「○○越え」でぱっと頭に浮かぶは、「鵯(ひよどり)越え」、「天城越え」、「(家康)の伊賀越え」くらい。これ以外にもあろうが、とりあえず上記の解説。「鵯越え」は、「鵯越えの逆落とし」ともいい、源氏と平家が戦った一の谷の合戦で源義経の活躍話。急降下するヒヨドリくらいしか通れない難所の屏風を立てたような急坂で、ひよどりの名がついた断崖絶壁を義経が馬で駆け下り、奇襲に成功した。
奇襲とはいえ、よくもそのようなところを馬で駆け下りる決断をしたものだが、これは義経のある考え(発想)によって生まれた。この難所のことを道案内に尋ねたとき、案内はこう言った。「そこはもう急勾配の絶壁で、たまに鹿は通りやすが、人や馬の通れるところではありません」。それを聞いた義経、「まてよ、鹿は四足、馬も四足…、鹿が通れて馬が通れぬわけはない」。
馬と鹿の「ちがい」より、「同じ」部分を発見した義経は、柔らかい頭の持ち主であった。「天城越え」とは、石川さゆりにも歌われている静岡県伊豆市と賀茂郡河津町の境にある天城峠を越える旅路のことをいう。 伊豆半島の内陸と半島南部の間には天城山の峰々があり、これを越えるのは下田街道の最大の難所であったが、1904年(明治37年)に天城トンネルが開通した。
次に、「伊賀越え」とは、天正10年6月2日の本能寺の変に際し、徳川家康が明智光秀の軍や混乱に乗じた落ち武者狩りなどとの遭遇を回避するために、堺見物後の滞在先であった河内国四條畷からわずかの供回りを連れ、山城国宇治田原、近江国甲賀の小川城に辿り着いた。さらには伊賀国の険しい山道と海路で領国の三河国大浜(愛知県碧南市)へ戻り、岡崎城へ帰還した。
家康生涯の最大の危機といわれるのがこの「伊賀越え」であった。大久保彦左衛門尉忠教による『三河物語』では、家康の岡崎着は6月4日とあり、6月2日の本能寺の変から初めて歩く山道を堺から岡崎に戻っている。200kmを超える道のりを一揆と何度も戦いながら、命からがら逃げて帰ったにしてはあまりの早さだが、江戸幕府の公式記録『徳川実紀』にはこう書かれている。
「七日に岡崎へかへらせ給ひ。主從はじめて安堵の思をなす」。本能寺の変に乗じた明智軍による落ち武者狩りの遭遇を回避するために正規のルートを避け、伊賀越えの難所を辿った。京都の豪商茶屋四郎次郎の早馬によって急を知らされた家康は、茶屋四郎次郎の物心ともに支援を受け無地脱出したといわれる。この恩により、徳川家康の御用商人として取り立てられる。
大浜に到着した家康を迎えた松平家忠は、一行が雑兵二百人ほどを討ち取ったという話を日記に記している。当時、家康に随行していた供廻は、酒井忠次、石川数正、本多忠勝、井伊直政、榊原康政、本多正盛、服部(半蔵)正成、高木広正、大久保忠隣ら徳川四天王を交えた重鎮34名からしてさもありなん。信長急死の報に一度は取り乱した家康は、本多忠勝に自刃を諌められたという。
物騒な時代はいにしえのこと。昨日のウォーキングは「宮島越え」である。JR宮島口駅の一つ先の前空駅までの往復路だが、途中復路は6月にopenした「ゆめタウン廿日市店」に寄り、そこから廿日市大橋のある海浜ルートを利用した。日本三景で知られる安芸の宮島だが、正式には厳島(いつくしま)という。宮島というのは町の名前、厳島は島の名前。地元民はこぞって宮島という。
宮島の地名の由来は、「厳島神社(宮)のある島」から来ている。題名は忘れたが、松本清張の小説の中に、「こちらから対岸を見ると、瀬戸内海はまるで広い川のように見えた」という文章がある。50年前に読んだ小説だが、いい文なので頭から離れない。確かに宮島を対岸から見ると、近く、大きく、島というより海が広い川のようだ。清張はここに立ったのではないか?
中国の黄河の河口幅は17~18km、揚子江はなんと40kmもある。さらにアマゾン川は、の雨季の河口最大幅はな、な、なんと400kmというからぶったまげる。本州の廿日市町から宮島は、近距離で約500m、もっとも長いところで約2.5kmくらい。フェリーだとわずか10分ばかりで着く。厳島神社は海を敷地とした大胆で独創的な配置構成で、平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美をただよわせる。
世界文化遺産にも指定された日本屈指の名社ともあれば、全国からの観光客も多く、バックパッカーの外国人観光客にとっても人気のある日本の名所・旧跡のひとつである。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるようだ。登録された遺産のうち、嚴島神社の本社本殿・弊殿・拝殿等17棟、大鳥居・五重塔・多宝塔3基からなる建造物群は、6棟が国宝である。
他の11棟・3基が重要文化財に指定されている。中でも海の中に建つ大鳥居は宮島のシンボルである。実はこの大鳥居の根元は海底深く埋められてはいず、自重だけで建っている。なのに台風や地震にも、動いたり、倒れたり、びくともしないのは何故であろうか?その秘密の1つは鳥居上部の島木は箱形の造りで、中にこぶし大の玉石約7トンを詰めて"おもし"代わりにしているからだ。
また主柱・袖柱あわせて安定感のある6本足とし、柱と屋根の交差する部分には特殊な造りのクサビがほどこされ、柱と屋根の動きやひずみなどを自然に吸収している。海底部分は、松材の杭を打って地盤を強化したうえで、その上に布石を並べて基礎の代わりとしている。など、建て方に決して特別なことをしてるわけでもないが、数百年前にこれだけの仕掛けを行っている人智に驚く。
厳島神社は平清盛の大きな功績であろう。2012年1月8日から12月23日まで放送されたNHK大河ドラマ『平清盛』は、清盛の生涯を中心に、壇ノ浦の戦いまでの平家一門の栄枯盛衰を語り部・源頼朝の視点を通して描いていたが、さすがに同年は廿日市市全体の観光客数は100万人以上増加した。廿日市(はつかいち)と読むが、東京にいた頃、「広島にアマビーチってあるだろ?」と聞かれた。
「アマビーチって海水浴場か?聞いた事ない」というと、「宮島があるところ…」といわれて一瞬、「?」であったが理解した。なんと彼は、「廿日市」を、「甘日市(あまびいち)」と誤読していた。で、"アマビーチ"の語呂が面白くて大笑いしたが、本人は翳っていた。おそらくバカにされたと思ったか、傷ついたかのどちらかだ。彼は以後自分を避けた。バカにして笑ったのではないのに…
後で考えたが、何の悪気もなく、その語呂が可笑しかったが、こういう場合笑うのはよくなかった。が、笑わずにはいられなかったろう。望むべくは相手が、「あっ、そっかー。廿日市ね!甘日市と勘違いしてたよ、ハッハッハ!」であって欲しかった。自分なら思い違いに、自身さえ笑ったであろうが、繊細な人もいるというのか、人のいろいろを見た思いだった。
それくらいブスっとしていた彼が不思議だった。何で人はこうもいろいろなのか?バカになどしていないのに、「バカにしてるな、俺を…」、「バカにしないでよね、なによ!」などはよく言われたが、人を軽視もしないし、バカになどしない。なのに、「バカにされた」と思うのはなぜ?と真剣に考えたりした。「傷つきやすい人」、「デリケートな性格」しか答えは見つからない。
そこで回答を求め、「バカにしてないのに、バカにされたという奴」のキーワードで検索をかけたが、「人に嫌な事・ばかにされた事を言われた時の対処法」の類は結構あったが、自分の求めるものはない。上記の質問者はこう問う。「もともと、短気のせいか何か言われると頭にはくるのですが、なにもうまく言い返す言葉がみつからず、それなら怒ればいいのですがそんな勇気もなく…。
特に会社ではしったぱのせいか何かわからない事があった時に、教えてもらえなくなると思ってしまうと、頭にくるようなことを言われても、何も言葉が思いつかず黙ってしまうことが多いです。そのせいか、会社ではなめられっぱなしです。こんな時、その人との仲が終わらず、うまく言い返す方法はないでしょうか?」。なるほど、自分にバカにされたと思った男も女も、こんな心境だったのだろう。
こういう回答があった。「その気持ち、死ぬほどわかります。 僕も、今は辞めましたが、この前まで働いていた会社であるデブ上司にひどい事を言われまくってました。僕も、いい返したいことは沢山ありましたが、あなたと同じで、仕事を教えてもらえなったり、そうゆう立場上どうしようもない、状況だったので、黙ってました。ただ言い返したところで、自分にとってプラスになることはなにもありません。
悔しいとは思いますが、黙ってるのが無難だと思います。まあ、あいつらはこの世のゴミ(有毒)です。そんなもんの言うことまに受けることもないですよ。でも、自分で辛くて辛くて限界と感じるようなことがあれば、その会社は辞めたほうがいいと思います。僕は、正直上司の性格が悪くて、2ヶ月くらいでもう嫌になっていましたが、ここで辞めれば、社会人として失格だと思い、無理してその会社で働いていました。
でも、1年くらい耐えたのですが、結局は辞めてしまいました。もし、直やめていたら精神的にこんな状況になることもおなかったと思います。だから、重症になる前に辞めるというのも一つの手だと思います。それで人生終わったというわけでもないですしね。辞めたらスッキリしますよ。時には逃げることも大切だともいます。ホントに、人のこと憎い憎いと思うのって疲れますよね。今は耐えるのみです。」
一読後、「ふ~ん」という感想。アドバイスというより、互いが傷を舐めあってるとしか思えない。バカにされたと思う人には、自信のなさというのか、自分には分らない被害妄想があるようだ。人はそんなに人をバカにするものだろうか?バカにして優越感をかんじたいものだろうか?大事なことを率直にいってるだけを、「チクショー、バカにされた」と思うだけでは?そんな気がする。物事をプラスに考えればいい。本当に人をバカにするような人間ってのは、バカで小物だろうから、そこが分かれば「バカにされた」とは思わないのでは?自分は幼少年期から母に無碍にあしらわれ、バカにもされたが、遂には彼女がバカであるのが分かり、バカがうつらないよう留意した。相手が親でも、上司でも、教師でも、自分が上から見る何かをもてればいい。
ということでやっと本題に…。別に本題などなくとも、勝手に思うことを書けばいいのだが、懸賞論文ならともかく…。さて、昨日のウォーキングは「宮島越え」。国道2号だが、当地では宮島街道というなで親しまれている。東京湾も埋め立てて地面は広くなったが、その分、湾が狭まった。当地もおなじように瀬戸内海は狭くなって行くばかり。以下はそのデータ。