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攻撃されなければ温厚で柔和な人が、攻撃されると脳が刺激を受けてスイッチが入る。これは戦いというより、刺激を味わう一種の享楽だ。ポルノ映画を見て興奮するのと同じ反射現象である。決して議論などしたくはないが、スイッチを入れられると逃げていられない。いろいろと論じ合い、結果も出たことなら、新鮮味も薄れてかスイッチが入らないこともある。
受け流すこともある。それを年功という。「人はこうあるべき」という縛りはうっとうしい。が、それに従っていればそれなりにいいこともあった。親に従えば機嫌がよく、物を買ってもらえるとか、上司に従っていれば左遷されることもない。姑息に上位者にしがみつくのではなく、本当は、「こうあるべき」とは違う考えもある事を知り、実践することで、人間が大きく成熟する。
「こうあるべき」、「これが絶対に正しい」ことは「ない」と思うようになって来た。様々な価値観に触れ、思考した末に辿り着いたものだ。が、それなら善悪良否の基準がないではないか?規範とするものがないのでは?となるように思われるが決してそうはならない。「こうあるべき」、「これが絶対に正しい」ではなく、「これはよくない」、「これは絶対に間違っている」を探せばいい。
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規範意識を反面教師から捉えるのも、「逆もまた真なり」である。たとえば、人を妬む、悪口をいう、欲を出す、言い訳をする、敬愛心を持たない…、そんな"よくない"ことはたくさんある。子どもを親の犠牲にするとか、強い言葉や暴力で威圧するとか、勉強を無理強いするとか、どう考えても「歪み」になるようなことはすべきでない。だから、「これがいい」ではなく、「これはよくない」を言う。
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万人の正しいものは見つけられなくとも、万人によくないものは必ずあるはずだ。自分の頭ではどちらも難しいが、悪いなら悪いなりにも見つけていかねばならない。でなければ何かの行動を起こすことは出来ないわけだ。そういう試行錯誤が人間であろう。「大人は失敗すること」だから、言い換えれば「何かをやった」ということ。つまり、大人は「何かをやる」ということだ。
「○○になりたい」と言うのは簡単。「天文学博士になりたい」というのは簡単だった。だから、「なりたい」よりも、「やりたい」が大事。さらに、「やりたい」よりも、「やる」が大事。言い換えるなら、言葉より行動が大事。言葉や願望をいうだけでは屁のツッパリにもならないが、真に行動をするなら言葉を掲げたことの意味はある。「絵に描いた餅」で終る人間は多い。
「やる」という厳しさから逃げないで向かっていけば、糧や力に繋がっていく。致命的にならぬ限り失敗はすべきであろう。「自分はこの仕事に向いてる、向いてない」というのも、逃げの場合が多い。即断で言ってる場合が多い。世の中で成功した人を、「向いてる仕事に携わった結果」というのは違うと思う。昔、「プロジェクトX」という番組があった。それを見て思った事がある。
あの人たちの多くは、みんながみんな、望んだ仕事について成功した人たちではなかった。思いがけない理由でこの仕事についたとか、巡り会わせでその仕事に就かざるを得なかったり…。ではなぜ、そういう人たちが頑張れたといえば、ささやかな満足感があったからだ。与えられた仕事の好き嫌いよりも、きっとどこかの誰かの役に立っているという思い、喜びであろう。
秀吉が信長の草鞋取りを仰せ付かったときに、どうすれば喜んでもらえるかを考えた結果、彼が大成した理由だ。天職とは自分がやりたい仕事、上手く行った仕事の後出しじゃんけんの言い方ではなく、面白いと思ってやり続けた仕事をいう。番組では希望の仕事に就けなかった人が、偉業をなし得たケースが多かった。やはり、仕事の方向性はマインドが決めるようだ。
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若くて美貌を蓄えた一人の女性研究者らしからぬ研究者によって生み出されたSTAP細胞は、ノーベル賞級の偉業と、日本国中が大騒ぎとなったが、捏造にも値しないようなとんでもない大嘘、人騙し事件であった。あれがもし女性でなかったら袋叩きの憂き目にあったろう。「か弱きもの汝は女性なり」という配慮なのだろうか?男女同権とはいいつつ、男とは同じように扱えない社会である。
彼女は中2の時、『ちいさな王様が教えてくれた 大人になるということ』の表題読書感想文で教育長受賞したが、以下が書き出し。「私は大人になりたくない。日々感じていることがあるからだ。それは、自分がだんだん小さくなっているということ。もちろん体ではない。夢や心の世界がである。現実を知れば知るほど小さくなっていくのだ。私は、そんな現実から逃げたくて、受け入れられなくて、仕方がなかった。
夢を捨ててまで大人になる意味ってなんだろう。そんな問いが頭の中をかすめていた。でも、私は答えを見つけた。小さな王様が教えてくれた。私はこの本をずっとずっと探していたような気がする。『僕』と私は、似ているなと思った。二人とも、押しつぶされそうな現実から、逃げることも、受け入れることもできずにいた。大人になるという事は、夢を捨て、現実を見つめる事だと思っていた。でも、王様は、こう言った。
「おまえは、朝が来ると眠りに落ちて、自分がサラリーマンで一日中、仕事、仕事に追われている夢をみている。そして、夜ベッドに入るとおまえはようやく目を覚まし一晩中、自分の本当の姿に戻れるのだ。よっぽどいいじゃないか、そのほうが」と。私はこの時、夢があるから現実が見られるのだという事を教えられたような気がした。 小さな王様は、人間の本当の姿なのだと思う。
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本当はみんな王様だったのだと思う。ただ、みんな大人という仮面をかぶり、社会に適応し、現実と戦っていくうちに、忘れてしまったのだと思う。いつか、小さな王様と『僕』がした、永遠の命の空想ごっこ」(以下略)。この文から、彼女の言いたいことは伝わって来る。青少年期には誰もが抱く、「夢と現実」の葛藤である。夢を追うためには何かを犠牲にしなければならない。叶えるためではなく、追うためにである。
それで夢が叶うというわけではないが、何かを犠牲にすることは、夢を追うものに与えられた必須要件であろう。「私は大人になりたくない」という書き出しで、夢を拒否することの問題提起をした小保方氏だが、たとえその夢が叶わないものであっても、子ども時代の夢は大人になるための息吹であり、眼差しであると感じとっている。子ども時代の夢が大人になって儚く消えても、夢は貴重であるのだと。
子どもの夢と大人の現実のギャップを妥協させたかのように見えた彼女だが、実はそうではなかった。彼女は夢を虚実と言う方法で叶えようとしたのだった。そうまでして彼女は夢を捨て去ることが出来なかった。「そのようなことをすればどうなるか?」という事の大きさを考えない、非理性的性格の持ち主である。「人を殺したらどうなるか?」を考えないのと一緒。
犯罪者の心理とは後先考えない、もしくはバレないだろう、みつからないだろうである。「STAP細胞はあります」と言えたのは、無いものをあると偽っているというより、虚を実と思いこむ性癖であり、嘘をついてる認識がまるでない。これが思い込みの怖さであり、だから本人に罪の意識がまったくない。嘘を本当と偽って嘘を言う人間の方が、罪悪感がある分人間的であろう。
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小保方氏があのような虚言を弄すのは、彼女に培われた性格だろうが、虚言には二通りある。事実から虚言と、虚実からの虚言だ。事実を曲げるのも虚実になるから、事実からの虚言も虚実からの虚言であろう。あったことも事実なら、なかったことも事実である。あったことを「ない」といい、ないことを「ある」と言うのが虚言。小保方氏は脳回路が短絡(ショート)したジコチュウ。
うるさい母親に勉学のできる姉と比べられ、つじつまを合わせるように勉強するふりをして育ったのではないか?これは自分の想像だ。そのような「ふり」をすることが身についたまま、「ふり」の善悪良否も分からぬ大人になった。STAP細胞の発表記者会見で見せた彼女の「ふり」そのものが、彼女の人格的性向であろう。「ふり」のおかげで虚実と事実、虚飾と現実が混同してしまう。
STAP細胞騒動は、彼女が自身の実力を棚にあげて結果を望んだことで起こった。昨今の風潮が彼女をそうさせた。では、実力がないのに結果は得れるのか?得れることもある。が、それを「運」という。幼少時期から親に強いられた学問に対するストレスや鬱積が、あのような歪な人格形成になったと、これも自分の想像である。子どもは抑圧をさせないよう、伸び伸びと育つべき。
自然が子どもを成長させる。自然に順応・共感するアウトドア体験が子どもに及ぼす影響は大きい。昨今は、外で子どもが遊ばなくなった。家の中にテレビやゲームや、楽しいものがたくさんあるし、昔のように、地域に子どもの集団がない。おまけに塾通い。文明という人為環境が支配的になるが、子どもが自然に愛しむ姿に感動する親は、良い親ではないだろうか。
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