公民館で子ども相手に将棋を指すのは楽しくもある。オトナにくらべて彼らの心は「純」であり、歪んでいない。自分もかつてはこんな少年だったんだなと、過ぎし日を懐かしむ。どういう少年であったかの正確な記憶もなく、どんな考えで毎日を過ごしていたか、さまざまな事象を思い出し、客観的に想像するしかないが、以下は「S」というある著名人の少年時代である。
1955年2月24日、カルフォルニア州サンフランシスコに生まれたSは、生まれてまもなく同じサンフランシスコに住むJ夫妻の養子にだされた。J夫妻は10年近く子どもに恵まれなかったが、当時、養子縁組は現在よりも一般的に行われていたし、養子に出される子どもの年齢ははるかに低いものだった。この時代、養子縁組が各国、各地で頻繁に行われた理由は簡単だ。
避妊法が確立されていないこと、中絶は違法であったこと、また貧困家庭であったことも挙げられる。この状況が根本的に変化したのは避妊法が普及した60年代である。「ピル」はペニシリンと並んで二十世紀を代表する発明であろう。また、女性解放運動の高まりや、道徳的規範も変化した。それ以前、妊娠した未婚女性に残された唯一の道は養子に出すことだった。
「身ごもった」女性と、子どものいない夫婦を結ぶサービスはあちこちで提供されていた。Sが養子に入ったJ夫妻の夫は、暇さえあれば機械いじりをしていた。何週間もかけてポンコツ車を修理し、走れるようにするのが最大の楽しみだった。手入れが終った車を売って小遣い銭も得ていた。養子をもらって3年後、J夫妻はサンフランシスコ郊外の一戸建てに転居する。
3歳になったSは、手にあまるほどになり、朝の4時から遊んでいた。アリ用殺虫剤を味見して病院に担ぎこまれたり、コンセントにヘアピンを差し込んで大やけどをするなど、トラブルが絶えなかった。10歳頃のSは仲間にとってトラブルメーカーでしかなく、幼児期から反骨精神に富んでいたSは、「いつも一人でいるやつで、泣き虫だった」との友人評である。
わがままでイタズラ好きのSは、この時期さらに悪くなる。「時間の無駄」と思う学校の宿題や課題は一切やらず、睨まれた教師に逆らうなどして停学処分は何度も受け、放校処分になってもおかしくはなかった。ところが、4年生の女性担任と出会ってSは変化する。後にSはこのように述べている。「彼女はボクの救い主の一人。すぐにボクの操縦法を身につけた。
『この学習帳をやって欲しいの。最後までできたら5ドルあげるわ』など、鼻先にニンジンをぶらさげて勉強させるものだから、イヤでも勉強する気が高まった」。Sは猛勉強の末に、5年生を飛び級してミドルスクールを勧められ、両親も同意した。ミドルスクールに入学したのはいいが、年上の子どもたちの中に放り込まれたSは、悲惨な日々を過ごしていた。
Sは父親に、「夏休み後の9月の新学期から学校に行かない」と告げた。両親や学校ともずいぶんモメたが、両親はSの主張を受け入れ、転居することにした。Sは11歳にしてすでに家族を説得し、引越しをさせるほどの意志の強さをもっていた。後の彼のトレードマークともいえる激しさや、何としても目的達成の障害を取り除くひたむきさは、この時期に現れていた。
Sとはアップルの創業者スティーブ・ジョブズである。人間関係は良くも悪くもその人を作る。何の障害もない円滑・円満な人間関係がいいとはいえども、それならそのような人格になる。障害に苦悩して自らの命を絶つ子どももいるが、障害を跳ね除けて歩んで行く子どももいる。自分も過去を振り返り、あんな母親とのバトルが自分を作ったと、今では満足している。
暢気で至福に満ち、のほほんの男にならなくて良かったと思っているが、そうならそうなったで満足しているかも知れない。子どもにとって目指す人格などあり得ない。子どもは環境によって人格が作られる。親にも誰にも予知できない子どもの将来なのに、子どもを枠に嵌め、親の描いた道を歩ませるのは親の自己満足であり、子どもの人生を半分奪ったことになる。
公民館の将棋仲間が、「別の公民館に行って見ないか?ここは子どもが多いから…」という。「子どもと指すのは楽しいけどね」というと、「そうなん?子どもに負けてイヤじゃない?」と、何とも物悲しいことをいう70歳である。前にもそういう人がいた。将棋センターで子どもと対局をあてられ、「子どもと指しにここへ来てるんじゃないんだよ」と係りに文句を言った。
それをまた自分に言って同調を得ようとするので、「将棋に子ども、オトナはないでしょう。ルールがあるだけでは?」というと、「子どもに負けてよく平気でいられるね?」と言う。こういう人は何なのだろう?子どもを讃えられないオトナの惨めったらしさ、腐った自尊心、むき出しの競争心、こういうゆとりなきオトナは、子どもよりもコドモである。
心の狭い人に出会うことで、そういう人の存在を知るが、知ったときには虚しくなる。同時に、どうしてこんなオトナなのか、何がこんな風にさせるのか、などと原因を思考する。思考で確信できるほどのものはないが、おそらく「井の中の蛙」であったのかと想像する。都会で数十年過ごして帰省したとき、あまりに土着民の心の狭さを感じたことがあった。
地元から外に出ず、田舎の思考に慣らされると人間はそんなになるのかと思うしかない。先月、兵庫県加古川市内にある公園の脇で75歳の老人がタバコのポイ捨てをしたところ、「たばこ捨てたらあかんのに」と子どもに注意されて逆ギレ、大声で怒鳴って子どもの首を絞めた他、他の児童の腕や服をつかんだり、引っ張ったりしたということで逮捕された。
こんなのは逮捕されるとか、罪とか以前の問題だろう。が、ネットには、「敬うべき年上の相手に対しこの言い方。親の顏が見てみたい。いつから日本はこういう糞生意気なガキが野放しになるようになったんだか…」、「喫煙者なんてドキュンしかいないんだから触れるほうが悪い。小学生もいい勉強になっただろう」などのコメントが散見される時代である。
「ガキに注意したら『ウッセーバーカ』って返ってくるし、世知辛い世の中っすわ」という意見もオカシイ。なぜなら、そういう子どもに腹を立てるのではなく、その子の背後にいる見えない親に対して腹を立てるべきで、そんな子どもに腹を立てても何の意味もない。貧しい思考で生きているオトナ(親も含めた)たちが、世の中をダメにして行くのではないか。
まさに子どもはオトナを映している。自分もかつてポイ捨て常習者であった。何度注意されても止めなかった。今に思うと傲慢でバカであったとしか思えない。注意されても止めない自分に、ある女性がこう言った。「わたしが携帯用灰皿を持って出るから、ポイ捨ては止めて!」。この言葉に打たれたというより、ここまで道徳心を持つ人間がいるという驚きだった。
そこまで人を煩わさなければならない自分に言いようのない羞恥を感じた。その言葉が切っ掛けとなり、すぐにタバコを止めて自分。禁煙した理由にしては稀有な理由だと我ながら思う。果たして世の中に同じ理由で禁煙したものがいるのか、どうなのかと、頭が廻ることもあった。止めてみて初めてわかるタバコの間接害である。そういえば我が子に何度も言われた。
「お父さん、お願いだからトイレでタバコを吸わないで!」。この言葉を「じゃかましい、どこで吸おうがワシの勝手じゃい!」と無視していたことも含めて、バカだったと思う。今に思えば迷惑だったろうなと思う。親の傲慢さ、オトナのコドモに対する傲慢さは沢山あろう。それに気づかないのは、オトナの殻をかぶったコドモであろう。そういう自戒が過ぎる。
どうしてもオトナはオトナを基準にした考えになる。もっと、コドモの立場や存在に気づいていかなければ、コドモは可哀想ではないか。そういうことが自主的に分らないかぎりオトナは分らないものだ。言葉にすれば何でもないことだが、自分で気づいた時には大きい。それが分かった時に、人(オトナ)は大きくなるのではないか。もっと、コドモに目を、心を…
オトナがオトナになるために…。子どもに害のないオトナになるために…。子どもから尊敬されるなどは無用であろう。害にならねばそれで十分である。オトナだけの殻に閉じ困らず、自分自身を客観的に発見すること。それを子どもから教わろうが、「誰に教わる」などは問題じゃない。素直に自分を見つめる目があれば、自分の過ち、傲慢に気づくはずだ。