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朝霞少女誘拐について大胆予測

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2015年1月20日に「齋藤杏花さんについて大胆予測」という記事を書いた。予測というのは様々な事柄を根拠に思考をするが、根拠とはどんなことか?例えば、少女が携帯と財布を置いていったについて、家出ならせめて財布くらいは持って行くだろう。今どきの人間は何があっても携帯は絶対といい、どちらも置いていったのは、学校に持っていかなかった?

となると家出というより事件?それらの事実のなかから「根拠」を探ることになるが、不確定な事象における根拠(推論)というは、可能性からの選択であるからして、できるだけ多くの可能性を必要とする。したがって予測とは、当たらなかったからダメとか、責められるとかでなく、当たって嬉しい競馬の予想ともちがって、推理小説のような思考トレーニングである。

携帯と財布を置いて着替えもせず、制服のままで消えた真相は、学校から家に帰る前に容疑者から、「親が離婚をすることになったから弁護士のところに行く」と声をかけられ、拒否をしたところクルマに押し込まれて連れ去られたと少女は述べている。しかも、目隠しをされていたというが、少女に目隠しをしたのは容疑者なのか?だとすればクルマの運転前となる。

押し込んだのは助手席か後部座席か?容疑者が少女に目隠しするときクルマは動いていず、目隠しの恐怖から咄嗟にドアを開けて逃げ出しそうなもので、これから起こる何事かの不安を前に、何をおいても逃げるべきだった。「怖くて逃げられなかったのだ」と人は言うが、思うにこの少女は、鈍感で気転の利かないおっとりタイプの性格と考える。行為が俊敏でなく、知性が感じられない。

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その日、母親はポストに少女の手書きのメモを見つける。そこには、「家も学校もちょっと休みたいです。しばらく友達の家です。さがさないでください」とあったが、内容は容疑者の指示であるという。書いたのはクルマの中とし、ではポストに入れたのは誰?少女か容疑者か?少女に指示するのは逃げる可能性もあり、おそらく投函は容疑者であろう。

容疑者がポストに入れるならクルマを降りる。聡明な子ならそこをチャンスとすべきだが、これまた「怖かったからできなかった」と人は言い、自分はそうは思わない。今、起こっていることに鈍感な人間は、何をすべきかも含め、暢気(他の言葉でいえば、ポカ~ンと)に静観するように、少女もそういった性格では?こんな風にいうのも、そういう愚鈍な人間は結構いる。

普通と違って予期せぬこと、想定外のことに遭遇した際、頭が回らないというのか、天然とでもいうのか、ただボケっとするだけで何もしない人間。今、起こっていることの現実を知的に捉えられないのだろう。この少女がそうであるより、そういう人間がいるということ。何でもカンでも「怖くて逃げれなかったのだ!」の意見に対し、自分はこちらを推理する。

人が違えばいろんな意見がある。誘拐に固執するあまり、「怖くて逃げられなかった」ばかりはバカの一つ覚えであり、視野を広げて思考する必要を感じる。カメラのファインダーを覗いて見る視界は、任意の狭い範囲が見えるが、ファインダーの外にも世界がある。ファインダーから目を離すと視野が広がるように、思考以外の思考をすれば視野が広がる。

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それにしても、逃げるを前提に考えればポストのメモさえ謎である。少女の目隠しも容疑者から、「これで目隠ししろ」と指示の可能性もあり、自分が映画監督ならそういう演出をする。なにかにつけて素直に従う少女という設定だ。同じ13歳で、「目隠ししろ」と言われて、「いやだ!何でしなきゃいけないの」と反抗する子もいる。そういう子をは普通に存在する。

親や権威者を妄信的に従う子、反抗を態度や言葉に表す子、反抗心はあっても従う子、それらの違いは家庭環境の差ではないか。子どもといえども、主体性を認めて押さえつけない育て方をする親もいれば、子どもは親が支配するものとばかりに反抗も許さない親もいる。後者は従順、前者はわがままになるが、わがままも考え方を変えれば主体性の発露である。

さて、寺内容疑者の千葉のマンションだが、道路面にベランダがあり、2つの部屋のサッシが別々にあり、どちらの部屋からもベランダに出られる。少女は「部屋の外側から鍵をかけられていた」と言ったが、警察の現場検証によると、外側から施錠などの細工はなかったと発表された。ということは、普通にベランダに出入りできたが、こういわれたのかも。

「ベランダには絶対にでないこと」。それで出なかったなら少女は言いつけを守ったことになる。容疑者は休むことなく大学に通っていたと大学側の発表だが、そんな部屋の状況なら自分は速攻でオサラバ。「ベランダには出るな!」と言われて従う理由もないが、おそらく少女は親にも逆らわぬようにキツク、厳しく教育されていたのだろうか?まるで人形のように。

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「出るなと言われたら出ないんじゃない?」と擁護する者もいようし、その人間は親の言いつけを守る子どもだったのか?捜査本部はこのような状況で、「監禁罪」の適用は難しく、見送るしかあるまい。容疑者側にも弁護士がつくし、こんな状況で監禁罪なら弁護士も黙っちゃいない。少女が、「窓に外からカギがかかっていた」と言ったのはこういうやり取りか。

捜査官:「窓からベランダに出て、道路の人に『助けて』となぜいわなかったのか?」

少女:「そうしようと思ったけど、窓には外からカギがかかっていたし…」

捜査官:「かかってなかったけどね、カギは…」

少女:「そうですか?でもかかってると思ったから」

捜査官:「……」

こういうやりとりは、子ども相手にありがちだ。親でも経験あろうが、親なら「いい加減なこと言うんじゃないよ。そんなんだったら許さないから!」と怒りまくる。被害少女相手に警察は少女の言い分を黙って聞く以外にない。疑問をぶつけてもまともな答えは期待できない。また少女は、「逃げたら殺されると思った」と言ったようだ。これも以下のやり取りを想像する。

捜査官:「一緒に出かけたんだろ?なぜ逃げなかったの?」

少女:「ずっと手をつながれていたし、だから逃げられなかった」

捜査官:「手をふりきれるだろう?トイレといえば男はついてこれないだろう?」

少女:「でも、逃げたら殺されると思ってたので…」

捜査官:「アホ!女子トイレに入ったら殺されるんか?」(などとは絶対言わない)

イメージ 5が、言いたくもなろうし、「もう少し、考えて物を言えば?」なども喉元まで出かかろうが、そんな事は被害少女に言えない。二人で部屋にいる状況も、外出中の状況も、容疑者が長時間大学に行き、一人部屋にいる状況も、なにもかもが同じ状況下、ミソもクソも一緒というのは、正確な状況判断が出来ないという思考停止状態は、頭の悪さというしかない。

我も我もと、少女擁護の意見が多いのは自分を周囲と同じ立ち位置において安心、安住、共感を得たい現われだ。その方が攻撃されない、異端視もされない。「雷同」は雷が 鳴ると万物がそれに応じて響くが、それに「付和」(みんな一緒)を付け足し、「付和雷同」という。思慮を感じる下の書き込みは多勢に無勢の中、誰もが見向きもしないが精彩を放っていた。

「少女は外から鍵がかけられてたいたと説明してますが、実際にはそういった証拠がなく、証拠が見つかったが情報が一切ない。被害者家族は非常に厳しい家でそれを被害者女子はかなり嫌がっていたとの話もあり、単なる家出少女だとは思いませんが、スーパーに一人で出かけたり、掃除や料理までし、鍵がかかってるドアに宅配員に笑顔で出たり、一緒に引越たり。

ご近所からは二人は友達みたいな雰囲気だった。外食店員は頻繁に二人で食べに来てたなどの証言もある。少女の本性がこれからわかりますよ。人間は自分の思考範囲外になると、己にとって都合いい解釈になります。もちろんこの男は犯罪者でもあり、論外ですがこの少女にも問題もあり。短期間ならまだしも多少の自由がある2年間は単なる監禁とも違いますよ。

複雑な思春期の少女の気持ちより、続々に出てくる証拠が真実。今後、短絡的な思考の方の手のひら返しだけは止めてほしい」。当たり前に思考すれば、当たり前に沸く考えである。この事件は、誘拐事件にしてはかつてなかった特異な様相を示している。誘拐されれば被害者であるけれども、過去このような形の誘拐被害者はいなかっただけに、本件は不可解である。

「監禁」という言葉がどうにも当てはまらず、当てはまらない以上、少女がそこから逃げたくない理由は必然的に湧いて出る。例えばスーパーに一人で買い物という事についても、普通に、「買い物に行ってくる」といって、そのまま容疑者宅に普通に戻るのは、怖いからというより、「帰りたくない」、「帰るのが怖い」、「帰るのは嫌」などの気持ちがなかったと考えるのが妥当である。

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それでも、「洗脳されていたから」、「心身を拘束されていたから」の意見は、少女が逃げてきた理由の説明がつかない。つまり、少女は自身が逃げる意思を持ち、逃げようという行動を取れば逃げられたわけだ。「あの日は絶対に逃げられる状況を、少女が悟ったから」と限定するのは、辻褄合わせの詭弁である。逃げるに相応しい状況はもっともっとあったろう。

要約すれば、少女は逃げたいと思ったら逃げ出せたということ。今まで逃げなかったのは、条件云々というより、逃げたいと思わなかったからである。2年間も顔を突き合わせ、一緒に食事もし、テレビも観、会話もすれば、様々な言葉を交わすはずだ。「ウチはもう家には帰りたくないし、ずっとここにいるね」くらいの方便やおもね言葉は、少女といえども女なら口に出すはずだ。

自分に気概を加えるでなく、自分に好意を抱いているくらいはわかろうというもの。そういう相手を喜ばしたい言葉を吐いて、何の損がある?相手のにやけた顔は誰だって心地いいはずだ。オトナの恋愛でも、そんな心ない言葉をいいたいときはあろうし、そういって相手を喜ばす。恋愛ゴッコともいうが、それが人と人の虚実にまみれた「人間関係」である。

ずっと少女の他愛もない証言ばかりが出ており、少女はこうだった。こんな言葉を吐いていた。などの容疑者の供述は出てこない。おそらく捜査本部は出さない。あるいは、少女を慮ってか、少女が容疑者に吐いた一切の言質を自らの内に押しとどめて言わないなら彼も男である。逮捕後も凛とし、顔を上げ、節目がちな姑息な態度を見せない彼に意志の強さを見る。

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自ら決めたことはやるという意志の強さ。誘拐という犯罪で罰を受けても自身の夢に託したのか?人が犯罪に誘発されても抑止するのは、道徳や倫理観もあるが罰が怖いからである。罰は犯罪の抑止力になるが、それを押しのけて少女と時間を共にするという夢の実現は、誘拐という犯罪しかなかった。女を口説けない男の屈折した倒錯心理であろう。

逮捕直前に彼は言った。「上手くいっていたのに、なぜ逃げたか分からない」。憐れと聞き入ったが、初心で無知な男は女の魔性を知らない。ささやかな生活の中で、「わたし、ずっとここにいる」などと言われて天にも昇る心地もあったのか。そんな言葉を間に受ける男は、まだまだ月謝が足りてない。男は女に騙されて大人になって行くが、永遠に大人になれぬ男もいる。

「人生や人の子たるものの宿命の根柢から考察せられることが欠けている…」と安吾は言ったが、人の人生は考察だけでは分らない。人生とは行為するものだし、子どもの心は、大人以上に見えないものだ。子どもの言い訳というのは、それ自体が名言であったりする。言い訳をすることで、すべてを解決できてしまおうなんて、「名言」に決まっている。


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