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「混血児」 改め 「ハーフ」考 ⑤

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「奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち~」という番組を見た。サッカー、バレーボール、バスケットボール、テニスなどの名だたる有名なコーチが来日して日本の中学生に指導するというもので、孫がバスケットをやっていることもあって、何気に観た。来日したコーチは、元NBA選手のマグジー・ボーグス(50)で、なんと彼の身長は160cmしかない。

史上もっとも小柄な選手でありながら、14年間もNBAでチームの司令塔として活躍した伝説の選手である。彼の特別レッスンを受けるのは、東京の下町にある公立中学校の男子バスケットボール部員たち。もともとの経験者は少なく、プレーに自信が持てずにいた彼らは、マグジーと熱く楽しい1週間を過ごすというもの。番組中にコーチが悩みを打ち明ける。

いつも同じ注意ばかりでつい声を荒げてしまうコーチは、マグジーにこのように尋ねた。「子どもたちが指導したメニユーを忘れたり、昨日注意した事さえも忘れてしまうことが多くて…。(マグジーさんは)そんな時、フラストレーションが溜まらないかと思って。」これにマグジーはこう答えた。「子どもたちに間違いがあれば、キチンと伝えるのは大事です。

しかし、そこにフラストレーションなどありません。彼らに理解して欲しいのですから、判ってもらえるまで辛抱強く伝えます。自分の不満は子どもに伝わり、彼らもそれを感じます。チームに求める性格をコーチ自身が備えなければいけません。子どもたちは学校を映し出し、あなた自身を映し出しているんですよ」。マグジーの言葉にコーチは頷いていた。

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マグジーの言葉はこう置き換えられる。「子どもたちは家庭を映し出し、親を映し出している」。「子は親を映す鏡」という諺があるが、マグジーはそれと同じことを言ったまで。コーチがイライラすれば選手に伝わる。それでどうしていいプレーができる?アメリカには選手がベンチにいる監督の顔色を伺ったりはないし、星野仙一のような選手をこき下ろす監督はいない。

とにかくベンチで怒りまくったり、吠えまくったり、選手に鉄拳をする星野はサイテー無能監督だと思っている。あのやり方は日本的でいい、という声にも反対だった。つまり、怒って指導する教育者は怒るしかできない無能指導者であると定めていた。バスケットは30%は技術、あとの70%はメンタル」とマグジーがいうように、試合中にミスを怒鳴る日本のコーチは多い。

孫の試合をよく観にいくが、試合中にやってしまったミスをその時に必ず叱咤するコーチが多い。終ったことを指示して何になるというのか?それは指示というより怒りである。マグジーも試合中に頻繁に声を出すが、終ったプレーにアレコレは言わない。励まし、誉め、モチベーションをあげていく。どうしてこういう事をしないのかと、疑問ばかりである。

人を指導する気持ちがあれば、たとえ相手が忘れてもフラストレーションを溜めるなどは、指導者と言わない。指導者は何のためにいるのか?判らせるためにいる訳だ。阪急~近鉄で長年監督を勤めた名将西本幸雄もこんな風に言った。「選手に身につくまで何度も同じことを言った。面倒クサイと思ったらダメ。『面倒くさいから言われる前にやっておこう』とさせるため」。

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人を指導するときに、怒ったり、感情的になる人間は指導者に向かない。そもそも、人が人に何かを教えること自体が傲慢であり、ゆえに指導は謙虚でなければならない。だから怒る人間に指導の資格は無い。自分もそう肝に銘じていた。ついてくる人間には判るまで根気よく諭すが、文句ばかりで批判的な人間は、ハナから学ぼうとする意欲を感じない。

それでも「何度いったら判るんだ!」と怒鳴るのは、己が無能である証拠。何度も言って判らせるのが指導者である。判らせるのが目的なら親も同様、判るまでいうのは当然であり、自分に怒ってそれが何かプラスになるのか?が、どうしても分らない、分からせられない相手もいる。そういう場合はテクを使う必要もある。投げ出すように見せたり、スカしたり…

感情的になるのではなく、感情的になった素振りをする。だが、これも正攻法とはいえない。あくまで冷静でなければ…。指導者は熱く語るが心は冷静である。オーケストラの指揮者は百人近い団員を束ねる支配者と言うが、クライバーやバーンスタインは怒鳴らない。リハーサルなどみていて、団員が根をあげるくらい根気よく、ただの一音とておろそかにしない。


「棒振りが感情的になってはダメ」と小沢征爾はいう。判らせる、諭す、指示するも広義の教育だが、昨今のような高度な学歴社会の風潮は、(良い)学校に入ることが幸福の方程式との信奉が未だ消えない。「学校に頼らず生きていけ」など、信じる者などいない。教育されること=善という価値観から抜け出すことは、しがみついている人にとっては考えられない。

が、そのような規制の価値観を持たない(というか、抜け出した)者は、実は命のような輝かしくも、人と人との信頼に裏打ちされた愛おしいものである。人がひととして充足して生きるというのは、どういうことかというのを鋭い感性で感じとり、あるいは落ち着きのある理性で思考する子に自己表明を感じる。親の指示で動く子にはなぜか魅力を感じない。

それまでの子どもたちが起こす種々の問題行動は、それ自体が彼らの未熟な自己表現である。教育ママと称すような、すっかり形骸化してしまった大人の世界は、子どもたちが生きるモデルにはなり得ない。あまりに延びた人の人生を人々が真に充足して生きることは何か?を学童期の子どもたちが考えることは難しいかも知れないが、親がリードすることは可能だ。

形骸化した大人の価値観がいつまで続くのかは分らないが、松下やシャープやソニーなどの日本を代表する企業がやり場をなくしたとき、こじんまりした中小の企業で潤いのある人生を送るのも、いっそう新たな価値観となって行く気もする。当時17歳の高校生であったマーガレット・オリボーさんは、現在43歳である。彼女は自身の将来をこのように描いていた。

イメージ 4「高校を出たら美術学校へ行って、将来はインテリアや舞台デザインなどの仕事ができたらと思う。外国に出るかも知れない。でも、住む国にはあまり拘りがありません。国境のない、『地球国家』という言葉にあこがれているんです」。気がつけば隣は外国人といえるほど、多くの外国人が日本で居住する昨今だ。何気にマーガレット・オリボーで検索して出てきたサイト。


彼女は現在照明家として、パリ在住で神戸市出身の舞踏家、振付家で身体訓練法有科メソード創始者で、ダンスカンパニー射干(NUBA)主宰者有科珠々(ありしなじゅじゅ)さんの舞台仕事を手伝っていたりと、まさに高校3年生のときの夢を実現させている。彼女の望む「地球国家」には遠いイスラムとキリスト圏の争い。

マーガレットさんは最後にこう願った。「ハーフは世の中の役に立つと思いませんか?なぜって、戦争の防止になるから…。国際結婚が増えていろんな国の人が混ざってハーフの人口が増えたら、戦争なんて起こせない。お父さんの国とお母さんの国が戦争するなんてハーフはいやですもん。ぜったい戦争反対です。」(1989年2月11日、マーガレット・オリボー)


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