共通一次試験が消滅して年明けで27年目になる。入試改革の決め手として登場したが、批判轟々の散々な結果で終焉した。様々な議論の中でずっと考えていたことは、若者の個性が奪われ、質が均一化したことで、「共通一次世代」という流行語まで生まれた。受験生本位など微塵も無く、大学のための試験であったと、そういう事を共通一次から感じとった。
大学共通第一次学力試験は、1979年1月13・14日から1989年1月14・15日までの11年間、すべての国公立大学および産業医科大学の入学志願者を対象とし、全国の各会場で共通の試験問題により一斉に実施された基礎学力試験。一般的な呼称は「共通一次試験」、「共通一次」。実施責任者は、国立大学の共同利用機関であった大学入試センター(現在は独立行政法人)。
共通テスト構想は1960年代以降文部省やその周辺から発案されており、1970年代に入って政府および与党の推進により実現する運びとなり、国立大学協会の賛同を得て、入試問題の難問・奇問の出題をなくし、「入試地獄」を緩和するという目的で導入が決定された。初代センター長の加藤陸奥雄氏によれば、フランスのバカロレアをモデルとする意向だったとされる。
が、共通一次試験は、実施前の段階で小室直樹らから失敗を予想されていたし、時の文部大臣はテレビ番組『時事放談』にて、細川隆元らから痛烈に批判されるなどしていた。また、私立大学が既に採用していたマークシート方式が、共通一次試験に採用されたことに対しては、「鉛筆さえ握れば誰でも正解できる(可能性がある)」などと揶揄されることも多かった。
「受験地獄をあべこべに悪化させている」、「大学の序列化を不当に招いている」等の批判を受け、1985年に臨時教育審議会第一次答申により「新共通テスト」の採用が提案されたのを受け、1988年「大学入試センター試験」と改称することが決定、「共通一次試験」に代わる、「共通テスト」(いわゆる「センター試験」)が1990年1月13・14日から行われる事になる。
最後の共通一次試験が行われた89年1月21、22日。この年は出題ミス、点数カサアゲが重なり、受験生は最後の最後まで振り回された。確かに共通一次になって、難問・奇問は消えたし、合否の目安もできた。が、10年間の共通一次で大学間の格差は解消せず、受験産業を肥大化させるばかりであった。様々な問題を孕んだ共通一次はこうして11年間の幕を降ろす。
入試センターの初代所長、共通一次の「育ての親」とされた元東北大学長の加藤陸奥雄氏は、どういう感慨をもっていたのか。当時の新聞記事にはこのように述べられている。「入試改革は当時、世界的な傾向でした。日本でも大学進学率が高くなり、一期校・二期校の弊害も出ていました。共通一次は入学資格試験ではなく、あくまで選抜試験だったのです。
客観的に学力判断の材料とし、二次試験で大学の個性を発揮してもらう。共通一次だけの論議が独り歩きした感があり、あくまで二次試験とセットで考えて欲しかった。二次試験は論述テストが望ましいとの提言は当初からしていました。難問、奇問はなくなり、こなれた問題が出題されています。これは功罪の「功」といえるでしょう」。トップの自賛は当然だ。
実体としては散々な結果に終った11年。全国一律テストと自己採点方式は、受験産業による大学と受験生双方のランクづけを容易にし、本格的な「偏差値時代」に突入したのだった。さらに、一、二期校の廃止は大学の「序列化」に拍車をかけた。おまけに五教科七科目の試験は、受験生に過重な負担となり、科目の少ない私大への流れは必然的となった。
「国公立離れ」に拍車がかかる。「足切り」などの残酷な言葉も平気で使われ、複数受験化された1987年には猛威を奮った。この結果、延べで約400万人の若者が共通一次によって一斉に運命が決められてしまったろう。それだけではない、共通一次は学生の質まで変えたといわれる。「共通一次世代」、「マークシート人間」という言葉が彼らの代名詞となる。
「共通一次世代」の特質は、大学の序列化と偏差値による"機械的"な志望校振り分けが、彼らを無気力人間にしたこと。「マークシート人間」とは、コンピュータ処理に便利な選択肢方式が、自らの問題発見能力を失わせた。当時の中曽根首相には「共通一次は諸悪の根源」とまで言われた。なぜこのようになったのか?「共通一次試験」の発想は悪くはない。
難問・奇問化した大学入試を是正し、受験で歪んだ高校教育を正常化する狙いはかなりの成果をあげた。しかし、入試の多様化の点では問題があった。試案では高校で学んだ基礎学力評価は共通一次に委ね、各大学は二次試験で、学風・学科に応じた、独自かつ様々な尺度からの試験を用意するはずであった。ところが、大学は共通一次をいいことにそれに安住した。
二次試験の工夫は行わず、問題に気づいた時に偏差値時代は定着し、「共通一次世代」も「マークシート人間」も育っていた。加藤陸奥雄氏は沸きあがる批判に、「唯一無二に入試制度なんかあるはずがない。その都度知恵を絞り、その都度合理的だと思う方法でやるしかない」の言葉を述べるのがやっとで、かくも壮大な実験から以下の貴重な教訓を得た。
①大学入試のやり方一つで、その世代の若者の中身まで変えてしまう。
②共通一次のような学力試験だけでは、人の能力は測れない。
③入試は大学側にも"改善"という絶え間ぬ努力が要求される。
この三つの教訓の裏には、受験生たちの計り知れぬ犠牲があった。「共通一次」だけでは、「知」のほんの一部分しか分らないのは当然で、記述や論文形式の二次が重要であったことを大学側が知らぬはずがない。ようするに大学側は横着をしたのである。悪者にされた加藤はこのように自己弁護した。「私の専門は生物学だから、チョウに例えて話そう。
今は青虫の時代です。青虫はさなぎに変わり、うまく改革(脱皮)できればチョウになる。見た目には大きく変わるが命は同じです。入試制度もこれと同じ」言いたいことは分かる。偏差値による「輪切り」においても、大学の序列化においても、「お前はここがダメだからこっちに、この学部は偏差値が高いからこっちに…」。それが教育か?という部分はある。
「共通一次」だけを悪者にして、本来的な教育のなんたるかを論じない。大事なのは自分がどこに行きたい、何を学びたいかであるのに、入学することだけが目的になった大学は、どんどんと幼稚園化して行った。ぶくぶくと太ったのは、塾や予備校という受験産業だけである。あげくの果てには、偏差値の高低が、そのまま青春の尾を引きずる若者が量産された。
もともと「共通一次」導入の狙いは、「受験における過当な競争を避ける」であったが、格差の物差しが「偏差値」であった事が大学格差を生んだ。「偏差値」の呪縛は年々重みを増し、国公立大の複数受験制度が可能となったことで、「偏差値」の目盛りを一層複雑にした。また、「偏差値」は人間の優劣を決めると誤解され、「仮面浪人」という言葉を生んだ。
「仮面浪人」についてありがちな例を言う。医師である父は大阪市内で病院を経営する。息子は昨春、前半のA日程で京大医学部を目指した。しかし、共通一次の成績は予備校の偏差値基準で京大に届かず、しぶしぶ阪大医学部を受験したが結果は不合格。後半のB日程では東大理Ⅰを受けた。ここには合格し、息子は東京に部屋を借りてしばらく通った。
ところが、理Ⅰに籍を置いたまま医学部再挑戦を決めた。「失敗しても理Ⅰに戻ればいい…」東大と言う最高学府に身を置く余裕とでもいうのか、偏差値が方向づける青春の流水に身を任せる安堵感ともいえるのか、表情には屈託もなければ不安もない。このように、理科系⇒医、地方大⇒帝大系と、片足をキャンパスに残したまま、高偏差値大へと上昇を図る。
こういう若者を「仮面浪人」と呼んだ。ひどいのになると、とりあえず入学した大学の入学式にも出席せず、一度も講義に出ず、さっさと休学届けを出して予備校の入学手続きを取る。家庭の金銭的な余裕と、親の上昇志向の噛み合いから成せるワザともいえるが、それくらいにこの世代において、偏差値の呪縛が自身の人間的価値を決めるという考えになる。
予備校がつける偏差値ランクの上位の学部ほど入学者の満足度が高い。自分が学問したい学部であるなど何の関係もない。周囲や皆が羨む対象ゆえに自分も満足なのだ。こういった人間になってしまうことの怖ろしさ…。逆に、共通一次の得点で志望を下げた受験生の不満、悲愴感たるや、どこまでも尾を引くという。それほど「偏差値」が人間を歪めてしまった。
共通一次の功罪をよそに、共通一次のおかげで入試の手間が省けるとばかりに各大学は、共通一次を文部省(当時)や国立大学協会の一部にまかせて、大学独自の入試問題づくりの努力をおろそかにしたことも問題だ。それでいながら、「大学の序列が細分化される」、「○×思考法の若者の知性が歪んでいる」、「ミニ東大化で大学が画一化」などと腐った。
元京大学長の岡本道雄氏はこう述べた。「諸悪の根源みたいに言われる共通一次だが、始まる前は難問・奇問が横行し、高校ばかりでなく、経済界、政界にまで危機感が広がっていた。共通一次で難問・奇問が追放できたことで、高校教育も基本重視に立ち返ったではありませんか…」と、岡本氏は共通一次への批判ばかりでなく、大学の努力不足を責める。
物事というのはどこに視点を置くかで、まるで見え方が変わるもので、それらは様々な事例が示している。後年、「ゆとり教育」が槍玉に上がったときも、「ゆとり教育」批判に、批判的でいた。「ゆとり教育」の対義語は何?「詰め込み教育」である。「ゆとり教育」批判者は、「詰め込み教育」賛同者という事になる。まさに、「バカいっちゃ、イカンよ!」であった。
「詰め込み教育」の最大のデメリットは受験戦争であろう。試験の点数を画一的に付けやすくした結果、過度の受験競争が始まった。受験競争の激化は生徒のストレスを増大させ、いじめや不登校などの問題を招いた。「ゆとり教育」とは、知識の暗記に費やしていた時間を一部削り、生徒の自主的行動に支えられた、"考える力"を伸ばそうとする教育。
「詰め込み教育」全てが害悪とは思わない。あまり物事が分らない幼少時期など、九九を覚えるような機械的な記憶による知識も必要。思考力がない時期は、より少ない知識や考えで対処するより、とりあえず詰め込むのがいい。これは大人になってもある程度、脳があまり活発でない人(バカといえば御幣があるので、頭のよくない人)には効果がある。
知能の高い人間に機械的詰め込みをやると、便利に頭が慣れて思考力が低下する。人は歩くより自転車、自転車よりクルマを好む横着な動物。詰め込み教育と今の受験制度はリンクしている。大量に覚えなければならないなら、いちいち何に何を関連して覚えていては埒があかない。したがって、「ゆとり教育」は現在の受験制度には受け入れられなかった。