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大和くんのこと

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28日に行方が分からなくなり、6日後の昨日発見された大和くんのことをいろいろ考えた。考えるといっても、7歳の男の子の心中は覗くのは大変であり、子ども時代をあれこれ思い出しながら彼の心の奥を探ってみた。発見されたところが放置された場所から直線で6km離れた鹿部町の陸上自衛隊駒ケ岳演習場内の小屋ということで、昨日はそこに向かったと書いた。

向かったのではなく、たまたまそこに辿りついたというのが正しいようだ。自衛隊の演習場に興味があったのではなかった。とりあえず大和くんの性格を象徴するのは、置き去りにされた場所からすぐに移動したこと。これについては、二度にわたって放置されたことが影響したのではないか?なぜ二度も?一度目は降ろされて泣いたといい、再度車に乗せられた。

ところが再び降ろされた。その理由というのは、おそらく大和くんが親から謝罪を命じられて、従わなかったからと推察する。つまり、親にとって満足がいく返答がなかったことが、二度目の放置となったのではないか?こんな会話が想像できる。「親のいう事を聞かないような子は、すぐに捨てるからね。わかった?これからはちゃんと親のいう事聞くんだね?」

「返事は?ちゃんと返事しないとまた降ろすわよ!」。大和くんはこのようにたたみ掛けられ、「うん」と素直にいえなかったのでは?これらの会話が誰を意図しているか、母親である。自分は、今回の騒動で母親がまったく画面に出ないことを訝しく感じていた。父親は当初は冷酷非道な、つっけんどな物言いだったが、おそらく母親の行為を代弁したからであろう。

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「しつけ」、「教育」といえど、父と息子という男同士の連帯感からすれば、少々のやんちゃは理解できるし、子どもは親に迷惑をかけて育つものだという事も、男親なら当たり前に分かっている。母親にとっての男の子の育て方は大変であり、大和くんの父親は板ばさみに合っていたと思われる。子どもが見つかった時の父親の姿を見、この人はいい父親と感じた。

なぜ母親は姿を見せない?これだけの大騒動で、息子が見つかって真っ先に喜ぶのは母親と思われる。喜びに取り乱した姿も想像できるが、母親は身を隠していた。その理由は、大和くんを二度にわたって放置したあげく、母親は大和くんを嫌っているのではないか?分らないことだからあくまで推察だが、母親の手放しで喜ぶ姿が見れないのは一体何なのだと…?

大和くんは母親との折り合いが悪いのではないかと…?男の子は反抗するわけではないが、人のいう事を聞かないところがしばしばある。いかにも男の子であり、小学校時代を顧みても、決まりを守らないからと、ゴチャゴチャうるさいのは決まって女子。女の子は自己保身的であり、決まりを守っていれば幸せになれるとでも思っているのか、決まり、決まりと小うるさい。

それがそのまま母親になって、「アレをするな」、「これはダメ」となる。いつだったか、ウォーキング途中で象徴的なことがあった。目の前に小学生の男女が黄色いランドセルを背負って歩いている。学校帰りだろう。早足で追いつくと二人に声をかけた。「いっしょに早歩き競争をしよう!」と…。女の子は、「うん、いいよ!」と了解し、足早に歩きだした。

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ところが男の子は、とっとこ駆け足で行く。「ダメダメ駆けたら、早歩きなんだから、ちゃんと守って!」と制止するも、そんな声に耳を傾ける気もなく、さっさと駆けて行ってしまった。仕方なく女の子と二人で早歩き競争をしたが、ちゃんと駆け出さないよう守りながら、懸命に歩くのだった。お母さんも女の子の方が育てやすいだろうな、などと思った。

人の言うことなど聞く気のない男に子に追いつき、「ダメじゃないか、歩かなきゃ!」といっても知らん顔である。「ボクは競争に勝ちたかっただけ、だから走った」と言わんばかりの顔。これが男の子なんだろう。これをやんちゃと言うんだろう。などと思いながら、女の子はいろいろ話しかけてくるし、男の子は一言も言葉を発しない。二人とも一年生だという。

「毎日歩いてるん?」と女の子に聞かれておどろいた。そのものズバリであったからで、なぜ普通の通行人でなくウォーカーだと思ったのかが、気になった。女の子にはそのように見えたのだろうが、それにしても図星であった。同じ一年生と言いながらも、男の子は4~5歳のガキである。判断力もまばらで、勝ちたい一心に一目散に走るという単純さがかわいい。

こんな男の子だから母親には手ごわい。大和くんは一度目に降ろされ、泣いて車に乗ったが、ここぞとばかりの母親の厳命に素直に返答せず、また、それが母親の逆鱗に触れ、再度降ろされた。こうなってしまった以上、大和くんに成すすべはない。親の脅迫まがいの言葉に従わないとて、所詮は7歳の子どもである。途方に暮れ、とぼとぼ歩き出すのは無意識の諦めモード。

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親から見離され、見捨てられたという実感。その場で待てば引き返して迎えに来るという、後ろ向きの希望を持てない男の意地か。車中でのやり取りも、納得できないことにはクビを振らぬ男の気概か。大和くんがその場に留まらなかった理由をいろいろ思考する。自分も実母から同様の威嚇体験を数度味わった。小学1~2年生にとって、親の本気と思える脅しは恐怖である。

恐怖ゆえに対応は諦めである。謝罪の子もいるが、やんちゃな子は謝らない。敵対関係にある男の子と母親、その板ばさみの父親、母親は都合悪きことは逃げし隠れし、父親が対応するパターンとなる。自分の子ども時代も、教育の主導権や方向性を母親が一手に握り、父親は息子のケンカの後始末に菓子折り持って参じる。そういう母親を男の子は卑怯に感じた。

内弁慶で対外的な行動のない母に比べて、父は自分の粗相の後始末を楽しんでいるかのようであった。息子の罪は自分の罪という連帯感というものが子ども心にも伝わった。大怪我をした相手の家に赴き、今なら訴えられても当然の中、相手の父親に罵倒されながら畳に頭を擦り付けて謝罪する父に胸が痛む。この人に二度とこんな思いをさせたくないと心に誓う。

大和くんの父親には、大和くんへのほとばしる愛情が感じられた。いいとこ取りで無責任な母は、都合悪けば退散というのは実母に重なる。大和くんの保護に際し、母親の安堵する姿が画面に映し出されないのは、それだけの理由があるのだろうが、何とも不自然で淋しい限りである。ネットやメディアではまるで正義の代弁者とばかりに、親の放置を責め立てる。

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それほど問題にすることでもないが、たまたま大和くんの行方が分からなくなった事で、大袈裟に鬼の首でも取ったかの如く喚きたてるアホな評論家どもにはいつもウンザリだ。彼らはお決まりの後出しじゃんけんで持論をいうだけの卑怯者である。心理学者に脳科学者に教育評論家に芸能人が寄って集って「虐待」の大合唱。彼らは後出しじゃんけんで、決まってパーを出す。

パーを出す「パー」である。「子どもを放置するのは典型的な児童虐待、この両親は間もなく逮捕されるでしょう」と、オカマ評論家が言う。しかし、男児が保護された途端、「良かった!見つかりました!」と喜びを爆発させる。何ともつまらん人たちであろう。気の利いた状況分析はなく、問題にするのは大和くんが居なくなったことだけ。こういう投稿があった。

「俺も小2の頃に山に捨てられたことあった。車からマジで下ろされた時は泣いたな、走り去った時も泣いた。でも見えなくなったらすくっと泣き止んで元来た道を戻って、行きがけに見つけた交番に向かってた。交番から下ろされた場所までの道のりは覚えていたし、あのときの俺は凄く冷静だった。このバカ親と同じように、俺を時間が経って探しに来たんだろう。

親が、俺が元いた場所からいなくなってたから血相変えて探してきたわ。『反省しただろ帰るぞ!』とか言われたけど、俺は心の中で、これから交番にあんたらの悪行を言いに行くとこなんだけどって思って車にすぐに乗らなかったら、『早く乗りなさい!』って無理矢理乗せられて家に帰った。まぁ、一応親子やってるが、この恨みは死ぬまで忘れんわ。」 
 
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本当に5分後に戻ったなら、声を枯らして「大和~~~!」と呼べばいいのに、必死になって叫んでないんだな。自衛隊もなぜ拡声器で大和くんを呼ばなかった?大音量の拡声器がないなら、右翼の宣伝カーを借りたらいいんで、まさか彼らは死体を捜していたのではあるまいな?スピーカーを使わない理由がサッパリわからん。見つかったからいいけれど…。

どうやら母親に問題がありそうだ。普段はガチャガチャうるさく、主導権を持っていながら、肝心なときには人前に出ない小心者は、教育の主導権を持つべきでない。なぜなら、教育(しつけ)とは責任であるからだ。キチンと責任をとれる者が、自己の責任においてやるべきだし、やった方がいい。責任逃れをする人間は親であれ、教育評論家であれ、卑怯者だ。

最初、親の言い分がコロコロ変わったのも、責任逃れを意図する妻が、己の立場が悪くならぬように夫に喋らせたのだろう。何とか辻褄を合わせようと画策した。保護されたときの父親の人柄から類推すれば、最初から父親の判断で正直に対応すべきだった。女の浅知知恵、思慮ない発言が物事を混乱させ、墓穴を掘るのはよくあること。このケースもそう感じていた。

こういう憶測はメディアも避ける。評論家も口を閉ざす。それで事件の本質を探れるのか?何が事実かは当事者以外に分らない。ならば可能性を探るしかない。そうした可能性に蓋をするのは、ありがちな親子の問題点を遠ざける。本件の核心は、子どもをクルマから降ろしたことではなく、大和くんが何故その場を離れ、遠くに移動したかを思考すべきではないか。

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