国辱という言葉はあるが、今回舛添都知事用にプレゼントするために「都辱」という造語を用意した。今や彼のバカぶりも板についた感もあるが、昨日の総務委員会では「政治家の信義」という新しい言葉を使うことになる。「精査する」、「第三者の目」、そして「政治家の信義」と舛添用達語は変わってきたが、彼にとってはいずれも「嘘」と断定できる「誤魔化し用語」である。
自分だけではないと思うが、昔から彼の発言には何というか棘を感じていた。討論番組の常連者であったし、田原総一郎のお気に入りという事もあって、「朝生テレビ」にも頻繁に出演していた。論客といわれる人には、それぞれに話し方のパターンというか、癖があるが、それを個性というのだろうが、舛添や大島渚や東国原の三者は似通っている。
議論には、「侃々誇々(かんかんがくがく)」、「喧々囂々(けんけんごうごう)」などの言葉があてられるが、「侃々」とは"信念を変えない"、「誇々」とは"正しいと思ったことを遠慮なく述べる"の意味だが、どちらも大事であるにせよ、口から泡を飛ばすような大声で怒鳴り気味に喋る論者は好きになれん。別に声の大きさと、意見の正しさは一致しないのよ。
熱くなる(ヒートアップ)のは分かるが、至近距離で話すなら普通の声で十分だ。中国人の声の大きいのは、言語と習慣の違いで仕方がない。「四声」といい、発音に大きな抑揚がつく中国語と、一本調子的に聞こえる日本語の違いはある。さらに中国人は他人との至近距離をあまり気にしない。だから会話においても日本人よりは数段近い距離で話す。
日本の観光地における中国人観光客イメージとして、「声が大きい」、「場所を構わずうるさい」、「並ばない」など、マナーの悪さがいわれている。当地広島にあっても、大きな声で会話する集団を見かけると、決まって中国人だ。広大な土地に生息した大陸文化との見方をする学者もいる。日本人の姑息性を、「島国根性」というのも、一理あるのだろう。
狭い土地にひしめき合って暮らすしかなかった日本人は、大声を出す必要もなく、自ずと他人に迷惑がかからないような文化が育ったのだろう。日本人オペラ歌手が発声で苦労する話はよく聞くが、これは石で作られた西洋建築に比べて、日本家屋は畳、木材、ふすま・障子などの紙で作られているからと言われ、低音域が畳等に吸収され貧弱になる。
プロとしての発声の基本は横隔膜肋間呼吸であるが、高音域が伝わりやすい日本式家屋にあって、日本人は高い声(キンキン声)を習得した。キンキン声は、舌をあまり活発に動かさなくても発声することが可能だが、オペラ的な発声に必要な舌根の上下運動には、横隔膜の動きも重要になる。日本人は、舌の動きが欧米人に比べて少ないのは文化的特質であろう。
それが横隔膜肋間呼吸を必要としなくなったとも考えられている。ロシアの発声法は、人を1000人並べ、1000人目の人に聴こえるということだ。「1000人向こうに飛ばすピアニシモ」というロシアのピアノテクニック、ピアノ教育というのを聞いたとき、「そんな教え方、日本人とはまるでちゃうな」と驚いたが、ホロビッツのPPには確かにソリッド(芯)がある。
話の方向を戻すが、舛添要一の声は昔から気に障った。ジャパネットたかた社長の声も気に障るが、、林修と舛添はそれプラス顔も含む。好きなもの同様、嫌いなものであっても偽らなく公言するのは精神によい。『不適切な日本語』の著者でもあるフリーアナウンサーの梶原しげるは、舛添の言葉がなぜ人をイラつかせるについて以下分析する。
①「ご心配をおかけして」…「都民の方々にご心配をおかけしていることを心からおわびします」、「湯河原への公用車利用について、都民の皆様ならびに都の職員にも大変なご心配をおかけしているところでございます」などと言うが、誰も心配なんかしていない。こういう常套句を使うのが無難と言う人はいるが、心から思ってないならマイナスだ。
②「~たい」を連発…「批判を受けるような恥ずかしい行動について、心から反省したいと思います」、「粉骨砕身で都政の運営に努めて参りたいと思います」、「宿泊費や飲食費の支出については返金したいと思います」、「慈善団体に寄付したいと思います」など、「する」ではなく「したい」と曖昧にするのは、逃げの言葉の常套。
③理屈っぽさが仇…。「不適切であるが違法性はない。だから辞任はしない」という論理を報道陣は崩すことはできないが、だからといって共感を得られるわけではない。むしろ、言いくるめられたような気持になり、反感を覚える人が多かったのでは?こうした勝ち誇った言い方を論理に自信のある人はふつう避ける。論理が仇になるからだ。
それプラス梶原は舛添が連発した「不適切」について言及しているが、この条項については意味不明につき省略。「不適切」を連発したのは舛添の代理人であり、自分の雇った弁護士からの「不適切」指摘は舛添にとっても苦渋であったろう。「不適切」とは「適切でない」との意味で、適切ではないが違法ではないという事が本来の要旨となる。
それで、どのような責任をとるかについては、代理人の手を離れているわけで、あとは知事の問題だ。総務委員会各会派の質疑が終了した。結果的をいえば、公明・共産両党が辞職を求め、共産党のみがさらなる真相究明のための、百条委員会設置の提案をした。ところが舛添知事は集中審議の終了後、異例の発言を求めてこのように述べた。
「今後は知事給与を全額カット」、「不信任決議案が可決なら、知事選または都議選がリオ五輪に重なるので、(不信任案提出を)猶予してほしい」との意向を表明したが、いかに苦境という立場であれ、こういうことを言うから舛添はバカに尾ひれがついてしまう。不信任猶予に対して共産党都議は、「この言葉には腹が立ちました」とおかんむり。
民進党都議は、「猶予って、なんのために、またいつまで?」などと不可解とした。あくまでリオ五輪の混乱を避けるためというが、今この人の言葉を信じるものはいない。ホンネは、一日でも長く知事の座に居座り、事態の収拾を目論んでいるのがありありと見受けられる。彼のいう事なす事、すべてが公益ではなく自身のためと映るところが憐れだ。
不信任案提出を躊躇っていたとされる自民党都議団も、自公が与党として提出するという形を取ることで決着した。共産党に同調したのではないという主体的な態度を示したかったと思われる。先の参議院選挙に大きく影響を及ぼすという懸念が、国政から都議に通達されたようだ。自民は2014年の知事選で舛添氏を支援してきた経緯もあって消極的であった。
さらには次の候補者探しも難しく、舛添知事の早期の進退追及には慎重な立場をとってきたが、集中審議を経ても舛添氏への世論の反発は高まるばかりで、舛添知事は完全に後ろ盾を失ったことになる。日本の首都で二人つづきのバカな知事が、これで早期退陣することになる。両者共に知名度はあったが、この際知名度候補というのも問題かと。
おそらく嵐の櫻井翔くんのおとうちゃんの確率が高いが、永田町界隈ではNHKの報道番組「クローズアップ現代」の顔であった国谷裕子の声も上がっている。知名度も人気もあり、都知事候補になり得ても、櫻井とうちゃんに対抗するにはどうか?櫻井元次官は本人自身の知名度は低いが、息子のおかげで間接知名度はずば抜けている。はて、それ以外の候補は?
「ケガの功名 」と言う言葉は、失敗したと思ったことが、意外にもよい結果 になること。 というが、残念ながら「ハゲの功名」にはならなかったようだ。舛添知事をハゲと揶揄したところで、彼のやったコレまでの数々の不祥事に比べれば何でもないこと。残念ながら乙武の五体不満足も、美談でも何でもなかったようにだ。人間は中身、中身、中身でしかない。
美人も中身、イケメンも中身、お金持ちも中身、政治家も中身、ブロガーも中身…。してその中身とやらは、他者の判断による。自分の中身の判断は出来かねる。それではどうすれば良い中身を作れるのか?それは無理だ。そもそも「いい人間」という定義が多岐にわたるし、複雑だし、善人とて、自分勝手に幸せになるが、周囲を不幸にすることもある。
それでは一体、「中身」とは何であるのか?何を、「中身」というのか?それにはこう答えるしかない。「中身」とは「外見」の対義語である。「外見(そとみ)」は「外身」とは書かないし、「外見」である。「中身」は見えないから「中見」と書かない。「中身」とはやはり見えないもの。「見た目より中身」というが、本当にそうなのか?「Yes!」、財布は中身であろう。
驚いたことに、ヴィトンやシャネルの財布を持ってる女子高生がいる。自分はワゴンセールの1000円の財布(正確には1080円)。売る側は限定しないからシャネル持つのは別にいいけれども、財布は立派でも中身は入ってるのか?何だと?0円?これを中身のない女と言っておこう。