Quantcast
Channel: 死ぬまで生きよう!
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

子どもの貧困対策

$
0
0
子どもの貧困が大きな問題となっていることは指摘した。ひとり親家庭の貧困率は50%を超えており、そのことで子どもの6人に1人が貧困状態にあるのは深刻である。子どもの貧困は見えづらいものである。 しかし、食に困るような貧困の子どもたち、親が忙しすぎてひとりでご飯を食べているような子どもたちがいるという現実を我々は報道で知るだけだ。

「貧困の連鎖」、「貧乏は遺伝する」などの記事を書いた。なりたくて貧乏になる者はないが、なったらなったで頑張って生きていくしかない。みんなが貧乏だった時代を知っている。さらにもっと前には食べる米もない、買うお金もない極貧生活の時代も文献や映画などで知っている。それでも懸命に生きた人たちはいたが、何を支えに生きていたかもそれぞれだ。

イメージ 1

「困ったときはお互い様」という、隣近所や地域社会の連携というのもあった。多めに炊いた煮物や、畠になった野菜などを近所にもっていくのは、当たり前の時代であった。今は、残り物を隣に持て行くなど、失礼極まりないであろう。地域社会の連帯が絶え、近所付き合いをせず、それぞれが孤立して生活するのが当たり前の時代に生を受けた人たちである。

地域社会の連帯は人間の集団本能に基づくが、経済的先進国社会にあっては、そこに住む人々は無意識のうちに集団欲求が崩壊していくという。つまり、地域社会の連帯が希薄になるのは経済との関わりがある。さらに経済先進国にあっては、家族間に「はじき出し現象」を生む。夫婦は老人と同居を嫌い、子どもを産み育てることも嫌い、子どもの数は激減する。

自分が親になりたてのころ、「子どもを幼稚園や保育園にやるのは親の怠慢である」という文字が印象的に頭に焼き付いた。そんな事はあたりまえと考えていたのに、その言葉は新たな思考を生みだすきっかけになった。行政は福祉と称して老人ホームを作り、保育園・幼稚園をつくり、結果的に夫婦に老人や子どもに手をかけなくていい社会教育を奨励する。

奨励すれば抵抗なく当たり前に感じるようになり、必然的に老人放棄、育児放棄という危険性も孕んでいる。そこで有用な言葉は、「仕方がない」である。「仕方がない」は便利な言葉で、仕方なくはなくても「仕方がない」といえば、仕方がないとなる。これなら誰でも「仕方がない」を多く使いたくなるはずだ。「仕方がない」は本当に「仕方がない」のか?

イメージ 2

おそらく違うはずだが、「仕方がない」ということによって物事は仕方がないとなる。よって、人間の言い訳言葉のチャンピオンは、「仕方がなかった」である。自分は言い訳を好まず、よって三大言い訳言葉の「忙しい」、「めんどう」、「疲れた」を禁句にしているが、行為前の「仕方がない」、行為後の「仕方がなかった」も意識して使わないでいる。

人の言う「忙しい」、「めんどう」、「疲れた」も言い訳としか耳にいれず、「仕方なかった」には腹も立つ。忙しい…無能、めんどう…横着、疲れた…弱音にしか聞こえず、そうとしか受け取らない。「仕方がなかった」は行為しない言い訳であろう。よほどの「仕方がなかった」場合を除いて、人間は行為ができると思っているし、その思いが行動につながる。

つまり、「仕方がなかった」を多用する人間は、行為をしない人間が多い。「仕方がなかった」を言わない人間は、行為の可能性を模索する。世の中、よほどのことでない限り、「仕方なくはない」と思っている。子どもが川で溺れている。助けたいが自分は泳げない、黙ってみるしか仕方がなかった。という「仕方がない」でさえも実は、「仕方がない」とはならない。

なぜなら、「なぜ人を呼びに行かなかったのか?」と問われてどう答える?「仕方がなかった」を言わない人は、さまざまな行為を模索するから、「仕方がなかった」という人より思考の幅が広い。それは能力が高いことになる。上司から見れば、「仕方がない」の多い部下は無能者である。学業成績とか出身校のレベルで判断できない、人間の重要な能力は沢山ある。

イメージ 3

上にあげた言い訳言葉を絶対に言わないと自らに言い聞かせるだけで、知らず知らず、自分の能力は向上する。その理由は行為(行動)の人になるからだ。行動しないで御託ばかり並べる人間は信用されない。男だからか男で行動しない奴、を「へタレ」とする。屁はその場にじっとしてたれるものだ。だから、男の子を間違った風に育てる母親に気づくことが多い。

男の子の腕白や突飛な行動は、社会を渡り歩く土台であり、この芽を絶対に摘まない事だ。親なら誰でも自分の子に幸せになってほしいと願うものだが、だからといって、ケツをひっぱたいて勉強、勉強というばかりではない。「行動する男こそ社会で光る」という事を知っているだけで、男の子に対する見方が変わる。だから母親は女の視点で男の子を見てはダメ。

子どもに入れ込む親は多い。学業に限らず、スポーツでも芸事でも、積極的に子どもに関わる親は多い。この風潮は何十年くらい前からか?おそらく日本が豊かだった時代が起点ではと考えるが、日本の経済成長を振り返ると、日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までの約19年間を、高度経済成長期という。

では、経済成長とは何かといえば、GDP(国内総生産)の伸び率を、経済成長率と言うのが一般的だが、GDP(国内総生産)とは何かについて、をキチンと答えられる人は少ない。難しい語句でいえば、「一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額」のこと。さらに分かりやすくいうなら、国内で自動車を製造・販売するある企業の売上高が1兆円だったとする。

イメージ 4

それに対して自動車を作る鉄、タイヤ、シート、ヘッドランプなどの原材料や部品購入費の合計が6000億円とするなら、この会社の付加価値(会社が新たに作り出した追加的な価値)は、差し引き4000億円となる。このように計算した付加価値を、国内のすべての経済主体について足し合わせると1国のGDPが算出できる。ちなみに日本のGDPは約500兆円となる。

つまり、日本人が1年間に稼ぐ所得の合計が500兆円ということだ。アメリカは約1500兆円。中国が約1000兆円、EUが約1800兆円(推計)となっている。現在中国は日本の2倍だが、世界第2位を誇っていたGDPが中国に負けたのは2009年だった。その時は日本が約5,035.14(単位:10億USドル)、中国が約5,059.72(同)だった。日本は2012年から下降が始まった。

現在の日本の貧困率は16.1%で、これは子どもの6人に1人が貧困ラインを下回っている。「子どもの貧困」は、低所得の家庭の子どもが低学力・低学歴となり、将来不安定な就業に陥ることで、次の世代にまで貧困状態が連鎖していく(=貧困の世代間連鎖)問題を孕んでいる。貧困ラインを下回っている人の年収が125万円、月収にして約10.4万円となり、年々増え続けている。

高度経済成長期時代の子どもに比して、今の子どもはその圧倒的な格差の前で、ハングリー精神さえ喪失する。「ハングリー精神」とは、「頑張ればこの状況を脱することができる」という自己効力感あればこそで、圧倒的格差のなかに長期間置かれた子どもは頑張り意欲を喪失し、「金持ちと結婚したい」とか、「生活保護で働かずに生活したい」などになり易い。

イメージ 5

小・中学校は義務教育ゆえに、どんな経済状況でも就学援助で学校に行けるが、高校になって親がリストラや倒産などで経済状況が困窮すると、高校を辞めざるを得なくなったり、進学を諦める状況になる。高校教員間でも、「親がリストラで学費が払えない」とか、「保険証をもっていない生徒がいる」など、学びの質の前に生活そのものが困窮という話題も出たりする。

なかでも離婚などによるシングルマザーなど、一人親家庭の貧困率は50%を超えている現状だ。子ども6人に1人が貧困といっても、「言っていることがよくわからないし、日本に貧困層がそんなにたくさんいるなんて信じられない」という人も多くいる。が日本の貧困率は先進国30ヶ国の中でも4位となっている(相対的貧困率)。なぜ日本に貧困率が多いのか?

諸外国の貧困は移民が多いなどの理由もあるが、それがない日本人で貧困が増えているのは、非正規労働者の問題もあるし、働いても給料が安い母子家庭にも貧困が発生する。安い服を買ったり、義務教育は受けられるので一見普通に見えるが、子どもの栄養状態はよくないし、給食が一番栄養価が高かったりする。果たして子どもの貧困をなくすために何ができる?


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

Trending Articles