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隙あらば逃げよ!

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<「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を問うことは暴力である>の記事主は、武蔵大学社会学部教授千田有紀氏である。東京大学文学部からコロンビア大学の客員研究員の経歴を持つ才媛だが、千田氏はあの記事を何のため、誰のために書いたのか?「なぜ逃げられなかったのか」の問いに彼女は、「目に余る報道」とメディア批判を言いたげである。

「監禁の身でもし逃避に失敗すれば加害者にどんな目にあわされるか分からない。殺される事態だってあり得る。だから少女は大声を出さなかった」と、少女を評価するのは、社会学者の論理というより、後出しジャンケンで勝って喜ぶ子どもだ。それでいて、「加害者に同化せず逃げ出すことができた」、「逃げ出せたことは称賛されるべきだろう」と、記している。

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なんともオカシな言い分である。「なぜ逃げられなかったのか」、「周囲に物音は聞こえたのではないか」、「声を出せば届いたのではないか」、などの万人の疑問を批判しておき、それでいて、「逃げ出せたことは称賛に値する」は、あきらかに矛盾する。「少女は恐怖でおとなしくしていたが、逃げたのは勇気ある行動!」が主旨ならなんともチグハグである。

文を書く力はともかく、東大卒の才媛にしては小学生並みの思考である。千田氏は、「逃げれない時は逃げれない」、「逃げるときは逃げた」、だから逃げれない時の状況について、ガタガタ抜かすなと苦言を呈す。これは結果を前提にした都合のいい論旨であり、犯罪被害者への同情・擁護であって、社会学者の深い考察は微塵もない子ども騙しの論法だ。

誰もが考えるところの正当な疑問を、「暴力」と言い切る思慮のなさ、思い込みの激しさではないだろうか。近年はオカシな学者もどき、教育評論家もどきが多い。おっさんなのに、「ママ」と呼ばれてご満悦の尾木直樹氏は、母親ご用達なのか?そんなママ氏も世間やメディアに対して言う。監禁被害の少女に「"なぜ逃げなかった?"という疑問は止めて」。

千田氏の意見にしろ、尾木ママ氏(ママをとって尾木氏としないのか?)にしろ、彼らの意見は母親向け?これまでママ氏の意見に賛同した事はない。ママ氏はスーパーの店内を走り回るガキに、「こら!ここは運動場じゃない!」と注意できるのか?自分は睨む親など屁とも思わず怒鳴る。なぜなら、社会の教育力を担う一員だからである。

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親が注意しないなら、そこらのおっさんが注意すればいいだけのこと。ママ氏はおっさんだろ?教育者の看板を背負うだけの評論家というのは、口(言葉)だけの職業で信用していない。少女の心中が分らない以上、想像力は必要だが、社会学者、教育評論家は、世間受けのいい児童擁護論ばかり言ってるフシがある。つまり、立場でものをいう人たちだ。

千田氏も東大卒の才媛とはいえ、いかんせん人生経験の希薄さか、そこいらの中卒のおっさんの方がいいことをいう。宮台真司氏はかつて行動する学者であった。ブルセラ専門と嘲笑されたが、行動でしか得れない社会体験は貴重である。彼のような鋭い人間観、幅広く人間を洞察る素養は社会学者に必須であろう。誘拐だから犯人に怯え、監禁だから心身の自由は奪われる?

そのように感じて言っておけば無難であろう。が、世間一般人ならまだしも、果たして学者の考察なのか?近年、マスコミやメディアの方が、様々な事件から社会の現実を知る。昔は違った。マスコミやメディアは行儀のいい論調を提示するだけの時代もあった。坂口安吾は『エゴイズム小論』の中、住友邦子誘拐事件におけるマスコミの論評を批判している。

「(中略)これらはいづれも誘拐という表面の事件を鵜呑みにしただけの批判で、この事件の真の性格を理解していないようだ。すべて社会に生起する雑多な事象が常にこの種の安易低俗な批判によって意味づけられ、人生や人の子たるものの宿命の根柢から考察せられることが欠けているのは、敗戦自体の悲劇よりも更に深刻な悲劇であると私は思う。」

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「住友邦子事件」は1946年だから丁度70年前である。お行儀のいいマスコミに果敢に立ち向かう無頼派安吾という図式だが、こんにちは逆転の感がある。もっとも安吾のような歯に衣きせぬ物言いをする作家や学者、教育者、教育評論家もいるだろうが、叩かれ、干されるのを怖れてか、借りてきた猫。「干すなら干してみやがれ!他で食っていく」という気概がない。

公人がこの体たらくでは、素人ブロガーを含めた利害に影響のないネット民がものをいうしかない。ところが、そこにはネットイナゴが襲いかかり、炎上ということもある。不思議な時代になったものだ。こういう事から知らず知らず人は保守的になって行く。千田氏の記述も多分に被害者に同化し、脱出まで2年もかかったことには何ら触れず、脱出した事のみを評価する。

実を言うなら、朝霞少女が生きていたことについて、自分も手放しで喜んだ類である。その事が何よりもかけがえのないことであり、一切のことは思考せず、一切のことは口にすまいと、あの時はそんな風な状況だった。まさか生きていたとは夢にも思わなかった。ところが、少女の供述が公になり、誘拐犯である容疑者の供述を聞くほどに疑問が押し寄せた。

「おかしい」、「何かが変だ」という素朴な疑問だが、犯罪に疑問はつきもので、被害者は被害を被っただけの気の毒な人物、と考えるだけでは現代の犯罪は解明されない。被害者が実は加害者であったケースもある。最大の謎は「逃げる機会があったのに、なぜ逃げなかった」であるが、それについて精神的な支配(拘束)があったとする"よそいき論調"は信用しない。

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少女のいう、「一人でスーパーに行った」についてさえ、容疑者の支配から蹂躙されていたのだろうと、識者(これで識者?)、コメンテーターは、禄を失う不安から無難な言葉に終始する態度は気にいらない。「いっしょに外出するときも手をつながれていた」と少女はいうが、人が手をつなぐのを振り切るのは簡単である。つないでる間中、強く握っているわけではあるまい。

手錠をかけていたというならともかく…。少女はつないでいた手を振りほどく勇気がなく、それはあくまで少女の性格の問題であるが、「行為しないことをできない」と思うズルさは人間の自尊心である。おそらく少女も、自己正当化の意図を込めて、「(逃げられないのは)手をつながれていたから」としたのだろう。大人にもいるが、知恵浅き子どもの論法である。

いずれにしても想像の域を脱しない。そうであっても、なくても、真実に近くとも解釈は解釈である。どれほどの言葉、文字を連ねてもそこは変わらないなら、あえて言うべきことがある。最近、物事を断定するのは控えているが、近年は物分りのいいオトナがあまりにも増えている。その事が世界的に見て、日本が弱者に邁進しているのでは?の懸念。

物分りのいいオトナは子どもを甘やかす。したがって子どもに好かれはするが、子どもの範とはならない。オトナは無知な子どもに知恵を与える存在であるべきだ。学習や勉強とは別の、生きるための知恵を与えるべきであろう。それが表題に書いた「隙あらば逃げよ!」。勇気の注入は家庭環境だから、親の教育観もあって、一朝一夕に身につくものではない。

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だから「勇気を持て」とは言わない。が、勇気を知恵に変換する。考え方の変換だ。公園で知らない男に拘束された、クルマに入れられた、どんなケースでも、ネガティブにならず、いつも「隙あらば逃げる!」気持ちだけを失わぬこと。誘拐犯はどんな人間か、誰にも分らない。朝霞少女事件でも、2年経過したその結果だけでものをいうオトナはダメだ。

なぜなら、寺内が変質者、凶暴性格であるかも知れなかったわけだ。少女をいたぶり、あげくはバラバラに切り刻んで飯のおかずにする人間であったかも知れない。千田氏は、「逃げる行為は殺される危険がある」というが、一切のことが分かった上での辻褄論法で現実的でない。いかなる相手かも、何をされるかも分らない。ならば逃げるが勝ち、これが現実であろう。

だから、常に逃げる隙だけを頭に入れておく。済んでしまった朝霞少女事件のことをいっているのではない。そういう目にあったことのない世の子どもたちに捧げる知恵として目に触れさせたい。千田氏やママ氏は子どもを前にした講演で、「じっとおとなしくしていなさい」、「逃げようなど考えちゃダメ」というのか?そんな講演は耳栓して羊の数でも考えた方がいい。

いろんな意見も目にする。「蛇に睨まれた蛙状態」、「痴漢に声もあげられないと同じ」。これら心象は別に現象を捉えている。いずれにしろ同情や擁護は結果論で建設的でない。「痴漢されたら勇気を出して声をあげよう!」と、それが教育である。後手を引く前に教え正すのが教育である。どこの親も、「拉致されたらいい子しておとなしくしてなさい」と言わないのでは?

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やはり、「隙を見て逃げなさい」では?何をされるかわからないその場にあって、「隙あらば逃げる!」その事だけを四六時中考え、一日でも速く逃げるのが良い。事件解決後に、したり顔で物を言う学者などはどうでもいい。その時点で行為・行動するそのチャンスを伺うことが、最大にして最善の自衛手段である。我が身を守る勇気、勇気や力がないなら「知恵」を出す。

塾で勉強ばかりでは身につかないし、東大卒のお嬢さんにはこういった生きた知恵は浮かばないかも知れぬ。物分りのいいオトナや親が多すぎる時代、あるいは子どもに知恵を授けない教育者が、日本を弱い国にするのか?『トム・ソーヤの冒険』を著したマーク・トウェイン。彼には現実生きるための言葉が多い。そんな言葉の数々が今、あたまを回っている。

最後に本事件の総評だが、誘拐事件もいろいろあったが、本容疑者であったのが不幸中の幸いである。少女が逃げないとタカをくくっていたのか、監禁にしてはかなり緩い。一方の少女だが、逃げる算段がありながら逃げなかったのは、彼女の知能の低さとしておこう。逃げたくなかった?とも考えられるが、頭が悪かったが無難。それが長期に及んだ原因だ。

外出した際、女子トイレに潜伏し、人に110番を頼む方法もあったハズ。したがって、少女は知恵が回らぬ人間とし、人の頭のレベルを責めるのもオカシなことだ。機転の効く人間なら様々な方法を見つけ出して解決は早まった。そして今、少女に誰かがアレコレ知恵を授ける意味はないが、いろいろ聞いて学ぶのは少女自身の向上心といえなくもない。

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