いうまでもないが、「毒親」と言う言葉はかつてなかった。いつごろか、誰かによって、言われ出したのだろうが、そこはよく分らない。おそらく「ネグレクト」の単純訳から見つかった言葉かも。「ネグレクト(英: neglect)」とは、無視すること。ないがしろにすること。の意から、児童虐待、障害者虐待、高齢者虐待から、育児放棄、育児怠慢など広い意味に使われる。
ペットの飼育放棄に対しても言われるが、育児放棄においては、①親の養育知識のなさ、②経済的事情、③子どもに知的障害がある、④知的障害はないが知能が低い子ども、などの理由から放棄する場合と、それらがまったくないのに、親の横着さや自分勝手さ、あるいは遊び盛り親(!)が原因の場合がある。2010年、「大阪2児餓死事件」は23歳の母親のネグレクトである。
母親は、両親の離婚などで中学生時代は家出を何度も繰り返していた。2006年12月、当時大学生だった男と結婚、男は大学を退学して就職する。2007年5月、20歳で長女を出産。2008年10月に長男を出産したが、2009年5月に離婚した。離婚後大阪市西区のマンションに移るが、育児に無頓着となり、室内にわずかな食料を置き交際相手と過ごすため長期間家を空けるなどした。
母親は逮捕後、大阪地検に殺人罪で起訴されたが、弁護側は、「被告も育児放棄を受けた影響があった」とし、子ドモに対する殺意はなく保護責任者遺棄致死罪として争う。被告の母親は、「子供のことを今でも愛している」と話したが、口では何とでもいえるが、行動は騙せない。近所の人の異臭騒ぎによって2児の腐乱死体が発見されたのは、2010年7月30日である。
そもそも母親は、2010年6月9日頃、居間の扉に粘着テープを張った上に玄関に鍵をかけ、2児を自宅に閉じ込めて放置した。7月29日に勤務先上司から「異臭がする」との連絡を受け、約50日ぶりに帰宅して2児の遺体を確認した。直後、母親は「子どもたちほったらかしで地元に帰っていた。それから怖くなって帰ってなかったの。今日1ヶ月ぶりに帰ったら、当然の結果だった」。
このように上司にメールを送信している。が、その後は何事もなかったように交際相手に逢いに出かけてホテルに宿泊、翌7月30日に逮捕されるまで過ごしていたという。母親の、「子どものことを今でも愛している」とは、死んでいなくなった我が子への戯言である。生きている時はほったらかして、死んだ後に、「愛していた」などと、なるほど言葉は便利なものよ。
便利であっても、誰がこのような言葉を信じる者がいよう。多くの言葉は心を隠すために使われるゆえに、本当の言葉こそ価値がある。彼女の若さ、無知さは、子どもをほったらかしたという事実から逃避することであったと思われる。若さという未熟な情緒は、現実を直視できない、したくないという情動に支配されるが、それら一切も含めて罪は罪であり、免れることはない。
「無知は罪なり」はソクラテスの言葉だが、この母親のイカレタ行動も、彼女の頭の悪さ、おそらく無思考に生きた罪であろう。思考するというのは、社会的な常識や自身の欲求からなされる行為においてもなされるべきである。浮気や不倫や殺人がよくないのは、なぜにどういう理由でよくないのか、それを悪と知りつつ行為する自分には、どういう責任が課されるか。
を、思考するものと、何ら思考しない者の同じ行為には違いがある。いつも例に出す高速道路などでスピード違反をする場合の例だが、今自分は40kmオーバーで走行したいとクルマの遊興を楽しみたいとするなら、万が一取締りにかかっても仕方がないなと、そういう覚悟でするがいい。運よくかからない、運が悪ければかかる。最低それくらいのことは考えて悪事をする。
それがオトナの対応、オトナとしての自覚・責任である。「取り締まりなんかいるわけないだろ、天下の公道は我のために在り」などと何をも怖れぬのが若さなり。捕まって、「くそったれ!お前ら、何でそんなことやってるんだ!」と暴言吐くのはコドモ也。ガキどもは考えた行動をしないが、せめてオトナは考えることだ。若さは無知、無知は罪、よって罪は若さの三段論法。
子どもに覚悟はないが、オトナの覚悟はそれはそれでオトナを示すものだと思っている。人を殺せば誰も見つかりたくないと思うだろう。絶対に見つからないと思って(あるいはそれすら考えないで)人を殺すのと、「天網恢恢疎にして漏らさず」という考えが浮かぶのと、それぞれ覚悟の度合いは違うだろう。「悪事はばれる」それでもしたいならどうぞと言うしかない。
中世最大のヒューマニストと称されたトマス・モアが面白いことをいっている。「面白い」というのは御幣があるが、ヒューマニストである彼は、孔孟のような儒家の綺麗ごとはいわない自由主義者であった。『泥棒はいざとなれば勇敢な兵隊にならないとは限らないし、勇敢な兵士が泥棒にならないとは限らない。そのくらい、この二つの職業は共通性がある』。
『意思に反した手段で幸福な身分になるよりも、意思のおもむくままに自由に生きたい』これも彼の言葉。自らの心の赴くままに、自由に生きられたら、人間は幸せなのかも知れない。もちろん、自由と責任は対であるから、自由主義者は責任を逃れるようなことであってはならない。同じようなことは、警察も軍隊もヤクザも組織暴力という点においては似通っている。
がしかし、国民生活を守り、国際的な秩序や平和を守るためには、正当防衛も含めた範囲内で暴力(物理的強制力)を発揮するのは当然であり、ここがヤクザとは異なっており、尊敬もされ、歓迎もされるところだ。中国では、軍隊が国民から歓迎・尊敬されるための三大規律が課されている。①いっさいの行動は指揮にしたがう。②民衆のものは針一本、糸一筋も取らない。
③すべての捕獲品は国家のものとする。他にも八項注意があるが省略する。「毒親」というのは経験上からしても間違いなく存在する。高槻市内で死体で見つかった13歳の少女だが、これから殺されるであろう事を知らずに商店街を徘徊する映像は、衝撃的であり、いたたまれないものである。結果を知らない二人と、結果を踏まえて彼女たちを見る者の差とでもいうのだろうか。
当然ながら少女の親に対する非難は大きい。事件以前も、平田(少女)さんが星野くん(行方不明の少年)を誘う形で夜間に遊ぶことはあり、11日夜から12日朝にかけても平田さんは、星野くんと二人の共通の友人Aさんと、3人で駅前のベンチで過ごしていた。別の同級生によれば、そもそも平田さんや友人たちは以前から、互いの家に泊まり合うことが多かったという。
夏以降、平田さんは友人と金を出し合って簡易テントを購入した。平田さんの自宅玄関前にテントを張って一夜を明かすこともあったようだ。そのテントは平田さんが失踪時に所持していた。平田さんと星野くんの親が、寝屋川署に行方不明者届を出したのは14日の夜だから、事件に巻き込まれたとみられる13日の午後7時ごろからみて、ほぼ1日たってからだった。
その理由は、平田さんが日常的に夜は家にいないことが多く、テントを持ち出していたことなどから、泊まりで外出したと家族が思い込んでいた。そうはいっても多感な世代の娘を持つ親が夜遊びを繰り返す娘を心配しないわけがない。なぜ、平田さんがそこまで夜間の外出を繰り返していたのかだが、家が嫌だったことは想像できる。平田さん一家を知る人物はこのように言う。
「平田さんのお母さんは、しょっちゅう子供たちを大声で怒鳴り散らしていて、家を飛び出した奈津美さんが『行くんなら早く行きなさい!』と鬼のように怒鳴られて近所の路上で泣いていたこともあります。教育の『き』の字もない育て方で、とにかく怒るという感じでした。あそこの家庭は子供たちをどこかへ連れて行ってやるというようなこともなかったようです。
自宅の敷地内に奈津美さんがテントを広げた時は、腹いせにやったのかなとも思いました」。近隣住民の話を総合すると、平田さんは4人姉妹の末っ子で、借家の自宅には2つ上の姉と両親と暮らしていた。母親が朝から深夜まで働いて家計を支える一方、父親は家にいることが多かったという。母親1人で家計を支えているのには、それなりの事情があるに違いない。
近所から「仲のいい家族」と思われていなかった。が、別の意味で一家は目立っていた。「子どもが小学生のころ、学校で怒られたりけんかしたりすると、お母さんがすぐ学校に抗議の電話をするので、先生たちも困っていました。その評判は地域に広まり、母親に怒られ続けていた奈津美さんは、お母さんにあまりいい感情を持っておらず、家にいたがらないようでした」(前出の人物)
自宅に居心地の良さを感じられず、夜も友人たちと遊ぶようになった平田さん。友人によると、不良グループや、年の離れた者との交遊はなかったというが、今回の事件は突発的であれ、夜中に街を徘徊するは、「飛んで火にいる夏の虫」。テントに野宿は、親のからの逃避であって、稚拙な行為には少女なりの意味を持つ。無知は罪といえども、子どもの無知は責められない。
一般的に子どもの無謀な行動を母親のだけのせいにするのは疑問である。明らかに自身の弱さ、薄志弱行を母親のせいにする奴もいるからだ。「もう少しまともな母親だったらこうはならなかったろう」と、無差別殺人を犯した人間がいうのは虫が良すぎる。毒親といわれる母親と闘った人は少なくないし、権力に抗えない自身の弱さを、弱者で気晴らしするなど言語道断。
人は己の不幸を癒すためにこそ生きている部分がある。だから、幸福を求める前にはまず苦悩を解決せねばならない。それが友人であり、仲間であり、恋人であったりする。親との不幸な関係は、親から離れ、心にわだかまる苦悩を別の人たちとの交流で癒すことだ。投げやりで自虐的な犯行は、意思の弱さであろう。対案を模索せず、自己を崩壊するなどバカである。
人間は考えることでバカから脱却する。かつて自分の中に入ってきた一切のものは、夢に見る幻影と同じもので、真理などではない。そのように仮定し、決心することも可能だ。しかし、そのように考えると反動も現われる。つまり、自身が過去一切を偽りであると考えた…、そのように思う限り、そのように考える「私」は、どうしても何者かであることに気づく。
デカルトは、「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」とした。「私は考える、それゆえに私はある」の訳もある。これは、すべての仮構的権威を排したあとで、絶対に疑い得ない確実な真理として、考える我という主体の存在を提起したものだ。噛み砕いていうなら、懐疑論者たちの無法極まる仮定をすべて一まとめにしたところで、動かせざる真理というもの。
自分に相応しく生きるためには、それぞれが自分の、「コギト・エルゴ・スム」を見つけていかなければならない。生を受けて後、何ということなく、知らず知らずのうちに自分のものとしてきた、自身の感じ方や考え方を、一つ残らず破壊するがよかろう。その後でそれらの断片を自ら拾い集め、その上に積み重ねた新たな感じ方、考え方で自身を再構築しなければならない。
砕かれた自分こそが、新たな自分の通路である。自らに相応しい、「コギト・エルゴ・スム」を人は見つけることだ。そして、それを拠り所として生きる。毒親など蹴散らせばいい。毒親の上に立つことは容易である。バカを下から「バカ、バカ!」などと、言ってる者がバカであって、バカの上に立てばいい。それでも対象はバカに変わりないが、少なくとも自分はバカでなくなっている。
とにかく毒親も含めたバカへの対処法は、バカの上に立って見下げることしかない。自分は人を見下げるのは好きではないが、バカに容赦ないのは、それしか対処法がないと知っているからだ。たしかにバカは死ねば直るが、生あるバカは自ら相手を殺すことだ。「どんな親でも親は親」この儒家思想は大嫌いである。自分を愛してくれるものを大切にすればいい。
「親」は無条件に尊とばれるものではない。それが親になる者への教訓となる。自分を虐げ、苦しめる親に、「親」の資格はない。モアは言った。「意思に反した手段で幸福な身分になるよりも、意思のおもむくままに自由に生きたい」。親の遺産ほしさにガマンしてひれ伏してる人間はいる。人のことだから個々の利害はあろう。が、真の自由さを求めるなら、自らを自由にするしかあるまい。