「究極、人間は機械に嵌められる」という仰々しい表題の記事を10月31日に書いたが、人間は機械を利用しているようで、その実、機械に利用されてると思うこと多し。真っ先に頭に浮かぶのは道路の交差点などに設置してある信号機である。時々、信号待ちをしながら思うのは、確かにあると便利ではあるが、果たして絶対に守らなければならないものとは思えない。
もちろん、クルマの往来の多い交差点になくてはならないものであるけれども、見渡しのよい交差点で、対向車も左右にも全くクルマの姿がみえない赤信号でも、守らなければないらい法令になっているが、そういうときは赤信号でも発進することがある。じっと守っている自分に疑問がわくからだが、パトカーや警官が隠れて見張っていれば当然信号無視となる。
法令違反は確信犯だから仕方がないとはいえ、警官に「まったく安全と思った。これでは信号機の役割をしてなくない?」などと言っても通じないし、「決まりは守れよ」というだけだから言いはしないが、便利な場合もあっても機械ゆえにバカである。アメリカ人が信号を守らないで道路を横断するのを、「有能な人間が無能な信号機に従う理由はない」と聞いたことがある。
能力を発揮しているように見えて、機械的に往来を仕分けしているだけで、便利なときは従えばよい。あくまで人間の判断が正しいはずだ。とはいえ、バカな人間もいるから、機械に従っていれば…ということ。横断歩道にも信号機はあるが、道路横断は法律で歩行者優先と決められている。なのになぜ横断歩道に信号機がある?無謀な人間がいるからだ。
が、こういう事もあり得る。もし、小学生が道路を50m走のようなスピードで走って来、そのまま横断歩道で停止もせずに渡ったらどうであろうか?これはもう、危険極まりない状況であり、小学生はクルマに跳ね飛ばされる確率が非常に高い。歩行者優先とはいっても、物事には流れというものもあるし、「優先」が「安全」とは限らないの好例であろう。
横断歩道は歩くもの、駆けてはならないという決まりはないが、ドライバーの目に駆けてくる小学生が見えたら、横断歩道の前で停止しなければならないと決められている。だから、徐行運転が必要となる。徐行の定義は、いつでもすぐに止められる速度。忘れてるドライバーもいるが、クルマは横断歩道の手前では徐行しなければならないと法令で決められている。
ところが、横断歩道を渡る人がいないと確認できたら、徐行の義務がないとも定められている。これってオカシクないか?この、"必ずしも徐行しなくてよい"ということと、どんな時でも一旦停止できるようにしなければならない、というところにはどう考えても矛盾がある。したがって、この矛盾をすべて解消するためには、信号機をつければよいとの結論である。
これなら歩行者が横断する時は車両を確実に停められる。おまけに、横断歩道に赤信号が出ている時は、車両は徐行の義務がないので、普通に走行できる。それでも横断歩道上の事故が多いのは、歩行者にもドライバーにも問題があるのだろう。人もドライバーも注意義務を持し、さらに信号機設置というダブルセイフティが、大きく事故を防止しているのは事実。
交通安全の確保のため、新設と更新に力を入れてきた信号機について、2011年11月、警察庁は必要性が低くなったものについては 「撤去」を検討を都道府県警に指示している。財政難で老朽化する全国約20万基の信号機の更新が進まず、このままでは信号機の半分を撤去せざるを得ない。警察庁は更新に全力を挙げる一方、撤去の検討という新方針を打ち出した。
機械に従うことに慣れた人間に、いまさら便利な機械を取り除くとどういう事になるか?もちろん、注意義務が増すことになろうが、ダブルセイフティの一環が取り払われることに、危惧がある。自分は、クルマ往来の多い交差点で信号機は必須だが、見通しのよい横断歩道の信号機は煩わしうと感じているし、撤去は賛成だが、機械慣れした人間への不安はある。
警視庁の言う、「必要性の低くなった信号機」は、廃校となった小中学校の周辺交差点などを想定している。「人口が頭打ちとなっており、これまでのように信号機を大量に新設する必要はない」と指摘。その上で「交通量にも配慮しながら必要性の低い信号機を撤去し、新たに必要性の生じた交差点には新設する」など、メリハリのある施策を提言した。
しかし、いったん設置した信号機の撤去には、地元住民からの反発も予想されるだろう。信号機が安全なのは言うまでもないが、機械に頼ることで人間の思考がおろそかになるのは事実である。つまり、人間の思考が機械的になる。掃除、洗濯、飯炊など、一切を機械に頼っている。もし炊飯器が故障すればガスで炊く?ガスレンジとて機械であるが、おそらくコンビニか?
「はじめチョロチョロ、中ぱっぱ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、赤子泣いても蓋取るな。」を知る世代も減少した。自分ら世代も意味は知るが、かまどでご飯を炊いたことはない。電気炊飯器の第1号を作ったのは東芝で、おいしいご飯が炊ける原理を科学的に解明し、試作を繰り返して1955年に発売された。冷蔵庫、掃除機、洗濯機、電子レンジの国産第1号も東芝である。
まさに白物家電のパイオニアであった。電子レンジという名称は、1961年12月、急行電車のビュフェで東芝の製品をテスト運用した際に、国鉄の担当者がネーミングしたのが最初とされ、後に一般的な名称となった。家電や半導体のみならず、重電機、軍事機器、鉄道車両などの重工業分野にも事業展開をしており大手重電4社(日立、パナソニック、東芝、三菱電機)の一角であった。
その東芝が、7年間に渡り不正な会計処理をし、1562億円もの利益の水増しが発覚した。過去にも企業の利益水増し問題はあった。2005年カネボウ、2006年ライブドア、2012年オリンパスが不正な会計処理でトップが逮捕されている。ライブドア事件の当事者堀江貴文氏は、「東芝の経営陣は逮捕されないのでは?」と言うが、これだけの事件で旧経営陣の逮捕は必須だろう。
こういう問題で重要なのは責任の明確化であり、当時の経営陣の責任を明らかにしないで信頼回復などあり得ない。収益性が低い事業からの撤退など構造改革も進めることで、経営の立て直しを急ぐ方針のようだ。その一貫として10月28日、「CMOSイメージセンサー」の設備などを来年3月までにソニーに売却することが発表された。売却額は200億円程度とみられる。
同事業の売り上げ規模は2014年度に約300億円だったが、同センサーの開発担当者や従業員など、約1100人がソニー側に移籍する方向で調整するようだ。また、照明機器などに使用される白色LEDも採算が悪化しており、この事業からの16年3月期末までに撤退も発表された。撤退に伴う費用は200億円程度の見込みという。まさに「驕れる平家」という言葉が思い出される。
白物家電業界第2位の東芝には"ブラック"の噂が就職業界から絶えなかったのは、東芝の社員(特にブルーカラー)に対する労働環境が極めて酷烈であることが原因らしい。半導体部門は入社した人間の48%が離職との数字があった。東芝・過労うつ病労災・解雇裁判もあった。平成16年の解雇無効確認等請求事件。この判決が2008年4月22日午後、東京地裁619法廷で言い渡された。
原告重光由美氏は裁判中に以下の所感を述べている。「今後も東芝は、会社に不利な証拠隠し・偽造資料の提出・証言での同僚の口裏あわせなど考えられ、徹底的に抵抗してきそうで、裁判は非常に難航が予想されます。本当に東芝は何をするかわからない。従業員は何をしても良い対象なのでしょうか。改めて東芝の、企業としての姿勢が問われるのではないかと思います。
私は東芝に第一希望で入社したのであり、東芝の技術者であることは、私にとっては一応誇りであったのですが。東芝はこれ以上、私を失望させないで欲しいです。今後の東芝の誠意ある対応に期待したいものです」。東京地裁において、うつ病に罹患したのは過重業務が原因であるとし、解雇無効の原告全面勝訴判決が言い渡された。重光さんは判決後に以下のコメントを出す。
「解雇・提訴から3年半、大変長く険しい道のりでした。判決内容は、私としては全く当然の内容ではありますが、労災が不支給になった事、途中何度も症状が悪化したことなどを考えると、全面勝訴する事ができた事を大変うれしく思います。ただ、私が受けた苦痛を考えると、慰謝料が低い事が残念です。日本の慰謝料のあり方については、問題があるのではと思いました。先日3月14日に、同じ職場で私が休職した3か月後に自殺した同僚も労災と認められました。東芝は、今回の判決を真摯に受けとめ、同じ職場で2名自殺、1名がうつ病休職した訳だから、当然職場に問題があった事を潔く認めて反省し、控訴などせず、2度とこの様な悲劇が起きないように環境改善を行う事を強く望みます。」この声を東芝は耳に入れていない。