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東京時代の友人と電話で話していたとき、何かのことで「お前には感謝してる」と言った。すかさず自分は、「感謝してるならクルマの一台でも買ってくれよ」と冗談いうと、「軽の中古でいいか?」という。「感謝される覚えは何もないが、かわいい女でも紹介したのか?」というと、「お前のキツ~い一言がいつも自分の頭にあった。支えになった。おかげで今の自分がある」というのだった。
彼はデザイン事務所をやっているが、美大や専門学校は出ず、普通大学の法学部。そんな彼があるとき、「デザイナーになるのが夢」と自分に言ったらしい。「『アインシュタインは、物理学者になるためには靴磨き屋になれ』と言ったくらいだから、好きな道に邁進するためには畑違いである方がいいんだろうな」と、自分が言ったという。記憶にないが、それくらいは言いそうだ。
「そんなことのお礼か?」、「違う。その後お前がこう言った。『夢を追うのはいいが、お前は何を犠牲にするんだ?誰でも夢を持とうだの、信じれば夢は叶うなど、ガキの標語なら聞きたくないぞ。何かを犠牲にしないで夢が叶うなんてあり得ないと思っている』といったんだな。この言葉に目を醒めたし、頭から離れなかった」という。「ほ~。覚えてないけど言いそうな言葉だな」。
実際記憶になく、自分的には日常的な会話言葉である。「お前はキツイことを言うよな」と、よく人に言われた。相手にキツイことを言うのは意地悪でもなく、それが相手にとってキツイ言葉であるとも思わずに言う。が、「キツイ」と思うからには良い忠告になっているということだ。「良薬口に苦し」とは、忠告の言葉は聞くのが辛い、ということだから。キツイは辛いの範疇であろう。
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少女マンガや子どもの絵本に、「夢は信じれば叶う」とある。だから、信じつづけることが大事よいうが、嘘だと思ってた。子どもに夢を与える言葉だが、自分は子どもの時から、「夢」などというのは大人を喜ばせる言葉と思っていた。小学校の卒業文集に、「僕の夢は天文学博士になること」と書いたが、漠然とした子どもの夢で、叶えようとか、叶えたいという気はまるでなかった。
それを書いたときの気持ちはうっすら覚えている。岡山県の倉敷天文台の本田実という人が、本田彗星を発見したとおお騒ぎになった。天文学博士というのは子ども心に、大きな望遠鏡で、土星を観たり、火星や木星を観たりすることくらいしか頭になく、彗星を見つけることのどこが面白いのかまるで分からず、彗星発見の功績がどんなにすごいのかも感じていなかった。
本田実氏(1913年生まれ)は、1930年頃に、東京天文台の神田茂著『彗星の話』を読んで、彗星発見を決意した人。彼はアマチュア天文家で学者でも何でもないが、生涯に彗星12個、新星11個を発見した正真正銘の天文ファンである。小学生の自分は彗星を図鑑で知る程度で、本田氏のように彗星発見を決意したなどもなく、天文学博士などはお茶の水博士気分であった。
宇宙に興味を持ち、毎夜天体望遠鏡を眺めていたこともあったし、文集にそのように書いただけで周囲から、「すごい、すごい」と言われた。が、正直、夢でもなんでもなかった。自分は子ども時代から教師に公言したり、他人に口にしたり、作文に書いたりするような、そんな夢などはまったく持たなかった。だから、「天文学博士になるのが夢」というのは大嘘であった。
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他人にいえるような夢ではないが、子どもの頃に「願い」を抱いていた。それは親の呪縛から解き放たれること。現実に闘争していたので、漠然とした夢というより、この状況から逃れたい、逃れるのが何よりだったし、それくらいに母親に対する精神的な抑圧があった。毎日争い、言い合いをし、喧嘩をするが、反抗のエネルギーというのは、子どもにとって並大抵でなかった。
勢いあまって外に飛び出すが、陽も暮れ、お腹がすけば家に帰るしかなく、親もそこを見越しているのが分かったし、だからかその屈辱感は耐えられなかった。「どうせ帰ってくるしかない」と、ハナで笑われているのが癪だった。どう頑張っても子どもは空腹には勝てないのだ。自分のお腹がすくのが何とも悲しく、悔しかった。昔の親はそれで子どもを縛って入れたのだ。
今の子どもはどうだろうか?昔の子どもに比べて、お年玉も多く、まとまった金を持っている。コンビニやスーパーなどでおにぎりなども簡単に買うことができるが、自分たちの時代は、食を閉ざされたらどうにもならない。だから、秋になれば山にでかけて食べ物を漁るのだった。定時のおやつもなく、山は食べ物の宝庫であった。それほど昔の子どもは食べることに飢えていた。
「武士は食わねど高楊枝」などの言葉にあこがれ、武士の意地、男の意地などの本を読みあさっても、食べ盛りの子どもにはそれができない。性格の悪い母親とは意地の戦いである事が多く、それが現在の負けず嫌いの自分を作ったのだろう。言い合いで負けることは自分の辞書にはなかったし、その自信はまさに橋下徹ぶりである。彼は自分と似た性格と思っている。
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あの傲慢な石原慎太郎が百戦百勝の橋下に一目置いていたのは分からなくもないが、常勝人間は敵も作る。自分にない発想や論理や理屈でこられると手も足もでない様相だ。だから橋下嫌いの人間は人格攻撃に回る。橋下は知識も素養もあり、論理構築も上手いが、彼の真の強さは、実は論理を超えた突飛な発言であろう。論理対論理の勝負の決定打はこれだと思っている。
それが上手かったのは小泉元総理である。彼は橋下とは比べものにならないくらいに論理は下手であったが、人を煙に巻く彼の手法は、いかなる論理にも屈さなかった。弁の強さ、力は、知識や素養ではなく、それとは別の頭の良さを見せた稀有な総理大臣であった。小泉氏が橋下を上回る最大の点は、熱くならない、早口にならない、ムキにならないところである。
おそらく橋下も自分で自分の映像を見ながら、ムキになると早口になる欠点を分かっているだろうが、意識をしてもなかなか直らない。正論ばかりで応じる橋下が、小泉のように、笑顔で論点をはぐらかすテクニックを身につけるとまさに敵なしであろう。名だたる論客がテレビ討論で橋下に論破されているが、窮鼠ネコを噛まないように、逃げ道を与えておくような邪道も彼は取らない。
彼はまだ46歳だが、50歳~60歳と円熟してくると、追い詰めるだけではなく、逃がしながら勝つ術も身につけるであろう。議論をよく聞いていると、彼が論理的だから勝っていることもない。相手がプレッシャーを与えたときに、それに対する想定外の返答で困らせるところが面白い。正論のぶつけ合いで議論に勝つことはむしろ少くない。正論好きの橋下もそこは分かっているようだ。
『報道ステーションSUNDAY』で山口二郎北海道大学教授を、朝日放送の『キャスト』で、経済評論家の森永卓郎氏をやり込めたと話題になった。山口氏の橋下嫌いは有名で、彼が大阪府知事に就任すると、政治手法が独善的であると批判を始め、2011年大阪市長選挙に出馬すると、橋下の政治手法を「ファシズム」と断じる『橋下主義(ハシズム)を許すな!』を出版した。
以下は、2012年1月15日、『報道ステーションSUNDAY』におけるやりとりで、作家の渡辺淳一氏が橋下氏にエールを送った後の山口教授とのやりとりである。
渡辺 : しばらく(橋下氏に)やらせたいな。
橋下 : ありがとうございます。問題がある時には現実を知っている渡辺さんのような方に批判を受けるのは大賛成なんですけどね、学者なんて何にも知らないのにね。
山口 : 小説家が現実を知ってるの?
橋下 : 知ってますよ、小説家なんて現実知らないと、そんなの売れる本書けないですよ。学者の本なんて全然売れないじゃないですか。
――山口教授の、苦虫を噛みつぶしたような表情…。彼は元来、人相が悪いが、その彼が苦虫を噛みつぶした顔などさまにならない。論理学が専門の三浦俊彦和洋女子大学教授は言う。「本が売れる・売れないという、"自然的な事実"と、現実を知るか知らないかは別次元のこと。ところが、これを直結させて論じており、論理学的には『自然主義の誤謬』と言う」。
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斯くの突飛な発言に論理で返すのは難しい。仮に山口が、「学者の本は売れないが、現実は知っている」と反論しても説得力はない。「ここでは橋下氏は論理学的に言う、『通俗的イメージの濫用』もしています"学者は専門的なことには堪能でも、一般社会のことを知らない"というイメージを山口教授に一方的に当てはめて、自身の発言を補強している」(三浦教授)。
"(世間オンチの)学者が何だ…"と攻められれば、学者の「通俗的イメージ」そのものへの反証に応じなければならない。テレビ討論でそんな時間はなく、ゆえに橋下氏の強さが際立つ。自分も世間ズレした学者相手に怯んだことはない。我々が世間や社会に身を投じてる間に、学者は研究に身を投じている。どう転んでも世間論争に学者の勝ち目はない。
また、山口の橋下批判について、思想家、哲学者で、ゲンロン代表取締役社長の東浩紀は、「橋下氏との討議の流れで戦略を変えられず、硬直した原理論しか展開できなかった山口二郎氏は力がない」と評している。"橋下は打たれ強い"との世評もあるが、彼は決して打たれ強いのではなく、相手の攻撃をエネルギーに変える人であろう。そこは自分と似ている。