飛鳥涼が、警視庁組織犯罪対策第五課に覚せい剤取締法違反(所持)の容疑で逮捕されたのは2013年5月17日。逮捕当初は容疑を否認していたが、警視庁による尿検査では覚醒剤の陽性反応が出ており、自宅からは覚醒剤やメチレンジオキシメタンフェタミン(MDMA)とみられる粉末や錠剤が発見された。また、知人で会社員の女も同容疑で逮捕された。
「こっちは仕事だからあんたに売るんだけど、体は大丈夫なの」。飛鳥涼に対し、3年にわたって覚せい剤を売ってきたという指定暴力団傘下の組幹部A氏は、クスリで蝕まれた飛鳥涼の体を心配した。それに対し、飛鳥はこう言ったという。「大丈夫、大丈夫、まだ平気。ちゃんと考えてますから…」。A氏が飛鳥に覚せい剤を売るようになって3年近くが経過した。
売人も驚く使用量が体を蝕まないはずがない。顔はだんだん細くなり、飛鳥とわからないほど、別人のようになっていたという。「今年の4月ごろ、さすがにもう、まずいと思った。俺が言うのもへんだけど、なんでそこまでやっちゃうのかね。これ以上やるとバレてしまうから『もう終わりにするよ。あんたの携帯から俺の番号を消してくれ』と頼んだ。
このままだと逮捕されるのは間違いない。足がつくとヤバいからね。芸能人は一回でもクスリに手を出したら必ずバレてしまう。それは時間の問題だ」。飛鳥涼が覚せい剤を吸引しているところを暴力団員に盗撮され、脅されているという記事が同年8月1日発売の『週刊文春』に掲載された。このA氏は、『週刊文春』が報じた暴力団員とは別の人物である。
週刊誌報道を知ったA氏も、「俺のほかに飛鳥にブツを売っていた人物がいたなんてね。浮気してたんだ」と驚きを隠せなかったという。飛鳥は逮捕された6日後の5月23日、毛髪検査からも覚醒剤の陽性反応が出たことで、否認していた容疑を認める供述を始め、5月27日、覚せい剤取締法違反(使用)及び、麻薬及び向精神薬取締法違反(使用)容疑で再逮捕された。
6月27日、覚せい剤取締法違反と麻薬取締法違反(いずれも所持)での追起訴を受け、所属事務所はASKAとのエージェント契約の解消を合意したと発表したことで、ASKAは事実上音楽活動から引退状態となった。7月3日、弁護人が申請していた保釈請求が認められ、保釈保証金700万円を納めて保釈された後、薬物依存症治療のため千葉市内の病院に入院する。
8月28日、東京地方裁判所で初公判。9月12日、懲役3年執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。ASUKAの薬物疑惑を最初に報じたのは東京スポーツで、2013年7月24日、『超大物シンガーが深刻な薬物中毒に陥っている』という匿名記事だった。その1週間後、週刊文春が2013年8月8日号で『ASKAが覚醒剤吸引ビデオで脅迫されていた』との見出しの記事を掲載した。
売人のA氏が危惧するように、警視庁組織犯罪対策第五課は8月21日、ASKAに合成麻薬(MDMA)を譲り渡したとされる男2人を麻薬取締法違反(営利目的譲渡)容疑で逮捕されている。1979年8月25日、ワーナー・パイオニアからシングル『ひとり咲き』でデビューしたチャゲ&飛鳥。音楽シーンにその名をとどめた彼らである。飛鳥はソングライターとしても名を馳せた。
1983年には彼の作詞『ボヘミアン』(作曲は井上大輔)が、葛城ユキのカバーによりヒット。光GENJIに提供したシングル『STAR LIGHT』、『ガラスの十代』、『パラダイス銀河』が立て続けにヒット、飛鳥の音楽家としての知名度を向上させた。日本近代文学研究の第1人者で国文学者でもある石原千秋は、ASKAの歌詞について以下のような賛辞を贈っている。
「ASKAさんの歌詞には謎が仕掛けられていて、多様な解釈できるのがおもしろい」、「一般的なポップスとは一線を画す深みがある」。一方、飛鳥の非常に粘着質で下から突き上げるような声質・歌唱法は独特で、「ASKAの声質はとんでもない倍音であり国宝物である」と小室哲哉に言わしめた。今月で58歳の飛鳥のエネルギッシュなステージはもう観る事もない。
『SAY YES』(1991年)、『YAH YAH YAH』(1993年)などの大ヒットもあって、チケットの取り難い4人(中島みゆき、ユーミン、サザン)として肩を並べた。チャゲとのバンド再開のメドは立ってないが、長男の宮崎泰は元 「little blue box」というバンドのメンバーであった傍ら、会員制のバーを経営、現在は閉じて新たにバンドを作ったとか?父とは絶縁状態という。
長女の宮崎薫もシンガー兼ライターであり、大手レコード会社avexに所属。現在目立った活動はしていない。二人とも不肖の父親を持ったことにはなるが、親の罪を子が負うものではないし、また、親の才能をそのまま引き継ぐというわけでもない。長男はメジャーデビュー後3年でバンドを脱退、新たなバンドを作ったが、こちらも目立った活動はない。
折角の才能を覚醒剤如きでふいにするのも解せないが、当人にはそれなりの理由、事情もあるのだろう。自分の芽を自分で摘んだのなら、それも彼の人生だ。「人は本来、深いところで自分に利することしかしない」という 韓非子の言葉ではないが、何でもカンでも利するわけには行かないもの。こちらを利するなら、別の何かを制御するという、自制心が必要になる。
さて、清原和博であるが、辿れば飛鳥と同様に、暴力団の金ズルにされたのであろう。芸能人、有名人はお金を持っているし、顔に泥を塗りたくない商売でもあり、薬浸けにするには最高級の獲物となる。薬浸けにするための仕込み法はいろいろある。芸能界の華、音楽シーンの華であろうと、輝かしい球界のスターであろうと、一転して覚せい剤の泥沼へ堕ちる画策に嵌まればいとも簡単だ。
薬物に手を染めたきっかけについて、清原の知人は、「(現役)当時、知人・友人の方でクスリをやっている方がいたみたいです。『その方がきっかけで、一緒にやっちゃった』みたいなことを聞いた」と話した。自分も過去に2名から誘われたことがある。一人はアメリカにいたときの友人の知人。もう一人はサニクリーンという貸しマットレンタル会社の従業員。定期的に顔を合わす関係であった。
ある日、突然キラキラ輝くガラスの結晶のようなものを見せ、「これやるといいよ。毎日が天国気分」といった。興味もなかった。「お酒はいいよ、酔うとすべてを忘れられる」と、何度も飲酒を勧められたが、それを同じ言い方に聞こえた。「今に不満はないからいいよ。酔いたくもない」と言って断る。金融商品の勧誘電話もそうだ。「短時間でお金を稼げます。是非やってみませんか?」という営業マン。
「お金?イッパイ持ってるから必要ない」の断り文句。これに対し、上手くキリ返す営業マンに出会ったことがない。「そうですか、いいですね。羨ましい…」というのが関の山。要するに相手はこちらに欲があるかどうかを伺っている訳だから、「金なんか捨てるほど持ってる」と言われては打つ手がナイ。こんな無駄な顧客を相手にする時間が勿体ないと、普通は逃げる。
「いりません」、「結構です」という断り文句に引き下がる営業マンは三流。金を持ってる人間でも、欲の皮の突っ張ったのはいるし、営業マンに大事なのは、お金の有無よりその人が欲であるかどうか。お金に対する執着心の有無はプロならすぐに見抜く。ならば、そのように察知されないように言えばいい。営業とは顧客の、「いりません」からスタートするのだ。
清原のように体面や見栄を重視し、ハッキリ「No!」が言いづらい人間がカモにされる。未知への好奇心は誰にもあるが、覚醒剤を瞬時に断れる人間はいろいろだ。アメリカに居た際のドラッグ体験はこうだ。友人の友人にSEXを誘われ、彼女のアパートに行ったときの事。やるまえに、「これ(ドラッグ)を一緒にやろう。それからする方が素敵だから…」との色仕掛け勧誘である。
目の前の牡丹餅にお預けくらって、さあどうする?そこでも、「それはそれ、これはこれ」と判断せねば、つい断りきれなくて…となる。自分はドラッグもナニもやらなかった。スーパーの試食販売で、「少量だし、タダだから美味しいのかもね?」といえば、マネキンさんも笑うしかない。ナンパした女がホテルで寸前に、「お金いるんだけど」と言われ、「いいよ」と出す男もいるんだろう。
「乗りかかった舟を降りるわけには行かない」となる。が、自分はその一言に腹を立てる。「だったら、最初から言えよ。こんなところで寸前に言えば断れないとでも思ってるんか?」と言う。腹が立つから自然に出てくることば。どんな状況であれ、「それはそれ、これはこれ」と思えるかどうか?暴力団の回し者にシャブ浸けにされる者は、最初のそれが多いのだろう。
「この薬、疲れがとれるから」、「快感が増すから」、「痩せる薬よ」、「アイデアが浮かぶよ」、などなど、勧誘トークはいろいろ。それに「場」の状況が加味され、初体験で気づいたら中毒になっていた。これを防ぐにはやはり、「それはそれ、これはこれ」という意思であろう。「これ飲んでくれなきゃ、エッチしな~い」という仕込み女に対しても、「なら結構」と言えるかどうか。
暴力団に売値をどんどん吊り上げられ、覚醒剤の無限地獄に堕ちる有名人ども。そこから抜け出るためには、檻の中に入れてもらうしかあるまい。自由な身であるから狙われ、食いつかれ、ケツの毛までむしられたあげく、金の切れ目は縁の切れ目とポイだが、中毒になると金は無くとも、「薬をくれ~」となる。「人間止めますか、それともクスリ止めますか?」の標語が虚しく響く。
覚醒剤疑惑報道のさなか、清原の妻は注射痕か注射器か、確信的な何かを目にしたのだろう。清原の知人は、「本人も、テレビ出演したりする前に、『ちゃんとしなきゃいけないのかな』と言っていたというが、「ちゃんとしなきゃいけない」のはテレビ出演時だけでなく、いつ、どこでも、人間として、「ちゃんとしない」までも、普通でいればいいんだよ。普通で…