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幸せは身内で噛みしめる

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「灘高⇒理Ⅲ」三兄弟が話題の母親の語録から抜粋。「家事の習得はいつでもできますが、勉強は頭の柔らかいうちのほうがより多く吸収できます。だから勉強する時間のほうを優先させてきました」。「灘中の算数はスピードが要求されます。三男は筆圧が強く、書くスピードが遅かった。消しゴムで消した文字跡がケアレスミスを誘発してもいた。筆圧を矯正して、成績を上げました」。

「子育ても仕事と一緒で、結果が大事。中途半端な感情をはさんではダメなんです。私の使命は、無事に試験会場に送り届けること。安倍総理のSPと一緒です。総理の車が自宅前に到着したあと、SPは玄関までの数メートルをひとりで歩かせますか?そこで事故にあったら?それと同じです」。その他にもたくさんあり、興味ある方は母親の著書を読むか、ネットで検索すればでてくる。

勉強部屋はつくらずリビングに4人分の勉強机を並べて勉強させた。高2の長女(17)も現在、東大理Ⅲを目指して勉強中。四人とも上記の理由で、家の手伝いも学校の準備も一切させなかった。などなど特異な価値観を披露するためか、『灘→東大理III」の3兄弟を育てた母の秀才の育て方』(2004年12月)& 『受験は母親が9割 灘→東大理Ⅲに3兄弟が合格! 』(2015年7月)の著書がある。

amazonのブックレビューに批判は多いが、本人はなんとも感じてないだろう。自分もこういう子育てに批判的なのは、ルソーの『エミール』にある、"子どもは自然からの贈り物"の考えに傾倒しているからだ。母親は、「子育ても仕事と一緒で、結果が大事」。といっているが、これを「子育て」というかは疑問。彼女は、灘⇒東大入学を子育てといい、その結果が大事と言っているだけ。

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昨今の風潮として、高学歴=子育て成功、に合致している。人為的に仕込まれた子どもは、どこかに歪みはあると感じる。この母親に対する多くの批判は分かるけれども、批判の真髄というのは、「自分ならああはしない」であろう。ブックレビューや幾多の批判に対して、この母親が耳を貸したり、同意したり、納得することはおそらくない。なぜって、母親は子育てに成功したと思っている。

だから、他人が何を言っても無駄くらいは分かりそうなものだが、他人の家庭をああまで醜く批判し、あるいは非難するのはある種の思いあがりだし、余計なお世話である。自分はあんな親にはならんぞ!」と、それが批判では?マネをしなければいいだけでほっとけばいいのだが、つい言いたくもなろう。最近、批判は何のためにすべきかが分かってきた。

母親の怯まない態度は当然だ。彼女は己が信ずることをやり、その結果を実らせた。このまま何事もなく行くのか、どこかに誤謬が見つかるか、後者の場合において、「マズかった」と母親が感じるかどうか?同様の例で、バイオリニストの五嶋みどりの母親がいる。彼女は失敗など言わない。母親が灘に入れて東大理Ⅲを目指して頑張らせた目的は、おそらく母親の思う幸せの価値観だ。

そういう価値観に至った理由は不明。ただ、医師は社会的地位の高く、高額所得者である以外に、人を救える職種を望んだというなら、ああまで躍起になるまい。あそこまでせずとも進学校も医大もたくさんあり、灘⇒東大理Ⅲが素晴らしい医師になれるという保証はない。思うにこの母は、目先の一番を目指したかった、という動機と考えるのが自然というもの。

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東洋経済のコラムではこのように述べている。「子育てに正解がないということは、不正解もないということである。子供は親の思いどおりには育たないが、それなりのものには育つ。親がよほど余計なことをしなければ。私はそう思う」。この文面から、この母親がマチガイとは言い切れないと読め、実際にそうであろう。仮に間違ったとしても佐藤家の母子の問題であり、他人には関係ない。

また、子育ての理想も述べている。「たとえばA地点からB地点まで歩くとき、最短ルートを行きたいと思う人もいれば、きれいな景色を見ながら行きたいと思う人もいる。安全な道を行きたいと思う人もいるだろう。本当は時間を手に入れようと思っていたのに、道を間違えたからこそ感動を手に入れられたということもある。子育ても同じ。今の子供たちは予測困難な時代を生き抜かなければならない。

むしろどんな回り道も糧にできる力こそ、これからの世の中を生きて行くには必要ではないだろうか。その意味では、『最短距離』を歩ませることは決して子育ての「王道」ではない。また、子供にそういう力をつけさせたければ、まず親がそういう気持ちで生きて行かなければならない」。これはコラムの主が、"ビジネスの原理が教育を汚染しているのではないか"と指摘し、憂慮している点である。

「東洋経済」だけあって、ビジネスの原理が教育を汚染するとはどういうことか?筆者はこのように関連づけている。「ビジネスとは、お互いにとって価値あるものを即時的に等価交換する仕組みである。前述のように、本来教育によってもたらされる価値は予言できず、教育にビジネスの原理はあてはめられない。にもかかわらず、無理やり教育にビジネスの原理を当てはめるとどうなるか。

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教育に、予言できる成果を求めるようになる。筆者は、「教育の成果は予言できない」とし、以下説明する。「そもそも教育によって得られる成果は人によって違う。ある人は勉強して身に着けた知識と技能を利用して、画期的な発明を成し遂げ、大金持ちになるかもしれない。ある人は勉強して身に着けた教養とコミュニケーション能力で、たくさんの仲間をつくり社会を変革するかもしれない。

またある人は数学の世界にのめりこみ、寝食忘れて数式の美しさに没頭するかもしれない。さらにその成果は、教育を受けたその瞬間に表れる場合もあるし、数十年後に表れることもある。それこそ、人の数だけ勉強の意味がある。つまり、その子供が勉強して何を得るかを、予言することはできない。勉強の価値はやってみなければわからない。教育とは本来、「こうすればこうなる!」と効果をうたえない類のもの。」

なるほど…。「急がば回れ」で、回り道の中にこそ人生のエキスが散在するという点においては自分と同じ考えだ。おしなべて、親は我が子を特急列車に乗せたがる。終点まで切符を買って乗った以上、途中下車は許されないが、強引に途中下車する子こそが、その子にとって大きな意味を持つと以前に書いた。親の敷いたレールから踏み外すことで、真の自己を手に入れた人は多い。

親の意図する幸福という特急列車に乗せられても、下車する勇気を持てと奨励した。現代の進学校には、ハッキリと教育の成果が見込まれている幻想がある。それが偏差値という教育の数値化であり、それによって子供の人間性まで数値化されている。この子の偏差値40、あの人は60、だったら60の人が上。社会に生きて思うのは、それが如何にバカげているかだが、妄信する親は多い。

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であるがゆえに、「灘⇒東大理Ⅲ」三兄弟の母親を「すごい」と思う保護者の羨望である。コラムの筆者が、「子どもの進学を親の手柄にするオカシな風潮」というように、周囲の羨望の眼差しをも批判している。単に一家庭の自己満足に過ぎないハズで、本当に子どものために労力を惜しまないなら、なぜ子どもの自慢話が必要?黙っていればいいのでは?それを感じるのが松山英樹の父。

灘に入ったのは東大に入るための能力を得るためで、東大出の医師は、他のどの大学出の医師よりも優秀という幻想もある。が、目指して悪いわけではない。医師の本当の能力とは自らが研鑽を積んで得るもので、受験の勝利とはわけが違う。能力は大切だが、その能力を何に使うかも問題だ。揃いも揃って三人が、妹も理Ⅲを目指すという、全員が医師になりたい不思議な家族ではあるが…

これまでも、これからも粛々と行われるであろう、一流大学から一流企業という図式で、仮にそこで要人となったとして、その目的が自身や親のプライドや欲望を満足させたり、高収入を得てよい生活を目論んだり、その程度の動機を責めるつもりはないが、真に社会に役に立つ人は、たとえ十分な教育は受けていなくとも、お金持ちでなくとも、様々な形で社会的に貢献する立派な人はいる。

親の期待に応えるために、自身を殺して何かを得ることがよいとは思わないが、そう暗示させられた子も少なくない。本当に素晴らしい親とは、子どもが自発的になりたい何かを、陰でサポートする親である。「親の干渉や期待がなかったのが良かったと思います」。と言った将棋の羽生善治名人。テストや受験勉強のスケジュール管理から何から何まで、あれは自己満足の要素を感じる。

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親の自己満足は、子を煽動する危険さがある。「子育ては私が100%やってきました。主人は塾や駅への送り迎えをしていたので、0%と言ってしまうのは申し訳ないのですが、普段あまりかかわっていない主人が成績や勉強方法に口を出すと、子どもは反発するだけです。夫婦間で子育ての責任を押し付け合うことにもなりかねないので、『私が100%』としておくほうがやりやすかったです。

支えあう家族にあって、こういう独善的な言葉は本心でも吐くべきでない。どれほど頑張ったにしろ、夫の収入が拠り所であったのだし、なのに自己評価ば過ぎる。お金を稼ぐ父親が30%、母親の頑張りが30%、息子たちの力が40%というのが妥当であろう。手柄を独り占めにして悦に入ってるところから逆算しても、この母親はただの受験亡者で人の魅力を感じない。

「凄い」と共感する親ばかりではないのよ。他人の家庭の幸福に口出しは無用だが、母親が黙っておけばいい自らと子どもを含めた自慢話を、世間に伝えたくてならなかった。なんにも立派なことではないし、むしろマネなどすべきでないという批判はあったほうがいい。なぜなら、子どもはそれぞれ違うし、なのにのぼせた親の被害者になり兼ねない。

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