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Channel: 死ぬまで生きよう!
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「死ぬまで歩こう!」

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元禄2年(1689)3月27日、46歳の松尾芭蕉は、弟子の河合曾良を伴として江戸の深川の採荼庵(さいとあん)を出発し、全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸に帰った。紀行文「おくのほそ道」では、このうち武蔵から、下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前を通過して旧暦9月6日美濃大垣を出発するまでが書かれている。

その記述を踏まえ、同行した曾良がつけていた旅日記をもとに芭蕉たちの歩いた全行程を図にしたのが、「奥の細道全行程図」。曾良の随行日記は、没後数百年を経て曾良本とともに発見されたもの。芭蕉はこの旅から帰った5年後、1694年に死去したため、「おくのほそ道」は芭蕉死後の1702年に京都の井筒屋から出版刊行され広まった。「奥の細道」ではなく、「おくのほそ道」と書くのが正式とされる。

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芭蕉が生涯に詠んだ句は約900句。紀行文は死後に刊行された。“侘び・さび・細み”の精神、“匂ひ・うつり・響き”といった嗅覚・視覚・聴覚を駆使した文章表現、そして「不易流行」、「軽み」。芭蕉は多くの俳人を虜にし、いつしか『俳聖』と呼ばれるようになった。元禄7年9月29日夜から下痢を発病し、病床に就く。10月5日に、之道亭が手狭だったため南久太郎町御堂前の花屋仁右衛門宅離れ座敷に移った。

そして、死の4日前の10月8日深更、呑舟に墨を摺らせて「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を作句した。旅先で死の床に伏しながら、私はなおも夢の中で見知らぬ枯野を駆け回っている。との意味、思いが伝わって来る。 前詞に「病中吟」とあり、芭蕉の辞世ではなく、あくまでも生前最後の句に過ぎない。 芭蕉が敬慕してやまぬ偉大な先人、西行、李白、杜甫らと同様に、彼も旅の途中で果てたのだった。

「文学的対象は言葉を透かして実現されるに違いないが、決して言葉の中に与えられているのではない。かえって、対象の本来の性質は、沈黙であり、言葉の対立物である」。これは、哲学者サルトルの言葉だが、作品の意味は言葉の合計ではなく、言葉のつくる有機的な全体としてみられる。作者の沈黙の部分は、言葉に先立つものであり、言葉の欠如であり、言葉が特殊化する前の未分化の領域である。

したがって、「表現されたもの」をとおして、「表現されなかったもの」、「表現できぬもの」を発見し、創造するのが、読者の享受作業といえる。読者の創造的参加なくして作品の完成はない。「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と芭蕉はいった。現代用語に訳せば、「心でものの本質のようなもの(光)が見えた瞬間、すぐさまそれを句の上に表現しなさい。」であろう。

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竹のことは竹に習い、松のことは松に習う。ごく当たり前のことだが、私意のなす作意を離れた主客にこそ、射し込む光があるのだ。対象が現象か、本質かは直接開示はされないが、人間には直接に物の本質を理解する能力は与えられていない。現象は、本質を開示するため、しきりに自らを現しつづけるが、我々はそういった現象としての対象を、ありのままに見ることができるのだろうか?

アニメの主題曲、『ありのままで』というのが流行った。原題は、『Let it Go』で、日本語訳は原文の意味を残しつつ、直訳では歌えない部位を意訳する。あくまで訳者のセンスによるところが多い。主人公エルサの悩み、苦しみの原因とも言える、特殊な「力」を隠していたが、無理に押し込むことをせず、「Let it Go!」(もういい!)、(気にしない!)と開き直ることで、以前にも増して輝いていく。

それが日本語の「ありのままで」と訳された。何事も自然にあるがままに、ありのままに勝るものはないと。「Let it Go」は、ビートルズの「Let it be」に似ている。意味はどちらも「放っておく」だが、上の二つの違いは"何を放っておくのか"ということになる。会話中、「Let it go」は、かなり深刻な悩みなどにしか使わないし、思いのままに振舞うのであれば、「Let it be」でも良さそうだ。

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この決定的な違いは、ビートルズの「Let it be」の歌詞にあるフレーズ、"神様はきっと見ていてくださる…救われることを信じて、今はじたばたせずに結果を待とう」という訳もある。よって、「Let it be」を、"なすがままに…"、でなく、"主の思召すままに"と訳して何ら差し支えない。whisperは、ささやく、耳打ちする、ささやき声で、小さな声でのお祈りであるなら、まさに、「Let it be」=「アーメン」である。

   Let it be Let it be Let it be  Let it be
   Whisper words of wisdom, "Let it be."

  主の思召すままに 主の思召すままに
  主の思召すままに 主の思召すままに
  英知の言葉「主の思召すままに」とつぶやきなさい

こういう文化的背景からの訳を読むと、西洋音楽の深遠さも分かってくる。俳句や茶の湯にみる、「わび、さび」の世界も、外国人には騒音にしか聞こえない、虫の音や川のせせらぎも、日本人にとっては、"もののあはれ"の世界観である。したがって、エルサが思いのままにふるまう状況を「Let it Go!」としたのは、「神様や誰の意思でもなく、自分の意志で気にしないと決めた」ということになる。

思うに「Let it be」はビートルズが解散まじかのころに作られた。これまでビートルズは、アルバムのたびに新しい音楽手法を生み出し進化して行ったが、この頃は行き詰り、メンバー同士の音楽的な意見の食い違いが大きくなって喧嘩にもなった。さらには、アップルレコードの経営状態も悪くなり、マネージャーの死去によって、発表してきた曲の著作権の問題(利益分配)も、噛み合わなくなった。

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ポールはLet it beの言葉どおり、最後のアルバム「アビーロード」(リリース順では、「アビーロード」が先だが、製作日時は「レットイットビー」が先)完成後、ビートルズを離れてソロアルバムを出す。これでビートルズ解散が決定づけられた。「Let it be」の歌詞、「And in my hour of darkness」、「And whenthe broken-hearted people」などが、当時の状況を物語っている。

ビートルズ解散は、1970年4月10日、ポールがイギリスの大衆紙『デイリー・ミラー』でビートルズからの脱退を発表した日ということになる。最近になって解散に至る裏話がイロイロ出てきたが、ジョン・レノンがビートルズへの興味を失い、他のメンバーも独自の関心事や新たな恋人や配偶者の出現もからみ、結束が弱まる。加えてビートルズをとりまく様々な権利関係や、印税の取り分など問題を複雑にした。

オノ・ヨーコも様々な事実を明らかにした。「バンドを去りたいと言ったのはジョンが初めてではなかったの。ある晩、リンゴがモーリン(最初の妻)と一緒に私と ジョンの元へやってきて、バンドを辞めたいと言ってきたのよ。続いてジョージ、そ してジョンという順番でバンド解散の意思を示したわけなんだけど、ポールだけは違った。彼はビートルズを守ろうとした唯一の人だった」と、当時のメンバーの状況だ。

「でもね、他のメンバーはポールが自分のバンドとしてビートルズを堅持していくんだと思ったのね。当時ビートルズはポールのバンドのようになってきていて、他のメンバーがそれを良く思っていなかったのも事実よ」。また、オノはビートルズ解散が、自分とジョンとの関係性にも重圧を与えることになったと話している。「ジョンはビートルズを失い、全てのものが私に取って代わると思っていたようね。」

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若い頃は、バンドが解散する理由は分からなかったが、あのような個性的な人間が一つに束ねていられることの方が不思議である。ローリング・ストーンズのビル・ワイマンは嫌気がさして辞めたが、50年以上も続いてるバントは奇蹟といえよう。まさにギネス物だが、ストーンズは更新中のギネス世界記録は、「最も成功したコンサートツアーの記録」であり、4億3700万ドル(約500億円)となっている。

ローリンリング・ストーンズは言わずとしれたイギリスのロック・バンド。ローリング・ストーンズの意味は、母国イギリスでは、「(仕事などを)落ち着きなくコロコロ変えているようでは、何も身に付かないよ」と蔑み言葉だが、アメリカでは、"A rolling stone gathers no moss."(転がる石にはコケがつかない)との諺もあり、コケもつかなくいつまでも新鮮で変化に富む、というプラスイメージに使われることが多い。

が、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、ある人間の「転落の人生」を歌っている。ディランはアメリカ人なのに、ネガティブな意味での「ローリング・ストーン」。ディランが自分自身の驕りを戒めのために作ったという解釈もあり、それならば…と思うが憶測の域を出ない。ギター一本に首からぶら下げたハーモニカに飽きてしまったフォークの神様が、躍進のきっかけとなった大曲である。

  How does it feel
 How does it feel
 To be on your own
 With no direction home
 Like a complete unknown
 Like a rolling stone?


  さあ、どんな気分だい
 たった一人で
 帰る家も無く
 誰からも見向きもされない
 石のように転がっていくのは
 どんな気分なんだい?

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さて、本題である。11月のウォーキングは、後半、雨日にたたられたが、それでも前月より42500歩、距離にして31500m増えた。トータル距離613.768kmとなり、名古屋、静岡を越えて熱海近辺まで伸ばした。大阪⇒熱海329kmは直線距離で、車による実際の走行距離は422kmとなる。それにしても芭蕉の2400kmを日数約150日はおそれいる。一日平均16kmという数字は、常時出してはいるが…

  1日 13315歩  9054m 83/分
  2日 11468歩 11878m 91
  3日 28154歩 19144m 89
  4日 46762歩 31798m 93
  5日 17689歩 12028m 91
  6日 19799歩 13463m 89
  9日 13106歩   8912m 91 
 10日 29762歩 20238m 92
 11日 49379歩 33577m 89
 12日 35220歩 23949m 89
 15日 16647歩 11319m 83
 16日 18688歩 12707m 90
 18日  5725歩  3893m 90
 19日 32558歩 22139m 89
 20日 15511歩 10547m 95
 21日 23728歩 16135m 88
 24日 30669歩 20854m 89
 27日 38031歩 25861m 91
 30日 22264歩 15139m 93

 Total  468475歩  322635m

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