一般的に万歩計といわれる歩数計だが、なんと100円均一ショップで売られているという。腰に装着するタイプ、ポケットに入れるタイプ、手首に装着するタイプ、ネクタイピンやベルトに内蔵させた物の他に携帯電話端末に歩数計の機能が付いた物もある。歩数を測定する機器だが、体重・性別・年齢などを入力することで、運動消費量をカロリー表示もできる。
まら、運動時間、脂肪燃焼量、平均速度、歩行距離など、1日の運動強度がグラフに作成されて便利この上ない。このような歩数計はずいぶん前からあるのだろうが、利用するようになって始めてその便利さ、斬新さに感心する。適切なウォーキングのピッチを教えてくれるが、マラソンランナーも腕時計式距離計で、1kmごとのピッチを見ながら走っている。
歩幅を入力して歩行距離を表示するものなど多機能化している。これらの表示で当初は消費カロリーの少なさには驚くしかなかった。今は数字に慣れたが、分速90mの速足で、5~6時間歩いたとしても1000kcal程度で、これはカツ丼1ッパイ程度の消費にしかならない。室内用有酸素運動系機器にはランニングマシン、エアロバイク、クロストレーナー等がある。
あれらのマシンにもカロリー消費量が明示されるが、数分のランニングでも「ショートケーキ一つ分くらいしか消費できません」というのを耳にする。クロストレーナーは1時間で700kcalの消費があるという。ランニングマシンには、「エアロバイク」と「クロストレーナー」があり、エアロバイクの効果は、心肺機能、筋持久力の向上、短時間での体脂肪の消費。
クロストレーナーの効果としては、全身持久力の向上や体脂肪の消費などから、エアロバイクはスピードトレーニング、クロストレーナー はスタミナトレーニングということになる。走る能力は、スピードとスタミナで向上するので、この2種類のトレーニングをすることで、どちらの能力も鍛えられるわけだ。それもテレビなどを観ながら手軽に室内でできる。
人間の横着さの極めつけの機器ともいえる。ウォーカーなどの機器で自宅で歩行する人も多いが、自分はこれでは続かないと判っている。理由は、外の景色、外の空気、道行く人々がウォーキングの醍醐味である感じている。ソニーのウォークマンの発想も、室内から音楽を外に持ち出すことだった。確かにあれは画期的な発想・発明であるが自分は持った事がない。
人に借りて耳にあててみたが、当時の自分はオーディオマニアであったから、ヘッドフォンで聴く音では満足できなかった。オーディオマニアというのは、もちろん音楽愛好家であるが、実は「音派」と「音楽派」に分かれていた。「音派」はあくまでも電気信号の忠実な自然音再生に拘り、「音楽派」はそこまで音に拘らなくても、まあ好い音であればいい。
したがって、ウォークマンは「音楽派」にはこの上ないツールであったろうが、「音派」は、生活音などから一切遮断された室内で、高価なアンプやスピーカーから出てくる音に酔うろいうスタンスが、無常の喜びであった。そうした「音派」のオーディオマニアの夢は、こぞって防音室完備のオーディオルームであったろう。が、金持ちの道楽ともいわれた。
ミュージシャンとウォークマンの出会い、感想はさまざまあろうが、藤井フミヤはこんなことを書いている。「ウォークマンとの出会いは1979年、高校生の頃。友達がバイト代をはたいて買った初号機のウォークマン(TPS-L2)を借りて聴いたんだ。一番驚いたのは、ヘッドホンをつけて音を聴いた瞬間。「なにこれ!うちのステレオよりいい音じゃん!」ってビックリしたよ。
それまで家の外で、しかもステレオで音楽を聴くことなんてなかったからね。うわーっと世界が広がっていく感じがした。そのくらいインパクトがあったよ。今で言うと、何を手に入れた感じなんだろうな……。いや、やっぱり、こんなにインパクトのある体験は、なかなかないよね。ウォークマンの魅力は、やっぱり自分の好きな音楽を持ち歩けるところだよね。
今となっては多くのことが「ながら」であるのはあまりに普通のことだけれども、当時は全然普通じゃなかったんだ」。フミヤは自分らより一世代若い1962年生まれ。「そうか、ウォークマンが発売されたとき、彼は高校生だったのか…」。自分はウォークマンを買っていない。買おうとした記憶もない。決定的な理由は、「ながら族」ではないからだ。
「ながら族」とは今では死語。ラジオや音楽を聴きながら勉強したり、TVを見ながら食事をするといった ように、何か他事をしながらでないと集中出来ない人をいう。こうした症状を日本医科大学の木田文夫教授が「ながら神経症」と名付けたことから生まれた。死語になった理由は、今では「何かをしながら何かをする」ってのは、当たり前になったからか。
携帯はいかばかり普及したころ、マックや吉野家で食事しながら電話をする光景に驚いた。固定電話時代にはあり得ない光景である。「何かをしながら何かをする」ことがまるでできない自分は、ある事に集中すると、その事で頭がイッパイになるし、そういう自分は不器用な人種と思っていた。ただ一つ例外は、「うん」をしながら本を読むことだが…
まあ、「うん」は集中して致すものではないから、無常に手持ち無沙汰を感じる行いである。当時「ながら族」は問題視されていたが、近年、「ながら族」のほうが効率のよい頭の使い方をしているといった見解や脳の活性化に良いという意見もある。という事は、自分は効率のよい頭の使い方をしていない「種」であろう。効率より集中するほうが好きのようだし。
よってウォーキングの際は、ウォークマンもiPodもいらないし、あっても邪魔になる。さて、11月に入って今日で6日、ウォーキングも習慣化すると、ドーパミンが放出され、しないでいられなくなる。ドーパミンの役割を簡単に言えば、「快感や多幸感を得る」、「意欲を作ったり感じたりする」、「運動調節に関連する」といった機能を担う脳内ホルモンのひとつ。
脳の中にはおよそ1兆個の神経細胞があり、そのなかにはドーパミンにしか反応しない神経も存在する。この神経は快感を伝達する神経といわれ、「ドーパミン作動性神経」と呼ばれている。「ドーパミン作動神経」は主に快感を得たときに活躍する神経であり、逆を言えば、ドーパミンを分泌させること=快感を得ることでもある。脳内麻薬といわれる所以だ。
「何かに夢中になってしまって、食事をするの忘れた!」こういう経験は誰にもあると思うが、人間は、快感を得ているときや、精神活動が活発に働いて物事に集中しているときには空腹感を感じない。映画に感動してるとき、スポーツしているとき、観てるとき、恋の相手を思っているときなど、ドーパミンが大量に分泌されると、食欲が抑制されるようだ。
ドーパミンは"生きる意欲を作るホルモン"。極端に言うなら、人間はドーパミンを分泌させることを目的として生きているのかも…。逆に精神的ストレスを感じると、コルチゾルというホルモンを分泌させる。これは脳内のあらゆるホルモンの活動性を低下させる。当然のことストレスはドーパミンの分泌を低下させるが、快感を得ているときにはコルチゾルは分泌されない。
思うことを誰に遠慮することなく書き、ウォーキングに快感を感じるのもドーパミンのご利益だ。じっとしてはドーパミン、動きまくってドーパミン、ストレスなどここ数年来感じたことがない。今日は天高く馬越ゆる秋晴れだ。さて、20000歩くらいを予定している。とりあえず、1日~5日までのウォーキングデータは以下の通り。(6日のデータは本日夕刻に加筆)
1日 13315歩 9054m 83m/分
2日 17468歩 11878m 91m
3日 28154歩 19144m 89m
4日 46762歩 31798m 93m
5日 17689歩 12028m 91m
6日 19799歩 13463m 89m
4日の46762歩は、9月25日とまったく同じルートであったが、少し歩幅を大きくしたので、前回の47330歩よりも568歩少なくなっている。したがって歩行距離も、32184m⇒31798mと、386mも少なくなった。これは距離計測が歩幅でなされるための致命的欠陥だ。実質歩行時間は339分だが、分速93mの速さ(前回は86m)で連続5時間以上はきつく、さすがに足が疲労した。
一昨日の記事の表題「人間は機械の奴隷 」ではないが、歩数計の数字にあまり一喜一憂しない程度に、あくまで歩いた結果を見る程度に、できたら機器を人間が利用すべきであろう。偏差値の奴隷になる事の悲哀も、機械の奴隷になることも、つまり、数値の奴隷になる人間の儚さをみる。日々幸せを感じられる生き方とは、年収でもなく、地位やキャリアでもない。
人生を楽しむ柔らかい思考とは、外部に影響されない自らの心と体の調和である。現代人は、競争社会、競争原理にどっぷりつかって、気付かないうちに社会や時代の価値観にしばられて自分自身を評価している。「本来の自分はどんな人間か?」を問うこともせず、周囲や機械に迎合する。ありのまま良さ、素朴であることの良さに気づくべし。