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バカを選んだバカの責任

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世間の人々関心ごとは日々移る変わるが、政治、経済、外交、医療、芸能、スポーツ、さらには社会で起きる事件など、さまざまジャンルがある。リオ・オリンピックを直前にし、4年後の東京オリンピックを控えていることもあり、東京都知事の問題が現在において最大の関心事となっている。いつまで続くのだろう舛添知事問題、そんなしぶとい男がこういう発言をした。

「死んでも死にきれない」

なんだこの言葉は?である。舛添知事はこんなぶしつけな言葉を都民・国民に向けて吐いた。「ぶしつけ」とは「不躾」と筆記するが、文字通りの意味は「躾がなっていない」こと。他にも「礼をかく」、「無礼」などの意味がある。知事のこの言葉には驚いた。「窮鼠猫を噛む」ではないが、窮地に追い込まれた人間が理性を脱ぎ捨て、突拍子もない発言をしたりする事がある。

東大出の学者という履歴のある舛添が、自分が撒いた種であるにも関わらず、「死んでも死にきれない」って、こんなバカな言葉を吐くものかと、呆れもした。自らの行状からしてさっさと死ぬ(辞職)すべきはずなのに、この男はどこまで自己中バカなのか。彼の追い込まれた窮状を示す言葉といえばそうであれ、舛添はこれほどバカだったのか?彼のバカ度を検証する。

まずはこの言葉を発された状況。「私は何としても仕事がしたいと思っております。私は東京を世界一の都市にするために東京都知事になったわけで、現在、主として国会議員時代の政治資金について指摘をいただいておりますけれども、都知事になってからは相当頑張って私自身仕事をしたつもりなんです。都民の皆さんのおかげで東京はここまで素晴らしい都市になりました。

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そして、東京は外国の方からも『すばらしい』、『安全だ』と褒められるんですね。非常にうれしく思います」。「今後、さらにやりたいということで、ご批判を受けたので、今から生まれ変わったように粉骨砕身仕事をして、東京は良くなったな、自分たちの暮らしも 良くなったなあと、非正規労働も変わった、待機児童も変わったと思ってもらえるように 都民にお返しをしたい。

どうしても働かせていただきたいと思っております。そういうことで、都民に対して仕事をしないと死んでも死にきれない。そういう思いなんです」。誰が考えたのか、自らが草稿したのか、「都民の生活をよくするため」、「東京をよくするため」、「そのために自分も頑張った」などと必死の訴え。秋の時節ではないが、彼が物を言えば唇が寒々しくなるばかりである。

極めつけは、「国会議員時代の政治資金についての指摘をされるが、都知事になって以降は相当頑張って仕事をした」という自賛である。言葉は選んでいるものの、彼の腹のなかは、「国会議員時代と知事になってからは別、知事としていい仕事をしている」と、あからさまに言っている。この言葉を聞くだけで、舛添要一という人間は土台から腐った奴だというのがよくわかる。

悪い事をしても(したとしても)、良いことをしていると摩り替える。イタズラをして叱られたときにプラス部分を提示し、マイナスを帳消しにしようとするのは、子どもの常套手段。いたいけな子どもは悪い事の意味も、真に反省する意味も分からず、自己評価ばかりを訴えるが、これら同じ事は大人の「悪人」が使う手段でもある。用法は子どもと同じようであれ似て非也。

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なぜなら、子どもと違って悪事を知って行為し、反省が必要と分かって反省しない。あるいは反省のフリをする。謝罪の意味を知らぬ子どもとそこが違う。確かに子どもは、「ごめんなさい」と言う。言うけれど、意味を感じての深い謝罪というより、表層的(いわゆる義務的)な謝罪であり、心から真摯で誠実な謝罪と言うのは、情緒未発達の子どもには不可能である。

それなのに、子どもに儀礼的な謝罪を要求し、それでご満悦の親は多い。謝罪がいかにも教育であると言わんばかりにである。謝罪の意味の分からぬ子どもに、「ごめんなさい」を言わせる何の意味があろう?そんな形式的謝罪言葉より、やった行為の是非をトクと教えられる親が賢い。子どもは善悪が分らないし、謝罪によって「悪」の意味を教えることにはならないからだ。

多くの男の子と同じように、自分は大のイタズラ好き少年だった。男の子のイタズラ好きは肯定的に捉えるべきだが、この事は後日書くとして、舛添知事のおバカ発言に戻る。東大卒は偉いは偏見である。確かに学力的に上位の人間が東大に入るのが、昨今の言動に終始する舛添を「偉い」、「賢い」と思う人がどれくらいいるのか?東大出た学者でもこんなにバカである。

「無から有を生む」が賢いの本質。との考えに立てば、保守的人間を「バカ」と言わないにしろ、守るだけなら進歩はない。立花隆は著書、『東大生はバカになったか』のなかでこう述べている。「歴史をたどれば、昔から東大生はバカだった(あるいはバカに育てあげられた)のだ」。バカの意味はいろいろで、東大生が基本的な知的能力を欠くという意味のバカではない。

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立花は社会学の創設者といわれる18世紀・フランスの哲学者コンドルセの以下の言葉、「教育の目的は現制度の賛美者をつくることではなく、制度を批判し、改善する能力を養うことである」を引用し、そういう達成目標に到達できなかった意味においてバカであると指摘した。「今がいいのだ、何につけても今でいい、今で十分、変える必要はない」これらを保守と言う。

現状満足を保身ともいう。立花は「知的亡国論」を東大生が担っていることに危惧を抱き、バカの支配から改革者や革命家が旧来のものを変えていかなければならないとする。東大生がバカであるなら、日本人全体がバカになっており、日本人がバカであるなら、必然的に東大生もバカとなる。バカの集団を率いて得意になる「バカのボス」こそ、政治家・官僚と立花はいう。

「類は友を呼ぶ」。舛添が自身の政治資金使途の、「調査依頼報告書作成」を選任した佐々木善三弁護士もバカでは?の、世間の声は多い。彼は、猪瀬直樹前知事の弁護人として略式起訴を勝ち取り、小渕優子代議士の政治資金収支報告書虚偽記載問題で、第三者委員会委員長として報告書を作成した人物であるが、今回の内容を見ると、とても中立の立場にいるといえない。

お気の毒だが、バカはバカの味方をしなければならない点に於いて、バカになるという図式である。同じヤメ検弁護士の大沢孝征や郷原信郎は、舛添知事の調査依頼はキッパリ断るといっていた。郷原弁護士は今回の調査報告について、「どうせロクな調査結果ではないだろうとは思っていたが、『違法ではないが不適切』を繰り返した調査結果は、全く予想通りだった」とした。

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郷原弁護士は、「正月の家族旅行の際の"会議"の有無について事実解明を行おうと思えば、"出版会社の社長"の聴取が不可欠であり、そのような舛添氏や事務所関係者等以外の『第三者』に対する調査は、舛添氏の依頼からは除外されていたということだったのではないか」と疑問を呈し、この会見では、舛添氏は、『事務所関係者らと会議をした』と説明していたはずだ」とする。

今回の調査報告書での舛添氏の説明では、"事務所関係者"は消えてなくなり、"出版会社の社長"だけとの会談だったような話になっている。しかし、もし、舛添氏の依頼が、第三者にはヒアリングしないというものだったとすると、調査は、『厳しい第三者の目』で事実を明らかにすることなど全く想定しない、まさに、"都民の目を欺くための調査"だったということになる。

舛添氏は、いったい佐々木弁護士らに、どのような調査を依頼したのか、その依頼の中に、事実解明に必要な「第三者」の聴取を行うことが含まれていたのか。仮に、舛添氏からの依頼事項が限定されたものであったとしても、今回の調査は、"元特捜検事による厳しい調査"にしては、追及が余りに手ぬるく、大甘だったことは否めない」。と、強い疑問を述べている。

さらに郷原氏は、検事時代の先輩でもあった佐々木弁護士に対し、以下のような辛辣且つ嘆きの言葉を贈っている。「東京地検特捜部時代には政治権力に対する捜査で、「マムシの善三」という異名をとった佐々木氏だが、小渕優子氏の政治資金問題での第三者調査等を行う中で、権力者側から便利に使われる、『元特捜検事』になってしまったということなのだろうか」。

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面識も交流もないから第三者と言いたいなら、この考えもバカである。90%に近い不支持にも関わらず、よくもヌケヌケと、「私の進退は都民の皆様に委ねます」と言えたものだ。舛添流の論理というのは、「だったらリコールしろよ。それが都民の声(行動)という事なのだろう」。殺しても死なないような奴は過去にもいたが、あの図太さは、「王様乞食」を地でいく人間だろう。

にしても、「死んでも死にきれない」と言うのは、一般的には病症に臥して死を待つ身の言葉では?元気でピンピンしている人間がそんな言葉をいう状況にないが、これだけ八方塞がり、四面楚歌の状況を「死に体」と捉えたのかも知れない。ここで辞職するのは、東京を世界一の都市にする願いを、道半ばで放棄という後ろ髪を引かれる思いだろうが、せんでよい。お前はクビだ。

と、議会が、都民が、突きつけない限り、「王様乞食」独善論に「Mo!」を突きつけられない。都民、国民の多くが望み、見たいのは、クビになったときの舛添の面であろう。藁にしがみついても生き延びようとする彼の、これまで都民や国民を愚弄した行状に対する罰を受けさせたい。彼のような道理に疎い、しぶといバカには、都民の行動以外に辞めさせる方法はない。

都民、国民の多くが「どうぞ、さっさと死んでくれ」と願っているにもかかわらず、よくもまあ、「死んでも死にきれない」などと言えるところが、前知事にも増してバカである。ドケチでも地位を失うくらいなら給与減額がまだマシと、吝嗇家舛添要一としての決断だろうが、この程度の自主規制でこれまでの行状がチャラにできるなどと、これまた都民を舐めている。

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東大出の元学者が、我々のような愚民に、「バカ」呼ばわりされるということ自体、存在価値も意義もない。「ああ、それなのに、それなのに…」、必死に地位にへばりつくバカを辞めさせられる行動を起こすことが、バカを選んだバカの責任だ。バカをバカだなと眺めているだけでは知事と同等のバカだが、バカを追い払う行動を起こす事で、バカよりマシと胸を張れる。


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