが、確かな原因がわからず、作られた症状であるという意見もあり、これに反証・反論する明確なデータもない。「医者にうつは治せない」という記事を読み、「抗うつ薬」が万能でないことも、「抗がん剤」についても同様の効果について医師は周知している。ただ、それに頼るしかないという現状のなか、治療としているに過ぎない。
 
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医療関係者によれば、日本人の人口5%にあたる6百万人がうつを患っているといわれ、医療機関で治療を受けないで本人の自覚のない「潜在うつ患者」はその数倍いるというのが精神医学界の常識のようだ。皇太子妃にあっても東宮職医師団の発表では「適応障害」とされるが、これは軽いうつと同義である。でありながら10年間治療を続けてもなぜ雅子妃は回復しないのか?
 
医師によって書かれたうつの解説書や、うつに関連する書物や精神科医の見解では、「うつは治療を続けることで一年以内に治る」と断定する。それなら雅子妃の軽度の「適応障害」はなぜ治らない。あるうつ患者は、「精神科に通うのは悪化を防ぐためで、抗うつ剤もお守り程度、主治医に期待なんかしていません。病院に通うのは抗うつ剤の処方をしてもらうため」と言う。
 
うつの治療には「抗うつ剤」の他に、考え方の歪を矯正する精神療法があり、アメリカで開発された「認知療法」や、日本では「森田療法」があるが、即効性はなく、日本では普及していない。ほとんどのうつ患者は「抗うつ薬」を治療に用いている。うつ患者も医師も「抗うつ薬」に疑問を所持する理由は、「抗うつ薬」の効果が「セロトニン仮説」に基づいているからだ。
 
「抗がん剤」が人体を悪化させると主張する医師もいるが、「抗うつ薬」がうつを悪化させるといわれている。しかし、どちらも医師によっては正しい治療として行われている。何をもって正しいというのかだが、「現時点ではこれしか方法がない」という点において正しいのである。認知症にも様々な種類があるが、最も多いのが、「アルツハイマー型」である。
 
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これは脳が萎縮したり、神経伝達物質が失われることで起こるが、原因は分っていない。次に多いのが脳梗塞や脳出血が引き金となって起こる、「脳血管障害型」といわれてきたが、近年は「レビー小体型」と言われるようになった。これはβアミロイドというタンパク質が脳細胞に沈着して発症し、「幻視」や「抑うつ」が特徴的な症状といわれている。
 
原因疾患が分っても、なぜ認知症になるのかという問いには誰も答えられない。認知症は医者に治せないというのが本当のようだが、病気を前にして、「治らない」と言うのは医師の沽券に関わるばかりか、信用問題であるからして、そう答えるのは勇気がいるし、嘘でも「治る」と言えばいい。うつは医者に治せないというが、「治る」というのと「治せる」は微妙に違う。
 
「医者に治せる」はある意味曖昧で、「自分なら治してみせる」と一人称でいうなら力強い言葉に感じるも、信憑性があるかどうかは別。誠実な医師なら、「長引くでしょうし、これからとうつと共に生きて行く生活や考え方に転換することです」というのではないか。雑誌やテレビで「うつは絶対に治ります」と断言するような医師の言うことは聞くに値しない。
 
抗うつ薬を飲めば、うつは改善されるという医師の言葉には製薬会社の影がちらついている。ある精神科医は環境や経済状態など、うつ治療に好条件下であったとしても、完治は0.5%以下という。実際問題うつ治癒率について、厚労省も医師会も発表していない。うつは現状の精神医療では「治らない」とするのが納得行くが、それでも「うつは治る」と医師は言う。
 
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理由は簡単明白で、治療を続けて病院に通わせるためである。もし医師が、治りませんなどと言おうものなら、「治りますよ」と言ってくれる別の病院を探すことになる。どこかの病院が「治ります」という以上、医師は患者確保のためにも「治ります」というしかない。認知症の場合「治る」、「治らない」以前に介護の必要があるが、重度の患者を受け入れない施設もある。
 
多くの施設はスタッフが少ないため、介護に手間暇かかる人は困る。これはグループホームも特別養護老人ホームも同じ。さらにがんなど他の病気を抱えた認知症の人たちは断られる。がんや脳卒中にならずとも、年を重ねれば誰でも認知症になる。認知症はやがて「自分の行く道」と思えば当事者の思いは気になろう。認知症者を物として扱えば、先にあるのは絶望だ。
 
医療の世界では、患者を病院から「在宅」へ押し出そうという流れが加速した。2000年にできた介護保険、2006年にはさらに在宅医療を増やすために在宅療養支援療養所が全国各地に設立され、同年「がん対策基本法」で、がん患者の在宅緩和ケアの推進を地方行政の義務と定めた。そうして今はがんに続いて認知症でも病院から在宅への流れが確立されようとしている。
 
2012年秋、厚労省が「認知症施策推進五か年計画(オレンジプラン)」を発表した。【「認知症になっても本人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会」の実現 】をコンセプトに、「早期発見、早期ケア」や、「認知症サポート医」の養成などで、認知症高齢者を収容型介護施設ではなく、「在宅」で受け止めようという。
 
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これには地域密着型介護サービスも含まれている。一見素晴らしい理念のようだが、本音は別のところにある。15日の記事で団塊の世代が75歳以上になるのが2025年で、団塊の世代高齢化に並行して認知症の人も急増、介護職員が約30万不足するとの試算がある。問題はその後で、団塊の世代が死に絶えたら入居者は激減する。施設が使えるのは実質20年~30年か。
 
そういうものにお金をかけても無駄となり、それで在宅をというわけ。要するに財政が逼迫して厳しいがゆえに「在宅」に頼ろうということ。介護ビジネスは10年後には21兆円と試算されているし、介護師を目指す子どもたちは需要は尽きないし、介護士は必要だ。確かに同じ歴史を背負った家族が家族を介護するのは難しい部分があるし、認知症ならさらにであろう。
 
認知症になった母親は、姿形は元の親であるが、実はかつての母ではなくなっている。変わり果てた姿も見たくはない一方で、そんな母が自分たちを攻撃したり、周辺でトラブルを起こしたりすると、家族は我慢をできなくなって爆発する。「ある僧侶ですら自分の母親が認知症になったとき、『殺したくなった』と言ってました」とある医師は言葉を添えた。
 
豪華な建物などいらん。雨風しのげれば…。燃やすのに豪華な棺桶もいらん。合理性がなさ過ぎだ。挙式場の豪華絢爛さも教会で挙げれば済む。葬祭場も地域の公民館で済む。やっとその辺に気づいたのか、金をかけるバカらしさに。粗末な施設であっても、楽しく暮らす自信があるからいい。幼少期に身につけた遊興心はこういうところで役に立つ。
 
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