依存とは何かに寄りかかって利益を得ることだが、そういえば、事務所に依存したくないからジャニーズを辞めたと大沢樹生は言った。SMAP問題に揺れる芸能事務所のマスコミを牛耳る力は多大で、大沢も「依存」というより「所属」と思えばよかったのだが、そこは若さゆえの考えの甘さでもある。タレントは事務所に所属し、キャリアを積んだ後に個人事務所を開く。
過去、芸能人の事務所脱退騒動は多く、辞めた途端に圧力をかけられ、仕事が無くなった者は多かった。「育ててやったのに恩を仇で返すのか!」は、いかにも日本的な徒弟制度らしい。「徒弟制度」とは、一定期間親方の家に住み込み、雑用をしながらで商工業の技術を見習う制度。やがて独立の際は、数年先延ばしにし、数年の「お礼奉公」が一般的だった。
徒弟制度は、教わる、学ぶ、教えるという三つの要素から成り立ち、仕事にしろ何にしろ、人から何かを習う場合にはこの三つが基本となる。これを教育に置き換えるとどうだろう。教わる、学ぶ、教えるは、学習、研究、指導と置き換えられ、方法としては、座学と修行がある。座学の根本は知識の取得であり、修行の根本は経験の蓄積である。
となると、教育の原点は遊びや徒弟制度のようなもの。徒弟制度は上に掲げた目的意識が明確で、現在の教育が失ったものを持っている。それは、修行の要素である。なにより徒弟制度は、長い時間、職人を育成してきたという実績がある。その前に「修行」と「修業」は似ているが意味が違う。「修業」は比較的その期間が決まっていることが多い。
したがって「卒業」は「修業」である。「修行」は一生の努めとしてある境地にたどり着くこと。よって「修業中の身」という言い方は、一生の努めと考えることもできる。学校の過程は卒業をもって修業とみなし、「板前修業」などは親方に認めてもらって修業となるが、名人級の板前は、「一生修業」を口にする。「一生稽古」と揮毫した名棋士の色紙を見たことがある。
昨今の教育についていえば、「個々の主体性を重んじる」と言いながら、「主体性を認めない」。「生徒達の意志や希望を尊重する」と言いながら、「意志や希望を無視する」。「早く社会に出て仕事を覚えたい」と言おうものなら、一人前でないとか、世間体がどうとかで許さない。社会勉強という枠の外に出ることの大事さを認めていないのは、なぜだろうか?
徒弟制度の厳しさは、「教えない」厳しさだが、昨今は、形態が変わった。古き時代の親方は、手取り足取りなどと教えない。仕事は受身では身につかないという考えにあって、黙って待っていてアレコレ教えてくれるなら、まるで教わる側が親方の上に立っていることになる。「仕事は教わるものではない、盗むもの」これが親方の考えの基本にあった。
「(仕事を)教わる姿勢」がなっていないと注意をされる今の若者だが、かつては「教わる姿勢」という言葉さえなかった。親方はハナから教えず、ただ行うだけだから、弟子(教わる側)は、必死でかじりついて見るしかない。「ここはこうで、こうやる」と教えないなら、「なぜアソコはあのようにやる?」、「ココはどう処理する?」という疑問を抱き、見て疑問を解決する。
一切においては自分が疑問を持ち、自分で答えを導くという厳しい世界では、頭が縦横無尽に回転し、展開しなければダメ。課題を与えられる塾の勉強と違い、課題さえ自分で見つけねばならない。よって、いい職人はバカではなれない。「ゴッドハンド」という言葉がある。いろいろな世界に同類の言葉があるが、医学の世界では秀逸な外科医に与えられる称号だ。
外科医には手先の器用さや繊細さが要求される、そんな言葉だが、外科医に必要なゴッドハンドといわれるものは、知識と経験と前向きな思考回路のことであり、あとは普通の手先の器用さがあればいいとされる。が、もっとも重要なのが、「精神力」と言われている。知識は正確な病状を知るためで、それがないと間違った行為に及ぶ可能性が高い。
絶え間ぬ医学の研究や勉強は大切として、次に色々な場面に遭遇し、そこで出来うる最善の処置を随時出来るかどうかは、多く経験がモノをいう。手先の器用さに関係なく、器用である必要はない。要は、困った際にどういう治療をするかの判断力である。さらには治療が上手くいかずとも、次の治療に生かせるだけの粘りや強い精神力、向上心が大事となる。
「神の手を持つ外科医」と世界から賞賛・尊敬される大阪医科大卒で、心臓外科医の須磨久善医師は、手がけた心臓手術は5000件を超える。多くの患者の命を救うだけでなく、数々の新しい手術にチャレンジし、成功率、生存率を上げた。須磨氏は、「外科医にとって最も重要なのは手先の器用さではなく想像力」と言う。彼の手術スピードは卓越している。
そのスピードさえ、想像力のたまものといって憚らない。「同じ手術をして時間のかかる人は、やらなくてもいいことをやってる。そりゃどんなに上手に速くやったって、やらなくてもいいことをやるなら、時間を食うばかりで意味がない。それから、1回で終わらせるべきところを何回もかかる人。これも一見技術の問題のように思えますが、実はそうじゃない。
なぜ何回もかかるのかは、事前に頭の中でやるべきことをスリムに簡素化できていないからで、それができていれば一発で決められます。だから結局、ここまでは手先の問題じゃなくて頭の問題なんですよね。イマジネーション(想像力)が大事というのは、そういうことなんです。だから手術の前に何度も何度も繰り返しイメージするんです。」
須磨氏もだが、ゴッドハンドといわれる名医に東大医学部出身者はいない。理由のひとつに、そもそも理Ⅲには医者になりたい志の人間が少ないといわれる。東大医学部OBで、作家の石井大地氏は語る。「自分を含め、ほとんどの理Ⅲ生は、勉強ができるゆえの腕試し的な意味合いで理Ⅲを受験していて、どうしても医者になりたかったわけではありません。
勉強をやり続けていたらここに辿り着いた、という感じでしょうか。僕は高校時代から本を書きたくて、企画書をつくっていたので、理Ⅲに受かったときも心の盛り上がりはなく、『やっと出版社に企画書を持ち込めるな』と思った程度でした」。「どうしても理Ⅲでなくてはならない」というなんらかの動機を胸に、理Ⅲを受験する者は極めて少数派のようだ。
ある東大医学部卒の研修医は、「本当に医者を志望して理Ⅲを受験した人間はせいぜい2割程度。あとは一番難しいテストが受けたかっただけの連中。口では『人のために働きたい』といいますが、実際は自分の能力証明しか考えていない」という。彼らにとって理Ⅲの入試そのものが目的で、その先にある医師という仕事は「その後の成り行き」に過ぎない。
一家庭から3人の医師志望、いな、4人目の女の子も医師志望とは、凄いというより異常だろう。勉強の成績がイイから医学部受けなさいと塾に勧められると同じものかと…。本人の意思など関係ない塾や親のステータスであろう。成績がいいから最高偏差値の医学部受験と、本人がなりたいものと別だが、勉強ばかりしてるとなりたいものが医者って、先ずは結論ありきでは?
それが東大が名医を輩出しにくい他方の理由のようだ。そもそも理Ⅲに合格する才能と、医者の才能は何の関係もない。心臓外科の名医、東京ハートセンター・センター長の南淵明宏氏(奈良県立医科大卒)は、東大医学部について、「受験勉強ができるというのは単にクイズができるだけで、医者の資質とは別物です。東大医学部出身で尊敬できる方を、私は一人も知りません。」
「理Ⅲの人たちは心から尊敬するし、友達もいるけど、自分が患者としてあいつらに命を預けたいか、と問われたら絶対にノーですね」(東大理学部4年)
医者になりたいというモチベーションがなく、ミスを恐れて踏み出せない。それが大秀才集団・東大医学部のもう一つの顔だ。そもそも東大に行くのは、煎じ詰めれば保身のためなんです。東大に行かないとできないこと、というのは実はほとんどない。ただ就職などには有利ですから、食いっぱぐれるリスクは減ります。(南淵明宏氏)
受験勉強というのは、努力を積み上げて将来のリスクを減らす作業であり、そのリスクを取りたがらない人間の究極先が東大理Ⅲといわれる。リスクを取らないということは、必然的に修羅場の経験が足りないことを意味し、修羅場の経験の足りない人が、メスを持つなら、「自分が患者としてあいつらに命を預けたいか、と問われたら絶対にノーですね」となるのも分かる。
「東大医学部生は優秀だけど無能」というのが医療現場の定説。知識があってもそれを生かすノウハウがない。東大医学部卒の精神科医・和田秀樹氏は言う。「東大病院では皆が教授を目指すので研修医を指導する体制が整っていない。僕がいた神経内科は、指導医の方が常に横にいて丁寧に指導してくれましたが、よその科では指導医がまるで病棟に来ないんですよ。
何をしているかというと、研究室にこもって自分の論文を書いている。なんせ教授になるためには、医者としての実務訓練なんかより、論文を書いたほうが近道なんです。そんな環境でまともな医者が育つわけがない。名医なんてもってのほかですよ。東大病院に来る患者さんは可哀想だと思いましたね。」内輪からこんな声も出る。ある東大病院職員はこのように明かす。
「教授にもなって、まともに手術ができない、という人も何人も知っています。順天堂大の天野篤先生が行った天皇陛下の心臓手術なんて象徴的ですよ。天皇家の手術は、代々東大病院が受け持ってきて、ある意味で東大病院の権威の源泉だった。それを他大の医師に譲ったわけですから、よっぽど執刀医に足る医師がいないのでしょう。」
1月10日に放送された『情熱大陸』では、沈黙の臓器といわれる肝胆膵(肝臓・胆道・膵臓)のがんに挑み続ける外科医、上坂克彦氏が紹介された。名古屋大出身の彼も現代のゴッドハンドといわれるが、上坂氏はその言葉を嫌う。「神の手なんてあり得ません。人間ですから限界あります…」と謙虚であるが、人がダメなものを救っても、彼がダメなものはダメ。
「見つかったときにはもう手遅れ…」と言われた沈黙の臓器がんの常識が、一人の日本人医師によって覆された。上坂医師が代表研究者を務めた、「すい臓がん切除の手術後に抗がん剤治療を行う」大規模な臨床試験では、患者の術後2年生存率70%、5年生存率45%という驚異的な数字をたたき出し、世界中から注目を浴びたのである。