行方不明になってから約2年ぶりに保護された朝霞市の女子生徒が31日、市内の市立中学校を卒業した。校長が30日に両親の意向を受け入れて判断した。卒業を決断した理由については両親を支えて捜索活動を続けてきた「朝霞市行方不明女子中学生を捜す会」代表の男性(43)は埼玉新聞の取材に「今後のことを考えて卒業で区切りを付けたのだと思う。
一番の理由は、同級生と一緒の卒業を本人と両親が望んだからで、学業に関しては学校や市教委と話し合い、本人が落ち着いてからやっていけばいい」と述べた。自分の子なら別の選択をするが、いろいろな考えがあり、他者の決断は他者の考えだ。同級生と一緒にという情緒面を本人が望むのは当然だが。2年のブランクで学習意欲の喪失を何より憂慮する。
容疑者逮捕に少女の両親は、「娘の大事な2年間を台無しにした犯人を許すことはできない」と強調、「娘と私たち家族の2年間を返せと言いたい気持ちです。猛省して、全てを正直に話してほしい」と訴えた。事件の影響でか、「いまだ落ち着かない生活を強いられている」と説明し、「娘の心が癒えるまで、遠くから見守っていただければありがたい」と結んだ。
世間を震撼させた重大なる事件であり、千葉の稲毛から50kmも離れた埼玉・朝霞の少女という、「なぜ」、「どうして」、「何の目的で」などは少女の両親ならずとも、捜査関係も含めた万人の思いである。容疑者が事実を詳細に語るのは、事件として必然だが、親としても事実が公になることの覚悟はいるだろう。何事も真実と言うのは酷いものである。
真実が親の期待に添わないものであれ、真実は真実である。真実が欲しい、真実を知りたい、そうした真実を求めていく過程で、真実のあまりの酷さに負けてしまいそうになる人は多い。「もういい、やめて欲しい。聞きたくない」などと声を荒げる心弱き人たち…。これまで誰も語らなかった戦争の真実を知ったとき、テレビや映画で観る戦争とあまりの相違に驚いた。
「戦争に英雄などいない…」が、真実を隠匿し、英霊などと祀るあげるこの国の正体を批判するに至れたのは、真実を知ったからである。誰であれ、酷いことは酷い、醜いことは醜いと、あるがままに認めるのは勇気がいることだが、醜いことを美しいと思ったり、思おうとするは欺瞞である。酷い事件に晒された被害家族の辛さは分かるが、それでも真実は知るべきであろう。
朝霞少女誘拐事件について、河野国家公安委員長は29日の閣議のあとの記者会見でこう述べた。「2年間、何がどうなっていたのか分からないことがたくさんある」。と、これは事件の全容解明の捜査を尽くすとの意思表明である。少女の捜索活動に携わった支援者団体が、「警察の初動捜査の時点から疑問に思う点がある」とした指摘について以下述べている。
「どういう状況だったのかを含めて、まずは全容の解明をし、その後で何か問題があったかどうか検証を行っていきたい」。支援団体が警察の捜査の何を問題にしているのかは明らかにされていないが、初動捜査を問題というなら、犯罪や事件性のない家出の線と伝えていた?と考えられなくもない。結果的に誘拐事件であった事で、警察に不信と疑義を向けている。
警察と少女の家族及び支援団体の間で、どの程度のやり取りがあったかを知る側にないが、河野国家公安委員長のいう、「先ずは全容解明」を公益とするなら、少女の発言や供述も丹念に精査する必要もある。捜査というものはそういうもので、少女のいう「知らない人に声をかけられた」などについても、真実かどうかを捜査するのが犯罪構成要件に該当する。
支援団体側が少女の発言だけを捉えて、「本件は略取誘拐ではないか?警察は当初、家出と軽く考えていたようだ」との指摘なら、警察も威信にかけて事実解明を行う義務がある。本来、この手の誘拐事件においては未成年者のプライバシーもあって、捜査情報を随時マスコミに発表することを控えるが、支援団体から疑義を突きつけられた県警も「ならば」となる。
河野国家公安委員長は、その決意を支援団体に伝えたようで、河野委員長のいうように、一般の誘拐事件とは違って不明な点が多い。現在は少女の発言だけが一人歩きしている段階だが、今後は容疑者の取調べも始まり、二者の供述の整合性を量ることになる。自分がもっとも不思議に思うのは、容疑者が少女のフルネームをなぜ知っていたのかである。
少女はこのように発言している。「知らない男に声をかけられ、男からフルネームで名前を呼ばれた」。さするに男は千葉、少女は埼玉である。男が監禁を目論んで少女を物色するのに、なぜに埼玉・朝霞であったのか?千葉に少女がいないわけでもあるまい…。なぜ、その点をマスコミは疑問視しない?NHKは、「フルネームを知っていたのは事前の準備か?」などという。
"事前の準備"というのも曖昧表現だ。問題は千葉と埼玉のつながりで、どうして朝霞の少女であったのか?考えられることは、容疑者が朝霞周辺に所用で出かけた際、好みの少女を見つけて家まで尾行し、家のポストで苗字と少女の名前を知る。あり得ることだがそのためには容疑者が朝霞に行く必要がある。が、遠くの地でそんなことをするのか?
次に考えられるのが、少女と寺内容疑者はネットのチャット、もしくは掲示板で出会った可能性で、これなら距離は問題ない。ネットはハンドルネームのやり取りが一般的だが、ビギナーの子(特に低年齢の少女)などは、本名を平気で晒す子もいる。facebookなどのような意図的場合を除いては、危機管理意識の甘さ、希薄さであるが、このケースは珍しくない。
もっとも、ハンドルネームを使用していたとしても、ある意図をもって、さりげなく住所・姓名を聞きだすことは可能だ。寺内容疑者は千葉大工学部情報画像学科に在籍し、コンピューターやソフトウェアに関する研究室にいたわけだから、少女のIPアドレスから詳細な情報を得ることもできる。これくらいなら自分でもやれる。となると、二人はネット出会いの線が強い?
何にしても千葉と埼玉という50kmの距離である。少女は本名を伝え、自身の画像を容疑者に晒した。画像を貼るチャットも多く、別人画像を貼ったり、居住地も姓名もデタラメなどはネットでは当たり前の常識である。容疑者が少女の真正情報を知り、画像を含めた自分の情報一切は嘘っぱちはあり得る。これなら路上で会おうが、ネットの知り合いとならない。
ネットの知り合いに実際会ってみたら、画像と顔が違っていた、年齢も相当の開きがあったなどはザラにある。会ったら聾唖者で驚いたというのも聞いた。聾唖者との会話は携帯電話での筆談だが、結果的に聾唖者はレイプに及び、それ以降音信が途絶えたという。親に知られたくない少女は被害を出せない。初等教育段階から、「障害者には親切に!」の押し付けがある。
それが、障害者はいい人との偏見も抱くが、障害者に悪人はいる。もっとも、「何ウソついてんの?帰る!」と言える性格の少女ならいいのだが…。ネットには男(ネットナンパ師はともかく)も女も、実社会では「蛇に睨まれた蛙」ではないが、ナイーブなのが多い。もらった画像と実際が違えば、騙されたと腹も立とうが、痴漢被害で声を出せないのと似たパニック状況か。
想定外のことに遭遇してパニックに陥り、適宜な行動ができない女性は多いが、そういう場合にどう対処すべきなどの危機管理意識を教えるのも学校の使命である。二人が何処でどのように出会ったかは、寺内容疑者の供述を待つよりないが、少女のいう、「知らない男にフルネームで声をかけられた」は、顔を知らないだけで実際は知り合いだった可能性もある。
①朝霞で見つけた少女の自宅まで後をつける、②チャットでさりげなく聞き出す、③IPアドレス解析を軸に調査する、これ以外に他人のフルネーム、居住地を知る方法があるのだろうか?と、ここまで書いてネットの記事をみると、寺内容疑者が、入院先の病院から退院し、捜査車両で埼玉県警に移送されたようだ。二人の接点について同じような疑問があった。
容疑者は、「少女と面識はない」と供述したというが、朝霞には自衛隊駐屯地がある。飛行機好きの容疑者が行った可能性はあろう。また、少女の自宅の表札には少女の名がないのが判明した。上記した以外に少女の名前をいかにして事前に知り、計画的に狙ったのだろうか?千葉の部屋は外から施錠できたが、引越し先の中野の部屋にそれはなかった。
ということは、容疑者が無警戒で出かけたとしても、少女は逃げないという確信、自信があったと考えられる。巷ではペットに逃げられ大騒ぎとばかりに、スーパーなどに「尋ね犬」、「尋ね猫」の張り紙を見る。長年飼っていたペットに逃げられてショックのようだ。そういう経験はないが、籠の鳥が逃げるのは当たり前で、それは犬にも猫にもあることだ。
自分なら、動物の本能と別段動じることはない。容疑者は少女を監禁していたとはいえ、2年に渡って実質的に養育していたことになる。飯を食わせ、風呂にも入れ、服も与え、靴、下着、シャンプー、生理用品にお菓子、飲み物も…、お誕生日ケーキ、まさに親が子を育てると同様の、ありとあらゆる手立てをした。そんな事は頼んでないと、少女の親はいう。
それらは、孤独男の屈折した愛着であろう。何にしても2年の監禁生活はどれほどか、どういうものか、想像もつかない。が、被害者少女に問うのは必然で、容疑者とすり合わせて事実を解明する。容疑者は逮捕後、「面識がない」と言った。ネットの出会いや会話も面識かどうなのか?それも含めて「ない」なのか? とにかく、寺内容疑者の供述が待たれる。