「あほくさ。スマップの事なんかより、未来において大事な選択肢が国会で選択されてる。人が求めるからだというエクスキューズで、大事な事から目をそらし、どうでもいい事に、注視させるメディアに、どんなリテラシーがあるんだろうか」と、伊勢谷友介の発言だが、非難を受けて、「SMAPさんの心地の悪そうな会見は同情してしまうものだった」と変節。
横文字入りの気取った文だが、SMAPを気づかうなら別の言い方があろう、こういう人間を信用できない。伊勢谷に限らず態度が変節して詭弁で言い訳する奴のこと。言い訳の多くは自己正当化のため、でまかせや嘘が混じり、不自然な言葉になる。それを承知か、不承知か、どちらにしろみっともなさ過ぎる。「軽率でした。ファンの方ごめんなさい」と正直が勝る。
自分も思ったこと、感じたことはいう。羽生名人の寝癖であったり、オフコースや音楽グループの軋轢や解散問題について発言したが、これらに対し、"上から目線"とファンが怒る。上から目線と受け取るのは勝手だが、「マンガより文学を読め」、「ロックよりクラシックを聴け」、「芸能界より政界が重要」などと、こんなようなことを言うつもりはない。
これこそ近視眼的上目線であろう。「羽生さん、和服に寝癖で公の場に出るのはみっともないよ」との進言に対し、文句をいうファンの方がどうかしてる。「和服の正装に寝癖は相応しい」、「羽生さんのキャラ」というファン心理だろうが、ファンだから正しいとも言えず、よって自分の発言がファンの心情を害したとしても、間違ったことは言ってない。
伊勢谷の「SMAPごとなどどうでもいい」発言は、役者が芸人を見下している。明らかにSMAPファンの心情を逆なでしており、そんなファンの怒りに対し、彼は詫びるか誤魔化すかだが、伊勢谷は誤魔化した。オフコースの際も、小田と鈴木両雄の才能に比すれば、後に加わった3人はサポートメンバー程度だが、松尾ファンは才能アリと思いたい。思えばいいのよ、勝手に。
ファンだから音楽に長じている訳でない、自分は音楽的才能を言ったまで、世間の見方も同様だ。楽器が弾けるから才能があるともいえず、そろばんの段位が十段であれ、その人の経営能力の有無は別だ。議論や対話は、広い視野と真摯な事例を含みにするなら面白いが、感情的な言葉で松尾の才能を他者に説得はできない。以下の書き込みがあった。
「世間では、ジャニーズ事務所のSMAP解散劇に一喜一憂している人たちがいるみたいだが…。はっきり言って、どうでもい~~~~~~~。彼らの自由。それでおわり。そんなことより、もっと大切なことがたくさんある。イスラム国のゆくえ(子どもの犠牲者多数)。北朝鮮問題。日本でも難民を受け入れろ。遺伝子組み換え食品。中国のPM2.5。環境問題。
福島の原発からくる人的被害(特に子ども)。日本の政治問題。もっともっと大変で大切なことがあるのに…」。言ってることは伊勢谷と変わらない。「どうでもいい、他人事」と言うが、自分以外はみんな他人事ではないのか?他人に興味を持つのは社会に興味を持つこと。芸能界の仕組みについて知ることも、意見することも、何事も社会勉強である。
他人事などどうでもいいというなら、サッカーの五輪出場、琴奨菊の優勝、錦織の全豪敗退もどうでもいいこと。自分に興味がない分野を見下げた言い方を、つい人はしがちである。ニーチェの言うように、事実などない。すべては解釈の問題であろう。スキーバス事故、野々村元県議の公判、小保方の手記なども、「どうでもいい、他人事」と思えばそうである。
嫌いな言葉はたくさんあるが、「どうでもいい」もその一つ。この世にどうでもいいもの、どうでも良くないものはないと思っている。何かを問うたときに、「そんなことどうでもいい」と答える奴がいる。「どうでもいい理由をちゃんと言えよ!」と言いたくもなる。「理由なんかないのがどうでもいいこと」と言う奴がいた。理由がないというより、理由を説明できないだけだろ。
「どうでもいい」は頭の悪い奴の常套句である。いかなるものにも理由はあり、その理由を述べる奴こそ利口である。先日こういう事があった。家族内であることに意見が乱舞する最中、長男が「ちょっとみんな聞いてくれるか?」とあらたまって言う。何をいうかと思えば、「どうでもいいことだろ?」と抜かした。頭の悪さ丸出しの言い方に説教する自分。
「みながアレコレ意見を出し合っているのに、『どうでもいい』などというなら、お前だけ何処かに行ってろ!」というしかない。人が真剣に話し合ってることは、決してどうでもよくはないのだ。「どうでもいい」と言ったお前が偉いわけでも何でもない。横着なだけだ。『朝まで生テレビ』を「どうでもいいことをバカみたいに言い合ってる番組」という奴がいた。
奴にどうでもよくとも、路傍の石から触発される者もいる。大事なのは感受性、それなき人間は、「くだらない」を多用する。確かにくだらないと感じるものはある。AKB48などはその範疇だ。が、くだらない、どうでもいいと言い捨てるより、何がどうくだらないか、どこに問題があるか、それを提示するなら説得力もあろう。人を説得するのでなく、自らを納得させる。
仕掛け人の秋元康は、未熟で未完成が彼女らの良さといった。おにゃん子クラブが素人のよさで受けたことに味をしめたようだ。スタンドバーでは、接客を仕込まれたホステスより、バイトの素人女子大生が客に受けるが、それは客層レベルが低いからで、銀座の高級クラブではプロのホステスがセレブ層の相手をする。彼女たちは知的も教養も備えている。
このように、誰を相手にするかで変わってくる。AKBが半素人で未熟であるがゆえに受けると呼んだ秋元は、支持層を理解している。歌が踊りが下手でも、所詮はオタクのモテないクンがターゲットである。まさに「蛇の道は蛇」の如く、秋元はブタだが蛇であった。未熟でトーシロの女の子が不祥事を起こそうが、何しようが、責任が自分に及ばない策略も考えている。
世に出回るの多くのものは、商品として完ぺきではないが、秋元はそれを公言する。商品テストし、チェックはしても、クルマのように多くの電子回路や部品数の多い製品は、完璧テストより、実際に走ってみなければ分らない面もある。よって発売後に問題が発生した場合のリコール体制を整え、また監督官庁にも届け出るなど、安全対策だけはしっかりとやる。
でなければ、クルマは凶器となる。ところが以前は、リコール隠しが横行した。クルマに不備があること自体、メーカーの不信につながるという危惧もあったのだろう。人間の心に悪意が芽生えるのは仕方ないこと。会社の暖簾や名誉や信用を守るために人間の悪意は必要だったのだろう。2000年、三菱自動車のリコール隠しが社会問題化した事があった。
三菱のリコール隠しは、乗用車に始まり、2004年にはバス、トラックなど大規模なものであった。そのことで三菱自工・三菱ふそうはユーザーの信頼を失い販売台数が激減、当時筆頭株主であったダイムラー・クライスラーから資本提携を打ち切られるなどの深刻な経営不振に陥ることとなった。原因は2000年時の調査が曖昧で不十分なものだと後に判明した。
以下の事件も信頼をなくす理由となった。とある三菱ユーザーのクレームで訪れたディーラー2名が、クレーム主が席を外してる際、ユーザーに対し、キチガイ呼ばわりのひそひそ話し、聞くに堪えない言葉遣い、横柄な態度、それらが全てクレームユーザーによってVTRに隠し撮りされていたのだ。まさに「鬼の居ぬ間の洗濯」そのものであった。
ディーラーのあまりの態度にユーザーはVTRをテレビ局に持ちこみ、全国に放映された。これで三菱の新車販売は一気に落ち込み。当時三菱の普通車は、150万、200万の値引きもあったくらいだ。顧客がいないからと、顧客の悪口は絶対に言うべきでないとの教訓を大きな犠牲で得た。関連していえば、ペッキーのLINE第2弾が週刊誌に出たこと、アレはダメ。
不祥事が公になった時は、すぐさま会見を開くなどの対応を見せたが、LINE第2弾においてはダンマリを決め込む事務所。ともあれスポンサーの離反は当然であろう。そんな中、関西テレビはレギュラー番組、「にじいろジーン」の続投を表明した。これは業界の常識で、ベッキーを見たくないという視聴者と、どんな面でいるのか見たい視聴者を狙ったもの。
政界の不祥事の結末も、芸能界の不祥事の行方も、同じ人間社会における人間のやらかす出来事である。政治家の不祥事は永遠になくなる事はない。どれほどモラルを掲げてみても、人がお金を好きである以上、収賄、贈賄は巧みになれ、なくならない。同様に不倫も永遠になくならない。「不倫は文化」は、名言というより口実で、人に下半身がある以上不倫は続く。