時たま現れる程度で存在感のない内田裕也を老害とは思わぬが、「メディアが伝えないSMAPの『二人』の老害公開処刑人 」という見出し記事があった。あの日のSMAPの謝罪を、「公開処刑」という言葉を使ったのは有名ブロガーの山本一郎氏。インパクトがあり、的を得た表現であったが、内情を知らなければでてこない発想だ。自分はただ、中居たちの屈辱と見ていた。
木村は処刑人側の人間だった。仲間と歩調を合わせない類の人間は社会でも珍しくないが、独立独歩にして控え目なら人の生き方として認めるが、自分が正義と言わんばかりに立ち回る奴は、間違いなく嫌われる。嫌われるだけならいいが、そういう危険な男には誰も近づかなくなる。そりゃそうだろう、歩調を合わせておきながら、突然裏切るような男に、「信用」の文字はない。
5人が一緒に悪事をし、中の一人が急に正義面して警察に垂れ込んだと同じ事だ。SMAPがそうかどうかは知らないが、木村だけがヒーローぶっているのなら、SMAPは当然にして対等でなくなる。「SMAPはもううちにはいらない子。許して欲しいなら謝罪することです。」と、メリー女史がメディアに放言したことからして、公開処刑を命じたのはメリー女史と推定できる。
したがって、表向きは国民やファンのための謝罪にみえるが、実体はメリー女史の気持ちを癒すためのものでしかない。ファンも国民もあんなSMAPを見るに忍びず、あんな形でSMAPがさらし者にされるのは哀しいことだった。だからその後にファンは、「あんなSMAPはもういい、解散した方がみんなのため…」という同情論が噴出した。あの時の中居の心情を以下のように代弁する人もいた。
「僕たちは謝罪しないとクビになります。芸能界から干されます。それでは困ります。愛してくださっているみなさんにも申し訳が立たない。だから僕たちが悪いと言うことにして事態を収拾します。ちなみに自分たちが悪いだなんて、本当は思っていません。」と、中居正広の「腕白坊主が屈辱に耐えている」という風情が美しかった。 権威に屈したのはファンのためか?
身を切られる思いで、心にもないことを言う(言わされる)局面は、小説や映画にも多く、それを知る読者や観客に、彼ら無念が共感を呼ぶ。もっとも有名なシーンとしてはガリレオの宗教裁判における、「天動説」同意であろう。直後ガリレオが心の中で、「それでも地球は動く」と呟いたと言うが、事情を知る後人が、ガリレオの心情を慮って付け加えたものだ。
自分の信念を変えず、曲げず、腹を切った武士道精神にそぐわないガリレオの態度は、子どもの頃に許せなかった。純粋で無知な子ども心ゆえに罪はないが、当時のキリスト教の権威と言うのは計り知れないものであったろう。それは「宗教裁判」というものが物語っている。権威者というのは、事実や動向や世論よりも、「守る」ものの観点がまるで独善的である。
メリー女史が、「SMAPはいらない」と突っぱねて困るのはSMAP自身で、それを見越しての横暴。彼らが地べたに頭を擦り付けて謝ることは分かっていながら、自尊心を傷つけるようなことを平気でやれるところが、権威者の無慈悲なところ。メリー女史は、自分と、そしてジャニーズ事務所という、「世界で一つだけのアタシ」がいれば、それでいいのであろう。
国民やSMAPなど問題ではないという老害の論理。読売巨人軍の渡邊恒雄取締役も老害と揶揄された。政界では森喜朗元総理、経済界では米倉弘昌経団連会長などもが老害とされたが、米倉氏は退任した。老害が懸念される問題点の一つに、「保身」がある。彼らは無駄に立ち回り、単純なものを複雑に見せたり、必要のないアピールをしたりで物事を混乱させる。
そのことで、自分が必要な人間だということをアピールする。 見方によれば自分も老害かもだが、老害が問題になるのは組織のトップで、老人が個人的にどう動こうが、活躍しようが何ということもない。「座り心地の良い椅子、居心地の良い場所は誰にも渡さないし、死んでも渡さない」というのが老害。権威や権力の禅譲をしない困り老人は、下から追い立てるしかない。
が、権力や老害に立ち向かえる骨のある若者が少ない時勢。弱いものばかりをターゲットにするいじめばかりが横行する。「公権力、私権力何するものぞ!」という人間が育たないのは、過保護に育つからでは?と推察する。温室の中で風雪に守られ育つ花には、野ざらしの強さがない。少なく産んで大事に育てたいという時代の流れ、少子化問題に絡んでいる。
老いた権力者が権力にすがり、抗うどころか依存しておこぼれに預かる老いた青年たち。SMAP問題には二人の老害がいたという指摘に頷かされる。一人はジャニーズ事務所のメリー女史、もう一人はなんと、ジャニーズ事務所の長男こと近藤真彦という。NHKの紅白を見なくなって10年以上になるが、今年の白組トリが近藤真彦と聞いて、笑ってしまった。
紅白って、歌で活躍している人が出るのでは?トリというのは、なおさらそうではないのか?NHKはジャニーズ事務所の、嵐、TOKIO、V6、Kink Kidsに依存し、ジャニーズ頼りの番組で若者のテレビ離れを食い止めてきた。今回、近藤真彦の紅白のトリは、歌の実績も歌唱力もない彼の、いや、ジャニーズ事務所へのお礼奉公と見るなら、メディアも保身に身を固めた現われだ。
ずいぶん前、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の意味について友人と言い合った。本当の意味を知らず、思うところをアレコレ言い合ったが、男同士が寄り会うとよく議論に花が咲く。自分がどう言ったか記憶にないが、「彼は権力によって役職を奪われた。それで死んだわけではない。功績の数々とともに表舞台から消えて行くの意味では?」この知人の言葉は記憶にある。
意味については概ね同意である。マッカーサーがどのような局面でこの言葉を発したか、を知っていたからだ。最低その程度の知識がないと議論はできない。 戦後の日本を占領・統治した連合国軍の最高司令官マッカーサー元帥は、朝鮮戦争が勃発すると国連軍総司令官に任じられ、不利な戦況を逆転したが、戦争の遂行方針をめぐってトルーマン大統領と対立し解任された。
その10日後の1951年4月19日、マッカーサーは米上下両院の合同会議で行った演説の末尾に、この文句を盛り込んだ。マッカーサーは、朝鮮戦争に参戦した中国に対するさまざまな攻略策を用意し、訴えもしたが、それらは深追いを避けたいトルーマンの意思に反していた。マッカーサーには軍人としての信念があったのだろう。そして思い入れたっぷりにこう結んでいる。
「私は52年の軍務を終えようとしている。…だが、(陸軍士官学校入校)当時、兵舎で最も流行っていた歌の一つの繰り返し句は今も覚えている。『老兵は死なず、ただ消え去るのみだ』と、この上なく誇らしげに謳っていた。そしてあの歌の老兵のように私は今、軍歴を閉じて、ただ消え去っていく。神の示すところに従って、自らの任務を果たそうとした一人の老兵として…。さようなら」
マッカーサー演説の数々を解説付きでまとめた米著、『ダグラス・マッカーサー-ウォリアー・アズ・ワードスミス』によると、元帥はこの演説の最後のくだりで、米国人の離す標準的速度の2分の1にまで落としていた。フィナーレに相応しい劇的効果を狙ったのである。ゆえにか、マッカーサーは簡単に消え去らなかった。それは当時の当初の世論調査が示している。
トルーマン大統領によるマッカーサー解任に対する支持がわずか25%なのに対し、マッカーサーに対する支持率は66%。議会演説後も、上院公聴会に出席して大統領批判証言をし、マッカーサー解任を受けて大統領非難決議を採択した一部州議会に招かれて講演するなど、何年も全米各地を遊説した。「消え去る」と言いながら、決して消えなかったマッカーサーである。
この言葉をカッコよく用いる政治家や企業人がいる。公式の場で「辞める」といったり、「消える」といいながら、往生際が悪く老害・醜態を晒す者もいる。マッカーサーの場合、世論の風に煽られて消えるわけには行かなかった。彼の、『老兵は死なず』演説は、米国では『太平洋を放棄するな』演説と呼ばれた。ある世代なら誰でも知る言葉も、時代の流れか今は「誰の言葉?」である。
ジャニーズ事務所を去って干された芸能人は多く、田原俊彦は18年に及んだという。あまり詳しくはないが、諸星和己に大沢樹生らも干され組。郷ひろみは1971年にジャニー喜多川氏にスカウトされデビューしたものの、1975年にバーニングプロへ移籍したが、この件についてジャニー氏は「移籍を止められなかったことがショック」だったと後に語っている。
反町隆史は中3の時、ジャニーズJr.に所属し、光GENJIのバックダンサーなどをしていたが、1991年に素行不良で解雇となる。SMAPの中居は、多方面に才能があるので独立してもやれそうだが、あとの3人はSMAPあっての知名度であろう。木村と反りの合わない状態でやるのは心苦しいが、草は個人的に木村と好意的であるというから、難しい。
SMAP問題を芸能界の話題と捉えていない。SMAPを含む芸能人の動向に興味はないが、今回の一件は一般社会にありがちな事象である。権威や権力に弱者がどう立ち向かうのか、男の態度の決め方、生き様を眺めている。「芸能界のことなんかどうでもいい」という人もいるが、SMAP問題を芸能界だけの事としてしか捉えられないのは視野狭窄である。