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Channel: 死ぬまで生きよう!
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竹田圭吾消える

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最後の最後、それこそ立てなくなるまでテレビ、ラジオに出演し続けた竹田圭吾が10日、すい臓がんで亡くなった。彼が自身のがんをテレビで公表したのは、2015年9月27日放送のフジテレビ系情報番組「Mr.サンデー」で、この日は肝内胆管がんで亡くなった川島なお美さん、乳がんで療養中の北斗晶さんの特集を組み、最新のがん検診の取り組みなどを紹介するもの。

特集の最後の方で竹田は、「僕もがんになって…」と切り出す。彼は2013年11月、病気療養を理由にすべての出演番組を一時降板。翌14年2月には早期復帰を果たすが、変わり果てた外見にネットなどでは心配の声が相次いだ。そんな矢先のがん告白である。抗がん剤治療の副作用で頭髪が抜け落ち、かつらを着用して出演していることも明かした。

直後のツイッターで、「がんが見つかったら生き方の中で何を優先しようかな、と検診段階から思い浮かべていくのが大事ではないかと、自分の体験から思います」と気丈につづるも、「どれだけ治療が順調で、家族に寄り添われて、友人や仕事仲間から励まされても、孤独からは絶対に逃れられない」とも述べた。あまりの激ヤセぶりに憶測も呼んだ。

療養明けとはいえ、病気が完治していないのは体型を見れば一目、それが何の病気かは分かっていなかった。「僕もがんになって…」の後に、「がんの発見が遅くても、それで自分の人生が終わりという訳ではないし、がんの治療法は毎年のように新しいものが出て来る。そして、がんになったとしても少し種類の違う人生が続くだけ」。竹田はこう説明した。

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そして自分の頭を両手で触り、「僕も今、頭、これカツラでも仕事続けていられますし。(がんに)襲われて闘うものでは必ずしもなくて、自分の中の一部に棲みついたものを宥めすかしながら、なんとかなんとか抑えながら生活の質を維持していくのががんなんだということを、検診を受けている段階から何となくイメージしておくといいと思う」と語った。

彼が告白する前、竹田をあそこまで激やせさせた病は一体なんのか?ネットでは憶測が流れ、色々な病名が上がったが、どうやら「骨肉腫」ではないかということになった。竹田も関係者も病名を公表していないのに、なぜ骨肉腫になったかについて、本人も周辺からそう思われているのは当然知っていたはずだが、竹田は骨肉腫を否定しなかった。

否定しないからそうであろうとの単純な理由が、彼を骨肉腫にしてしまったようだ。情報がないなら憶測に頼るしかないが、竹田はなぜ病名を言わなかったのか?すい臓がんといえば、スティーブ・ジョブズがそうだった。2008年6月9日、第二世代iPhone(3G)発表時、ジョブズは本人とは見分けがつかないくらいの激ヤセ姿で登場して、世界を「あっ」と驚かせた。

当然にしてジョブズの健康問題がマスメディアで取りざたされたが、同年9月10日の第四世代iPod nano発表時に自身の健康面に触れ、「自分の死亡説を流すのはやりすぎだ」と、健康不安についての臆測を一掃した。実際がんは肝臓に転移し、容態は深刻であった。同年12月16日、アップルがMacworldでの基調講演を行わないと発表、不安は再燃する。

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2009年1月6日、「体重減少はホルモン異常のため」との書簡を発表、重病説や辞任説を否定、「アップルCEOとしての義務遂行が継続できなくなったら、最初に取締役会に話す」と宣言するも、1月14日、6月末まで治療に専念するためのCEO休職を発表した。自身の重病を隠す人、公表する人、さまざまだが、竹田は黙し、ジョブズは嘘をついてまでメディアを黙らせた。

公表しない派は、自分の病気を取り上げられたくないからだろうし、公表する派は、自分のことを病気であれ何であれ、取り上げてもらいたい性向であろう。ジョブズも竹田も前者であるが、あの時、竹田が公表したのは、3日前に死去した川島なお美や、北斗晶の乳がん闘病を取り上げた番組のコメンテーターとして、がんに罹患したときの心構えを述べたかったのでは…?

そのためには自身ががんに罹患し、闘病中である事を隠すのはさすがに不自然と感じたのでは?言いたくはないが、言わないのは不誠実という気持ちになったと推察する。常に理性的で感情的な言質に捉われない竹田が、考えた上での公表というより、あの日は自然と口に出たのではないか。もしくは、それを言うべく理性的必然性があったということだ。

コメンテーターとして番組で何を喋るかわきまえる彼は、自身のがんの話題や経過を話すために呼ばれてないし、ジャーナリストとしての自負と使命感を持って番組に臨んだ竹田である。ジョブズにあっても、病気の状態や経過を話すための場など無用とばかりに、彼はアップル社のCEOとしてのみ衆目の前に登場、仕事をする。そういう意思を見せた人である。

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自身への「感傷など無用」が、二人に共通の思いである。竹田はジャーナリスト、ジョブズは企業経営者で芸能人ではないのよ。よって、視聴者やユーザーからの同情は彼らに有り難いものでない。自分も周囲から同情を得ておセンチになるを良しとしないタイプである。周囲が自分をどう捉えるかより、周囲に対しては、自身の私事や動向ならぬ利他性を重視する。

「実在感」は人によって違うが、自身の「実在感」をどのように感じて行動するかで、人の行動は決まってくる。周囲からチヤホヤされたい人もいる、自身をクールに見つめる人もいる。そのようなスタンスはブログにさえ顕著に現れる。公益性の記事を模索する人、私的な記事を綴る人、いろいろだ。たまに私事を書くが、手前味噌を躊躇う男のシャイな一面を自ら感じる。

自身の意思や思考を表明することに"てらい"はないが、日常の雑事・出来事を綴ることに積極的でないのは、読者との交流を意図した仲良しブログではないからであろう。自分という個人の主観で捉えたもの、感じたもの、それら時間と共に消えてなくなる空気のような、「思考」という精神活動を文字に残しておくのが面白い。だから続けているのだろう。

自分は20代のある時期だったか、見た夢をノートに綴っていた。夢は何と奇想天外であり、滑稽で非現実的で、折角の貴重な体験でありながら、数日経てば忘れてしまう勿体なさが、記述を始めた理由。書きながら、読みながら、「どうしてこういう夢を見たのだろうか?」夢という不思議世界に興奮し、感動もし、人間の潜在脳の素晴らしさに感心もする。

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アインシュタインは、ある夢からヒントを得て特殊相対性理論に辿りついた。その夢とは、光速のスピードで空を飛ぶ彼が、自身の顔が鏡に映るかどうかを試しているという夢である。人間が光速で飛ぶなどあり得ないが、夢が可能にしてくれる。彼はこの夢から、「光速不変の原理」という、これまでの物理学の基本であった、ニュートン力学を一新する仮説をたてた。

ニュートン力学を分かりやすくいうと、時速100kmのスピードで進む自動車から、時速100kmの球速のボールを投げた場合、その球のスピードは車速100km+球速100km=200kmのスピードボールとなる。ところが、光速(時速30万km)のロケットから、今度は時速10万kmのミサイルを発射した場合、30万km+10万km=40万kmになるというのが、ニュートンの力学法則である。

ところが、光速不変の原理は30万kmを上限とし、それ以上の速さはないとした。つまり、上のミサイルの速度は30万kmとなる。このように相対性理論が主張している事は、「光と、それを観測する観測者との相対速度が不変だ」と言う仮設である。つまり、これが事実である事を素直に認めることから出発した理論であるということ。なぜ、光に相対速度が適用されないのか?

その質問の答えも、「それが観測事実」というしかない。その事実を出発点にしたのが「相対性理論」であり、もし、光が普通の物質のような、速度の合成則が観測されれば、「相対論」は崩壊することになる。そんな事実は見つかっていないゆえ、「相対論」は生き残っている。光速で移動する自分の顔が、果たして鏡に映るのか…、アインシュタインはいい夢を見た。

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憧れのYちゃんとやった夢を見て、夢である事を残念に思ったでは物理学者の資質はない。夢で起こった事は事実ではないが、夢を見たという事実。夢の中身をノートに書いておけば、何日、何年経っても夢を的確に回想できる。書いて残しておかねばすぐに忘れて消えるし、なかったことに等しい。夢は事実でないが、夢を見たという事実は残す価値がある。

竹田は先月22日が最後の「とくダネ!」出演となった。彼の体調は車椅子も検討されたほど悪く、小倉キャスターは「僕はつらかった。竹田さんの覚悟は決まってるなと思った」と振り返る。「どうしても番組に出たい、それが僕の生きざまです」と懇願する竹田に、「みんなで一緒に闘いましょう、という雰囲気になった」と、小倉は受け入れたという。

「ネット選挙解禁後の日本の政治」という解題で竹田と対談もある投資家・ブロガー山本一郎も言葉を寄せた。山本は竹田が病気療養で一時降板の代打で、『とくダネ!』に出演する事になった。竹田は山本からの電話に、「安心して休めるわ。よろしく」と言ったという。「明るく現世から追い出してやろうよ」と、竹田の早逝を憐むことをしない山本の男気がいい。

竹田には妻と二人の娘がいたという。「美人薄命」というが、「才人薄命」が相応しい。人は自分に降りかかる運命に抗えないが、死にゆく者の無念は想像に絶する。死への準備があるとするならそれは何か?竹田は死が何であるかを知らぬままに死んでいった。我々も竹田が消えたという以外、死が何か分らない。が、竹田の優先するものは感じ取った。

竹田は、ジャーナリストである自らの最後の使命として、視聴者に「死」を伝えたかったのではないか…。彼は、やはり凄い人だ。

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