万引きは犯罪、痴漢は犯罪と知らしめる必要があるほどに、犯罪の意識が低い。そもそも犯罪とは何?狭い意味では 刑罰が科せられる行為をいい、広い意味では社会的に有害な行為をいう。したがって、警察沙汰にならず、注意だけでも有害行為としての犯罪だが、だから犯罪意識がないのだろう。軽微な犯罪として軽犯罪とする立小便や覗き、刃物所持など、なんと34の罪が規定されている。
「痴漢は犯罪です!」と書かれた駅の掲示板のポスター最初に見たとき、万引き同様に、「はぁ?」と思ったが、ポスター作って貼り出さなければ分らない人がいるのではなく、やはり犯罪認識が低いのだろう。外国に痴漢行為はないというが、なぜに日本に痴漢行為が多いのか?日本ではそのためにわざわざ女性専用車両というものがあるくらいで、これには外国人もビックリである。
山手線に出没した痴女は、迷惑どころか警視庁より感謝状をもらったらしい (うそ)
外国に痴漢がない理由を自分なりに考えると、日本女性に比べて"されるまま"という侮辱に耐えられないからだろう。社会学者がどう分析するにしろ、自分は、「No!」といえない日本人文化がもたらせた蔓延行為とみている。「痴漢」というのは、ドサクサに紛れた、陰湿な人権無視な行為で、コッソリが成立するから、「痴漢」と言うが、声が上がると衆目の面前で強制猥褻の現行犯である。
日本人が明らかに人目を気にし、周囲を見て暮らす人種であるのは異論を持たない。痴漢体験者が、「声を出そうにも出ない」というが、「なぜ出せないのか?」の本質を追求すると、やはり人目を気にするからだろう。自身の危機に及んでも人目を気にするか?と考えるに、屈辱感に対する自尊感情の希薄さも、外国人女性と大きく異なる。他人の目より、自分をしかと見つめることだ。
そもそも痴漢とは?鉄道研究者として有名な原武史氏は、痴漢の成立を1950年代とした上で、その重要な条件として、「和装から洋装への変化」と、「スカートの中への幻想の変化」を挙げている(『鉄道ひとつばなし』(講談社)。「スカートの中への幻想」って何だ?これについては、風俗史研究家でもある井上章一氏が自著、『パンツが見える』(朝日選書)で詳細な議論を展開している。
パンチラを見たいという欲望自体が、社会的・歴史的に作られたものと井上氏は言う。元来、日本の和装(着物)は、下着を着けないのが当然であった。清少納言も北条政子もお市の方もみなノーパンであった。しかるに和装とあっては、ふとしたはずみで奥の院が見えることもあり、それはそれで仕方のない事であった。草鞋が雨や泥でぬかるんでも、それしかない履物なら、仕方ないと同じ。
ブルマからはみ出すのをハミパンと言ったが、そうならないよう、ちょうちんブルマであった
陰部が見えても仕方ないという大らかさに比べ、今は布(パンツ)が見えたとギャーギャーいう時代で、それでありながら女性の下半身は年々緩くなって行くご時世でもある。女性がスカートめくりに立腹するのは、主体的な意思でパンツを脱ぐのは率先しても、意思とは裏腹にめくられるのは許せない。意思では脱ぐが、布の見えたを問題視する女性の感性を、道理として男は理解できない。
さらにいうなら、和装からズロースへと移行した時代にあって、下着が見えることに対しては女性も羞恥心を感じていなかったのに、洋装とパンティの普及が、隠されるべきものとしてのパンティを立ち上げ、「パンチラという性欲」を意識的に作りだしたというのが、風俗史家の研究である。そして、それに触れることへの、「過剰な欲望」が誕生し、痴漢と結び付いたということになたという。ホンマかい?
「白木屋伝説」というのを、どれくらいの人間が知らないほどに時代は変節したのだろうか?「白木や伝説」を分かりやすくいうなら、「白木屋ズロース伝説」と言い換えた方がいいだろう。女性が下着としてパンツ(ズロース)を穿くようになったのは、1932年12月16日に東京・日本橋白木屋百貨店で発生した大火災がきっかけという都市伝説が、長年の間、信憑性をもって伝えられてきた。
パンツを穿いていないがゆえに、裾の乱れに気を取られたのが原因で、女性が大量に墜落死してしまったというもの。この悲劇を防災的教訓とし、女性の間で下着としてパンツを穿く習慣が広く普及して行った――という「白木屋ズロース伝説」である。これに真向から異を唱えたのが前出の風俗史研究家井上章一著『パンツが見える。羞恥心の現代史』(朝日選書 2002年)である。
ズロース、ああ…この名、この響き、なんとも言いがたきエロチシズム…??
和装文化は男も女も日本古来の装束だが、女性はノーパンだが男はノーパンではなく、フンドシを着用していた。その理由はあれは現代女性のブラジャーと考えたらよい。フンドシなくしてどうして走ったりできようぞ?ブラもその役目を果たすが、和装時代は胸を締め付けるので、ブラは不要である。自分は若き頃、なぜ胸のない女性がブラをつけるのかがわからず、問うたことがあった。
その時に、乳首を隠すためというのを知った。なるほど、揺れるから着けるではない別の用途に初めて触れた。そんなことを知る必要はなかったのだが、そういう発想がないゆえに素朴な疑問であり、『なぜ?どうして?』という科学書には書かれてない。それはともかく、井上氏の著書には、当時現役の消防士としてこの白木屋火災の消火活動に従事した、東京消防庁の鉾田昇部長に以下の回顧録がある。
「私の見た限りでは、彼女達は…手の平の皮をむいて思わず手を放し、電車道に叩きつけられたり、反物が裂けて落下した為に死亡したものだった」。当時の新聞記事に、"パンツ"云々の記事は一切ない。それでは、なぜにパンツと関連されるようになったかは、ある人物の発言が元である。その人物とは、白木屋百貨店の山田忍三専務で、彼は朝日新聞の求めに応じ、談話を発表した。
その中に、「女店員たちは五階、四階と降りて来て、二、三階のところまでくると、下には見物人が沢山雲集して上を見上げて騒いでいる、若い女の事とて裾の乱れているのが気になって、片手でロープにすがりながら片手で裾をおさえたりするために、手がゆるんで墜落をしてしまったというような悲惨事があります」。とあり、さらには「裾の乱れを強調した山田専務は、こう言い添えた。
全国の婦女子へ、「太田雅子考案のズロースを白木屋にてお買い求め下さい!」
ズロース普及に伴い、何とも味わい深い小説のタイトルもあった。
「こうした事のないよう今後女店員には全部強制的にズロースを用いさせるつもりですが、お客様の方でも万一の場合の用意に外出なさる時はこの位の事は心得て頂きたいものです」。山田専務は続けて言葉を添えた。「沢山の野次馬が『飛降りろ、飛降りろ』と騒ぐので、ついそれに誘われて飛び降りて死んだ者もあった様ですが、野次馬もこんな無責任な馬鹿な事をいわない様にしてもらいたい。」
井上氏は、白木屋以外の責任問題を強調したがっていたことは疑いないとした。白木屋火災の十二日後、以下の見出しの新聞記事が載った。「婦人よ、如何な場合もズロースを忘れるな」、と、これは考えようによっては可笑しいが、しかるに真面目な呼びかけなのであろう。今でいうなら、「女性の一人歩きは危険です」みたいなものであろう。さて、痴漢には様々な種類があるという。
道を歩いていた3人連れ女性の一人が、前から来た男にいきなり胸を触られ、男は賭けて逃げた。その後女性はショックで口数も少なかったそうだが、なんとも生真面目な女性であろう。同じような経験で、「もう何よ、変態男!」と笑って済ませる女性もいるから、「たかが胸…」という女性、「されど胸…」の女性である。通りすがりにチンを撫でて去り行く女性はいないだろうが、怒る男はいるのか?
「されどチン…」なる男、いないこともなかろう。思い出すのは高校野球部のキャッチャーだったKである。修学旅行の時に、どこだかの名所旧跡に女子がたむろしてるその中に入り、出てきたときに我々に向かって、「○○のちちがここに当たった~」と満面の笑みであった。思春期到来の時期が遅かった自分に、Kのそのうれしそうな顔の意味が分からなかった。思春期はなぜくるのか?
モモクロちちが当たりまくって満面の笑みの直太郎
保健の教科書で習った記憶があるが、精巣と答えるところに「キンタマ」と書いて「×」をもらい、文句を言いにいったら、「ワシはキンタマとは教えとらんからマチガイ」と言われ、「でも、これってキンタマっていうじゃないですか?」といえば、「それは学問的正しい用語ではない。保健は学問だろろ?」であった。自分は精巣を知っていてワザとキンタマにしたが、教諭は知らないと思っていたようだ。
思春期とは学問的に第二次性徴期といい、視床下部からの性腺刺激ホルモン放出ホルモンの増加が生じ、それによって下垂体より性腺刺激ホルモンが分泌される。これによって男性では精巣が発育し、女性では卵巣が発育がなされる。精巣からはテストステロンやアンドロゲン、卵巣からはエストロゲンが分泌し、第二次性徴が発現するが、時期、順序、見た目、発達具合などに個人差がある。
ズロースに行を割いたが、痴漢は刑法上「強制わいせつ罪」にあたる。ですが、法律運用の実務では、下着の中に手を入れたケースを強制わいせつとして立件し、下着の上から触る場合や盗撮は、各都道府県の「迷惑防止条例」違反として取り扱われる。女子高生の前で、「ベロ~ん」とナニを出すのも痴漢と同列にいうが、「強制わいせつ罪」の痴漢でなく、「公然わいせつ罪」という変態である。
和装時代、下着が見えることに羞恥心を感じていなかった女性が、洋装とパンティの普及から隠されるべきものとしてのパンティ、それが「パンチラという性欲」を作りだした。そして、それに触れることへの「過剰な欲望」が誕生し、痴漢と結び付いたという文面は一応に理路整然としているが、日本が痴漢天国であるのは、泣き寝入りする日本人女相手だから成立する要素が大きい。
OL…「きのう朝、電車で痴漢にあってさ、思わず声あげたのよ。キモチよくて…」
女性の胸や秘所に触れたいという男の共通した欲望に対し、同意を得ぬ場で、コッソリと、姑息に、ドサクサに紛れて触るというのは、いかにも日本的な、陰湿な行為ではないだろうか?もし、最初から白人女性のような、少しでも妙な触れ方をしたら、手をねじり上げられるようであれば、痴漢は社会問題化しなかったであろう。人前で堂々するハグは痴漢でないが、いきなり抱きつくのは痴漢となる。
また、白人女性はそのようなチキン野郎は好まないし、許さない。触っただけで、パンチを繰り出されることもあろうが、無抵抗で、モジモジと、うつむき加減で、助けを求めることもしないなら、痴漢だって調子に乗るよ、そりゃ。被害にあっていること自体が恥ずかしいという感性は、事なかれ主義の極みであろう。「女性になってみなきゃ、わからないのよ。声出したくても出ないんだから…」
この言葉を日本人は、日本人男にいうが、同じことを外人女性に言ってみるといい。おそらく、正気扱いされないはず。善いこと、悪いことの分別のついていない子どもと見られるのがオチ。「女になって見なきゃわからない」の言い方は、男女同権時代にあって、それでなお女を打ち出した甘えである。フランスや英国で痴漢が皆無とはいわない。が、女性が大騒ぎし、周囲も助太刀してとっちめる。
日本の女性が騒ぐのは、本当の痴漢でなく、自分が気にいった相手なら痴漢と認識せず、嫌な言葉を吐かれたとか、気に入らない相手に対する痴漢のデッチあげの場合のようだ。携帯使用を注意されたことで、痴漢にでっち上げられるなど本末転倒であろうし、この国はそうした、どこか歪な感じがする。