世の中オモシロイ人がいる。だからこの世はオモシロイ。その中で内田裕也は極上の一人かなと…。存在感もない、普段は名前すら忘れているが、ときたま幽霊のように出てき、吠えて去る。最近彼の、「しぇけなべいべ~」を聞いてないが、「ロック界のドン」という肩書の内田である。どうしてそう言われるか?「演歌のドン」といえば北島三郎だが、内田が「ロック界のドン」って、ドン引き。
ヒット曲もなく、目立ってもいなく、ステージで歌うのは、「ジョニー・B・グッド」と、「しぇけなべいべ~」という掛け声だけで数十年。2011年に交際女性にストーカー行為を働き、5月12日に強要未遂・住居侵入の疑いで逮捕されている。ドンにしてはやる事が赤っ恥だがそれでもドンなのかを調べてみた。音楽関係者はこのように言う。「『ロック界のドン』というのは、まったく実態がありませんね。
裕也さんが音楽業界で一定の影響力を持っていたのは35年以上前の話です。日本語ロック論争を仕掛け、『ロックは英語でなきゃダメ』と主張しましたが、日本語派に押されて存在感を失いました。その後は"ニューイヤーロックフェスティバル"を主催し、手下のミュージシャンを出演させて、毎年赤字を出しているのは知られた話。強いて言えば『ロック界の名物イベントマン』あたりでは?」
なるほど…。それで「しぇけなべいべ~」か。また、近しい音楽関係者は言う。「内田さんに功績があるとしたら、歌手としてではなく、今でいう夏フェスを30年以上前から始めたプロデューサーとしての実績でしょう。しかし、企画力はあっても、お金の計算がまったくできない内田さん。方々から借金して自転車操業でイベントを続け、近年はギャラもほとんど出してなかった。」
ニューイヤーフェスティバルの常連だった直弟子ジョー山中、安岡力也、桑名正博は世を去った。また、内田と関係の深かった3人以外の、ジョニー大倉、成毛滋、柳ジョージ、加藤和彦、山口富士夫、シーナ、鈴木ヒロミツ、デイブ平尾、アイ高野らが世を去ったことで、「内田裕也は死神か?」などといわれたり…。その内田裕也がSMAP問題に口を出した。が、話の中身に笑ってしまった。
「はっきり言ってやろう。悪いのはこのI女史と4人のメンバーだ!」と怒りをぶっちゃけ、SMAPにまつわる過去の出来事を披露した。時代劇で木村拓哉を起用した映画の企画を考えた内田はジャニーズ事務所に、「キムタクを貸して欲しい」と打診したところ、「SMAPに関してはI女史に任せっきり」と、今回独立を計画した女性チーフマネジャーIさん一任と説明された。
内田はIさんに会い、木村のキャスティングを打診。「わかりました。脚本ができたらすぐに送ってください」との回答を得たが、1年経ってもIさんからの返事はない。内田が再度Iさんに連絡すると、他の映画からオファーがあると断わられた。翌年も同じ内容の理由で断られ、さらには、「どうしてもスケジュールが組めないのでこのお話は無かったことに」と言われて内田は激怒。
「バカヤロー!」と一喝、「この世界で依頼を断る時は、ちゃんとアポイントメントをとって、俺の目を見て話すのがマナーだろう!」とIさんに説いたという。その後、メリー喜多川氏から直接謝罪したいとの申し出があったが、断ったという。こうした過去の顛末を明かした内田は、所属タレントだけでなくマネジャーの不手際までジャニーズ事務所がフォローし、守っていることを訴える。
「独立して一体何をしようというんだ!ジャニーズ事務所あってのSMAPだろう。はっきり言ってやろう。悪いのはこのI女史と4人のメンバーだ!甘く見るんじゃないよ、日本の芸能界を!」と強い口調で批判した。これを聞いて笑えない方がどうかしている。内田は映画のプロデューサーを気取ったのだろうが、脚本を見て判断したI女史がオファーを断るなどはよくある話。
内田映画に人気絶頂のSMAPを出演させるリスクはある。内田は人気絶頂の木村拓哉を望み、断られて逆恨みとは一体「何様?」。決定権はI女史にあることは内田も承知で強くはいえないが、怒りの矛先を「目を見て話せ」などとグダ巻くところがあの人らしい。内田の企画では人気絶頂のキムタクはダメだった、無理だった、それ以外には何もない話。
了見が狭いというか、スピルバーグや黒澤明ではないんだし、何様気取りな内田である。力もないのにプライドの高い人間はいる。気を使ってあしらったつもりが、内田に火種にされた恰好だ。内田は恥ずかしげもなく過去の私怨を今回の問題に飛び火させているという、お粗末な話である。お願いする立場なのに、上から目線の内田のに理解を示すものなどいない。
若い頃は誰でものぼせ上がるものだが、経年で人は謙虚になるべきだ。物事が判ってくると自然にそうなるが、謙虚になれないなら、物事の理解がなされてないことになる。中年も終り、そろそろ老年に向かうとき、夕陽は美しく沈んでいくもの。青春をしっかり生きてきた人の太陽は赤い夕陽となって沈むが、青春が灰色であった人の夕陽は赤くはならない。
人によって違う二つの太陽がある。どんな人にも過去があり、今があり、生きてる以上は未来もある。「老人に未来はない」というのは比喩で、死だって未来である。我々は時間を、過去・現在・未来と分ける。正確な区切りはできないが、漠然と過去といい、未来というが、昨日も過去なら明日も未来だ。はっきりするのは「今」という時間でも、うかうかすると、どんどん過去になる。
「過去を消したい」というが、すべてが全体として出来上がっていて、その一部を取り去ることはできない。現在から見れば過去は過去だが、その過去は当時、現在だったわけだ。1999年12月31日は過去であるが、1999年12月31日にあっては、「今」であった。その時に2016年2月2日は、未来であった。過去を消すというなら、その日という「今」を消す必要がある。
それは無理。「今」が消せないようにである。今を消せば将来、2016年2月2日という過去はなくなる。が、現在がないなら未来もなくなることになる。現在から見れば過去を生きたようだが、その日という今を生きていた。どんな過去でもそれを消すのは虫が良すぎる。嫌なこと、望まぬことも、起こったことなのだ。人生にあっては、誰しも思いがけないことにぶち当たる経験をする。
人生の軌道が見えてきたようでも、一つの恋、許されぬ恋、それらから人生が変わる。事故や天災もある。何の悪いことをしていなくても、突然の不幸や苦悩に突き落とされる。それらを今にキチンと処理することが、未来の自分が過去を悔やまないことになる。過去は現在に連なる道であり、未来にも連なっているが、みんないい加減に日々を生きている。
いい加減を棚にあげて過去は悔やまぬこと。愛し合いながら結ばれ、不幸にも離婚とになった夫婦は、種々の解決してこなかった。野放しにしていた。今、解決しなくても何とかなると棚上げした事が、ツケに回ったことになる。小さな塵も積もり積もればゴミになる。今をよく生きることは、未来をよくすること。今日という日は過去になっても、悔いのない過去となる。
と、このように言ったが、人は誰も100%の「今」を生きられない。だから人間は誰しも心に傷を持っている。子ども時分はなおさら至福の「今」を生きられない。問題解決能力はないし、親から無慈悲な要求や辛辣な言葉を浴びせられ、それらが心に残っていく。傷の存在をあまり意識しないで生きてる人もいるが、癒えないほどに深い傷を持って生きる人もいる。癒えない傷を癒せるのか?
古来からその役目を宗教が担った。さまざまな宗教が、それぞれの教義や方法によって人間の傷の癒しを行った。近代になって、人が宗教に依存しなくなると、心理療法という科学によつ心の癒しが可能と主張する人も現れた。宗教に頼るか、科学に頼るか、自己に頼るか。これだけ見ても人は違うもの。好きなことも、嫌いなことも、食べ物の好みも、多くのことで人は異なる。
個々の違いを一つの教義に収めるのは洗脳である。自己を暗示にかけ自ら染まろうとする者もいる。様々な性格を科学のパターンに当てはめるのも無理がある。宗教と違い、科学は人に合わせて変えるが、100%性格に適合した療法があるかは疑問だ。ならば自力救済か?自己を癒すためには、ポジティブに自己を高めることで癒しを葬る。それが自己向上である。
自己向上を含む自己確立法もいろいろある。欧米人は、先ずは自我を確立して自己主張をするが、日本人は初等教育段階から自立より協調重視する。よって、日本人に自己主張は良くないとされ、周囲の考えを受け入れつつ自己を作って行くことになる。良悪はどちらにもあるが、文化に合致した傾向となる。積極性は西欧では良しとされるが、日本では出しゃばりと嫌悪される。
真に積極的とは明確な責任感を伴うが、日本人のように中途半端な積極性は、責任感を伴わない。つまり、積極的だが無責任という体系が出来上がってしまった。さらには無責任だから、誰でも何でもし易くなる。不倫も独立も自由にやればいい、責任感の元でなら…。積極的行為に断固責任感を持つなら、誰に文句を言われる筋合いはない。責任とはそういうものだ。