<女子中学生監禁事件、「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を問うことは暴力である>
という表題記事が目に入り、反論を書く気になった。ところどころ引用して意見を述べるが、記事主批判というより、会議やディスで意見が述べられると同様に自分の意見だ。記事主は言う。「周囲に物音は聞こえたのではないか」、「声を出せば届いたのではないか」を問いかける報道があまりに多く、目に余る。」と述べているが、なぜに素朴な疑問を制止する?
「なぜ逃げられなかったのか」という当たり前の疑問に釘を刺す記事主で、その理由が、「監禁されている」からだという。監禁されている身でありながら逃げる行動を起こすと、少女の身の安全を脅かされかねない。場合によっては命の危険性もある。「被害者はそれくらいの損得勘定はするだろう」と述べている。これは一般論なのか、当事件の少女限定なのか?
前者なら決め付け論。日常生活を拘束されて、不自由の身であるなら逃げる算段をするチャンスを伺うを当然とする人間もいる。逃げたら身に危険と分かっていても、それでも逃げることを考える人間もいる。ベルリンの壁や南北朝鮮国境における決死の脱出も、自由を求める人間の行為であるし、さらにいうなら、「逃げる」は人間や動物の自己防衛本能である。
9.11テロで航空機乗っ取りテロリストに刃向かった人間はバカなのか?「おとなしくすれば危害を加えない」は暴漢の常套句だが、レイプ犯に抗って殺された女性をバカというのか?朝霞少女に限定しよう。人生経験の少ない13歳~15歳の少女が、恐怖心が優先しておとなしくしていればいいと考えるのは判る。が、2年間毎日その気持ちというのも無理がある。
「抑圧環境」でいえば、学校に塾にエレクトーンにバレエレッスンという環境と、囚われの身という「抑圧」だが、数カ月間で環境に順応すれば、不自由でありながらも自由がある。「誰も助けに来ない」などの言葉で脅したというが、誘拐犯罪として思考するだけでは一元的な結論になるが、人間は複雑で多面的だ。3月27日に脱出した少女だが、その日だけが脱出に最適の日だったのか?
解釈は自由だが断定する事実はない。これまでにチャンスらしいチャンスはあったと考えるが、3月27日近辺が彼女にとって、より積極的に脱出を考えるようになった。3月27日が稀有にして最大のチャンスであったというより、彼女が本気で逃げる準備を考えるようになった、その思いがチャンスという言葉に置き換わった。自分は意思の強弱の問題と考える。
10000円の商品が1000円で、限定100名だといわれ、それをチャンスと捉える人にはチャンス、そんな気のない人にはチャンスもヘッタくれもない。15歳の少女は被害者であるが、被害者が毎日を被害者意識で生活するのか?少女は365日被害者意識でいたと考える人もいるだろうが、いずれの認識が正しいかは不明。分らぬことを個々が一定条件下で解釈しているに過ぎない。
容疑者は大学に行けば長時間部屋を空けるし、2年間に「3.27」と同等のチャンスはあったはずだが、逃げる意思が強くなければチャンスとはならない。少女の境遇は不幸だが、情緒に蹂躙されては真実が遠のくこともある。2014年3月10日からの2年間、ひたすら逃げるチャンスを狙っていた、唯一のチャンスが2016年3月27日であった。などの見方は誰でもできる。
記事主は以下書いている。「この女子中学生は報道を見る限りかなり冷静であり、加害者に過剰な同一化をしているようには見えない。だからこそ隙を見て、逃げ出すことができたのだ。逃げ出せたことが、むしろ称賛されるべきだろう」。"事実などない。解釈のみがある"ではないが、「かなり冷静」というのは独善で、記事主は、現象と心象が別なのを知ってのことか?
以下の考え方も可能だ。「この女子中学生は、勉強や習い事などの家庭的抑圧に比べ、監禁とはいえ三食昼寝付きの自由さに対する満喫があったかも知れない。365日常時、"囚われ"意識ばかりではなく、普通と同じ日の意識はあったはずだ。が、同じ日常の繰り返しの中にあれば、親や友だちを懐かしむこともあろう。3月は日本全国卒業シーズン…
学校に行ってはないが、誰もが卒業と言う寂寥感に襲われる時節である。中学卒業時期の最中に少女が脱出したのを結びつけるわけではないが、すべてにおいて、「あり得ることは、起こり得る」。少女のなかで親や友人たちの顔がとてつもなく、大きくクローズアップされたのかも知れない。2年間もの間、同じ顔の男とだけの会話もいい加減飽きてくるはず」
これも自然な想像である。思い込みや誇張ではなく、少女に起こり得る心情といえる。人の心は日々移り変わるもの、昨日と今日、今日と明日で情緒の変動目まぐるしい。この時期の少女さらなりであろう。監禁当時の生活は、「自由でありながら不自由」、「不自由であるけれども自由」、そういった二律背反にある。ここの生活も仕方がない。が、飽きるのも人間。
家に戻りたい、友達にも会いたい、みんな何をしているかな、高校生になるんだ、いいな、羨ましい…などの様々な気持ちも交錯するだろう。誘拐犯罪であるから2年間の監禁生活は恐怖ばかりで、何ひとつ満たされてはいなかったというのはおそらくない。"ないものねだり"は人の常。Aという環境にあればBを望み、BになったらAもいいかと、それが人間というものだ。
AからB環境に移るのが、誘拐、拉致という強引な方法だったにしろ、殴る蹴るのない誘拐者に拡大解釈しすぎの感を抱くが。少女は2年もの間、ずっと怯えた状態と思う人にはそうであろう。これまでに発生した幼少女拉致誘拐強姦殺人事件に比べると、寺内容疑者の行為は卑劣であっても、鬼畜というほどではない。1990年に発生した監禁事件は悲惨であった。
未だ記憶に新しい「新潟少女監禁事件」である。2000年1月28日、新潟県柏崎市の加害者佐藤宣行(当時28歳)宅に別件(母親への暴力)で訪れた職員が、中にいた佐野房子(当時19歳)を発見・保護に至り、発覚した事件である。母親と同居する自宅に9年以上少女を監禁したとして社会問題にもなり、母親共犯説(黙認)などと囁かれたが、母親はまったく気づいていなかった。
1990年11月13日、新潟県三条市内で帰宅中の小学4年生の少女(9)にいきなりナイフを突きつけ、言うことをきかなければ殺す、などと少女を脅し、自分の車のトランクに少女を押し込みそのまま連れ去った。佐藤は少女を自室に連れ込むなり数十回殴打、少女の口や両手・両足をガムテープで縛り、「ここからは逃げられないぞ!」、「俺の言うことを守れ!」などと脅した。
などと脅した。更に少女の腹にナイフを突きつけ「これを刺してみるか」、「山に埋めてやる」と少女を恐怖に陥れる。この時から9年以上にわたる少女の長い監禁生活が始まった。佐藤は自分が出かける時には少女を厳重に縛って逃げられないようにし、1階の母親に気づかれぬよう、大きな声を立てるなと厳命した。少女が泣いたり反抗したりすれば容赦なく顔や頭を殴った。
常にベッドの上にいるよう指示し、部屋からは一歩も出さなかった。風呂にも入らせず、トイレにも行かせず、大小便はビニール袋の中にさせた。後に救出されるまで、少女がシャワーを浴びたのは、9年間でたったの一回だった。母親にスタンガンを購入させ、少女の身体に押し当て放電もした。暴行時に悲鳴を上げると殴られるので、少女は声を上げぬよう必死に耐えた。
競馬番組の録画を命じたが、少女がそれを忘れて、激しく殴られたこともある。着替えは1年か2年ごとで、服がボロボロになってやっと着替えを許された。着替えの服は、佐藤が万引きして調達した。食事は当初、母親が作った夜食を食べさせていたが、だんだんとコンビニのおにぎりしか食べさず、最初は1日2個食べさせていたが、後に1日1個だけになったという。
こうした生活を長年も強要したことで、少女は誘拐当時、46kgあった体重が38kgにまで減っていた。また、ほとんど歩くこともなかったので脚の筋力は低下し、骨も十分に発育せず、自力で歩くことが困難な身体となっていった。新潟の少女監禁に比べ、朝霞の少女を監禁というにはあまりの違いである。朝霞の少女は寺内容疑者のアパートから逃げた理由をこう述べた。
「両親と会いたいという気持ちが高まった」。これについて上記の記事主は以下のように言う。「監禁されていたアパートから逃げるのに、<理由>が必要だろうか」。理由がないなら必要ないが、現在の状態も悪くはないと少なからず思うなら、それも理由である。手足を縛られ、暴力で痛めつけられたわけではない。凄惨な「監禁」に比べてあまりに自由すぎる。
記事主はさらにこう決め付ける。「今まで逃げなかったのは、両親と会いたいという気持ちの高まりが十分でなかったように読めてしまう」と他者を批判するが、彼女にこの発想はないようで、単一の主張を展開するばかり。最終的にこう結論する。「逃げられるなら、逃げている。逃げられないのは、心理的、物理的、さまざまな理由で、逃げられないからである。
こうした報道自体が、不幸にして次の監禁事件が行われた場合、被害者の救出をさらに困難にしないだろうか。次の被害者を出してしまう可能性すらある。助けられなかった無念さはわかる。しかし、"なぜ"を問いかけるのはやめたほうがいい。理由は、"逃げられなかったから"なのだ」。こういう決め付け論はいかにも思慮が浅い。確かに論理展開的には楽であろう。
「逃げられなかったから逃げなかった」で、「逃げられなかった」理由を問うのは暴力だという。「それほど逃げたいと思わなかったから逃げなかった」という可能性もありだが、「犯罪だからそんなことはない」に徹している。新潟監禁の「なぜ逃げなかった?」とはわけが違う。犯罪は被害者に落ち度はなく被害者を責めるのは控えろと。責める?分らない事に疑問を抱くだけだ。
いろいろな「犯罪」がある。「監禁」もいろいろだ。本件は、「監禁罪」が問えるのかを捜査中である。朝霞少女は、「新潟監禁事件」被害者が受けた凄惨な暴力はなく、恐怖の度合いはまるで違う。犯罪も監禁もいろいろあるが、一つに決め付けて論理展開する人はいる。正しいと思って述べているようだし、述べる自由はある。が、批判の自由もある。
現在、マスコミは少女に関して報道規制。にしても、「なぜ逃げなかった」などは、疑問すら抱くなとし、「逃げられなかったからだ」と、簡単に結論する。これなら捜査は無用。では、「なぜ逃げた?」に、どういう答えを用意する?「逃げれなかったから逃げなかった」というのは、「逃げられた」ことと矛盾するが、斯くの人は、「なぜ逃げた?」の明解理由が分かっている?