「○○家」という言葉がある。墓石に彫る「○○家の墓」というのではなくて、「小説家」、「建築家」、「政治家」、「陶芸家」、「画家」、「落語家」、「宗教家」、「探検家」、「資産家」、「好色家」、「浪費家」、「愛妻家」、「自信家」などの言い方だ。職業や考え方の比喩として使われる場合が多い。建築士を建築家、銀行員を銀行家と言ったりするように…。
これらはおそらく、「大家」をもじった言葉はないかと。そこいらの建築士と違って、丹下健三や黒川紀章は建築家、そこいらの陶芸師に対して、陶芸家と呼ぶ巨匠。そこいらの柔道選手は柔道家と言わない。やはり、より過ぎたる人の比喩に使う。「資産家」というが、「貧困家」といわない。ただの好色男より、その道を極めるが如く邁進するなら好色家であろう。
量的問題でもあるから、どこら辺りで好色といえるのかも難しい。アレが嫌いな人間はともかくとして、好きだけで好色といっていい気もするが、「好色といわれるのも抵抗がある」という人もいる。自信家もどの程度が自信家なのだろうか?自分はよく「自信家だろう?」言われるが、誰と比べていってるのだろう?おそらく「自信家だろう?」と言う人間に比べてではないかと。
そのようにいう奴は自分に自信がないからだ。自分に自信持ってる人間は、他人に「自信家だね~」などと言わない。日本人は総じて謙虚を美徳とする国民だから、「自信家」というのは褒め言葉ではないようだ。むしろ、「あの人は謙虚だよね~」の言い方の方が褒め言葉のようだ。自分が人からみてなぜ自信家に見えるのか、大体のところは分かっている。
物怖じしないところ、問われればさっと返すところ、そんなところではないか。本人はどう思ってるのか?自信がなくて引っ込み思案で、オドオドしてることははないが、自信があるとか、自信家だと思った事は無い。むしろ、常に自分自身に挑戦的であり、それは自信をつけるためであり、己の自信を観察するためかもしれない。そういうことは頻繁に行っている。
たとえばブログ更新を、「もう書くことないし、しんどいな」と思ったなら、自分に弱音を吐くことだから、そんな自分は好きじゃない。日々生きながら思考を働かせば、書くことがないなどあり得ない。決して書く自信があるからやっているのではない。書くと言う横着を拒否し、常に挑戦的であり続けたいだけだ。また、シリーズものを時々やったりもするが、それとて同じこと。
「命より大切なもの」シリーズも、昨日の記事でほとんど書き尽くしたと思っているし、自分自身も思いたいのだろうが、ところがそこに、イチャモンをつける自分が現れる。「お前は、もう書くことないと言ってるようだが、そんなことはないんじゃないか?お前の引き出しなんてそんな程度のものか?」という言葉をひっさげて、問いにくる。それが本日の④を書かせたのだ。
自分自身の監視役に言われるままに、自らに妥協せず、さらなる可能性を求め挑戦する。「自信」、「自信家」などと、人は己の横着さや早目の妥協を棚に上げて、人をそんな風に規定する。自信あるから「やる」のではなく、「やる」ことで自信を加増させている。このように自信家は挑戦的に思えてならない。であるなら、その意味において自分は自信家のはしくれである。
安易に楽をしないし、妥協は好きでないし、己を過信しない。だから挑戦的でいれるのだ。「これで全部です。これ以上の事はもうできません」という奴は多い。そう思って自分を甘やかせているのだろうし、その方が楽に決まっている。そんな言葉は好きじゃないから言った記憶はない。もっとできる、きっとできる、そんな風に自分を鼓舞することの楽しさ、これは刺激でもある。
今の半分くらいの文字で終らせることは簡単だが、簡単なことはいつでもできる。難しいことにできるだけ長く挑戦していたい。書いていることはつまらぬことでも、つまらぬことを書くと言う自己満足。内容など問題じゃないし、自己主張や用件を伝えるだけならツイッターで十分だ。そうではない。結局、何を言うかが目的でなく、己と戯れ、遊んでいる。
書くという行為は「無」から「有」を生む行為に思われがちだが、実はまったくその逆である。頭の中のたくさんのことや、引用などの情報の中から、少なく少なく凝縮させること。つまり、100を1にすること。だから長文はバカが書く。と思っているが、自己正当化的にいえば、コレでも実は短く凝縮している(つもり)である。つもりなら仕方があるまい。
文筆家は、無白の原稿用紙に文字を埋めるとき、無から有を生むのではなく、多くの有から取捨選択をし、言葉を選んでいるはず。小学生の絵日記が、思いつき言葉だけの羅列であるなら、中高生の感想文は取捨選択と思考の末の構築文であろう。文学ともなればさらに選ばれた文字や言葉を駆使して書かれる。こんな用語もある、こういう言い方もある、という様に。
だから感動を呼ぶのだ。小学生の絵日記は、あったことをあったことのように書くが、年齢も上がると、あったことに臨場感や切迫感を加味した表現ができる。文学ともなれば、これが文章か?などと思えない美しさや凄みが感じられる。読み手も同様、書き手が表現したものを通して、「表現されなかったもの」、「表現できないもの」を発見することになる。
創造は書き手だけではないし、読み手も発見し、創造している。そういった読者の享受作業、つまり創造的参加によって作品は完成する。確かに書くという行為は、自己の内面の可能性を現象化する時間であろう。人はみな言葉の動物であるからして、人は誰でも何か言いたいことをもつ。自己の内面を言葉として展開することで新たな何かが加わることになる。
文章とは、対象――認識――言葉――表現の厳しい相関関係の上に成立する。したがって、認識は正確であるべきで、そこに新しいことばの可能性もあり、創造もある。松尾芭蕉は『芭蕉語彙』の中で、「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし」という遺語を残している。「物の見えたる光」とは何ぞや?何を言っているのであろうか?
「竹のことは竹に習い」、「松のことは松に習い」を言っている。芭蕉の観察眼というのか、私意のなす作意を徹底離れた、主客の感応の境に射し込む光を言っているのであろう。絵画の基本は対象をしかと見ることであるが、それは俳句とて同じはずだ。ルービンシュタインというピアニストは、「自分が1000回弾いた曲でも、楽譜を丁寧に見よ!」といった。
自然の美しさも、生まれた芸術作品も、見る事がすべての始まりであるが、そこには作為的というより、哲学的エッセンスを加えることができる。人が自身の前の風景を絵に描こうとする時、自分の目は何を見ているだろうか?手前には美しく咲き誇る花、遠くにあってはそびえる山々、裾野に広がる湖、点在する家々、これだけでそれらしきものは描けたりする。
が、これだけでは満足しないのではなかろうか。下手か上手かはたいした問題ではなく、自分が分かればそれでよいが、目の前の景色の実際と、画く絵は明らかに違いがある。どれだけ上手く描いても違いは歴然としている。何かが足りない…。その何かとは何か?そう考えたとき、ここからが哲学の領域であつ。光、影、奥行き、運動、重量感、空気感、力感…。
と、これら五感の全てで感じ取るような何かが絵になければ良い絵は画けない。写実的な絵画だけでなく、抽象絵画でも同じ。技量に関係なく圧倒される絵、魂の入った絵は、五感で捉えた何かを、頭を捻って分析、抽出した何かが言葉であり、歌であり、知識であり、絵であり、理論であり、つまりは表現であり、さらにはその人自身の中へ還ってゆく何か。
この一連の作業、つまり観察と分析がまさに哲学であり、この作業を行う全てが哲学であろう。であるからして、芭蕉の句は哲学であろう。いかなる学問もこの作業のように何かへの「気づき」と「観察」と「分析」無しに学問とは言えない。「命」に気づき、観察し、分析してなお命より大切なるものがある?下は『命よりたいせつなもの』の著者星野富弘氏の詩。
よく分らない詩だ。生きてる彼が命より大切なものがあると知って嬉しかったという。それが宗教(彼はクリスチャン)、大勢の人の支援、口で筆をくわえて絵と詩が書けること、自然や草花への観察力がさらに増加した事、想像を絶する苦悩を克服した事などが想像できる。が、彼が命より大切なものが見つかったというそのことを、彼以外の誰かに理解できるのか?
つまり、彼の思うこと、感じること一切は、命がなければ実感できないこと。彼の言う、「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが辛かった」は抽象的すぎて自分には理解は不能だ。まあ、彼に分かればいいことである。果たして人は、「命より大切なもの」のことを思いながら死んで行くものなのか?自分のことにおいては解決がついたことだから、他人に思考をする。
ジャンヌ・ダルクは命より大切なものを見つけて、処刑されたのだろうか?石田三成も吉田松陰もそうであったのか?生あらば、もっともっとやり残したことがあったと、悔いたのではないのか?神風特攻機は、命より大事な国家のため、喜んで死んで行ったのか?心情的にはそう思いたいが、「命より大切なものはない」と結論する自分にそうは思えない。
中国共産党による圧制を世界に発信するため、チベット人の間では抗議の焼身自殺が相次いだ。2008年のチベット騒乱以降、焼身自殺をするチベット人は特に増えている。ラジオ・フリー・アジアによると、2009年以降から2014年6月までの5年間に合計136名のチベット人が焼身自殺を図った。僧侶、尼僧だけでなく、一般の若者も多かったという。
彼らにとって命より大切な抗議だったのか。三島由紀夫の自殺も命より大切な思想・信条だったのか。三島はこのような言葉を残している。「行動の美はあくまで孤独に関係している」。「男の美が悲劇性にしかないことが確実なのは、行動と言うものが最終的には命を賭ける瞬間にだけ、煮つめられるということと関係している」。こんな風に呟きながら彼は到達した。
それは、「一回性」という言葉である。三島のいう、「一回性」とは、我々の「生」が巨大なる「無」の上にかかるに過ぎないのだと見極めるとき、「一回性」が一つの希望として浮かび出てくるのであった。三島は命より大切なものを見出したというより、抗議の餞別であろう。「三島事件」とは何であったか?その答えは、「行動」であった。それですべてを言い尽くしている。
歴史に「もし」は無用だが、市谷駐屯地の自衛官たちが、三島の演説に呼応して蜂起していたなら…。三島は割腹自殺はしなかったろう。おそらく三島はそんなことなど考えてもいず、そうなった場合の計画や指揮・命令系統など、用意もしていなかったはず。彼は思想に殉じ、散り場所を模索していた。だから「行動」なのである。何のためではなく、唯一「行動」である。
いじめ自殺も抗議であろう。追い詰められたら死でもって抗議するしかない。が、中には純粋に苦しさからの逃避もあろうが、分別は難しい。チベット人の抗議にしろ、中高生の抗議であれ、抗議による自殺というのは、良し悪しは別に人間にだけ可能な行為である。戦後教育は命よりも大事なものはないと、そのことを教えてきた。が、精神医学が自我の重要さを引き出した。
自我が命より大切というなら、「人間」を規定するのは肉体か、精神か、という根源的な問いである。人間の体を「心身」と現す以上、心も身体も人間を形づくるのfactである。「死んで花実が咲くものか」は、いつごろの言葉なのか?どうやら、江戸時代の浄瑠璃に頻出する言葉らしい。もともと「花実」は、そのまま「花と実」という意味で『日本書紀』にも載っている。
それが江戸時代に入り、「名誉と利益、栄華」という意味に用いられるようになった。「花実を咲かせる(出世する)」とか、「このままでは花実も咲かぬ(うだつが上がらない)」とか、「死んで花実が咲くものか(死んではなんにもならない)」など言われるようになった。誰かが言い出したというより、市井に中、民衆から自然発生したことわざ、慣用句であろう。