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東芝バカ社長のメイ言

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オリックス・グループの宮内義彦会長はこのように言う。「人間は評価が高まれば、驕りやすくなるものです。驕りを持って尊大になればどんな能力と実績があっても決して尊敬されることはありません。自信と誇りは持ち続けるべきですが、相手を尊敬する謙虚さを忘れないことが大切で、それが本当に高い評価と信頼を得ることにつながります。」

不正会計事件に揺れる東芝は、7月21日、田中久雄社長は自らの辞任を発表するとともに、佐々木則夫副会長と西田厚聰相談役も辞任を発表した。合わせて7月29日、執行役8人の7~9月の月額報酬を40%返上すると発表した。田中社長は第三者委員会から7月20日夜に調査報告書を受け取った際、「室町正志会長を中心に再発防止策に取り組む」と説明した。

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田中氏の後任として、社内の特別調査委員会委員長を務めた室町氏が社長を兼任することになった。室町氏は社内では「西田氏の子飼い」と評されている。西田厚聰氏は早稲田大学第一政治経済学部卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。学生時代にイランから来日していた女性と結婚、大学卒業後にイランに渡り現地企業と東芝の合弁会社に入社。

その後東芝に移り、東芝ヨーロッパの上級副社長や東芝アメリカ情報システム社の社長を経て、東芝のパソコン事業部の部長に就任し、東芝のパーソナルコンピューター事業を興した功績者の一人。西田社長時代に始まったとされる不正会計であり、西田こそ東芝を殺した張本人である。敏腕経営者として彼には多くの名言があるが、今となっては屁のように消えた言葉。

◎「リスクは冒します。しかし、ビジネスは賭けではありませんから、決して無謀なことはしません。」

◎「自分の任期中に成功させる事業だけを考えていては駄目なんです。自分の任期を超えて、事業を持続的に成長させなければいけません。5年先、10年先を常に考え、結論を導き出し、決断することができるのは社長以外にいませんから。」

◎「半導体は3年で投資が回収できなければ成り立たない事業です。原子力は20年から30年のタイムスパンで収益性を考えなければいけない事業です。事業に応じたスピード、経営の判断基準があるのです。」

◎「経理を学んで一番大きかったのは、事業というのは頑張れば利益が出るし、成長するものだという会社の根本的な原理を教えられたことです。」

◎「勉強していくうちにどういう経理のやり方が会社にとって有益なのかがわかってきましたし、東芝本社との経理のやり方の違いなど、気付くことが多かった。あの時学んだことが私のビジネスマンとしての方向性を決めたと今でも思っています。」(あの時とは東芝イラン現地法人の社長補佐をしていた当時、経理を独学で学んだ時代のこと)

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よくもヌケヌケと言えたものだ。己の任期を超えて、5年先、10年先にツケと汚点を残した張本人が言う言葉か?独学で経理を学んだことが有益だなどとんでもない。「荒法師」とか「ミスター合理化」と呼ばれた、"メザシの土光さん"こと土光敏夫氏が石川島播磨重工業の社長から、当時実質経営破たん状態の東芝の社長に迎えられたのが1965年。

土光さん以外に東芝の再建はないとまで言われていた。東芝には名門意識や驕りが会社の空気として蔓延しており、役員ら経営陣すら危機感を自らのものとして捉えていなかった。土光さんは就任早々の訓示でこう語る。「経営の責任は社長にある。社長が偉いわけでも大きいわけでもない。ただし、己の持ち場でひたすら働く者を尊重したい。

社員はこれまでの3倍頭を使え。重役は10倍働け。君たちだけを置き去りにはしない。自分はそれ以上に働く」。土光さんはそう宣言し、宣言通り誰よりも働いた。毎日7時には出社した。会社の始業時間は午前9時から夕方5時までとなっている、朝の7時から始業時間の9時までは、「誰でも自由に俺の部屋に入って来い」と言って、社長室をオープンにした。

土光社長はドアを開けて入って来れば、平社員でも対等に話し合った。自分が早朝出勤しても決して部下には強制はせずも、社長が7時に来ているのに部下たちが9時に出社するわけにはいかず、重役や幹部社員の出社時間も早まった。土光さんは自ら率先垂範することで、東芝から「重役時間」を追放した。トップの交代で組織が「一気に」変化はない。

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トップ次第で少しずつ部下の心に変化が生じる。トップが替われば生え抜き役員の心も変わる。役員が変われば幹部社員やその部下にも変化のさざ波が起こる。1965年に再建を依頼され、翌年の1966年に再建に成功、土光さんは東芝の黄金時代を築いて行く。しかしながら土光さんの「モーレツ経営」は東芝の体質を変えるまでには至らず、1972年に会長に退いた。

現在の東芝は、いつか来た道のように、ダメ会社になろうとしている。行動よりも口ばかりの経営陣、最大の責任者である田中久雄前社長、佐々木則夫前副会長、それに西田厚聰元相談役の歴代の3人の社長ら旧経営陣については、土光さんの言葉を借りずとも責任は免れない。不正会計によって会社に与えた損害の賠償を求め、提訴すべきであろう。

会社は株主のもので、粉飾決算は投資家に対する背信行為である。これは株主から資金を騙し取る詐欺行為であり、株式公開している企業は絶対にやってはダメだ。東芝の粉飾の手口は、作為的な損失の先送りで利益誘導していたというが、見栄っ張りでバカがトップに立つと、在任中に赤字決算を出したくないと体裁を繕うために、こういう事をやる。

歴代経営者3人が辞任するというまさかの展開の東芝不正会計問題だが、バカがトップに立ったと結末なら辞任は当然である。メディアの報道はこぞって東芝をエクセレントカンパニーとし、われわれも東芝は歴史的、規模的に超優良企業とみていた。が、こういう問題が起こってみれば、東芝はエクセレントではなかったということの驚きである。

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一連の問題は、バカなトップ、言い方を変えると無能なトップ、さらに言葉を和らげると資質に問題のあったトップ。が、それだけではない。このような不正を許してしまう企業の問題点が浮き彫りになった事の驚き。中小企業の会社の質は経営者によって左右されるし、ダメ会社の経営者は、いくつか共通する罠に陥っている。が、こともあろうに東芝のような大企業が…である。

それも経営トップが自ら主導して決算内容を操作をし、数字の見栄えをよくしようとした。なぜこのような背信行為的誘惑に経営者は陥るのか。「四大証券」の一角にあった山一證券が、不正会計(損失隠し)事件後の経営破綻によって廃業したのが1997年、簿外債務(貸借対照表に不記載の債務損失)は、国内で1583億円、海外で1065億円にのぼっていた。

カネボウが粉飾決算で解散決議したのが2007年。1996年3月期から2004年3月期まで9期連続の債務超過となり、粉飾決算は2000億円超であった。倒産前のカネボウは取引企業と循環取引という手口で、粉飾決算を積極的に行っていた。カネボウは1887年創業、山一證券は1997年創業の老舗企業である。東芝はさらに古く、1875年創業となっている。

カネボウも山一證券も粉飾決算との言い方だが、東芝にあっては明らかに同様の手口であるが、なぜかメディアもマスコミも粉飾決算の言葉を使わず、「不適切会計」という意味不明の表現を使っている。粉飾決算とは会計用語の一つで、会社が不正な会計処理を行い、内容虚偽の財務諸表を作成し、収支を偽装して行われる虚偽の決算報告を指す。

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当時の田中社長は幹部らに早朝の電話やメールで「何で予算を達成できないんだ」、「売上高、利益をもう少し上げろ」などと強く要求。損失計上の先送りを促すようなメールなども見つかっていた。この歴代トップによる過剰な要求が巨額の利益かさ上げをもたらした格好だが、あくまで不適切会計であり、粉飾決算呼ばわりは不適切表現という。

しかるに不適切会計が仮に悪意無き過ちだったとしても、利益かさ上げ額が2,000億という規模を考えれば、悪意の有無などもはや問題ではないと思うが、いかに東芝が、「粉飾決算など意図してないし、単にマチガイでしたごめんなさい」。と言い、「承知しました。粉飾決算でなく、不適切会計ですね」とメディアは言っているようなもの。

「東芝日曜劇場」のせいでもないだろうが、東芝は新聞社やテレビ局にとって広告やCMをたくさん出しててくれるお得意様だし、粉飾決算の疑惑があるものを不適切会計と言ってしまうのも無理からぬことか。ホリエモンのライブドアは、粉飾決算+上場廃止+実刑であり、比べて東芝は不適切会計のお咎めナシなら、ホリエモンの怒り骨髄に達すであろう。

「粉飾」は法律用語ではなく、ホリエモンのいうように、刑事告発されたかどうかで決まるわけでもない。有価証券報告書に事実と異なる数値を載せることを不正会計、粉飾決算と言う。今回多用された「不適切会計」という言葉の方が不自然。まあ、 「不適切」はいかにも法律違反や犯罪行為ではなく、意図して行ったものではないとのニュアンスを醸し出す。



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