養子縁組とは、嫡出子以外の子どもとの間に、なんらかの手続きによって親子関係を設定し、子どもとしての権利義務を付与する制度をいう。こうして設定された親子関係は実の親子関係と同じに扱われ、養子には実子のように財産相続や祖先祭祀の権利義務が発生し、一般に生家を離れて養父母の家族の一員となる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)
かつて養子縁組は、家の継続、親の老後の生活保障、労働力の確保のために利用されてきたが、現在では子のための制度と考えられており、普通養子縁組と特別養子縁組がある。「普通養子縁組」は契約型であり、養親になる者と養子になる者の契約により養子縁組を成立させる形態で、スイスやオーストリアなどで採用、ドイツやフランスでもかつて採用されていた。
日本では、民法792条から817条までに規定されている普通養子がこれに該当するが、養子になる者が幼少である場合、自ら有効に縁組契約を結ぶことは不可能であり、この場合は法定代理人などが代わって縁組の承諾をすることになる。日本では、養子になる者が15歳未満である場合は、法定代理人が養子になる者に代わって縁組の承諾をする(代諾養子)。
他方、「特別養子縁組」を決定型とする。公的機関の宣言によって養子縁組を成立させる形態であり、多くの場合、養親になる者の申請に基づき裁判所が養子決定をする形態を採る。英米法を基礎とした国や現在のドイツ、フランスなどで採用されている。日本では、民法817条の2項から817条の11項までに規定されている特別養子がこれに該当する。
特別養子縁組は、実親との関係を断ち切る養子縁組で、比較的新しい制度(昭和62年制定)だが、この制度は、「菊田医師事件」というのが契機となって新設されたと言われている。「菊田医師事件」は別名「赤ちゃん斡旋事件」といい、産婦人科開業医の菊田医師が中絶手術を行う中である時、「7か月胎児の中絶」をしたことがきっかけで、葛藤を持ち始めた。
当時の法律では妊娠8か月未満までの中絶が可能だったが、7か月だと胎児の身体がほぼ完成しており、たとえ望まない妊娠や、経済的に困難な状況を抱えた中絶であれ、赤ちゃんにも生きる権利があると菊田は考えるようになる。複雑な事情で中絶を求める当の女性に対して出産するよう説得し、昭和48年4月20日、宮城県石巻市の地元紙に小さな広告が掲載する。
「急告!生まれたばかりの男の赤ちゃんを我が子として育てる方を求む」
依頼主は菊田昇医師=当時(46)=だった。ところが、この広告が議論を巻き起こす。2日後に一部新聞が報道。昭和34年から48年まで、菊田医師が100人を超える赤ちゃんを斡旋していたことが判明した。斡旋は医師法に抵触する行為である。菊田医師が昭和34年から赤ちゃんの斡旋を始め切っ掛けは、上記とは別の妊娠7か月の女性の中絶を断ったことだった。
当時の報道によると、その後女性が別の病院で中絶したことを知り、「いっそのこと産んでもらい、子宝に恵まれない人に世話する方がいい」という考えに至った。菊田医師は胎児の生命を救う為に、中絶手術を求める女性を説得して思いとどまらせる一方、地元紙に養親を求める広告を掲載し、生まれた赤ちゃんを子宝に恵まれない夫婦に無報酬で斡旋した。
この行為の善悪については、意見の分かれるところだろうが、医師の倫理の問題は別にして、確実に違法となるのは、偽の出生証明書を作成し、赤ちゃんを引き取り手の実子としたことによる出生証明書偽造という罪である。もちろんこれは産めない理由のある実親の戸籍に出生の記載が残らないため、養子であるとの記載が戸籍に残らないための配慮であった。
しかし法は法であり、出生証明書偽造で昭和48年に告発され、罰金20万円の略式命令、厚生省から6ヶ月の医療停止の行政処分を受ける。さらには所属関係学会を除名され、優生保護法指定医を剥奪され、国会にも参考人として招致される。菊田医師はそれらを不服として訴えたが、最高裁で敗訴が確定した。しかし、菊田氏の事件が新たな門を開いたのだった。
母体配慮から人工妊娠中絶の可能期間が短縮され、1987年には養子を戸籍に実子と同様に記載する特別養子制度が新設された。菊田医師の行為は違法なのは間違いないが、それはあくまでその時点における「法」の不備という問題であり、菊田医師の行為はその後に法的に正しいとの判断になったからである。正しいことが間違いという時代であったに過ぎない。
おしなべていうなら、「違法だから悪いこと」が正しいとはいえないことを現している。強めていえば、「法律が禁止しているから特定の行為を行ってはいけない」というのは、端的にいえば「嘘」だということになる。なぜなら、善悪の判断が一律「法」に依拠しているなら、「菊田医師事件」でさえわずか数十年で、善悪の基準が変わってしまったことになる。
つまり最高裁までが悪とした「菊田医師事件」においても、「法律で決まってるから悪い」のではなく「多くの人が悪い(善い)と考えるから、事後的に法律で決められた」のであって、善悪意識という根本的なものに比べて「法律」は人々の善悪意識を二次的に表面化したものであるといえる。いうまでもない、法治国家の規範は宗教でも道徳でもない「法」である。
その「法」であっても、絶対的に正しくないという事だけは、人の心において置くべきだろう。したがって子どもたちに、「違法だから悪いことだ」と教えるのは、こうした構造を見落とすことになり、善悪感覚を外部に依存させることになる。何でも他人の尻馬に乗るような人間は多い。人が悪いというから悪い、良いというから良い、こんな感じである。
なぜ、個人レベルの善悪感覚を陶冶しないのだろう。「陶冶(とうや)」とは古い言葉で人間形成のこと、教育と同義。菊田医師は違法であることを覚悟の上で、自身の善悪感覚で行動した人である。人間は生きてる中で、場合によっては違法覚悟で何かをしないではいられない事はある。「善悪」は与えられたものではないし、自らの中にあるべきもののはずだ。
法律や社会といった外部が規定された善悪の判断ではなく、本来はしっかり個々が決断していくものであり、そういう生き方をする人は逞しい人間であろう。善悪を自らで考えて行動するために何が必要か?については常に、「答えのない問い」に向かって生きていくことで授かるものではないかと。答えのある学問は、善は善、悪は悪と規定し、答えを出している。
学問を否定するのではなく、考えないで答えを覚えるという学び方が問題だ。暗記主体の受験制度を踏襲するかぎり、逞しい人材は作られないのでは?「なぜ人を殺してはいけない?」、「なぜ自殺してはいけない?」、「なぜ人のものを盗んではいけない?」などを自ら考え、自らの論理が組み上げる。それを哲学というが、自らのものを作るのは面白いことでもある。
自分の考えが生まれない、みつからなくても、考えたプロセスは意義がある。「毎日の積み重ねが一瞬の奇跡を生む」と、これは昨日記したイチローの言葉であるが、そういう例は沢山ある。沢山、経験もした。ピアノやギターなどを一生懸命にやっている人なら誰にもあることだが、ある難しい部分を何度やってもできなかったことが、ある日突然できたりする。
あれは本当に不思議で、それを称して、「一瞬の奇跡」と表現したと推察するが、そうとしか言いようのない不思議な体験である。菊田医師は「法」という縛りの中にある善悪の矛盾、命の軽視され方に果敢に向かって行った勇気ある人である。彼が行動を起こさない限り、「特別養子縁組」制度は生まれなかった。何事もそうだが、初めにやった人が凄い。
何事も初めにやった人は勇気がある。そういう勇気は、幼少の頃から保守的で無難なことを命じ、付和雷同てきにやらせる親の元では生まれないだろう。ひと年とって、無難を善しとする親の元で、若くてエネルギッシュな子どもが、老人脳になるのは哀れなことだ。そういえばジョブズは行きたい大学をオレゴン州ポートランドにあるリード・カレッジを選んだ。
学費は高いが優秀で個性的な学生が多いと評判の大学だったが、両親はショックを受けた。学費もさることながらあまりに遠かったからだ。母親は当時の様子を以下のように語っている。「行きたい大学はリードだけと言うんです。リードに行けないならどこにも行かないと」。両親は息子のわがままを聞きいれ、蓄えを放出し、スティーブをリードに送り出した。
後年ジョブズは、愛車のメルセデスベンツSL55AMGにナンバープレートをつけないまま公道を走ることで有名だった。違法ではないかと思われるこの行動が、なぜ許され続けたのか。その理由が、「プライバシー保護の特例としてカリフォルニア州の陸運局と裏で手を結んでいる」とか、「ファンがナンバープレートを盗んでいくから」など、取り沙汰された。
が、すべては憶測でどれも決定打に欠けるものだった。ところがアップルでOSのセキュリティー関連の仕事をしていた、John Callas氏がこの件に納得のいく説明をしたという。それによると、カリフォルニア州では新車を購入した際、最大で6ヶ月間までナンバー無しで運転することができることになっているが、ジョブズは6ヶ月毎に新しいベンツ同型車に代えていた。
プライバシー保護目的とはいえ、一見同じ車に乗っているようで、実は6ヵ月毎に同じ車種の新車に乗り換えていたことになる。ジョブズが音楽産業にもたらした功績は大きい。ハード製品外にも楽曲の違法ダウンロードに風穴を開けた。ゲイツもウェブブラウザIEの独禁法問題に果敢に向かったように、人の真価は、「法」をくつがえしてこそ"ナンボ"なのかも…