「残念でしかない」。国内の違法性カジノ店に出入りが判明し、7日午前に遠征先から急きょ帰国したバドミントンの桃田賢斗(21)と田児賢一(26)。香川県三豊市在住の桃田の父信弘氏(51)は、リオデジャネイロ五輪を目前にした突然のニュースに、衝撃を隠せなかった。海外遠征中の息子からは「特に連絡はなかった」といい、事件は報道で知ったという。
確実にしていた五輪出場をふいにした不祥事に、「そんなところに出入りするなんて考えが甘過ぎる。人間として未熟なところがあったのかもしれない」と言い放つ。息子のためにバドミントンを学び、自宅の駐車場にコートと同じ大きさのラインを引いて練習場所を作るなど、息子の背中を押し続けてきた父。「きちんと裁きを受けるしかない」と肩を落とした。
賢斗に賢一、どちらの名にも「賢」があるが、なんともおバカな二人である。本人たちは「バカだった」、「愚かだった」と自戒すればいいが、無念なのは賢斗を世界一に導いたといって過言でない父。桃田の実家には、クルマの駐車場のコンクリート地面には、父が画いたという実物大コートのラインがある。実際のコートの広さを体で覚えさせるためだ。
桃田にはスーパーヘアピンという技がある。これが生まれたのも実家の部屋の中だったという。部屋の入り口の柱と柱の間に、バドミントンのネットの高さに合わせてゴムひもを張り、毎日猛練習していた。「ヘアピンが決まれば楽ですからね。」、「一生懸命にスマッシュを打たなくても点が入る」と説明する父。賢斗選手が将来試合で有利になるようにと秘策を叩き込んだ。
父親直伝のヘアピンを武器に小学生の頃から大会で他を圧倒した賢斗、2006年には全国小学生選手権シングルスで優勝、12歳で日本一に輝いた。バドミントンに目覚める前は野球少年だった賢斗は、体の使い方や肩の使い方、手首や肘の使い方が野球に似通っているとの理由で、始めたバドミントンだったが、いつしか彼は野球よりバドミントンに打ち込んでいたという。
そして2012年に開催された世界ジュニア選手権シングルスで18歳の賢斗は優勝の栄冠に輝いた。2015年12月、ドバイで行われたスーパーシリーズファイナルズ男子シングルスで日本人で始めて優勝する快挙を成し遂げた。父は帰郷した賢斗に、メジャーリーグ・ヤンキースの優勝パーティーで使用したシャンパン「ボージョア ブリュット」を用意し、優勝の祝杯をあげた。
「ふたりで飲むのは初めてやな」と照れくさそうな表情で語り合ったという。賢斗の名に恥じるバカといったが、名の由来について父は、「生まれて名前を付ける時、"スーパーマン"を思い浮かべてつけた」と語った。そういえば、スーパーマンの地球での名はクラーク・ケントである。「賢く大胆に頂点をとるみたいな。そういう意味で付けた」そうだ。
バドミントンで日本人選手として初めて世界一になった賢斗は、名実共にスーパーマン。そんな賢斗を支えた言葉は、野球界のスーパーマンであるイチローの「毎日の積み重ねが一瞬の奇跡を生む」であったという。毎日の練習や数々の苦難にあった時、賢斗はイチローのこの言葉を思い浮かべた。世界一になったとき、賢斗はテレビの特番でこう決意した。
「リオ五輪で優勝を目指して、しっかり金メダルを見据えて頑張っていきたいと思います。」
2016年2月14日に行われたリオ五輪代表選考を兼ねる、【バドミントン日本リーグ東京大会 最終日】、思うようにヘアピンが決まらず第1セットを落とすが、2セット目から超速スマッシュを重ね、力でねじ伏せ逆転勝利で今シーズンも全勝で終え、リオ五輪代表を確実にした賢斗。14日はバレンタインデー、チョコを片手に代々木体育館を多くの女性ファンが訪れた。
女性ファンはいちように、「最高!」、「顔と上手さが最高!」と、興奮が冷めやらない状況のなか、桃田選手へバレンタインのチョコを渡したり、サインを貰ったり。これには桃田選手も満面の笑みを浮かべていた。「青天の霹靂」という言葉がある。青く晴れ渡ったた空に、突然に轟く雷鳴との意味で、思い掛けず起こる突発的事変。突然の大事件。人を驚かす変動をいう。
今回の桃田、田児の違法賭博事件は、まさにこの言葉が相応しい。「考えが甘すぎる」、「残念でしかない」と、声を振り絞ってコメントした桃田の父親の無念さは想像に絶する。本人の夢、父の夢、母の夢、日本国民の夢、今まで一生懸命育て、サポートしてくれたコーチや、競技関係者の夢と期待が、ほんの少しの気の緩みで一瞬に崩れ去ってしまった。
8日の謝罪会見で桃田は、「自分の軽率な態度への反省と、裏切ってしまった申し訳ない気持ちでいっぱいです」とし、田児は、「いかなる処分も受ける覚悟でいます」と答えた。今後の競技人生についての質問に対しては、「すいません」などの謝罪の言葉のみで、競技生活続行についての明言はなかった。昨日、関係者が桃田に電話で復帰へのエールを送ったという。
が、「(今はまだ)そんな気持ちになれない」と話したという。未だ、ショックが覚めあらぬ状況のようだ。日本バドミントン協会は10日、都内で臨時理事会を行い、田児賢一選手に無期限の登録抹消、桃田賢斗選手に、日本代表の指定解除、無期限の競技会出場停止の処分を決定した。これによってリオデジャネイロ五輪出場は消滅したことになる。
協会は選手や関係者を会員登録しており、会員かどうかで可能な活動は大きく異なる。会員登録抹消の田児は、バドミントンに関わる公式的な活動は一切できない。会員資格の残る桃田は、内外の公式試合には出場できないが、大会を手伝ったり指導をすることは可能。ただし、登録を抹消されても、国内の協会や世界連盟が関わらない海外リーグでのプレーは可能。
二人の所属するNTT東日本は田児賢一を解雇、桃田賢斗を出勤停止30日とする懲戒処分を決めた。同時に男子バドミントン部は半年間の対外活動自粛とした。同社の懲戒規定で処分は6段階で、他選手を誘い、常習性が強い田児選手は最も重く、桃田選手は2番目に重い処分。賭博はしたものの頻度が少なかった他の部員6名(うち2名は3月に退部)は厳重注意とした。
桃田の恩師でもある香川バドミントンスクールの吉川和孝代表は、11日放送のテレビ番組の取材に、桃田の生活の乱れを注意していたことを明かした。吉川氏は、「キャバクラに行ったり、パチンコなど、そういういう乱れた生活でした」と話し、2年前にスポーツ選手とは思えないだぶついた体になったのを見て、「お前何やってんねん」と叱りつけたという。
桃田の父信弘氏も、「パチンコはやったらいかん」と叱ったこともあるとし、夜遊び等については、「それでダメになるなら元々ダメ」と、何も言わなかった。練習に明け暮れるアスリートにはどうしてもストレスが蔓延するが、どのようにストレスを発散し、折り合いをつけるかも一流選手の課題である。元バドミントン日本代表の小椋久美子は、桃田についてこう述べている。
小椋は今回の件について、「最初聞いた時には耳を疑って、バドミントン選手が反社会勢力とかかわりがあるということが信じられなかった」と衝撃を隠さなかった。さらに、「いま勢いがあって、これから期待できた選手なので、怒りというかいうかショックで感情が整理し切れない」とし、桃田を「派手に思われがちだけど、物腰も柔らかい好青年」と評した。
その半面、「若さもあるでしょうけど正しいこと、正しくないことの判断がなかなかできない部分と、憧れの先輩(田児)に強く言えない部分が絶対にあったと思います」と、今回の不祥事へとつながる体育系の先輩・後輩の関係ならびに、桃田の自制心のなさ、弱さを指摘した。小椋とコンビを組んでいた潮田も、男子の壁を破った桃田に失望を隠せなかったようだ。
その後の調査で、墨田区のカジノ店で賭博していたのと同じ時期に違法スロット店にも出入し、田児は20回程度で約50万円、桃田選手は5回程度で十数万円負け、懲戒処分を受けたNTT東日本所属の6人中5人も違法スロットで賭博をやっていたが、同社は公表しなかった。これについて日本バドミントン協会の銭谷欽治専務理事は、新たな処分を科さないとした。
人を叩けば誰だって埃はでないものはない。誇りある者でさえも埃はでよう。上半身、下半身とも埃にまみれたNBA(全米プロバスケットボール協会)選手のように、「本当のオレを見たいならコートに来ることだな」と言えない日本人。言えばさらなる袋叩きであろう。パチンコも競馬も競艇も賭博に違いないが、パチンコや競馬は、遊んだり観戦することが目的、という面もないわけではない。
反して野球賭博やカジノは、賭け事自体が目的である。暴力団絡みとはいえ、ソープが摘発されないのは、『立証が極度に困難であり、かつ、徹底的な立証をしようとすれば、人権侵害の非難さえ生じ得ること。勧誘(第5条)や売春を助長する行為(第6条~策15条)を処罰することなどで目的を達しようとするものであること』、の他に次のような見方がある。
パチンコも直接的な換金はないが、「三点方式」という仕組で換金する。法律上の賭博の定義は、「偶然の勝敗により財物・財産上の利益の得喪を争うこと」となり、"パチンコは遊技の結果に応じて景品を出しているのであって、利益の得喪を客と店が争っているわけではない"と、いかにも苦しい解釈だが、こんな理屈で「賭博」から少しでも距離を置こうとの努力。
ソープランドも風営法の規制をきちんと守って営業していれば、売春禁止法に触れず、パチンコも風営法を守っている限り、「賭博」でなく「遊技」となる。法的限界という見方もあるが、実際は、警察とソープ業者やパチンコ業者の癒着、というのが実際のところであろう。国民の娯楽を締め付けても勤労意欲が低下するだけで、世にグレーゾーンは必要だ。