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逆命利君

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横浜市戸塚区で5月、自宅近くのマンション駐輪場にあったオートバイのカバーに火をつけて燃やしたとして、器物損壊罪で起訴された女(31)が、「自分の恋愛がうまくいかず、イライラを解消するために火をつけた」と供述していることがわかった。女の自宅周辺では、2013年からバイクや自転車が燃やされる不審火が10件発生、女はうち8件で関与を認めたという。

捜査本部によると当初女は、「お酒を飲んでいたのでよく覚えていない」と否認していたが、その後、「職場の後輩女性との飲み会で恋愛の話になり、別れた彼氏のことを思い出してイライラが募った」と火をつけたことを認めた。職場の「女子会」ではいつも恋愛の話になり、「帰り道に自転車のカバーなどに火をつけると多少スカッとした」と話しているという。

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30歳にもなって、こんな稚拙な動機の犯罪に驚くしかないが、別の面も危惧される。こういう女が結婚して母親になったら…である。母親が子どもに当り散らすのは、自己の身勝手を越えてバカ女というしかないが、人や物に当たる以外のことをなぜできない?人や物に当たることに罪悪感がないなら、人も物もたまったものではない。ある母親がこんな風に言っていた。

「子どもに当たる自分のどうしようもなさが情けなくて、自己嫌悪に陥る」。自己批判するくらいだから、自分の行為を分かっているのだろう。自分の行為が見えないよりマシだが、所詮は自己批判である。他人(夫)からガツンといわれる批判に比べれば、自己に甘い批判なら傷つかない。夫が何かをいえば、「あなたに言われなくても、分かっているわよ!」と切り返す。

自己に甘い人間は救いようがないし、成長もない。いっそ気づかなくて、他者の批判を素直に受け入れる女性の方がまだ救いようがある。つまり、分らないなら指摘もできるが、分かってやるのは確信犯である。人は他人の批判に晒されてこそ、自己を変えられる。もっとも、素直に受け入れる性格というのが条件であるが、素直な人間はマチガイなく成長する。

「(あなたに)言われなくても(そんなことくらい)分かってる」という反抗は、無様で止めたほうがよい。なぜなら、自己批判は所詮は蜜の味だからである。人は誰でも自分で悪いと思ったことを他人から注意や指摘をされると、自尊心が傷つけられるので反抗する。そこをグッとこらえて他者の注意に反抗しないほうが良い。相手の言葉を善意として受け入れる心の大きさを作るために。

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注意の側は、「分かっているか、どうか」を問うているのではないし、「できているかどうか」の指摘であって、「できていない」、「やれていない」から言葉に出すわけだ。それに対し、「そんな事は分かっている」という口答えは、「行為」の是非の問いに対する答えになっていない。どうしても返したいなら、「確かに分かっているんだが、やれていないよね」と、批判に素直に向き合う。

「何で遅刻するんだ?遅刻はダメだろう?」の注意に対し、「そんなこと分かってます」は、だからオカシイ。どうしても反論したいなら、子どものような幼稚な言葉でなく、もちょっと頭を使えである。幼稚な作り話を理由にするのも頭の悪さを現すだけで、誰も信じない。人が考える遅刻の言い訳や作り話などは、本当であっても他人からみると嘘にしか思えない。

そのように考えると、クソみたいな言い訳などは言うほうがバカである。くだらん遅刻の言い訳を考えることの方が、遅刻をする以上に恥と思っていた自分は、遅刻はしても、それを偽るバカにはなりたくなかった。だから、言い訳など考えることもなく、あるがままを正直に遅刻届に書く。あまりに当たり前な理由に、上司がだんだん自分という人間に興味を持ったと後で聞いた。

「普通遅刻をすれば嘘の一つや言い訳くらい考えるものだが、なんでいつも"寝坊"なんだ?」と言われたことがある。「事実だからです」。「寝坊がマズイと思わないのか?」、「マズイも何も、事実ですから…」、上司は苦笑し、呆れというより、バカ正直も褒められたものでないというようなことを言った。が、バカ正直なのは小事にあってで、仕事は駆け引きである。

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「遅刻と仕事は別です。遅刻程度にくだらない知略など考える気もしません」。これが自分の本心だった。大事の小事というが、遅刻程度の小事に躍起になるなど労力のムダである。遅刻はヤバイよ。「自己管理がないということだし」と同僚は言うが、「Leave me alone!」自分の生き方である。遅刻で出世できないならその程度のバカ会社でしかない。

「遅刻を自己正当化してもしょーがないね~」などと批判する同僚はいたが、嘘の言い訳を考えるほうがよっぽどさもしい。遅刻をしない自信はないが、仕事に自信はあった。佐高信著『逆命利君』には、あるサラリーマンの独白が記されている。「逆命利君」とは、中国の古典『説苑(ぜいえん)』にある、「命に逆らいて君を利する、之を忠と謂う」を略した言葉。

文字通りその生き方を貫いた住友商事元常務・鈴木朗夫が入社間もない1955年5月あたりの彼の心痛が興味深い。彼は、「オレは会社に仕事を売っているのであって、時間を売ってない」と称した遅刻の常習犯。日本的企業風土を何より嫌う、仕事のできる非仕事人間であり、彼の遅刻の言い訳は、素直に表記する自分とは異なり、人を食った反骨心むき出しであった。


鈴木は決して仕事をおろそかにしなかったが、仕事人間でもなかった。分かりやすく言うなら、自分の人生のコアを仕事においていなかった。そんな彼の18歳時の自己批判が鋭い。「俺は生意気な青年だ。何一つとして率直に事を容れない。身体中が虚栄で飾り立てられた役に立たぬロボットだ。理性のない木偶の坊だ。反抗と衒学しか知らぬ、創造を忘れた非文化人だ。

この俺の何処に取り柄が有ろう。駄目な男、生意気な男。心と現実が実にしばしば相反する円満でない男、要するに何一つとしてする事の出来ない男だ」。18歳にして「生意気な男」と自己規定し告白する少年だった。2011年6月8日の記事に書いたが、1987年10月、56歳の若さで胃がんで世を去った。「社畜となるなかれ」実践した鈴木のストレスは計り知れなかった。

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「僕は今、自分自身に対して、多少感傷的になる事を許す。いや、許すより前に、僕はすでに感傷的になっている。(中略) ニーチェのいう現代的知識人だった。今の僕は、歌はうたわない。涙は流さない。非生産的な感傷をいじり廻しはしないが、大学の友人達、東京の女友達とにこにこ握手をし乍ら、胸がつまるのを何とも仕様がない。此の感傷は単純であると同時に複雑だ」。

いい文章である。辻井喬(堤清二)、池井戸潤、山田智彦など、企業人から小説家に転進した作家は少なくないが、鈴木もひけを取らない名文家である。山崎豊子も毎日新聞の記者であった。毎日新聞大阪本社調査部を経て1945年学芸部に勤務し、当時の学芸副部長・井上靖のもとで記者としての訓練を積んだ山崎は、勤務のかたわら小説を書きはじめた。

大作家の長編小説はその調査・資料力に圧倒されるが、世に出版されている9割のビジネス書は、ゴーストライターによって書かれているという。ゴーストライターの存在がにわかにクローズアップされたのが、2014年、全盲(といわれた)佐村河内守のゴーストライター新垣隆であった。こちらは小説でなく作曲であったが、本件は新垣が告発したことで発覚し、騒動となる。

この事件を取材し、『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』(2014年:文藝春秋)を著したノンフィクション作家の神山典士は、自身も盲目のピアニスト辻井伸行の母の書籍など、50冊以上手掛けたというが、文筆を主業としないタレント、俳優、政治家、スポーツ選手、企業経営者その他著名人の名前で出版されている本のかなりの割合が、ゴーストを使っている。

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江本孟紀の『プロ野球を10倍楽しく見る方法』、田中角栄『日本列島改造論』(1972年:日刊工業新聞社)、長門裕之の『洋子へ』(1985年:データハウス)、堀江貴文による小説『拝金』(2010年:徳間書店)、『成金』(2011年:徳間書店)もゴーストになる。『日本列島改造論』は官僚や秘書が代筆した。『洋子へ』が暴露本として騒がれたとき、長門はこう説明した。

「あれはゴーストライターが書いたもので、原稿チェックもできずに勝手に出版されてしまった」。と、自らがゴーストライターの存在を認めることでしか、降りかかる火の粉を回避する手段はなかったようだ。堀江の著書は、堀江が最初に1000字程度の指示書を書き、それをもとにゴーストライターがあらすじを作り、お互いに意見を交わすかたちで作業が進められた。

テーマやあらすじや人物などには堀江のアイデアが入っているが、文章はすべてライターが書いた。印税の取り分は当初、堀江6:ライター4が予定されていたが、堀江が「しっかり宣伝するから」と主張、7:3になった。傑作なのは松本伊代。彼女の著書、『伊代の女子大生(モテ)講座』(1985年:ペップ出版)が発売されたとき、「まだ読んでない」と発言した。

仕方なく後にゴーストライターによる代筆であったことを認めたが、当時の状況はこうだ。1984年に放送されたフジテレビ系、『オールナイトフジ』で、自著とする『伊代の女子大生(モテ)講座』を手に取りながら、「私も今日初めてこれを見たので、まだ私も読んでないんだけど、いろいろオールナイトフジのこととかオシャレのこととか…」と、"自著"とは矛盾する発言で宣伝。

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同番組に出演していた片岡鶴太郎が、「自分で書いた本をまだ読んでない?」とツッコミを入れると、松本は、「いーじゃんそんなのなんだって!」と反論して笑いを誘った。いわゆる、"伊代のゴーストライター事件"だが、後に彼女はあの場面について、「あの後、すっごいマネージャーさんに怒られたんですよ」と明かしつつ、「(本の)中身はちょっとね」と反省。

「私は伝説だとはそんなに思ってないけど、鶴太郎さんのおかげ…」と、笑い話として語り継がれていることに感謝している。仮に片岡から指摘がなかった場合、「なんだあれは?ということで終わっていますよね。みんなの心がモヤモヤしてるだけで終わってるんじゃないですかね」と伊代。彼女は失言も多く、プロデューサーが詫びに出向いたこともあったという。


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