赤ん坊の顔は男女の区別がつかない。幼少時期も女顔の男の子、男顔の女の子がいたりで、これまた区別するのは洋服とか髪型だったりする。男が男で、女が女になる時期、それが思春期。この時期の男の子は傍で見ていて面白い。彼らにはいったい何がみえているのか?会話がバカげていて面白い。女の子はどうか?色香を出す者もいるが、かつて子どもの思春期を"サカリがつく"といった。
近所のおっちゃんが、「そろそろサカリがついたんかいのう」などと言われると、気恥ずかく、思春期がいけない気がしたし、そういえば思春期にただならぬ嫌悪感を抱いたという女性の話を聞いたこともあるが、昨今の子どもはそういった罪悪感は薄れているように感じる。心の発達とに追いつかない精神の未熟さ、好奇心とは裏腹な無知さ、人を善人としか思えない無邪気さが思春期の苦悩となる。
サカリ真っ盛り~!
正月5日に中学二年生の少女から悩みの相談を受けた。悩みというより、少女は毎夜涙に暮れているという。毎夜涙に暮れるなどという心情は到底理解に及ばないが、そんな言葉が平然と出てくる少女と言う得体の知れない生き物を実感する。ネットの掲示板かなにかで出会ったのだろう、「ネットで知り合った」という相手は22歳の社会人である。13歳と22歳の出会いをネットは可能にする。
実社会では到底不可能な年齢同士の出会いが何故起こるのか?男と女が単に出会うという意味において、障害とならない条件がネットに多いということだ。昨年熊本県人吉市の山林で殺害されていた17歳少女の相手は47歳であった。静岡から熊本まで会いに行くのを驚かない。鹿児島⇒新潟、埼玉⇒仙台、東京⇒札幌などの実例も聞いたし、女を求める男に距離など屁でもない。
人吉市では市内の小中学生1805人を対象に携帯電話の利用状況を調査。約470人が専用のスマホ、携帯を所持。「知らない相手と通話やメールをした」は半数の234人。家電の時代、電話は知った相手と語るもので、見知らぬ相手と話すのは怖ささえあった。それが今、見知らぬ相手との電話は普通の時代である。見えない怖さというより、見えないことが安堵にさえなっている
それにしても17歳と47歳という年齢差の出会いや交際がなぜ成立するのか?答えは簡単明瞭、どちらも相手を求めているからだ。長距離恋愛が途絶える話をかつて、「距離が二人を引き離す」と言ったものだが、恋愛ならそうかも知れない。近くにいる相手との方が頻繁に会えるし、寂しさがつのらない。ネット出会いもやるだけなら距離などものともしないが続かない。
進路相談が強制わいせつ?拙者は下半身より女性の脳に興味がアルので安心でゴザる
恋愛ではないからだ。充実した恋愛は距離が障害とならない。友人は距離を越えて結ばれた。二人は宮城と静岡であったが数年を経て結婚した。「ネット恋愛」という言葉はリアル社会で異性に縁遠い男女の駆け込み寺。そこに目をつけたナンパ師が参入してくる。ネットの女は秒殺で落ちるを合言葉に手当たり次第のヤリたい放題。ネット用語でこういう男をヤリモクという。
相談の中学生は彼氏が欲しい夢見る少女。その前に現れた男の目的・意図がどうであれ、少女にとっては王子さまでしかない。ましてやイケメンであれば、少女の脳からドーパミンが出まくり状態となる。少女は神奈川県茅ヶ崎市、男は東京都下荻窪。最初の出会いから男は少女の居住地に出向かず、荻窪に来させる横着三昧。会話もままならぬ状態の出会いもネットでは荒業とならない。
ヤリモク男が中学生の居住地に行ってどこに行く?一人暮らしの男にとっては自室はラブホ。少女は男の自室に憧れる。これが今どきの処女であって、"危ない少女"という形容詞はない。処女などはお荷物、たまたま無縁で所持していたに過ぎない。となると、そういう境遇になればお荷物は捨てられる。性を煽る社会がこういう少女を増やしている。ネット社会という人間の殺伐さも重なって…
「処女性」という言葉が死語であるばかりか、昨今は女性に処女性を求めるのが男の傲慢と言われる時代。確かに「処女性」という言葉は喪失した感がある。古来キリスト教圏にあって、処女を《純潔》として崇めたり、日本では儒教精神のもと、「節婦は二夫にまみえず」といった美徳を女性に押し付けたり、洋の東西を問わず、男性は女性に対して差別的な性道徳を強いてきた。
これって、「求む!ナンパ」の売り込み? モテない女も大変よのぅ…
女性に性道徳の押し付けは封建時代の流れで、社会は民に、親は娘に純潔を強要した。女は慎ましくあり、やりたい動物であってならない。一度花開けばどんどん足を開く女であるが、女の性欲をタブーと信じ、性を抑制し、格闘して生きた多くの女性は、時代の犠牲者といえなくもない。されど、時代の必然性や価値基準というのは、少なからずそうしたものだ。
近年、どこの母親が娘に「処女性」について話したり、諭したりするだろうか?社会の乱雑な性道徳の実態に埋没しろと言う親はいないが、親が見本を示せているわけでもない。週刊誌は性の乱雑という言葉も使わなくなった。「男の人は気をつけなさいよ」という母親の言葉そのものこそ「死語」であろう。そんな中で、あの"うるさババぁ"こと、岡本夏生の過激な発言が物議を醸す。
2014年10月21日に放送された『5時に夢中!』(TOKYO MX系)に出演し、乃木坂46・松村沙友理(22)の不倫スキャンダルの話題に触れ、「もし恋愛がやめられないなら、アイドルなんかとっとと辞めて、普通の女の子に戻ればいい」、「恋愛やセックスなんて後でいくらでもできる。アイドルは命が短いんだから」と発言した。岡本は、「アイドルは基本的にファンのオナペット」という。
確かにファンの妄想を駆り立てることで成り立つ部分はある。ビートルズがデビューしたときでさえ、ジョン・レノンが既婚者である事は伏せられていたし、人気芸能人が実は既婚者だったというのが後に露呈するなど珍しくない。岡本のいうように、男の影があって「処女じゃなかったのか」、「彼氏がいてパコパコやってる」とファンがイメージできたらアイドルとしてはNGだろう。
続けて岡本は、「男関係を連想させないからこそファンは幻想を抱いて多額のお金を使う」と解説した。また、同じくコメンテーターとして出演した元女子プロレスラーの北斗晶(47)も「アイドルになりたくてこの世界に入ってきたんだから代償ってあると思う」、「ガマンしなきゃいけないこともいっぱいあるし、ここで『これをしていいのか』という考えを持たなかったらダメ」と厳しい口調で批判した。
さらに「この子をアイドルにするために何十人、何百人という人間が動いている。自分の言動には気をつけなければいけないと思う」と、大人の立場から語った。実際、岡本の言うようにアイドルに処女性は不可欠とされてきた。だからこそAKBグループは「恋愛禁止」を掲げて、ファンに"純潔"をアピールしているし、アイドル本人にとっても、処女アピールはファンをつかむための重要な要素である。
言ってる事は商業主義に照らして当然であり、商業主義か人道主義かを分けて論じなければ不毛の論理。あくまでアイドルを商品とするなら、商品としての価値を損なわぬよう、厳しく管理するのが所属事務所の役割だが、かつてのようにプロダクションの寮があった時代と今とではまるで状況が違う。つまり、寮の玄関に電話機が設置され、盗聴・管理されてる時代と今とでは制約がまるで違う。
岡本は今年50のおばさんだから当然たる言い分だが、クビに縄をつけて管理できる時代と違うという前提で言っていない。自分も「アイドル」という虚像について、彼女たちの商品価値をしっかりと意識させ、もし、隠れた異性交遊が判明した時点で商品価値を落としたと認定し、即刻クビと多額の違約金支払いの保護者責任を契約書に明確にしたらいい。未成年者についてはだ。
昨今のアイドルって普通の少女がなれる職種だろ?普通の少女に偶像を求めるファンがaho!
それでも男狂いの子は出るし、万が一彼女たちがドル箱の人気アイドルであればクビにできない、したくないというプロダクションの思惑も絡む。これら一切が商業主義の不条理で、現に同じ不祥事を起こしたメンバーであっても、並や並以下はクビにし、人気があるメンバーをクビにはできない。完璧に差別であるが、貢献度という数字が物語る商業主義の論理である。
厳しく管理もされ、責任感も芽生えていたかつてのアイドル教育もなされぬまま、「不完全さが売りもののAKB、ファンには成長をみてもらいたい」という秋元康のコンセプトは、実は管理側の麗句に過ぎず、即席で人気が出る素人を売る時代のご都合主義である。人気メンバーのクビも切れないで口頭注意だの左遷だの、彼女たちは独自の事務所契約だから、越権行為もままならない。
これらを把握した上でアイドルに何かを物申すことなど「豚に真珠」。事実彼女らにクビになるという危機感も、契約違反で違約金を請求されるなどの切迫感もない。不祥事を起こして人気が上がった元AKBメンバーの例もあり、何がどう転ぶか分らないという主宰側にすれば、日和見主義的な行動しか起こせない。一切はファンが決め、落ち目になったら解散すればいいだけ。
物事を毅然と決められず、理念もない家庭にあって、親が子どもに遠慮し、触らぬ神にの思いで眺めている。こんな家庭で親が躾の主導権を握れるか?このような家庭が今後益々増えてくる気がする。中高生の性の乱れは、乱れというより管理不能の状態であって、乱れを把握した時ははや遅かれしであろう。のっけの中2少女は、処女食いにあっただけ。
ネットでサカリのついた少女は供給過多状態で、この手のネットナンパ師は、女を1回やれば御用済み。少女は連絡しても返信がこない、どうしてそうなったのか分らない、遊ばれたのかも知れないし怖いと言う。クリスマスの日は荻窪駅で4時間待たされたという。掛け持ちだろうなと思った。チャらい男はクリスマスには3人くらい掛け持ち出会いをする。需要過多の時期だ。
ひたすら会いたい、会えると信じて4時間も待つのだろうが、男側にすれば待ってなくてもいい、待ってる方がどうかしてるという気か。少女の切ない気持ちなどどうでもいい。出会うまではメールもラインもするが、だんだん少なくなったと女が嘆くのも男の意図が分らないからだ。クリスマスの日は機嫌が悪かった。それから以後は全く連絡なしで、無視されているという。
無視ではなく終りたいのだよ。だから返信をしない。人を信じる前に信じるに値するかっどうかを判別し、信じるに値しない相手を信じる愚かさ。女性が感情だけで物事を判断するからこういうことが起こるが、理性的に考えればこやつは悪人というより女たらしである。彼からのラインやメールのコピーを見たが、いわゆる「豚も木に登る」が如くチャらい言葉。
これらの言葉に体を熱くする少女に罪はない。「これって嘘だったのかな?」と見せてもらったラインの言葉に、「嘘かどうかはその時は分らない。でもこうなってみると嘘だと思うのが正しいよ」と言うしかない。「憎めないんだろう?相手が悪い人だと思えないんだろう?」と問うと、「思えません」と言う。「エッチして終る相手じゃダメだろ?それから発展していく彼氏が本物だよ」と説く。
部屋のAV捨てるからやらせろってか?気をつけよう、この言葉&この写メもらった子
いいながらも、今この少女に1000の言葉を言ってもダメだと思いながら、自分も含めて他人は彼女に何もして上げられない。「連絡くるのをずっと待つのか?」、「はい、待ちます」、「いつまでそうするの?」、「分りません」。少女の切ない言葉が胸を抉られる。「やり逃げだろ?またしばらくして気が向いたときに連絡来て嬉しがってたら、そんな状況がずっと続くよ。それでいいのか?」
「好きだから連絡きたらうれしい。待っていたい」と言う。「がんばってな」という言葉以外の言葉はすべて少女を傷つける。悪い男である事を認識させたいが、感情が災いして届かないだろうな。女たらしは魅力があるのよ。だからたらせる。「何日も連絡ないなら、忘れる努力をした方がいいかも知れないね」、「忘れる努力ってどうすればできるんですか?」
「難しいかも知れないけど、自分の行動が悪かったと反省し、急にプッツンメール来なくなった相手を、単に遊びだった、悪い男だと思うことかな。そう思えるようになったら忘れられる。いつまでもいい人、好きな人では忘れることはできない」、「多分忘れられないと思います」、「辛いけどがんばって」という言葉がやはり相応しいようだ。これ以上話しても、豚と話してる気にしかなれない。
子どもをあやす術は女に向いている。自分はダメだし無理だ。「悪」を「悪」と認識できない心の清さに勝つ事はできない。「悪」を「悪」と認識できるようになるためにはもう少しスレて、人間の何たるかを経験してからだな。「少女は無垢」であるというのはかつての少女と思っていたが、いつの時代にも彼女のような「純真無垢」な少女は存在するのだろう。
かつて 「少女時代」 という雑誌があったが、今「少女時代」は、ばばぁユニット
人間を神の生贄にするのを「人身御供(ひとみごくう)」といった。神の怒りとされる天変地異において、理不尽ではあるが公の利益のために創設された儀式である。生贄にはなぜか純心無垢の処女である少女が選ばれた。これが神への最上級の奉仕と考えられた。アルゼンチンのジュジャイジャコ火山の山頂(標高6739m)で、インカ帝国時代に人身御供とされた少女のミイラが発見された。
神がそんな無謀な要求をするモノかと思うが、人間の考えの行き着く先がそれであったのだ。悪魔崇拝においても少女が生贄とされた。少女に何の罪があろうか。日本の静岡県には人身御供伝説が多い。「伝説富士物語」には生贄の条件として、15~16の少女で処女、「東海道の伝説」には美女という条件が付加されている。生きたまま淵に投げ込まれるか、生贄自らの入水の形を取るとある。
「人身御供」は、神が人を食うために行われるとも考えられているが、神隠しと神が人を食う事との関連を柳田國男は自身の著書「山の人生」にて書いている。非人道的な人身御供は今では考えられぬが、「やり神」というバカ神が少女を生贄のごとく狙っている。「処女などとやっていいことはないが、調教する楽しみ」とうそぶく「やり神」ども。今日もどこかで少女が生贄となっているのか…。
全国で、児童生徒のスマホなどの夜間使用を制限する動きが広がっている。先駆けは愛知県刈谷市だ。2014年4月から全21小中学校がPTAと連携し、午後9時以降は児童生徒のスマホなどを保護者が預かるよう呼び掛けた。効果は出ているのか。主導した刈谷市立雁が音ね中(生徒850人)の生徒や親に聞いた。「最初はいやだったが、もう慣れた」と話すのは、Kさん(14)=3年。
「性教育」で教え諭した時代は過去のもの、こんにち「SNS教育」が必要だ
3月までは無料通信アプリ「LINE」で夜遅くまで友達とメッセージをやり取りしていた。今は原則夜9時以降は使わず、どうしても使いたいときは親の了承を得るという。使用制限についてYさん(14)=3年は「反対。一方的だし、こんな便利なものを制限するなんて」と不満げだ。家庭で抵抗したが、親から「刈谷市全体で決めたルールだから守れ」と言われたという。
女子生徒の母、Sさん(42)は「娘は次第に『返信しないと明日困る』と言い始め、夜9時以降もメールするようになった」と嘆く。だが、友達から「返信が無かった」と言われたくない娘の気持ちも理解でき、無理に取り上げる気にはなれないという。男子生徒の母、Tさん(43)も「反抗期で言うことを聞かない。夜になっても『目覚ましに使う』などと言ってスマホを離さない」と困り顔。
刈谷市のスマホ規制は、雁が音中の大橋普支俊校長らが呼び掛けて始まった。刈谷市に続き、愛知県新城市や豊橋市、兵庫県多可町も4月以降、スマホやラインの利用制限を各家庭に呼び掛けた。内閣府の2013年度のサンプル調査で、小中高校生の60%が携帯電話を持ち、うちスマホは57%と11年度の6%から急増。便利ではあるが危ないツールであろう。