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「万引きは犯罪です!」

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巷でよく見かけるポスターで、疑問に感じるのは「万引きは犯罪です!」と、「痴漢は犯罪です!」の二つ。なぜそんなことをワザワザ書かくのか?「殺人は犯罪です!」のポスターはない、ということは、痴漢も万引きも犯罪との認識が低いから?「万引き」に関して持論をいうなら、対処が甘い。犯罪としながらも常習犯や高額商品でなければ、被害側が許すこともある。

捕まえて、商品も返ってきて、相手も反省して謝っているとなら、実害もないし、「まあ、いっかー」となる。万引きは常習になりやすく、一度で懲りて二度としない人は、「ほんの出来心」であった。「出来心」という言葉を正確に書いておくと、「計画的でなく、その場で急に起こったよく ない考え」という意味。「出来婚」は、その場で急に「結婚しよ」と言ったのではない。

悪事を働いた側が見つかって、「すみません。ほんの出来心で…」というケースはドラマなどでしばしば見るが、本当に出来心なのか?本当にその場で急に善悪の判断がつかなくなって、瞬時に行うものなのか?「今日は万引きでもしに行くか」となって、出かけるのでは?自分は子どもの頃に、小山の神棚においてある1円、5円を盗むのにアレコレ考えた。

瞬時に何の考えももなしにそういう事ができるのか?多くは言い訳であろう。「出来心」などという言葉が何の用意もなく、そう簡単に発せられるとは思えない。痴漢はどうか?痴漢と一口にいうが、痴漢の定義は難しい。もちろん痴漢は刑法上の「強制わいせつ罪」にあたるが、法律運用の実務では、下着の中に手を入れたケースを「強制わいせつ」として立件する。

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下着の上から触る、撫でる、いじくるその他、盗撮も含めて、各都道府県の「迷惑防止条例」違反として取り扱われる。なぜそうなのか?例えばこういうケース。ウォーキングを始めて秋深きの時節、たわわに実った柿が食べて下さいと言わんばかりに実っている。誰にも見向きもされずに多くは地面に落ち、地の肥やしになるのだろう。案外、木の持ち主は長年における柿など食いたくもないのだろう。

自分は、その柿をいただいた。所有者の庭の中ではないが、当家の柿の木のようであり、いただいたを有り体にいうと取ったである。実っているのに誰も取らないからいただいたと自分が勝手にそう判断しただけだ。見つかれば「どろぼう!」といわれるかも知れない。人さまの所有物を取るのは万引き同様、犯罪であろうが、唯一万引きと異なるのは、人目を気にしない行為という点だ。

人目を気にしないのは、犯罪意識がないから。食べたいよりも、子ども時代の郷愁である。が、気持ちはどうあれ、見つかって叱られれば謝るしかない。万引きは一種の病気だろうが、野山の柿ドロボーに常習性はなく、わざに取りに行くより買って食べる方が断然手っ取り早い。万引き常習者は買うより取った方がいいのだろう。ネットにこういう書き込みがあった。「嫁がデパートで万引きした。

嫁を引き取りに言って店員に頭を下げて謝り、もう店に来させない+商品の買取でその場は許して貰えたが、 家に戻って叱った事で嫁が実家に帰ってしまった。 嫁の言い分は「仕事で帰りが遅いのでストレスがたまってた」との事。 あげく、「済んだ事を叱らないで!」と怒鳴られた。俺が、「盗んだ額の問題とかじゃなくてお前のした事はれ列記とした犯罪だから、そのこと忘れちゃだめだぞ…」

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と最後にそう言ったら、「もういい!」とそのまま家を出ていった。 嫁の実家側は完全に嫁の味方で、嫁の友達も、「ストレスでやったこと。男ならそれくらい許せる器みせろ」 と言うが、「犯罪を軽々しく笑顔で許せるかよ」って言い返す。とにかく嫁側の家族も、嫁の友達も嫁を庇う庇う…離婚していいですかね…。」と、男の言い分だが、一言いうと、こんな愚痴をわざわざ書くところが情けない。

あげく最後に、「離婚していいですかね…」って、人に問うことか?男の愚痴は情けないよ。離婚するのか?これくらいのことで。実家の親が嫁の味方?それについては、「この親にしてこの子あり」。「済んだことを言うな!」怒鳴って言い返すのは感情の起伏が激しい。済んだことを注意しないで、済んでもないことを注意できるのか?こういう時に、返報感情を露にする人間は反省などしない。

実家がいいならそこに居ろといえばいい。自立した娘だからわざに随伴しなくとも、 「お前が悪い!さっさと帰って詫びろ」と追い返すべき事案。夫の不祥事で実家に戻るならまだしも、それなら夫が頭を下げて連れに行くべき。自分の万引きを注意されたことで実家に帰ったという事情を知るなら、早々に追い立てて戻すべきであるが、「もう戻りたくない、実家がいい」と娘がいうなら離婚すべき。

こんな妻と一緒にいても夫に幸せはない。とにかく、夫は悪くない以上、下手に出ることなく放って置くべき。妻が戻ってくるようなら、人間が一歩成長したと考えるべきだが、反省も成長もない女は自分ならいらない。こういう場合はなによりも謝罪が大事で、それが人間的成長である。悪事が露呈して「反省した」といいながら繰り返す人間は、「反省した」素振りを見せるだけで、本当はしていない。

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妻はおそらく常習癖があり、だから注意されて怒ったりする。初犯で、出来心なら深く反省するし、声を荒げることなどない。自分に対して情けなく、深く後悔しているからである。おそらくだが、今回もたまたま見つかったのだろう。初犯者のとる態度ではない。こんな態度の無反省女は、今後も爆竹を抱えるなら、将来的にも不安である。両親も過去、娘の万引きについて周知の態度に見える。

チュープリ教師の件ではないが、結婚前には見抜けなかったろうし、人間はすべてを見通すわけには行かないから、互いに欠点を持つ二人が支えあい、協力し合い、注意しあうのが同居生活だ。その注意を嫌がってあのような態度、これは余程甘やかされて育った女であるのが想像できる。娘(子ども)を叱れない親はダメだ。人さまのところに出した娘なら、なおさら叱り付けるべきだろう。

それが出来ないのは、幼少期から叱っていないからである。幼少期に叱っているからこそ、他人様に嫁がせた娘をいっそう厳しく叱れるもの。昨今は、そういう親が少ないのかも知れない。娘の部屋がブタ小屋であるのを放置した母親が、嫁ぎ先で同じようにブタ小屋状態で、叱れるはずがない。娘の家に行っても散らかり状態がまさに我が娘という感じである。「この子にしてこの親」を実感する。

娘のところに行って、「なんですか、この部屋は!」と叱り付けるような親なら、そんな風にはなっていなかったろう。幼少期の躾のしていなさが、すべて今に現れている。これで夫に嫌な思いをさせ、それが積もって離婚と言うのもあり得る。女の子はね~、その辺を厳しく躾けてなければダメなんだよ。夫の候補は年収4000万と豪語していた芸能人が、「やってられん」と夫が家を出、そのまま離婚。

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これも親の責任が大きい。とにかき、「躾」というのは、自身のためでありながら、実は他人を不快にさせないためになされるもの。そこが分かっていないから甘やかす。その甘やかせが、ひいては娘の不幸になるんだよ。子ども時代と言うのは、実に短い。子どもはすぐに大きくなって、自我も芽生えれば親のいうことなどきかなくなる。それはそれでいいが、せめて親に従う子ども時代が躾のチャンス。

その時期を逃したら取り返しがつかない。子ども時代は短い。親はそのときに心して立ち向かうことだ。躾の失敗は、時期をやり損ねたと自分は思っている。親が躾をしなくとも、自己教育力や向上心のある子はちゃんとやろうとするし、それはそれで天晴れである。ダメな親でも、親を批判すれば子は育つ。だから、「どんな親でも親は親」とは、儒家のたわ言である。批判に価する親もいる。

イメージ 6しつこいが再々度いう。「子ども時代は短い。今、躾けなければ手遅れになる。」それをしなかった親、されなかった子は、しかと自分を見つめることだ。傲慢な親を持った自分は、母のロボット化に抗っただけで、「母の愛」というような教育など何も受けなかった。が、思春期時期に、周囲と比べて足りないものを感じとった。そのとき冷静に、「自分は躾らしきものをされてない」事に気づいた。

まずは自己否定から始める修整には苦労がともなう。固まってしまった基本的な価値観の自己変革は、この年になってもいまだに続いている。ダメなところ、至らぬところを人はみな分かっているだろうし、その部分を別の自分に変える苦労は、想像しただけでも大変であろう。「自己変革は王国を変えるくらいに大変」といわれる所以である。


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