Quantcast
Channel: 死ぬまで生きよう!
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

大和くんのこと ②

$
0
0

イメージ 1
      振り返って悪ガキ時代、親の監視がないのをいい事に、死んでもおかしくない事は沢山した


あれから一週間。世界的関心を呼んだ大和くん、退院の際の映像をみて、人は写真とは違うなと改めて感じた。言うまでもなく、時間の一瞬を切り取った映像が写真で、これに対して映像(動画)では、時間の経過とともに映る像は変化していく。つまり写真と映像とでは時間の使い方が違う。別の言い方をすると、場面の切り抜き方に大きな違いがあるということになる。

世の中でいう瞬間というのは、物理学的にいうとないように思うが、瞬間の時間を刻むとどこまでもゼロにはならないからである。が、実生活の中では瞬時なものを瞬間という。それでも瞬間湯沸かし器はどこが瞬間なのかと、それでも命名者はいい名をつけたものだ。大和くんの発見についてはいろいろな疑問や謎が提起されているが、自分は一部の疑問も抱かない。

例えば、「(不明になった)28日から(陸自宿舎に)いた」という大和君証言と、「30日の点検時に、誰の姿も見えなかった」とする陸自の説明の「矛盾」も注目を集めている。見落としや、一時的に宿舎を離れていた可能性もあるが、「なぜ30日の時点で発見されなかったのかはひとつの謎」とされるが、見落としや記憶違い、宿舎を離れていたなら謎でもなんでもない。

また、「子供が険しい山道に入っていくはずがない」という、捜索のプロたちの「想定」を超える行動を取った大和君の足取りに、不自然さを感じる人もいる。朝日新聞4日付朝刊によると、「(大和君が施設へ)どうやって来たのかは、はっきりしていない」。とあるが、大和くんにしてみれば怖い、疲れた、これからどうなるなど、巡る頭で何も覚えてないのが遺憾のか?

イメージ 2
   子どもであれ、歩くしかないときは歩く。じっとしている方が怖いから、歩いたり駆けたり

「はっきりしていなくて当然だ」と思う。サバイバル探検大会ではないんだし、後で何かを聴かれることも、何かを話さなければならないことなど予想もせず、何にも覚えてない、話すのが面倒臭いはむしろ子どもらしい。1週間近くも「水だけ」で生き延びた状況ながら、自分で歩けるなど比較的元気なことに驚きの声があるが、事実であるなら勝手に驚けばいい。

公園で遊ぶ子どもを見ていると、放っておけば一日中動き回っている。他にも、なぜ1週間近くも陸自施設から動いて助けを求めようとしなかったのか、逆に、「遭難時に動かない」原則を知っていたのだとすると、なぜ親が「置き去り」現場へ「約5分後」に戻った時、その場にいなかったのか、との疑問を呈する人もいるが、思いを正確な言葉で話せない子どももいる。

「誰かが保護してたんだろ。虐待を疑って帰さないでいるうちに出るに出れなくなったんじゃないかな」という記事もあり、それに拍車をかけるのが、神奈川県警の元刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏の以下の推理。「たまたま通りかかった人が、子どもが泣いているのを見つけ保護して、早く連絡してあげようと思っているところに、大捜索が始まった。

ここで自分が名乗り出ると誘拐犯人と思われるかもしれないと、本当のことを言えなくなったということも考えられます。その線が強いかなという気がします」。「ふ~ん」と思った。悪気はない、誘拐したわけでない、そういう善意の人が、「自分が名乗り出ると誘拐犯人と思われるかもしれないと、本当のことを言えなくなった」などと尻ごみするものだろうか?

イメージ 3
          この人たちは、「人を疑うのが身についている」から、それはそれで職業意識

そういう自己の危機意識より、子どもを心配して保護しましたと、普通に、正直に、胸を張っていえるのではないだろうか?元刑事の発言は、自分の推理を強めるために、善意の行為を勝手に尻ごみさせているように感じる。まあ、そういうことがあったなら、大和くんは間髪をいれずにそのことを話すハズ。彼は子どもだから、控える、躊躇う、より、正直に何でもいう。

どう歩いた?時間は何時ごろだった?などの観念時計もない7歳の子どもは、そういう事は考えることさえ面倒でも、人と居たくらいは、それが事実なら言うはずだ。「偶然」、「非常に珍しい」などと、専門家らをも驚かす展開だっただけに、ネットでも、にわかには信じられない、といった反応を示す声があるのは吝かでない。一切の疑問も持たぬ人もいよう。

イメージ 7
        判らないから疑うわけだし、クマの分際で人の揚げ足とってはいかんよ

それよりなにより、映像でみる大和くんの愛らしさ。最近、この年代の子どもはみんな天使に見える。天使は女性に言われる言葉だが、昔の絵画をみると、オチンチンのある天使もいたりする。疑問に思い調べてみると、聖書で天使といえば男であるらしい。「君はぼくの天使だ」と、いつしか女に変わった理由はなぜ?まあいい、言いたい奴には言わせておけ。

言われて喜ぶならそれもいい。だからと言って天使が悪魔に豹変する責任は、言った側にも言われた側にもない。元は天使でないことくらい知った上でお世辞で言えば良し。確かに病床に臥せっている時は、看護師のやさしさを天使と感じることはある。男にいくらやさしくされても天使とは感じないのはなぜだろう?やはり自分が男であるからで、有り体にいえばスケベだからだ。

イメージ 4
     それにしても天使に羽根がはえてるって何でだ?横着せずに歩かなきゃ太るで?

案ずるな、男をスケベに誘うのは異性であってそれでこそ正常である、もし、同性にそう感じるなら自分がキモイ。ところで大和くん退院の際に、母親がまるで顔を隠さんばかりに大きなマスクをしたのが種々取り沙汰されているが、代弁する人間が、「先生も看護師もマスクかけてたよ」には笑えたし、視点が違っている。子どものことで父親ばかりが全面に出るのは珍しい。

数日前にも書いたが、出れるに出れない母親の心の歪みがあるのだろうし、一点の曇りもないなら、こういう場合は母親が止めても前に出るのが自然であるし、そこが自分で理解できれば分かればアレコレ尻馬に乗って言う気もない。むしろ言うのが嫌味ったらしい。大和くんの夫婦についていえば、そもそも最初にああいった嘘をつくこと自体、人として問題がある。

親のメンツとか以前に、自分たちの体裁を繕うという考えになる、そういう発想が浮かぶこと自体、どういう人間かを判断できる。自分的にはそれで終っている。だから後々のことはすべてがその流れであって、いちいち取り上げて夫を妻を論じる気にはなれない。夫も妻も双方合わせて一対の親である。どっちがどうこうではなく、二人が子どもに大きく関わることになる。

どちらに問題があるにせよ、それは夫婦の問題である。ハッキリとした言葉をあえていえば、あのような嘘をつく人間であるということで、それ以上のものは何もない。どうしてそういう嘘をついたかは、考えれば分かる事。それが大和くんの親である、それだけのことだ。いろんな親、いろんな人間を、いろんな機会を通じて眺めることになる。人はいろいろだとしみじみ感じる。

イメージ 6
    「お父さん、お父さん、お父さん…」ばかり。「お母さん」とは、口が腐っても言わない?

大和くんと同じ出来事に出会ったとして(子どもを置き去りにしたとことではなく、その後の対応)、あの両親と同じような虚言をつくか、どうかをそれぞれの親が自問し、自答すればいいこと。正直か虚言か自分ならどうするか?あるいは妻(夫)が、虚言を画策したときにどうするか?合わせるのか、断固反対するのか?そういうことが人間性の問題であろう。

問題というよりも、根幹であろう。自分がした事はした事であり、それを曲げ、誤魔化して対応するという発想をおもいつく人間(親)が、どのくらいの数になるかは分らないが、問題はその事だと感じている。正直は誠実である。自身の利害得失よりも、した事はした事である。それが「責任感」という事ではないか?自身の利を優先して嘘をつくような親に育てられたくない。

それが親としてみた親の像であり、子どもであったらという仮定で眺めた理想の親の像である。そのことに大いなる違和感も抱いた事件であった。生活の中での嘘や方便は、生活の中での必需かも知れぬが、世間を前にしての大虚言は人間性の発露である。ついた時点でバレるバレないに関係なく、世間に顔向けが出来なくなるはずだ。それが人間の羞恥心というものだ。

本件における母親の子どもへの憚った態度を推理するが、あくまで推理。一切を父親に委ねたが、誘拐事件や失踪事件において、母親の子どもへのほとばしる愛情が無意識に晒されるものだ。大和くんの行動の謎に興味はなく、また、発見時の父親の心情に嘘は感じられず、母親の控えた行動が理性的なものか、感情的なものなのか?これが最大の謎である。

イメージ 5
  夫をたてる控えめな妻…とみるか、それとも前に出れない事情があるのか、オカシイのは間違いない

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

Trending Articles