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Channel: 死ぬまで生きよう!
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この世で起こる一切は大事なこと

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イメージ 1「SMAPなんかどうでもいいこと。政治、貧困、環境問題など大事なことがある…」と、仰せだが、まあそんな事はSMAPがどうであれ、ベッキーがどうあれ、当たり前。なのに、「大事な事があるだろう?」と、あえて言う必要があるのか?言いたい輩はいる。この問題に怒りをぶつけるのが、「夜回り先生」ことコメンテーターで、上智大非常勤講師の水谷修氏である。

彼は自身のブログにこのように記している。「ふざけるな…。怒っています」のタイトルで、SMAPが若い世代に与えてきた影響を重視、ジャニーズ事務所を批判する。「自分たちが育てた子どもたちが、立派に自分の生き方を見つけ自立する。これは、嬉しいことであるはずなのに…」とし、「自分たちを裏切ったから謝罪しろ。これは、許せない」と、怒る。子を育てた親は自立をはぐくむ。

それができないジャニーズにとって、所属する子どもたちは、自分たちの言うことを何でも聞く奴隷にしたいのか」と厳しい表現で批判する。事務所と所属タレントを親と子と見立てた言い方には無理があろうし、芸能事務所がタレントを売り出す(育む)のは、タレントの名声を獲得することで事務所の利益を上げるため。売り出す=先行投資の論理であろう。

「お前たちを売り出すために事務所がどれだけ金をかけ、人的労苦を強いたか」を突きつける。親も我が子にゼニカネを惜しまないが、親は純粋に(?)子どもの幸せを願ってであり、見返りは求めない。芸能事務所は、働け働け、稼げ稼げ、である。夜回り先生の言い分は、味噌と糞を同じに考えており、彼の論理は残念ながら芸能界や芸能事務所には通じない。

「蛇の道は蛇」。世の多くの事がこの範疇にある。もちつもたれつの芸能界はその典型といえる。ナイナイの岡村は、「今回(SMAP問題)のことで芸能界の裏がよくわかったでしょう?」と、芸能界に身を置く者として、「普通の世界と違うよ」と言ったのだろう。芸能人でいる以上、芸能界の掟に従わざるを得ないと、岡村はその事を言葉少なにいった。

SMAPの敏腕マネージャーを、メリー喜多川女史に紹介したのが音楽プロデューサーの酒井政利氏。その彼が25日、SMAP騒動について語ったところによると、最初はすべてがよかったし、すべてが上手くいっていた。「メリーさんが、彼女(の人柄)をすごく気に入ってくれて…」。酒井氏は当時を懐かしむ。メリー氏はマネジャーの働きぶりを評価した。

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事務員として採用され、デスク業務を経験後、初めてマネジャーを務めたのがSMAPだった。当初、なかなか芽が出なかった5人を、アイドルのタブーとされたバラエティー番組に出演させるなどし、国民的グループに押し上げた。「SMAPは新人時代、なかなか売れなかった。彼女は、メリーさんからSMAPを預かった責任を感じ、(売り出す)方法を考えた。

仕事をバリバリやる方だ」。ゆえに一連の騒動が「恩義のもつれ」に映ったと酒井氏はいう。マネジャーは雇ってくれたメリー氏に恩義が、SMAPは育ての親のマネジャーに恩義があるという構図。「もつれがさらにもつれてしまったことが残念でならない。全員が被害者であり、全員が加害者みたいなもの」と強調した。恩義があれば「もつれ」もあろう。

善意、悪意の問題は難しい。善意に見えて腹の中は真っ黒だったり、悪意に見えて実は一途で純粋な行動であったり、なかなか正確には読み難い。いじめられる子がいじめっ子に悪意を抱くこともある。いじめられたから悪意が湧いたのか、悪意的な性格だからいじめられることになったのか?いじめ自殺する子は、悪意という返報感情をもてなかったのか?

親は子どもに善行ばかりを教えがちだ。悪も教えたいが、どのような悪を教えるべきか?悪は友人や周囲から学ぶものか?自分は悪を子に教えるべきと思うが、具体的にどういう悪が教えていいか意外と難しい。記憶にあるのは小学3年の娘に、遠足の水筒の中に麦茶でなく、ジュースを入れて行けと勧めたが脚下。他にもいろいろあったが、多すぎて書けない。

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世の中に悪が充満する以上悪意は必要だが、善意に悪意で向かう人は哀しい人だ。悪意に善意で応えると行き場を失い、潰されることもある。悪に悪で対処するのが本質で、そのためには悪意を見抜く必要がある。悪意に悪意で対処してこそ自我が支えられる。子をあまりに"いい子"に、人畜無害な子に理想を抱いて育てると、悪に対処すべく能力が身につかない。

人間に悪意が生まれるのは仕方のないこと。悪意にも利用価値があり、ある程度の悪意を持たねば、他人の悪意に対する想像力も発揮できない、対処もできない。悪意は持てど行使はせず、悪意について思考し、理解するためにも必要だ。世の中みんないい人、人はみな善人、と思える人は幸福なのだろうか?大人になりきれない幼い子どもの思考に映る。

児童文学を読むと心が洗われることがある。児童文学というのは、児童や子どものために書いたものともいえるが、子どもの澄んだ眼で書かれたものという方が正解であろう。子どもの視線で見ると、世の中や人間や人生の本質というべきものが手に取るように見える。一方の大人の文学は、修飾や混じりが多く散りばめられ、錯綜し、本質が見えにくい。

しかし、よく考えてみれば、飾り物や混じり物に見えるものこそが人生であろう。人の心理のあや、どろどろした人間関係、そういうものこそ人生である。人はそれらに悩み苦しみ、どうにもならないと誰かに頼る。意見を求める。教えを乞う。子どもの悩みに比して大人の悩みは複雑だ。若いから悩む、中年期は安定という人、いや、中年期こそ「危機」という人。

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どちらが正しい?どちらも正しい。自分の回想でいえば、若い頃に比べて中年期は魅力に満ちた時期であった。いささか抽象的になるが、強烈な二律背反に支えられているようだった。男と女、老と弱、親と子、善と悪、真と偽、虚と実などなど、あげればキリがない多くの対義の中にいた。いろいろ思考し、結論も得た。行き着いたことも多くあった。

分らないままのことも…。様々な知識も得た。体験もあった。知ることよりも、意見がいえることが大事であるのも知った。なぜなら、知識は意見ではないからだ。意見とは知識を元にした考えの総体である。知識の断片をつなぎ合わせて一つの考えにする、そういう作業を人は無意識に行うが、古くなるとほつれが出る。それで新しい知識と入れ替える。

その繰り返しが人の生だ。よって高い向上心を持つなら、知識や情報は腐らせる方がいい。昔の人間は、昔のことを基準に物事を思考しがちだが、それではダメだし、そういう人はすぐに分かる。中年でも初老でも、考えが若い人は、古いものを腐らせているのだ。まあ、腐らせるだけがいいのではなく、腐ってはいけないものは腐らない場所に保管して置く。

溢れ出る善意、利他的善意といっても、利他は自己を満たすものである。マザー・テレサだっていろいろ言われている。人間の善行すべてが善意からもたらされることはないと考える。つまり悪意から放たれる善的行為もあるわけだ。もちろん悪意にも質的な差がある。太宰治は日記に次のように書いている(亀井勝一郎編『太宰治 愛と苦悩の手紙』より)。

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「『誠実』をウリモノにする人間に対して私は気恥ずかしさを覚える。ウリモノにしないまでも、自分の心に『誠実』である人、そのことが相手にどうひびくかを想像し得ない人に気づまりを感じる」。太宰はまた『斜陽』の中で作中人物に、「世間でよいといわれ、尊敬されるひとたちは、みな嘘つきで、ニセモノなのを、私は知っているんです。」と言わせている。

彼は自己批判の名人だが、そのまま他人への慧眼と言ってもいい。『戦争と人間』の作者、五味川純平も次の言葉を作中人物に言わせている。「信じるなよ、男でも、女でも、思想でも。本当によく分かるまで。分かりが遅いってことは恥じゃない。後悔しないためのたった一つの方法だ。威勢のいいことをいう奴がいたら、そいつが何をするかよく見るんだ。

そいつがどんな飯の食い方をするか、他の人にどんなものの言い方をするか、言葉や、することに、裏表がありゃしないか、よく見分けるんだ。自分の納得できないことは絶対にするな。どんな真理や理想も手がける奴が糞みたいな奴なら、真理も理想も糞になる」。人を疑うことは、自分を守るためばかりではなく、物事を正しく見るためにでもある。

正しく見、それで正しい判断をするが、簡単に本性を現さない人もいる。そうであるなら、表面的なものを真に受けるのは危険である。人の性格はさまざまに現れ、それらを糸口に実体を推理していく。五味川のいう、「よく分かるまで信じるな」を徹底すれば、振り込め詐欺とて起こらない。安易に人を信じるは、自身が安易と戒めるしかない、それなら向上もする。

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ファンだからと対象を仰ぎ、妄信するのではなく、ファンだからこそ指摘すべきこともある。以前、気にいった歯科医院に通っているとき、衛生士にも先生にも、「自分はここのファンです」と言っていた。それが、あることを機に行かなくなったが、あれだけ好意にしていた患者が急に来なくなれば、スタッフは「なぜ?」と思うだろう。自分は、理由一切をメールで指摘した。

たまたま好意的メールを交わす古参の衛生士がいたから愛情として伝えられた。伝えれば耳に入り、耳に入れば反省もできる。カーライルは、「不味いレストランに出くわせば、文句をいわず料理を残して去り、二度と行かなければ良い」と言った。文句を言う自身の品のなさを戒める言葉だが、自分は自身の品行より、歯科医院への愛情を重視したまで…

自身の身の回りの出来事に限らず、この世で起こることの一切は大事なことだ。すべてが自分に蓄積されていく。いずれのことにも高い関心を持つほうが良い。起こることすべてに優劣・大小はないし、あえていうなら、小さなことこそ大事。「どうでもいいこと」は、さらに大事かもしれん。


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